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五章 目覚める者

 魔王復活が報じられてから、二週間が経った。

 エルドラ王国内はもとより、隣国をも震撼させたその報せは、国王の名の下に多くの勇者を招集する結果を生んでいる。

 現在、エルドラ王国には正規の国軍だけでなく、他国を渡り歩く傭兵達の戦闘集団が形成されつつあった。五百年以上安寧な生活をおくっていた王国にとって、ここまで軍事力が増したのは建国以来のことだという。

 建国王の御代と同じ伝説が始まろうとしているのだと、訳知り顔で説く者も出始めるほどで、実際のところを知っている『魔王軍』の面々は、互いを見て苦笑するしかなかった。

 もっとも、それが本当に本当のことだということを、シルヴィだけは知っていたが。

「今日はラインハート郷の領地の古城と、リヴァル大河の旧橋の破壊ね……離れてるから、移動が疲れるわねぇ」

「魔法で飛ぶから、普通よりはずっと苦労しないけどね」

 破壊物件予定表を片手に言うヴェネッサに、シルヴィはあくび混じりに答えた。

 連日の破壊活動と、決して公には出来ない夜の勉強会のせいで、外見に反して体力のある彼女も限界に近かった。目の下にはうっすらとクマができており、タザシーナの代わりに相方になっているヴェネッサに、何処どこで夜更かししてるのとからかわれるほどだった。

「それにしても、二週間でだいぶ物壊したわよねぇ……」

「……そうね……古屋敷とか古城とかぼろい橋とか放置されっぱなしのかつての牧場とか、いろいろ……」

「……このリストを見てるとねぇ……どうにも、便利な廃屋処理業者にされてるような気がするのよね。私たちの魔法で壊れれば、向こうは解体費用とか撤去費用とか使わなくてすむわけだし」

「絶対それを目当てにしてると思うわよ。このリストに載ってるのって、うちの周りの領主ばっかりじゃない。うちの両親と仲いい人達だし」

「……持ち主公認の破壊活動。むしろこれってボランティアよね。魔王軍様々ってところじゃないの、ほほほほほ」

「ヴェネッサ。笑い事じゃないって。……まぁ、壊す物選ぶって言ってた意味が、これ見てよぉっくわかったけど。……なんというか、絶対どっかから魔王軍が偽物だってことバレるわよ。ていうか、バレなきゃおかしいわよ、コレ」

「いやぁ、どうかな〜? 関係者が全員口裏あわせれば平気そうよ。だいたい、あのタザシーナ様が自ら王宮に乗り込んでいったのよ? 今頃王宮の大半は牛耳ってるわ。賭けてもいいわよ」

「もっとイヤだわ、それ。……ただでさえあの馬鹿王子に睨まれてるのに」

 本気で嘆息をついて言ったシルヴィに、おや、とヴェネッサは笑う。

「なんだ。あんた、気づいてたの」

「……気づくわよ。めちゃくちゃ敵愾心あるんだから」

「あんたにホの字なのも、別にウソじゃないと思うけど」

「いや。いらない。私、まだそういうの興味ないから」

 シルヴィの答えに、ヴェネッサは腹を抱えて爆笑した。

「あんたにも男心が解るようになればねぇ……あの王子様も、あれでなかなかイイ男よ。あたしに言い寄ってきてる、あの馬鹿団長よりずーっっとマシだわ」

「……どっちもどっちよ」

 重いため息をついて、シルヴィはふいに解けかけた術をかけ直した。

 それを見て、ヴェネッサも飛翔術をかけ直す。

 空中を疾走する類の魔法は、本来なら上級魔法に位置づけられる。風をきって飛ぶ魔法を飛翔術。ゆるやかな移動はできても、宙を浮遊するぐらいの速度でしかない魔法を空中浮遊といい、実のところ、シルヴィが使っているのもこの空中浮遊のほうだった。ヴェネッサが飛翔術の術を使い、別の術で浮いているシルヴィの手を掴んで引っ張ってくれているのである。

「まぁ、今は面白いぐらいに『魔王軍』と『英雄軍』の話題で世間は沸いてるし。悪役としてそこで大立ち回りするのも、ちょっと気持ちいいわよねぇ」

「私は、大事になりすぎてちょっと気持ち悪いわ」

「意外と心配性ね。思いきりはいいくせに」

 笑うヴェネッサを横目に見ながら、シルヴィは嘆息をついた。

 確かに思いきりはよかった。

 ここまで来たからには全力でやるべしと、日々力いっぱいやっている。

 今更後悔しても仕方ないのもわかっている。

 解ってはいるが……これから先、どうやってこの事態を収束させるのかを考えると、元凶としては頭が痛かった。

(母さんが、任せておけって言ってたけど……)

 ……任せていいのだろうか。むしろだんだん大事になってる気がするのだが。

 ていうか、英雄軍って何だ。英雄軍って。

「世間じゃ、私達は大悪党ってことになるのね……」

「なにせ魔王軍ですから。実質は解体処理業者だけど。……あ、目的地発見! 戦闘態勢オッケー?」

「おっけーおっけー。……眠たいから、ちゃっちゃと終わらせましょ」

 ぐんぐん近づく古城に目を細め、シルヴィは大きな欠伸をしつつ、実に不真面目に戦闘開始を告げたのだった。



 神出鬼没の魔王軍斥候。

 その噂は、すでに王国中に知れ渡っていた。

 彼等はごく少数で突然現れ、行きがけの駄賃とばかりにその辺りの建物を木っ端微塵に吹き飛ばし、まるで幻のように姿を眩ませるのである。

 その出没地域は日によってまるで異なり、魔王城のあるファーレン地方を中心に四方八方で目撃談がある。

 ある者は霧をまとった亡霊のような姿だったと言い、ある者は白いローブに全身を包んだ男だったと言うが、実質、その姿をはきと見たものは誰もいなかった。

 なにせ、突然攻撃されたと思ったら、すぐに姿をくらますのである。誰に聞いても同じなのは、その姿が白かったという一点だけだった。

「……この衣装、地味に派手なんだか、派手に地味なんだか。どっちなわけ?」

 本日の業務を終え、城に帰還しながらシルヴィはしみじみと自分の姿を見下ろした。

 タザシーナ達が全力で作り上げた「解体作業着」は、白を基調としたどことなく典雅な神官服と、全身を覆い隠してしまう白いフード付きのマントだった。

 形もかなり凝っているのだが、何よりも袖と言わず肩と言わず、金糸銀糸で特別な紋様と混沌言語を刺繍しているのである。魔法使いの一族ならではの戦闘服だったが、微妙に豪華で派手だった。

「いい出来に仕上がってると思わない? 魔王に仕える神官のイメージで作ったのよ。魔法防御もばっちり!」

「普通、そういう服って黒じゃない? なんで白なの?」

「保護色」

 自分の服を両手で指して言いきったヴェネッサに、シルヴィは胡乱な目で互いの服を見やった。

 ……確かに保護色。

「……そりゃ、うちの地方じゃ完璧な保護色だろうけど……これ、他の地区に遠征すると目立つんじゃない?」

「冬の間は平気よ。夏になったらどうせ衣替えだしね」

「……衣替え……」

 ますます魔王軍らしからぬセリフに、シルヴィは嘆息をついた。全くもって今更だが、このわけのわからないノリはなんなんだろうか?

