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二章 魔王軍の作り方

 フェリシア地方には、季節の移り変わりというものが無かった。

 「氷結の地」の異名を持つこの大平原では、日中こそ晴天に見舞われるものの、夜間は目も開けていられないほどの猛吹雪が連日連夜吹き荒れる。春夏秋冬の移り変わりはこの地には無く、ただ朝から夕方までの「晴れ」と、夕方から明け方までの「吹雪」だけが延々飽きることなく繰り返されているのだった。

 それでも、一月、他の地域にも雪が降り始める季節がくると、なんとはなしにいつもより寒くなったような気がする。

 朝日も眩しい夜明け直後の大雪原を馬で駆りながら、シルヴィは白い息を弾ませて北の果てにある古城を目指していた。

 二週間ほど前から毎日この行路を往復しているのだが、夜になるたびに吹雪くため、何度往復しても朝になればこうして見事に道が埋まっている。もこもこと雪をかきわけて進む馬は、大雪をものともしない力と持久力のある名馬なのだが、さすがに連日の疲労がたまっているのか、今日の足取りは今ひとつだった。無理もない。

(……本当ならこんな無茶な乗馬はしたくなんだけど……)

 連日の疲れがたまっているのは、何も馬ばかりでは無かった。

 フェイリーン家の屋敷と古城は、吹雪いてさえいなければ互いの姿を(アリンコ程度の大きさだが)肉眼で見ることができる。それほど近いのだが、なにせ積雪量がものすごいため、慣れた馬と騎手であっても、こう連日往復するとたまらなかった。

(休みたいって言うか、むしろ、できたらもうやめちゃいたいわ……) 

 少しずつ近づいてくる古城を見つめて、シルヴィはどっぷりと暗いため息をついた。

 暗澹たる気持ちを抱えながらもそこに向かっているのは、もちろん件の「偽魔王軍」制作のためだった。

 正直な話、シルヴィは本当に偽魔王軍を作るハメになるとは思っていなかった。母親達が妙なノリで偽魔王軍作成に乗り出した時も、きっと他の親族が止めるだろうと思っていたのだ。

 だが、甘かった。

(なんで! 誰も< 反対しないわけ!? なんでノリノリでやっちゃうの!?)

 タザシーナの号令で集められた親族達は、説明を受けるや否や、なんと! 俄然乗り気でこの馬鹿馬鹿しくも恐ろしい試みに乗り出したのだ。

 誰一人として止め役はいなかった。シルヴィにはそれが信じられない。

(うちの一族って……うちの一族って……!!)

 今まで世間様に冷遇されていたのがよほど腹立たしかったのか、それとも物事を深刻に考えない楽天家なのか、どんな理由で全員が乗り気になったのかはわからないが、一つだけ確かなことがある。

 もう止められないということだ。

 総勢十一名の一族の下、魔王軍は日々着々と軍容を整えつつある。とはいえ、人数は増えないのだが。

 総勢十一名という人数の少なさは、フェイリーン家が最近までずっと血族婚で血の濃さを保っていたためだった。

 本家であるフェイリーン公爵家は、女当主たるタザシーナ、その夫のバルバトス、長女のシルヴィアーナ、次女のメイッシュの四名しかおらず、分家であるファーレン家も、女当主とその娘のヴェネッサしか存命していない。もう一つの分家であるバーク家も、当主とその一人息子のローザンのみ。さらにもう一つの分家であるマライユール家も、当主夫妻と、他国に留学している一人娘しかいなかった。

 ちなみにバーグ家の跡取りは、現在王宮騎士団に身を置いている。偽魔王軍的には『敵』の本拠地だ。シルヴィなどはヤバイんじゃないかと心配したが、当の本人は「いい密偵になれるな!」と面白がっていた。

 あの異常な前向き思考は何なのだろうか?

「……未だに後ろ向きな私が間違ってるのかな……」

 ぼんやりとそんなことを思いながら、通い慣れた道を行く。

 面白いことに、魔王城に近づくにつれて積雪量はどんどん減っていっていた。魔王城の城壁間近では、なんと地面そのものが露出している。雪に閉ざされた地区の中で、この城の周囲だけがそれを免れているのだ。おそらく何らかの魔法のせいなのだろうが、シルヴィにはそれがどんな魔法なのかさっぱりわからない。

(魔王城って、やっぱり、魔王城なのよねぇ……)

 そんな感慨を抱きながら、シルヴィはとトボトボと城門をくぐり、中へと足を踏み入れる。

 丸まった背中は悄然としているが、そこに城に対する忌避や恐怖は微塵も無かった。



 魔王の城と言えば、誰もがおどろおどろした不気味な城を思い浮かべるだろう。

 今にも崩れそうな壁、割れた石畳、塀と言わず壁と言わず張り巡らされた不気味な蔦に、ボロボロの旗、欠けた屋根に陥没した天井……そんな年代を経た廃屋的なものを思い浮かべるはずである。

 だがしかし、シルヴィのいる魔王城は違った。むしろシルヴィの生まれ育った屋敷のほうが、ずっと世間一般の『魔王城』のイメージに近い。

(……な、なんかヤダな……それも)

