近くて遠い、眩しいあなた
監督さんかな、コーチの人かな? どの立場上の方かはわからないけど、指導してる人から休憩の声がかかった。集中してた部員の子たちが、一気に緊張を緩めてはしゃぎ始める様子が微笑ましい。
──ラグビー部ってみんな身体が大きいかと思ってたけど、わりと細身の子もいるんだ……。うわー、若さが眩しいなぁ……!
たった数歳、されど数歳。全力でスポーツに打ち込んでいる高校生たちは、エネルギーに溢れている。
スポーツ全般に詳しくない私がキョロキョロしていると、大きな身体の逞しい人影が集団から一人飛び出してくる。
こちらへ走ってきてくれたのは、夏の間にすっかり馴染んだ彼──ラグビー部の子たちの中でも一際目を惹くジンくんだった。
「茉莉さん!」
「ジンくん、お疲れさまー」
ひらひらと手を振って、少し大きめの保冷バッグを掲げてみせる。中に入っているのは差し入れのはちみつレモンだ。
今日は練習試合だと聞いて、がんばるジンくんのために何かしたくて、いてもたってもいられずに作ったものだ。(一応、差し入れは迷惑にならないかSNSで確認をとってから作ったよ!)
「マネージャーさんに渡してもらえるかな?」
「一緒に渡しに行かないんですか?」
「う、うん、なんかその、緊張するし」
どういう関係か突っ込まれたら、なんて答えればいいのか迷ってしまうから。
「試合がんばってね! 応援してるよ!」
ぐっと気合いをこめて両の拳を握ると、ふっとやわらかく目を細めて、ジンくんは笑った。
その日、試合を最後まで観て、私はなんとも言えない気持ちになった。
──ジンくん、格好よすぎなんですけど!!?
相手チームからのタックルをものともせずに振り払って進む姿、チームの仲間へ声をかける頼もしい姿、相手チームからボールをもぎ取る姿、なにより全身で楽しそうに笑うその表情が──ぜんぶ、ぜんぶ格好よかった。
ユニフォームは泥だらけだ。でも、ジンくんの全力の証だから。きらきら光っているようにすら見える。
観戦してるだけなのに、きっと私の顔は真っ赤だったに違いない。ジンくんが格好よすぎてドキドキして、身体中がぽかぽか熱かった。
──私、ジンくんと会う時にどんな顔してたっけ?
涼しい顔なんて絶対できない。きっと、目にハートが飛んでしまう。
「どうしよう……」
ときめきをもらうだけ、のつもりだったのに。優しくされて、SNSのやりとりしたり会ったりするのが楽しくて、ジンくんがすごく格好よくて──。
「ほら、声出してこ! 神野に気付いてもらわなきゃ!」
「む、むりぃぃぃ……格好良すぎて心臓壊れるぅぅぅぅ!」
「しっかりしなよ! 大会本番までに告るって決めたでしょうがー!」
「だって、あーーー! 格好いい! 格好いい! むり、すき、あーん、一生推す~!」
少し離れたところから聞こえてくる黄色い声に、私の思考は一気に現実に引き戻される。
ジンくんと同世代の可愛い女の子たちが、フィールドを駆けるジンくんに熱い視線を向けていた。
「今日も「応援行くから勝つところ見せて」って言ったんでしょ?」
「うん、うん……っ! 「勝つ」って言ってくれた~! 格好いいとこ見せてくれるってことかなー!? いやいや、いっつも格好いいけどね!?」
「あんた本っ当神野のこと好きよね」
「入学してからずっとだからね……!」
彼女たちが声量を絞っていないから、というのが大きな理由ではあるんだけど、ついつい聞き耳を立ててしまった自分に気付いて、私は大きく首を振った。
──ジンくんを好きな子、いるんだぁ……。
そりゃいるだろう。こんなに格好いいんだから。
見ないようにしていた現実が、急に迫ってきて頭が少しぐらぐらした。
たまたま親切にしてもらった縁で知り合うことになった社会人より、同級生の女の子の方が一緒に過ごす時間はたくさんあるわけで。知れば知るほど、ジンくんを好きにならずにはいられないはずだ。
──優しいし、格好いいし、部活も勉強も一生懸命で、いい子だもの。
ジンくんに告白するらしい女の子は、ジンくんと同い年だから当然若い。そして、とても可愛かった。こんな子に告白されたら断らないだろう、と思うしかないぐらい可愛い。
じわり、と胸に黒いモヤが滲んでいく。
嫌だ、と思っても──自分はジンくんへの恋心を牽制できるような立場でも何でもないのに。
──私だって、好きだけど……。
胸の内でひとり、小さく呟く。
その恋を、家族にはもちろん、私は誰にも言えないままでいる。社会人のくせに高校生を本気で好きになってしまったなんて、言えない。そもそも、自分の恋の話なんて何年もできないままだ。
ジンくんへ熱い視線を送る同級生ちゃんのように、誰かに応援してもらうことなんてない。
ひとりでこの想いを抱えて、しおれるのを待つことになるんだろうか。
──望み薄なんだから、好きにならない方がいいに決まってるのに。
無理めの恋を育ててしまった自分に溜め息を吐きたくなるけれど、視界に映るジンくんの姿はやっぱりきらきら眩しかった。
***
「ジン先輩の彼女さん!」
「えっ」
元気な声に呼び止められて、私は動きを止めた。視線の先には学ランの少年が二人。