「……これ一着で、いくつパンが買えるかなぁ……」

「……あのね。ソレが貴族の娘のセリフ? ていうか、魔王軍の特攻隊長のセリフとしてもかなりイヤよ」

 特攻隊長って何だ。

「……もう敢えてつっこみ入れないけど……うちの家系って、どうしてこう深刻さからほど遠いのかしら……」

「勝算があるからじゃない?」

「はぁ?」

 ヴェネッサのあっさりとした声に、シルヴィは目を瞠った。

 彼女からすれば、現状を見る限りとてもじゃないがそうは思えないのだ。

 魔王軍を騙り、国を騙し、国の中枢近くに英雄軍まで作ってみせ、事はだんだんと大事になっていく。すでに噂は他国にまで伝わっているらしい。もはや笑ってごまかせるような内容では無く、この事態をどうやって収束させるのか、シルヴィには想像もつかなかった。

 彼女は知るよしも無いが、彼女の危惧は、彼女にとっては宿敵でもあるファサード王子と全く同じものだった。

(……いつまでも、こんな茶番が通じるわけがない。勢いだけで行っても、破滅が待っているだけだわ。秘密裏にするならともかく、どうしてこんなに大がかりに事を起こすのかしら……?)

 王国の中枢、それも王族や上流貴族の一部にだけ不安を与えるような、そんなひっそりとした魔王軍復活をシルヴィは考えていた。だが蓋を開けてみれば、周辺国にまで波紋を起こしそうな一大事になっている。いったいこれからどうなるのか、どうすればいいのか、考えるだけで不安で心臓が止まりそうだった。

(……なのに……)

 ヴェネッサには勝算があるという。

 タザシーナには、というのが正しいのだろうが。

「……母さんの計画、ヴェネッサは全部知ってるの?」

「ん〜……あんまり詳しいことは話してもらってないわね。ただ、エルドラ王国そのものを相手にして戦うことは決してしない、とは言ってたわ。私たちは王国の剣と盾の一族なんだもの。公爵はその現当主。自分の立場を忘れることはしないはずよ。そうでしょ?」

「……そうだと……いいけど……」

 答えるシルヴィの声は、自然と小さくなる。

 母親を無条件に信じようとする自分と、母親の行動に不審を抱く自分とがせめぎ合っていて、自分でもひどく複雑な気持ちだった。

(母さんのことは信じたい……うぅん、私達を守ってくれるという意味に関しては信じてる。……ただ、それをするために、他を顧みないんじゃないか、ってことが……)

 ただ、それが気がかりなのだ。

 穏やかに日々を過ごすことを良しとする女性ではあるが、一度家族に何かあれば決して黙っていない人だから。

「悩んでも仕方がないわよ、ヴィ。公爵は私達が考えもつかないような策を練っているみたいだし、私達の知らない根拠や強みを持って動いてる。それに従う私達がすべきことは、自分の気持ちに正直に、目に見える範囲だけが全てでは無いことを頭にいれながら、己で判断をくだしながら突き進むだけ。解らないからって、立ち止まるのは性分じゃないでしょ?」

 ヴィ、という呼び名に魔王を思い出してドキッとしながら、シルヴィは苦笑して頷いた。

 確かに、迷いや逡巡で立ち止まるのは性分じゃない。

 そしてそれは、ヴェネッサも同じだった。

「時々、こうやって本気で悩んでみるのもいいけどね」

 城の尖塔が見えたのを確認しながら、ヴェネッサが笑って言う。時々じゃなく、常に真剣に考えてみるべきだと思いつつ、シルヴィもそれ以上は何も言わなかった。

 考えすぎて動けなくなっても、また、困るのだ。

 だが、

「………あれ?」

 ヴェネッサの飛翔術に引っ張っていってもらいながら、シルヴィはどんどん近づいてくる城の様子に眉をひそめた。

 ヴェネッサも不審を顔に貼り付け、ややあって息を呑む。

「……ちょっと……なに、どういうこと?」

 今日、城を出たときには何の変事も無かった。

 今日、何か来るとかいう連絡も受けていない。

 なのになぜ、魔王城の中に、鎧をつけた騎馬が四頭もいるのか。

「あれ! ローザンとノイッシュだわ!」

「公爵と……うわ、ちょっと、あれって王子じゃないの?」

「げぇっ!」

 咄嗟に回れ右をしたくなったシルヴィだが、ヴェネッサに腕をとられたままなので方向転換することもできない。

 そうこうしている間にも城は近づき、今やはっきりとその様子が目に入った。

 城の入口付近にいる騎馬四名を見下ろす位置で、全身をマントで身を隠した大男や長身の男達が立ち塞がるようにしている。むろん、バルバトス達だ。

 上空から飛んでくる二人に気づいたのだろう。大きな手をあげた父に、そこにいた全員も気づいて空を見上げた。

「お疲れ様」

 ふわりと笑んで、タザシーナが降りてきた二人に労いの声をかけた。

 近衛兵と同じ礼服を着ているタザシーナは、まさに英雄軍の旗頭に相応しい美しさだった。揃いの騎士服を着ている従兄弟達もなかなか様になっている。だが、シルヴィはどうしても最後の一人の姿を認めたくなかった。

「……なんでここに王子が来てるのよ」

「あら、発案者なんですもの。いても当然だと思いますよ?」

「母さん!」

 くすくす笑って言うタザシーナに、シルヴィは眉を怒らせる。

 同じように、王子も眉を怒らせて言った。

「これほど国を揺るがす大事にしたんだ。どんな風にこの事態を収めるつもりなのか、問いただす義務が私にはある」

「元凶が何言ってるのよ。あんたが馬鹿げたこと言わなけりゃ、こんなことにならなかったんでしょうが!」

「じゃあ聞くが、おまえ、こんな大事をしでかすほど……」

「はいはい、二人ともそこまで。今更でしょう、それらのことは。ここにほとんどの関係者がいるんだから、少し私の計画を話しておこうと思うのですよ。聞きたいですか?」

 にっこりと間に入ってきた美貌の主に、二人はそれぞれ口を噤んだ。……聞きたい。聞きたいとも!

「私はね、この話をもってこられたときに思ったのですよ。あぁ、これは時期が来たのだなと。私達の家の成り立ちが特殊なことは、王家の方なら特に深くご存じでしょう。ですが、その王族の方ですら我々の立場に些か不満を抱く方が増えているご様子。全てを秘した家でありますから、それもまた当然のことですが、これは、五百年も昔にすでに危惧されていた事態なのですよ」

 その王族であるファサードは少しバツの悪そうな顔をしていたが、最後の声に眉をひそめた。

「優遇措置の見直しを求められることが、か?」

「端的に言えばそうです。我が家の存在理由を希薄なものととらえる方が増えることが、最も憂慮されていた事態でした。『建国王』が作ったこの家を、決して理由は公にすることなく、そして目立たせることなく、この地で魔王城とともにひっそりと引き継がせていかなくてはならないその理由を……今は王族と言えども現国王しか知らない。それ故に、我が家はその存在の必要性を疑われる。時が経てばそうなるのだと、『建国王』はご存じでした。そして、この国の見えない結界であった、『魔王』の存在が人々の記憶の中から薄れていくのも、あの方々《・・》は予想しておいでだったのです……そう、もう、五百年も昔に」

 タザシーナの声に、シルヴィはふいに静まりかえった雪原を歩く二人の姿を思い出した。

 眠りにつくことを選んだ魔王と、それを留めようとした男……

(……まさか、本当に……?)

「国の礎として『魔王』を配し、その驚異によって安寧を成さしむ。我が国にとって、本来『魔王』とは、そういう存在だったのです。ですが、その効力も切れかけています。隣国は着々と兵力をこの国との国境に配置しはじめました。何とかしなくてはならないと思ったときに、この提案が舞い込んできたのですよ。……ファサード王子。私は、実はあなたに感謝をしました。あなたは、実によいタイミングで私達にこの力の行使を任せてくださったのです」

 タザシーナの言は嫌味では無いのだが、王子には実に痛烈な嫌味に聞こえた。

 だが、本気で嬉しそうな美女の顔を見ていると、反発するのも馬鹿らしくなってくる。

 タザシーナは本気で喜んでいたのだ。シルヴィ達が呆気にとられるほどに、心の底から。

「シルヴィ。どうして英雄軍である私達が今ここにいるのか、不審に思ったでしょう? 答えは簡単なのですよ。私は、王の許可を得て、『魔王』に会いに来たのです。この国への攻撃を控えてもらうために。説得には時間を要するものの、『魔王軍』はそれ以降、国内よりも国外の侵入者に不興を感じるようになる。フェイリーン家は魔王を監視する役目を引き継ぐ。英雄軍はそのまま対隣国戦にかり出されるでしょう。そして私達もまた、この力をもって隣国の侵略を阻止するのです。おわかりかしら? 私達は、この国を混乱させるためにあるわけでも、家を守るためにあるわけでも無い。それらは本来の目的に付随してくる小さなおまけだったり、どうしようもない波紋だったりするだけです。私達は『王』の剣と盾。『魔王軍』とは、最初からそのためにあるものなのですよ」

 さらりと言ったタザシーナに、若い世代一同は互いの顔を見合わせた。反目している王子とシルヴィですら目を見交わせていた。

「そんなの……そんなに上手くいくものなの?」

「ていうか、無茶苦茶じゃないですか、それ」

「全員が口裏を合わせ、足並みを揃えればそうでもありません。魔王が絶対悪であり、絶対の敵であった時代というのは、もう遙か過去のものです。もともと、この国の『魔王』もまた、この国を守るために作られた偶像でしたし」

「偶像……? どういう意味だ?」

 ファサードの問いは、他一同の疑問でもあったのだろう。だが、シルヴィにはわかった。

「……さっき、母さんが言ってたじゃない」

「シルヴィ?」

 ファサードの声に、シルヴィは重い嘆息をつく。

 脳裏に蘇る光景。悲しい瞳。

 ……思い出す。

 あの夢は、本当の意味では、夢なんかじゃなかったのだ。

「……『魔王』は、物語で語られるような魔王じゃないのよ。……少なくとも、この国を本当に守ろうとしたのは、言い伝えで伝わってる『魔王』その人だったんだもの」

「「「はぁ?」」」

 素っ頓狂な声をあげた王子や従兄弟達の気持ちも理解しながら、それでもシルヴィには確信があった。

 いつか見た、あの夢が。

 地下にいる、どう見ても悪には見えない『魔王』が。

 そして、今回のタザシーナの言動の根拠が。

 全てがその可能性を示唆している。決して語られなかった、王国の本当の建国記を。

「興したばかりの国を守るためには、周囲の国が手出しできない状況を作りだす必要があった。英明なだけの王じゃ駄目だった。恐ろしいだけの王でも駄目だった。そこに国が無くてはいけない理由を……そしてその国に手出ししてはいけない理由を、国の内側に作っておきたかった」

 そして……独り残されて生きることを、彼は拒みたかった。

「だから、初代国王・・・・は……」

「!」

 自分の意見を述べようとしていたシルヴィは、そこまでしか言えなかった。

 目の前のタザシーナが、見たこともないほど緊迫した表情を浮かべたからではない。

 彼女がハッとなるのと同時に、シルヴィは背中に奇妙な衝撃を感じたのだ。そして、一瞬の間を置いて、ドッと襲いかかってきた激痛。

「シルヴィ!」

 誰が叫んだのかわからなかった。

 傾いた体が、地面へと向かうのを感じた。治癒魔法を、と叫ぶ声はヴェネッサか、タザシーナか。何者だ、と誰何する声は王子のものだろう。

 だが、なぜ、そんなに怒って言っているのだろうか?

(……あれ?)

 一瞬、シルヴィの意識は空白になる。

(撃たれた?)

 というのが、シルヴィの咄嗟の感想だった。

 痛みは肩に近い背中の部分から。灼熱にも似た痛みが広範囲に広がって、明確な部分がわからない。刺さっているだけなのか、貫通しているのか、それさえも不明だ。

 とりあえず、命はある。何が起こったのかわからないが、誰かに攻撃されたのは確かだ。だが、誰から?

 誰か他に来ていたのだろうかと妙に冷静に考えていたシルヴィは、ふと倒れた自分を誰も起こしてくれないことに気づいた。治癒魔法も飛んでこない。

 そのかわりに、すぐ近くに、誰かの足があった。

 目線を上げると、見知った黒い服が見えた。

 シルヴィは目を瞠る。痛みも忘れて、そこにいるはずのない、来てはいけない人を見上げて呆然と呟いた。

「……魔王」



 そのとき何が起きたのか、はっきりとわかる者は誰もいなかった。

 突然シルヴィが後ろから撃たれた。

 城門から撃ったのでは無い。城の入口と城門は離れており、最大射程が四百程度の投擲武器では届かない。

 城門からこちらまでには小さな小屋や厩の跡があり、そこから撃ったのだと彼等は気づいた。

 誰もが一瞬、驚愕と憤りをもってそちらを見た。そこにいて、次の矢を構えようとしている男達の姿を発見したのは、誰が一番最初だったろうか。その正体を考える前に、声を荒げて誰何をする者、シルヴィを助けようとする者、そして剣に手をかける者など、それぞれがとっさに動き、

 そして、凍りついた。

 魔王軍数名も、英雄軍代表数名も。突然の襲撃者すらも、時が止まったかのような異様な空気を感じとった。

 シルヴィが撃たれてほとんど間をおかず、誰もが本格的な行動に移る前に、ふいに、唐突に息が止まりそうなほどの強烈な魔力が場を圧したのだ。


「……魔王」


 小さな呟きは、シルヴィのものだろう。

 どこか呆然としたその声に無意識に視線が彼女の元に集まる。

 そのすぐ傍らに、一人の若者が立っていた。いつどこから現れたのか、全くわからないほどの唐突さで。

 誰だ、と。彼を誰何する者はいなかった。する必要すらなかった。

 この、人のものとは思えない尋常ではない魔力。

「……魔王」

 誰かが、そう呟いた。


 

 シルヴィには、その声が誰なのものか、気にする余裕もなかった。

 目の前にいる若者が、見たことこともないほど厳しく、険しい表情をしている。そのことに慄然とした。

「駄目! 魔王!」

 シルヴィは悲鳴をあげた。

 彼が怒っているのは明白だった。こんな怖い顔をした魔王を見たことがない。誰もが息をつまらせるのは、この場に満ちる桁外れの魔力のせいだけでは無い。周囲の空気をビリビリと震わせるほど、ここに怒りが満ちているからだ。

 魔王は何もしなかった。ただ、怒りをこめて自分の大切な者を攻撃した男達を睨んでいた。

 それだけでよかったのだ。

 王の怒りは臣下の怒り。王の敵は臣下の敵。

 魔王が自ら行動を起こさなくても、その怒りは全ての彼の臣下に伝わった。

 すなわち、魔導人形───その精霊達に!