私にとっては休日だけど、今日は一般的には平日だ。早く帰れるシフトだったからか、学校帰りの彼らと時間がかぶったのだろう。
少年たちの顔をなんとなく見覚えがある気がして記憶を辿る。
たぶんラグビー部の、ジンくんの後輩くんたちじゃないだろうか。声をかけてくれた子の方は小柄だけど元気いっぱいで、体格のいい子ばかりじゃないんだなぁ、と印象に残っていたのだ。
「えっと、彼女さんではないです」
友達と言うには年齢差がある気がするけど、断じて彼女ではない。私が一方的に、素敵な子だな、ってどきどきしてるだけなのだから。
後輩くんは驚いたように目を丸くした。
「えっ、そうなんすか? でも先輩部活ん時──」
「こら。余計なこと言わずに、言いたいことだけにしとけ」
同じくラグビー部の子だろうか、一緒についてきた男の子に彼は肘でつつかれている。
「はいっす! この前の試合の日、はちみつレモンめっちゃ美味かったです! ありがとうございました!」
応援席にいるって教えてもらったんすけど、直接お礼が言えなかったんで!と、はきはきと喋る後輩くんのまっすぐさが微笑ましくて、私は思わず笑ってしまった。
「そう言ってもらえると嬉しいな。こちらこそ、食べてくれてありがとうね。試合の日、みんな格好良かったよ」
ジンくんに視線の大部分が釘付けになっていた私だけど、チームの子たちの他の子をまったく見ていなかったわけじゃない。胸がときめくのはジンくんだけだけど、チームメイトの子たちも相手チームの子たちも、みんな眩しいなと思ったのは本当だ。
「おねーさん、すごくかわいい人っすね」
「えっ」
後輩くんがしみじみと呟いた言葉が、あまりにも私に縁のない単語だったから。私は目を丸くして固まった。
「小動物みたいっていうの、めっちゃわかります」
「小動物?」
「ジン先輩が言ってました!」
後輩くんはきっぱりと言いきると胸を張った。その姿を私は呆然と見つめるしかできない。
私の身長はそんなに低いわけでもない。160センチくらい。体重は……美容体重とか標準体重を上回っている……うう。だから、そんなに小柄なわけでもないし、見た目は小動物から遠いところにいると思うんだけどな。
小動物のイメージってどんなの?
小さい? かわいい? 警戒心強い?
年下の男の子に「小動物みたい」って言われてるなんて思ってもみなかったし、どういうところが小動物みたいなの?って聞いてみたいけど、そんなささいなことをすっごく気にしてるなんてこともなんだか気恥ずかしくて聞けないし、都合よく解釈したくなっちゃうから困る。
仲良くしたいなぁ、と思うけど、こんな私があんないい子の隣に立って釣り合うんだろうか、そもそも可愛い同級生ちゃんが既に告白して付き合っていたりするのでは、と重苦しい気持ちになって、足踏みして回れ右したくなる。
好かれたい。
けど、自分に好かれる要素が思い当たらないから、高望みだとも思ってしまう。
過去に、好きなひとから「あいつ地味だし、タイプじゃない」と言われたことのある私だ。奇跡的に付き合ったことのある相手にも、「なんか違う」「ほっとするけど、ときめかない」と言われた。
それらの言葉に、私は愛想笑いしかできなくて。
ひとりになってからこっそり泣いた。
そんな小さな傷たちを今でも引きずって、仕事が忙しいことも言い訳にして、恋愛から遠ざかった。
ひとりは寂しいけど、傷付けられない分、期待するより楽だから。
でも、休みの日にジンくんとカフェを回る時間が楽しくて。一緒にいられる時間が嬉しくて。学校や職場であった他愛ない話をお互いに話したり聞いたりする時間がいとしくて。
まともな反応を返せずに固まってしまった私に、後輩くんはニカッと元気いっぱいの笑顔を向けてくれた。
「ジン先輩、オススメっすよ! オレたち後輩にも優しいですし、カッケーんで!」
「うん……すごく格好いいよね」
しみじみ頷く。それが、その時の私にできた精一杯だ。
格好いいから、誰より眩しく思う。そして、ジンくんを眩しく思えば思うほど、なんだか遠くなってしまったように感じることが少し寂しかった。
──一緒に過ごしてる時は、遠く感じたりしないのにな。
声が聞きたい、顔が見たい、話がしたい──と心がざわついたけど、それを素直に言えるだけの可愛げが、私にはない。
休日のカフェ巡りの次の予定が決まっていないのは、ラグビーの試合があるから無理なのだとわかっているけど。
会えない間に、可愛い同級生ちゃんに告白され、ジンくんに彼女ができているかもしれない。そうすれば、ジンくんが私のことを何とも思っていないとしても、今後は二人きりでカフェ巡りなんて行けるはずはない。
部活は勝ち進んでほしい。がんばっていたのを知っているから。
ラグビーの大会だけじゃなく、勉強も追い込みの時期にきている彼は忙しい。
会えない時間が寂しくて、このまま関係が終わっちゃうんじゃないかと不安になったとしても、大人の私が「会いたい」なんて言うのは憚られた。
どんな顔で会えばいいか、どんな話をしていたか、少しずつわからなくなってきていた。
曖昧な顔で別れを告げた私を、後輩くんがじっと見つめていたことを、この時の私は知らなかった。