「駄目!」

 突然出現した奇妙なシルエットの魔導人形に、誰もが度肝を抜かれて悲鳴をあげた。

 タザシーナですら息を呑み、魔王とシルヴィを見比べて目を瞠る。

 魔導人形は魔王の怒りに反応して瞬時に姿を変えた。水の精霊の宿ったそれは巨大な蛇の化け物に、炎のそれは狼に似た獣に。風は鳥に、土は巨人に。それが、実に数十体。

「やめて! 魔王! 駄目よ!! 怒らないで! 大丈夫だから! お願い、人を攻撃しないで!!」

 傷の痛みや彼の出現への驚きより、彼が怒りまかせに行う報復が恐ろしかった。

 彼の力、その影響力を考えれば、彼だけは決して誰かを攻撃してはいけないのだ。それが自国民ならばなおさらだ。

 ……なにより、この人に誰かを殺めさせてはいけないと、ただその強烈な思いだけが咄嗟にシルヴィを動かしていた。

「魔王!」

 怒りに険しく引き締まった顔をしていた魔王は、シルヴィに腕を強く引かれて顔をしかめた。

 苛立ったというよりは、どうして、と困惑を滲ませた顔で、それでも男達ではなくシルヴィに向き直る。

「ヴィは撃たれた!」

 その言葉は、どこか悲鳴に似た色を宿していた。

 シルヴィは真正面からその言葉を受ける。ここが正念場だった。

「ええ、撃たれたわ! でも生きてる!! あなたが同じことをすれば、相手は死ぬわ! 絶対に!」

「だけど……!」

「お願い! 堪えて。大丈夫だから、堪えて。壊さないで、殺さないで! お願い!」

 魔王の逡巡と苦悩は、魔導人形にも伝わっている。

 怒りの形状はそのままに、彼等は襲撃者の周りを取り囲んだだけで攻撃はしなかった。

 シルヴィは痛みと痺れで動かない左の腕はそのままに、右手だけをぎこちなく伸ばして魔王の体を抱きしめる。

「落ち着いて。大丈夫だから。ちゃんと生きてるから。……ちょっと痛いけど。平気だから」

 ここが正念場だと、思った意識に間違いは無い。

 魔王は、初めて怒りを知ったのだ。

 いままで、彼は地下で穏やかに過ごしていた。シルヴィの悲しみに同調して悲哀を感じ取ったりはしていたが、自らの怒りという感情は初めてだ。

 なら、その怒りを堪えさせることを、今、教えなくてはいけない。

「……痛い?」

「うん。……でも平気。魔王が堪えてくれるなら、こんなのへっちゃらよ。あ、でも、治してくれると嬉しいかも」

 魔王が治癒魔法を唱えているのを見たことは無いが、おそらくできるだろうとシルヴィは思っていた。

 魔王は今度ははっきりと困惑顔に心配を滲ませて、シルヴィの肩のあたりを見つめ、おずおずと抱きしめる。

 その途端、フッと体が楽になったのを感じた。

 ぱた、という小さな音は、体に突き刺さっていた矢が落ちた音だろうか。

(……すごいわね……)

 シルヴィは改めて感心した。

 魔王には呪文も何も必要ない。そういえば、魔導人形を作りだしたときも、血と魔力と意志だけで行ったのだと、件の魔導人形も言っていた。

 彼は、思うだけで全ての魔法を発動させられるのだ。

「……ありがとう」

 抱きしめるというより、どこかすがりつくような魔王の力に、シルヴィは優しく背中を叩いてやりながら抱きしめかえした。

 彼は怒りを忘れないだろう。けれど、こうして誰かを案じて怒りを止めたり、堪えたりできるのなら、これから先も、怒りのままに力を使うような人にはならないだろう。そのことは、シルヴィをひどく喜ばせた。

「もう大丈夫。魔王が治してくれたから、痛くも無いわよ。……泣かなくていいから、ね?」

 声もなく、嗚咽もなく、ただシルヴィを抱きしめたまま静かに涙を零す魔王に、シルヴィは胸が温かくなるのを感じて背伸びをする。反射的に瞑った目の縁にキスをすると、ちょっと驚いたような目で見返された。

「ね?」

 笑ったシルヴィに、魔王もほんの少し笑った。口元を軽く上げただけだが、目が優しい色をしていて、それが何ともいえず嬉しかった。

 体裁を繕うことを知らない魔王は、泣き顔を隠すことも涙を拭くこともしない。かわりに服の袖で涙を拭いてやっていると、周囲でコホンという妙にわざとらしい咳払いの音が聞こえた。

(……コホン?)

「………げ」

 毎日のやりとりのおかげで、魔王といると二人きりであるような気になっていたが、今日だけはそうではない。

 ようやくそのことを思い出したシルヴィは、周囲の呆気にとられた顔や、妙にニヤニヤしている顔や、どういうわけか非常に不機嫌そうな顔をいくつも見つけてひきつった。

(げぇえええッ!!)

 ぎょっとなって魔王を隠そうとするが、今更すぎてどうにもならない。

「えーと、その、心配おかけしました、ていうか、なんというか……えぇと?」

 もはやどこからどう言えばいいだろうかと内心パニックを起こしている彼女のかわりに、タザシーナがにっこりと微笑む。

「とりあえず、城に入りましょうか。あの馬鹿者共は地下の牢屋にでも放り込んで。……あの精霊達に、命令していただけますか? 陛下・・

 美貌の人の声に魔王は軽く首を傾げ、シルヴィを見、もう一度タザシーナを見て頷いた。

 なんとなく、シルヴィはむっとした。



 魔王城には、大広間をはじめ大小の部屋がいくつもある。

 その中の一つ、やや大きめの部屋に顔をそろえて、心中複雑な合計十二名は、残りの一人を見つめている。

 むろん、残りの一人とは、言わずとしれた魔王である。

 『魔王軍』一同が暇を見つけては掃除に全力を掲げていたため、今では古びた城も見違えるような姿になっていた。床には毛皮や絨毯が敷かれ、テーブルも磨かれ、その上に置かれたティーセットもなかなかのものだ。

 魔王にとっては初めて見た地上の光景でもある。見たこともないものがあまりにも沢山あって、さっきからあっちをちょろちょろ、こっちをちょろちょろと実に落ち着きがなかった。

 我が子を見る気持ちでそれを見ながら、シルヴィはとりあえず自分が知っている魔王のことを話した。

 誰もが奇妙な顔をしているのは、彼女の説明を納得していないのではなく、あまりにも彼女の話通りの魔王だったからだろう。

「……あれが、五百年も眠っていた、あの魔王……」

 ファサードなどは複雑怪奇な表情をしている。気持ちはわかるので、誰もあえてつっこみはいれなかった。

「とりあえず、悪そうな人でなくてよかったね」

 まさか城の地下にそんな大事が隠されているとは思っていなかったが、まぁカッコイイ人だからいいや、という正直な意見を言った妹は、妙にニヤニヤしながらシルヴィにそう言った。

 ニヤニヤ仲間のヴェネッサも声を揃える。

「そうね。ちょっとぼんやりしてる感じもするけど、感じのいい人じゃない。子供みたいだけど、それはそれで可愛いしさ。なにより美形だし」

「かっこいいよねぇ……王子様も綺麗系だけど、なんていうか、うん……美形だわ。いいなぁ、姉さん」

「……マテ、アンタラ。なんか妙に含んでない?」

 同世代二名のレディ方は、うふふふふと奇妙な笑みを浮かべている。

 大人一同はなんとも言えない微妙な表情をした者が大半だったが、妙に両親は嬉しそうだった。

「うちの娘も、隠し事をする年頃になったのねぇ」

「……母さん、その妙にズレた意見ナニ?」

 胡乱な表情のシルヴィに反し、両親はニコニコだ。

「ヴィが『魔王』を隠してるって、知っとったんだろう?」

「いいえぇ? まさかぁ。うふふふふ」

「……だから、なんでウフフフフなのよ……」

 さっきから居心地の悪さばかり感じて、シルヴィは嫌そうに顔を歪めた。

 魔王がシルヴィにだけ懐いているのが主な原因なのだろうが、目をキラキラさせながら見つめられるのは気味が悪い。

「ふふふ。でもまぁ、これで、魔王の危険性を考慮に入れる必要が無い事ははっきりしましたね? ……それで、王太子殿下。殿下のご懸念は晴れましたか?」

 タザシーナの声に、ファサードはちょっとむっとしてから嘆息をついた。

「貴方に二心が無いということは、根拠ではなく信頼をもってして信じるべきことなのでしょう。だが、それは、信じるに足りると証明されたときにようやく確立されるものであって、今現在頷けるものではない」

 ややこしい。

 だが、タザシーナは深く頷いた。

「仰る通りです」

「ただ、魔王軍を私物として国を牛耳ろうとするものでは無く、国外の敵への脅威として在ろうとしていることは理解できた。……それはいい。それはいいが……」

 シルヴィは、少し意外な面持ちで王子を見ていたが、口は挟まなかった。

 こんな風に立派なことを言えるような王子だとは、彼女だけは思っていなかったのだ。なにせいつもがいつもだったから。

 だが、次の言葉を聞いて彼女はちょっと感心した気持ちを天高く放り上げた。

「今、私が問題と思っているのは、果たして、あの魔王とやらがこれからも味方であるのかということだ。幼児退行してしまっているみたいだが、それが本当にそうなのか、単にフリをしているだけなのか、確かめることもしていないし、なにより、昔の魔王の悪行の数々が、ただのでっちあげだとは思えない。今のアレが、もし記憶を取り戻すなりなんなりして、いきなり悪魔のようにならないという保証は無いだろう?」

「なんですって!」

 声を荒げて立ち上がったシルヴィに、部屋の片隅で毛皮の上に転がり、その毛触りを堪能していた件の魔王がびっくりして飛び起きた。

「あんた、どうしてそう、私が大事にしてるものにばっかりケチつけるのよ! 魔王が何したって言うの!」

「……あのな! 私は、ごく普通に危険性を説いているだけであって、難癖をつけているわけでは断じて無いんだぞ! だいたい、おまえは疑問に思いもしなかったのか? あの魔王が、あんな状態になっていることに!」

「それは……!」

 確かに、ちょっと思ったけど、と言いかけて、シルヴィは首を横に振った。たとえ不思議に思ったとしても、それは王子が言ったような悪い意味でではない。

「あんな状態になってる理由なんてわからないわ。けど、記憶が戻っても、物語みたいな魔王になんかならないわよ。だって、そんな理由が無いもの」

「理由が無いだと? 魔王だぞ?」

「その『魔王』をあなた、一体どれだけ知ってるって言うの? 五百年も昔のことを。あなた、一体何を知ってるって言うのよ?」

「そんなもの、伝承に……」

「伝承が嘘だとすれば? 母さんも言ってたでしょうが。国を守るために配したものが、魔王と呼ばれる存在だって。本当に悪逆の限りをつくすような化け物だったら、そんな風に利用されたりしないわ。そんな利用すらできないぐらい、徹底的に周囲一体を破壊してるわよ」

「その証拠はどこにある!?」

 ファサードの声に、シルヴィは目を伏せた。

「証拠なんか、無いわ」

 あるのは、あの日見た『夢』の記憶だけだ。

 だから、これを見ろと誰かに見せて証明することはできない。

「証拠が無いのに……どうやってそれを信じろって言うんだ? 公爵の言にしても、今、確かに危機が無いからこそ、一時的に保留にしているだけだ。だいたい、あの魔王を見ろ。あれだけの魔力を有してるんだぞ。それだけで充分危険人物なんだ! 何を考え、何を企み、何をもって至上なりとしているのかどうか、そういったことをきちんと把握しなくてはいけないのは、王族の務めだ!」

 個人感情では無く、王族の務めとして言いきられては、シルヴィにはそれ以上反発することはできなかった。

 気に入らない相手ではあるが、己の職務に忠実であろうとする者を、それこそ個人感情だけで反発することはできない。

「魔王は魔王よ。私にとって、それは変わらないわ」

「それはおまえの気持ちの問題だろう。事実とは違う。そしてその事実を把握しないといけないのは、私の都合だ」

 きっぱりと言いきった王子は、確かに、同世代の同僚達が騒ぐだけの魅力があった。少なくとも、いつもみたいな子供の喧嘩をしている相手では無いことは、シルヴィにもわかった。

 嘆息をついて、シルヴィは椅子をテーブルに戻す。王子が言うことも、ものすごく気にくわないが正論であることを彼女もわかっていたのである。

「いいわよ。協議するなり、審議するなり、勝手にすればいいわ。どうしてああなったのか、わかるならとっくに魔王だって答えてるんだから。私だって聞いたわよ。『目覚める前のことは覚えてない』彼の答えはそれで全てよ。私はそれで別にいい。それ以上、調べる術だって無いし、調べる気も正直無かったわ。例え昔がどうであれ、今とは全く違うのなら、あえてそれを掘り起こす必要もないというのが私の意見よ。……無責任でもいいわ。私にとって、大事なのはそこだけだもの」

 シルヴィの声に、王子は一瞬、何か苦いものを飲み込むような顔になったが、シルヴィは気づかなかった。ただ、こちらをじっと見ている魔王を振り返り、声をかける。

「魔王。どうする? この人があなたに聞きたいことあるって。前に私が聞いたことと同じだけど……ちゃんと直に話したほうがいいから、喋る?」

 魔王はただじっとシルヴィを見ていたが、ふと微笑って頷いた。

「喋る」

「……そう。終わったら、また勉強しようね」

 魔王は、それには答えなかった。

 ただ、ちょっと微笑って言った。

「ヴィ。……泣いたらだめだよ」

「……泣いてないけど。って、精神同調、またしてるの?」

 魔王はそれにも答えなかった。

 ただ、不思議な眼差しでじっとシルヴィを見つめ、優しく微笑った。

 それはひどく不思議な、綺麗な笑みだった。



 シルヴィが部屋から出て、束の間、部屋の中には奇妙な沈黙が生まれた。

 魔王が何を言うのか、誰もが強く興味をひかれたのだが、魔王はシルヴィが去った場所をじっと見つめるだけで何も言わなかった。

「……喋るんじゃなかったのか?」

 しばらくそれを不機嫌に眺めていた王子の声に、魔王は改めて彼を見た。

 その、どこか静謐な眼差しに、ファサードはわずかに怯む。

「わたしには、何も言えることは無い。……ヴィが目の前にいた。あのときからのことしか、わたしの記憶には無いから」

「……それを直にこうやって喋るだけ、ってことか?」

 王子の声に、魔王は軽く首を横に振った。

「わたしは何もわからない。ヴィ達が言う五百年前のことも、何も……だけど、それを周りが知るための術ならある」

「何だって?」

 全員が……それこそ、タザシーナですら息を呑んで、魔王を見つめた。

 魔王は、ただ淡々と、シルヴィが去った場所をもう一度見つめて言った。

「時を遡ればいい。それで、わたしはわたしじゃなく、五百年前に居た者になる。そうしたら、ヴィは悩んだりしなくてもよくなるんだろう?」

 魔王の声に、王子は目を瞠り、ややあってから頷いた。

「それは……まぁ……言い合いもしなくてすむし、わからないことをずっと悩む必要は無くなるな」

「なら、それをすればいい」

「お待ちください」

 あっさりと、むしろ晴れやかにそう言う魔王に、タザシーナが顔を険しくして声をかけた。

「そんなことが本当にできるのですか? 記憶を遡る術は、確かにありますが……王が仰られる時間を遡るというのも、同じことなのですか? それを行って、王が王でいられる保証は何も無いのではありませんか?」

「わたしの記憶は、ヴィが目の前にいたときが最初で、それ以前は無い。だから、記憶を遡るというよりも、わたし自身の時間を戻さないといけない。……そこにいるのは、わたしでは無い。だから、わたしはわたしではいられない」

 ごく普通にそう言う魔王に、タザシーナは呻いた。

 他の面々にはその理由はよくわからなかったのだろうが、タザシーナと同じく魔力に特に秀でたヴェネッサには、なんとなく想像がついた。

「……今のあなたが消えて無くなるんじゃないの? それって……。そういうことでしょう?」

 魔王はちょっと首を傾げて、軽く微笑った。

「昔のわたしがなんであっても、大事なのは今のわたしだと、ヴィは言った。昔のわたしになっても、その言葉はわたしだけのものだから、それでいい」

 よくないだろう、と誰もが思った。

 だが、魔王にはわからないのだ。

 まだ精神的に幼い彼には、それがどういうことなのか、わかっていない。

「地下に、昔の魔法陣がそのままである。効力を失っていて、ヴィには見えなかったみたいだけど、魔力を注げば、あれを復活できる。時を凍らせ、天地に力を溶かすあの魔法を、逆転させればわたしの時間は遡る。あとで地下に来てくれれば、それで全てすむから」

 ふいに子供のように笑って言った魔王に、誰もが目を奪われて声をかけそこねた。

 その瞬間、魔王の姿が忽然と消える。冥王法とすら言われる単体の瞬間移動を目の当たりにして、タザシーナは息を呑み、すぐに事を察して顔色を変えた。

「シルヴィを呼んで! 地下に……止めないと、あの魔王が過去に戻る……消えてなくなってしまいますよ!」



 ベッドに寝ころんで休息をとっていたシルヴィは、突然けたたましく部屋に転がり込んできた従兄弟達に、ぎょっとして飛び起きた。

「な、なに? 何か新発見でもあったの?」

「それどころじゃないッ!」

 ほとんど悲鳴に近い声に、シルヴィは嫌な胸騒ぎを覚えて表情をひきしめた。

「魔王がどうかしたのよね?」

 その断定は正しかったが、シルヴィはいったい何が起こったのか、さっぱりわからなかった。あれからちょっとしか時間が経ってないのに、何が起こるというのだろうか?

「魔王が消えてしまうって……地下で、昔の魔法を逆転させて、五百年前に戻るって……!」

 言ってる方も今ひとつその内容を把握しきれていないのだろう。混乱しているらしいその言葉に、けれどシルヴィはどうして誰もが焦った顔をしているのか、その理由をすぐに察した。

 彼女は声もなく、ただ息をひきつらせて部屋を飛び出した。

(……そんな……馬鹿な!)

 脳裏に、ついさっき見た不思議な眼差しと笑みが浮かんだ。あのとき、もう決めていたのだろう。だから、じっと自分を見つめていたのだ。

 その姿を全て覚えておこうというように。

(どうして……!)

 なんでそんなことを、と胸の奥が荒れ狂う。そんなことを考えつく相手だとも思わなかった。人の姿を一生懸命目に焼きつけようとするような、あんな眼差しをするということは、それなりの覚悟があったのだろう。そして、そういう覚悟を覚えるほどには、彼は成長していたのだ。

 なのに……どうして、どうしてそのことがかえって誰かを悲しませるのだということが、分からなかったのだろうか?

(……違う……魔王、知ってた……)

 泣いたら駄目だと、最後に言っていた。

 あれは、自分が消えたら、シルヴィが泣くことはわかっていたのだ。なのに、どうして……?

(……魔王が魔王じゃなくなる……!)

 嫌だった。それだけは断じて嫌だった。確かに、今の魔王には何の知識も無く、ただ魔力が異常にあるだけだ。無尽蔵な力だけがそこにある、それこそいつ爆発するかわからない、強力な魔法そのものような存在だ。

 卓越した知識があるわけでも、戦術が得意なわけでも無く。そういう意味でもきっと役立たずだろう。

 だけど、それがシルヴィの知っている魔王だった。別にそれで構わなかった。シルヴィと魔王が出会ったのは、何かの計略や予定があってのことでは無い。皆に内緒で一緒にいたのも、何かに利用できるとかそういうことでは無く、なんとなく放っておけなくて、なんとなく傍にいたかったからだ。

 ただそれだけだった。

 それだけが大事だったのだ。

(あの子、なんにも、わかってないッ!)

 シルヴィは言ったのに。

 王子に対しても言ったのに。

 大事なのは今の魔王だと。五百年前の魔王がどうだろうとどうでもいいと。

 確かに、不安がないと言えば嘘になるし、昔の魔王が本当はどうであったのか、気にならないわけではない。だが、それでも大事なのは今の魔王だったのに。

「嫌よ……置いてかないでよ……」

 ふいに何か堪えきれない気持ちが襲ってきて、シルヴィは必死に走りながら我知らず呟いた。

 何かの記憶が脳裏に蘇る。

 大雪原の中で、若者に縋りついて泣いた人。

 行かないで傍にいて置いて行かないで、逝かないで……

 必死だった。あのときの彼も必死だった。もうどうしようもないのだと、自分では止められないのだとわかっていてもなお、必死だった。必死に止めたかった。

 今の、自分と同じように。

 中庭を飛び出し、神殿に駆け込み、シルヴィは脇目もふらずに隠し扉を引っぺがす。両親や親族、それに王子の姿も見かけたが、まるで目に入らなかった。隠し階段は、魔王と魔導人形がシルヴィのために設置してくれた光球のおかげで明るかった。その、階段の先に……

「……氷……」

 シルヴィは、愕然と呟いた。

 氷が張っていた。手がそれに触れる。

 それほど冷たくはなく、けれど、憎々しいほどに行く手を阻むもの。

「魔王……なによこれ。……なによこれ!」

 シルヴィは、力まかせにそれを殴打した。

 手が痛み、痺れに似た痛みがはしったが、そんなことはどうでもよかった。

「なんでこんなことするのよ! 同じじゃないの! あのときの魔王と……どうして置いていくのよ!」

 夢の記憶が蘇ってきて、シルヴィは氷を叩きながら必死に呼んだ。

 いつもシルヴィが階段のところに来ると、気配を察して飛んできていた魔王。

 その、笑顔。

 その笑顔に、夢で見た、決意を秘めた悲しい笑顔が重なる。

「置いてかないでよ! 消えないでよ<」

 氷を叩く。

 ふいにその手が、自分の手とはまるで違う大きな手に見えた。

 冬、今のように明るくはなく、手元を照らすカンテラの光の先で、同じように氷を叩き、嘆いた人。

(もう、会えない)

 心が、同調する。

 なにかの記憶が蘇る。

 自分のでは無く、けれど自分のそれとよく似た気持ちがあわさる。

 消えてしまう(もう会えない)置いていかれた(置いていかれた)次に会えば知らない人で(もう二度と目覚めない)自分の知っている魔王じゃない(声も聞けない)。

 どうしてこんなことになるのか(どうしてこんなことになってしまったのか)あのままでよかったのに(今のままでよかったのに)ちょっと不審や不安があってもいい(遙か未来への危惧などどうでもいい)、

 彼がいてくれれば、それだけでよかったのに!

「魔王!」

 兄上と、同じ声で叫んだ気がした。心を引き裂かれながら、この氷を叩きながら。

 誰かががむしゃらに氷を叩くシルヴィを後ろから羽交い締めにし、力づくで引きはがそうとした。

 シルヴィは猛然と抗い、信じられない力で腕をふりほどいて氷を叩いた。周りのことなどどうでもよかった。目の前が涙でにじんで、もはや自分が叩いているものが何であるかもわからないほどだった。だが、痛む手に血が滲み、その拳でまた氷を叩いたところで、ふとその冷たい抵抗が消えた。

「!」

 何を理解するよりも早く、シルヴィは駆け出す。

 氷が消えたのだ。まるではじめから何もなかったかのように。その意味を半ば理解しつつも、彼女は駆けた。

 彼女にとっては馴染みのある部屋には、床に見たこともない紋様ができていた。魔法陣だ。巨大で精緻なそれはまるで装飾のようにそこにあり、中央に眠る人は、それに取り込まれた像のようでもあった。

「魔王!」

 シルヴィは駆け寄り、けれどその人の近くで足を止めた。

 心臓が早鐘のように鳴っている。さっきまでの胸を締めつけるような痛みは無い。だが、かわりに、体がなまりになってしまったような錯覚を覚えた。

(……魔王……)

 眠る人を一目見て、シルヴィは、違う、と思った。

 根拠は無い。

 だが、わかったのだ。

「……違う……」

 目を開けたわけではない。

 言葉を交わしたわけでもない。

 だが、それでもわかった。

 この、目の前にいる、同じ姿の人は、彼女に知る魔王では無い。

 ふと、眠っていた人が身じろいだ。わずかに眉が寄り、ゆっくりと目が開く。ひどい既視感を感じた。初めて魔王が起きたときと、同じ動作だった。意識の覚醒と同時に部屋に満ちる、この桁外れの魔力も同じ。

 だが、それでも違う。

「…………」

 シルヴィは無言だった。

 起きたその人も無言だった。

 シルヴィを追って駆けつけ、ゆっくりと身を起こすその人とシルヴィを見比べる人々もまた、何かに気を呑まれたように口を噤んだ。

 その人は立ち上がる。無駄のない優雅な動作で。

 そして視線をシルヴィへと向けた。あのときの魔王と同じように。あのときとは違う顔で。

 シルヴィはその顔を見、その目を見て顔を歪めた。涙が止まらなかった。魔王では無い彼を魔王とは呼べない。けれど、なんとなく、彼が誰なのか彼女にはわかった。

 直感などでは無く、ただ、もしかしたらという思いが、彼女に一つの名前を呟かせていた。

「……アレスフィード陛下……」

 絞り出すようなその声に、若者は悲しげに眉をひそめ、そうしてゆっくりと、肯定の意味で頷いた。



 建国王の血筋であるファサードは、呆然とその様を見ていた。

 何か言わなくてはという気はあるのだが、言葉は出なかった。まさか、ばかな、どうして、そういう言葉だけが身の内を荒れ狂っている。他の者も同様だった。誰よりも衝撃が少なかったのは、タザシーナだ。

「……ご帰還を、心よりお喜び申し上げます。初代国王陛下」

 彼女は、他の誰にも、それこそ現国王や前国王の前ですらしたことがない最も古く形式ある最敬礼をもってして、若者の前に膝をついた。

 その姿で、シルヴィは、彼女だけは全て知っていたのだとわかった。

「……どうして……」

 呆然と呟く声に、タザシーナは顔を歪める。端正な美貌は、ひどく悲しそうだった。

「……言ったでしょう、シルヴィ。私達は、建国王・・・によってつくられた血族。そして、『魔王』とともにあるためにこの血に配置された者。その当主だけには、全ての秘事が明かされている。現国王のベルジークがそうであるように」

 国王を呼び捨てにしたタザシーナに、他の親族達もぎょっとしたが、タザシーナは淡々としていた。

「故に、そのことは誰にも話せない。次代を継ぐ者が代を継ぐときにしか、教えてはならないことなのですよ。周知の事実となれば、この国そのものを揺るがしてしまうから。……そう、初代国王が自ら魔王を名乗り、ご自身の弟を建国王として、伝説を作り上げ、この地で永遠の眠りについた、だなんて……」

 シルヴィは、タザシーナと見、若者を見た。

「……夢で……見たわ……」

 そのことを、夢で見た。あの嘆きを。あの慟哭を。

「……君は、ロッドの血が濃い」

 ふと、静かに目を伏していた若者が声を落とした。ひどく静かな、深くしみ通るような声だった。

「だから、同調したんだろう。……この地には、あの子の慟哭が染みついている……」

 悲しみは悲しみを呼ぶ。同調したとき、シルヴィは生家を壊してひどく悲しんでいた。喪ったものを嘆くその気持ちと、かつてここで喪った人を嘆いた人の心が同調したのだ。

 そして、あの夢を見た。

 ……彼等の記憶を。

「……悲しませるために、したわけでは無かったのに……」

 静かな声は、それ故にいっそう悲しそうだった。だが、シルヴィにはその声すらが胸を引き裂くほど憎らしかった。

「悲しまないなんて、思っていなかったでしょう? 解っていて、それを選んだんでしょう? 置いていかれれば、悲しむわよ。喪えば、嘆くわよ! 誰だって、大事な人が生きていてくれること以上に、大切なことなんて無いんだから!」

「……俺も、そうだったよ」

 かすかに微笑って、若者は呟いた。

「だから、守るための道を選んだんだ。誰も彼も……そして、自分の心も。……俺は、あのとき、皆が思うほどに強くは無かった。誰よりも俺自身がそれを知っていた。力じゃない。心の意味で……俺は誰よりも弱かったんだ」

 静かな強さをたたえたその人を見て、そう思う人は誰もいなかっただろう。

 気を呑まれたように話に耳を傾けながら、それでもいぶかしそうにする人々の中で、シルヴィは唇を引き結んだ。

 彼女には、彼が言おうとしていることが何のことなのか、わかっていた。

「……だから、先に眠ることにしたんだよね……?」

「そう。生きて力の限り守る術もあっただろう。……だが、人はいつか死ぬ。誰も永遠には生きられない。どこで誰が倒れるか解らない時勢でもあったが、それでも王国を成し、それなりに軌道に乗せ、あとはそれを維持し発展させるだけの段階になったとき、俺はもう自分が死地を得ることが無いのだと理解した。あの当時、自惚れでなく、俺に対抗できる敵対者というのはいなかった。勇者は数多くいたが、俺の陣営のほうにいたからな。そうして、気づいたんだ。このままいけば、置き去りにされるのは自分だな、と」

 自嘲含みの苦笑に、シルヴィはますます唇を引き結んだ。タザシーナが複雑な色の嘆息をついたのは、彼女もまた、その強い魔力のために似た境遇になっているからだろう。

 強い魔力を有する者の中には、時折彼等のような者がでる。一定年齢に達したあとはゆるやかに年をとり、何百年と生きる人が。

「人がどれだけ生きられるのかは、誰にもわからない。誰かと一緒にいたとして、どちらかが置いていかれる立場に立たされる。そして俺の場合は、確実にそれは俺になる。……俺は、敵に立ち向かうことには恐れを感じない。生きるか死ぬかわからない窮地に立ったときも、こんな風に恐れはしなかった。……だけど」

 けれども、

「大切の思う者が一人もいなくなったとき、自分だけがそこに取り残されるのだと思うと、とても生きてはいられなかった」

 愛していた。

「守りたい気持ちはある。必ず守るのだと己に誓いもたてていた」

 愛しすぎていた。

「だから、考えたんだ。最も長く国を守るために、死ぬ方法を」

 そして、その結果がこれ。五百年のわたり、安寧を友として発展してきた国と、悲しい過去の繰り返し。

 そして何より、愛する者達の悲痛な慟哭。

「例え間違った方法だと言われても、俺にはそれしか無かった。悲しませるためにしたわけじゃない。だが、悲しむこともわかっていた。愛されていたことを理解していないわけじゃなかったからな。……だが、俺も愛していた。だから、恨まれても、憎まれても、悲しまれても、振り返ることはしなかった。独りよがりな終わり方だと思う。残されたほうは散々だろう。……それでも、俺は、自分の気持ちだけは裏切れない」

 愛していた。その思いが強すぎた。

 生きることも、死ぬことも、ただ愛している人達のためだけにあった。そういう生き方しかしなかった。だから、彼等がいなくなったときに、生き続けることができるとは思わなかった。

 気が狂うだろうということしか、わからなかった。

「ロッドはそれが、許せなかったらしい」

 ふと苦笑を浮かべて、若者はそう言った。目に宿る色はあまりにも優しく、どれだけ大事に思っていたのかを偲ばせた。

「名前を入れ替えたのも、あいつだろう。俺は別に、自分の名前がどう呼ばれようとどうでもよかったんだがな」

「……どうでもいいわけないじゃない。誰だって、大事な人の名前を悪いように呼ばれたくないわよ。例えそれが、ずっと後世の話しだとしても」

「……そうだな」

 アレスフィード。

 その名前を、偉大なものとして残したかったのだろう。

 彼を心から愛していた王弟ロードリークが、自らの名前のほうを魔王として後世に残すように指示したように。自分は例え悪し様に言われても、愛する兄だけは、偉大なままであるように……

 そして、わざわざ『魔王』に自分の名をつけたのは、兄を犠牲にしなくてはいけなかった慟哭と、もしかしたらメッセージだったのかもしれない。

 自分を置いて逝ってしまった兄への。

 そう、いつかきっと、目覚めると信じて……

「……一つ、聞いても……いいだろうか……?」

 呆然とその話を聞いていた一同の中で、ローザンが声をあげた。

 若者は彼を見、ちょっと懐かしそうな顔をして先を促した。

 そのわずかな表情の変化に、シルヴィはハタと気づく。

 ローザンの顔は、そういえば、あの偉丈夫に少しだけ似ていた。

「どうして、その……あの魔王は……というか、五百年たった後のあなたは、あぁなんだ?」

ひどく言い辛そうであり、奇妙に言いにくそうなその言葉に、シルヴィもそういえばと若者を見た。

 彼は軽く首を傾げて言った。

「少し、待ってくれ。だいぶ記憶を読んだが……全部を把握していない」

「記憶を読む……魔王の?」

「いや、この城の記憶を。……私は過去の亡霊だから」

 しばらく軽く目を伏せていた若者は、ややあってからなんとも奇妙な顔でシルヴィを見た。非常に言いにくそうに言う。

「その……すまない。君には大変な迷惑を……」

「……どの記憶を見て言われたのか、すごく気になるけど……別に迷惑とは思わなかったわよ。……むしろ、それでもいいから、返して……」

 何を、とは言わなかったが、伝わったのだろう。若者はなぜかひどく嬉しそうな顔をして言った。

「心配はいらない。……あぁ、先の答えだが、簡単だ。俺は、死ぬつもりで眠ったのであって、こうやって、また起きることは考えていなかった。そのための魔法陣を作ったんだ。五百年ほどたったら、俺の力も、体も、人格も、全部消えてしまうような」

「「「「「なっ……!」」」」」

 ぎょっとして声をあげた一同に、若者は苦笑する。

「死ぬ方法を探していたのに、生き延びてどうする? 存在の全てを昇華させて、天地に解き放つ術というのがある。大抵は不毛の地を豊かにするために、生け贄をつくってそれに対して行うような術なんだが。それを基盤として、俺用に作り直したのがこの魔法陣だったんだが……手を加えられているな。たぶん、これもロッドや……魔法に長けた者達だろう。昇華の術が中途半端になっているし、時の氷結魔法が付随してるし……血を継ぐ者が幾人もこの地に来るたびに、俺自身がかけた魔法が弱まるようになっている。……君達の一族が、何代もにかけて俺の術を弱まらせたんだな。そして、今回みたいに一気にここに来たりしたときに、完全に解けた。……俺の記憶とかがすっかり無いのは、俺の使った魔法もまたそれなりに効果を出していたからだろう。……最もそれも、こうやって遡られたら終わりだが……」

 よほどそれが嫌だったのか、しみじみと嘆息をつく若者に、シルヴィはどう反応していいかわからなかった。何か言ってやりたい気持ちはあるのだが。

「そして、新しく生まれた意識が、あの魔王」

「そういうことだ」

 頷いて、若者は王子のほうを見た。

「王統を正式に継ぐ者として、納得のいくだけの情報は得られたかな?」

「……それは……」

「王として在る以上、思いきりが肝心なことや、多少のことに目を瞑らざるをえないことは多々ある。まだ何か迷うようなら、遠慮無く尋ねるといい。王都にいる君の父親に問うのも手だろう。全てを話せば、成人していなくても、秘事を明かしてくれるだろうからな」

「……私はもう、とっくに成人してますが」

「そうか。すまない。俺はてっきり皆成人前かと……」

「「「「「成人してます!」」」」」

 シルヴィ以下、メイッシュ以外の若人世代全員の叫びに、若者は驚いた顔でシルヴィを見る。

「全員? 君も?」

「どうしてそう不思議そうな顔で言うの……もう十七だし、今年で十八よ!」

「俺の時代では、十八にならないと成人とは言わないんだが……」

「あんただって似たような年齢でしょうが! 五百年は眠ってたから省くとして!」

 思わずそう言ってしまってから、シルヴィはふと思い出した。

 確か、彼には弟がいなかったか? どう見ても三十代の。

「……言われるだろうとは思っていたが……。言っておくが、俺の年は君達の両親と同じぐらいだ」

「「「「「はぁ?」」」」」

 これには全員が呆れたような声をあげた。全く信じてない声に、タザシーナにだけは言われたくないだろうなとシルヴィは思いながらもつっこんだ。

「ていうことは……何歳?」

「……眠りについたときの年でいいな?」

 なにか疲れたようなため息をついて、彼はこう言った。

「五十二」



はやくもクライマックス。

すでにこの時点で、落選となる理由が山とあります(苦笑)、

「あ〜」とお気づきの点もあると思いますが、最後の終章まで、今しばらくおつきあいくださいませ。

……それにしても、なんでこんなに展開急いだんだ、と……枚数制限あるにしても頭を抱える次第です。

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