 本日の清掃箇所へと向かいながら、シルヴィはげっそりとしたため息をついた。

 右手に雑巾入りバケツ、左手に箒とデッキブラシという姿も、この二週間で板に付いてしまっている。

(えぇと、今日の清掃箇所は厨房、と。部屋の清掃も手分けして終わったし、今日の厨房の大掃除と、食料庫の荷移しが完了すれば、今日にでもこっちに移り住んで……『活動』開始、になるのよね)

 細々と決められたスケジュールを思い出しながら、シルヴィはもう一度ため息をつく。活動開始、の部分が嫌なのか、この城に寝泊まりすることが嫌なのか、自分でもよくわからなかった。否応なく視界に入る床は、先週磨き上げたためか今もピカピカで、座り込んだら顔が映りそうなほどだ。ちなみにヒビ一つない。

(……フッ……うちより上等だわ……この城)

 半分以上朽ちかけの本邸を思い出して、シルヴィは口元を歪めた。思わず自嘲してしまうほど、この城は美しく、彼女の生家は見窄らしい。年月を感じさせる生家と違い、この城は全く痛みがきていないのだ。

 シルヴィは毎朝見る城の全景を思い出した。

 朝日に照らし出された城は、五百年前の建築物だとは思えないほど立派な姿をしていた。

 高く堅固な城壁はヒビ一つなく、そびえ立つ城も蔦一つからまっていない。

 造りはさすがに古風だが、随所に施された細やかな細工は精緻であり、華美にならない程度にあしらわれた金銀も、品良くまとまっていて美しい。朝日に照らし出されたその姿は、優雅とすら言ってもいいだろう。

 魔王城。

 名の通り、かつて魔王が棲み、今なおその身が封印されていると伝えられている城。

 それなのに、この優美さは何なのだろうか。シルヴィはふつふつと怒りが沸くのを感じた。八つ当たりなのは百も承知だが、生家のボロさを思い出すに、どうにも怒りがおさまらない。

(うちの家と交換してちょうだい!)

 とっさに思うのは、そんなもの悲しい慟哭だった。

 そんな風に場違いなほど美しい魔王城だが、ここは偽魔王軍活動拠点として、実に申し分ない物件だった。

 元々の曰くもそうだが、何より位置が素晴らしい。

 王都や国の主要都市から離れている上、この城に到るまでの経路が半端でなく困難なのだ。慣れた人間ですら身動きのとりにくい極寒地であり、尋常でない積雪のせいで重装備の兵や騎馬は動かせず、夜には必ず吹雪になるという天然の防御を備えている。偽魔王軍にとってはこの上ない拠点だった。

 まして、城そのものが王城さながらに立派で美しいとあっては、使わない手は無かった。

(……うちの一族って、封印されてる魔王のことなんか、もうどうでもいいんじゃないかしら……)

 ぶっちゃけ、それを気にしているのはシルヴィだけのようだった。ノイッシュなど、この城に入るや否や、さっさと自分の部屋を決めて一日目から寝泊まり開始している。我が妹ながら末恐ろしい。

(まぁ、いいけどね……もう、覚悟決めるしかないんだし)

 三度目のため息をついて、シルヴィはようやく辿り着いた厨房の扉を開けた。わずかに軋んだ音をたてて、両開きの扉が開かれる。

 中は広かった。そしてピカピカに磨き上げられていた。

「あれ?」

 埃もぐれの厨房を予想していたシルヴィは、それを見て目を丸くする。

「え、今日の掃除は厨房だったよね……? え? 誰か先に掃除した?」

 思わず声にだしながら、ポケットに突っ込んだままの紙を引っ張り出す。細かくスケジュールの書かれた用紙は、この二週間でボロボロになっていた。それでも、文字が読めないほどではない。本日の掃除担当は間違いなく厨房だ。

「えーと……ラッキー……で、いいのかな?」

 とりあえず汚れが無いかチェックしようと足を踏み入れて、ふと気づく。竈や調理場付近に、最近人が使ったと思しき跡があった。

(……そっか。そうよね。寝泊まりする人間がいるんだから、厨房に手が入って当然よね)

 どうやらすでに寝泊まりを開始している人々が、日々の暮らしで使っているようだ。

 ついでに全面的に掃除もすませたのだろう。改めて掃除するような箇所が見当たらず、シルヴィは掃除道具片手に嘆息をついた。それならそれでスケジュールを変更しておけばいいのにと思ったが、このスケジュールを決めた母親は、今現在、あちらこちらに根回しのために飛び回っている。事情を知らなくて当然だった。むしろ、この可能性に気づかなかった自分自身が恥ずかしい。

(まぁ、いいわ。掃除しなくてもよくなったのなら、その分仕事が早く進むし)

 さっと気を取り直すと、シルヴィは腕まくりをして厨房の奥へと進んだ。そこに、巨大な食料庫がある。

(家にあった食料は、今日、全部お父さん達が運んで来てくれるはずだけど……すでに厨房を使って調理してるってことは、食料庫もそれなりに掃除やら整頓やらしてるってことよね。てことは、ちょっと点検するだけですみそうね。これが終わったら、あとはお父さん達が来るまで休んで……)

 食料庫の扉をガパッと開け、一歩を踏み出しかけて踏みとどまる。

「……なにこの氷」

 開けた食料庫の中、扉から一歩踏み入れた場所の左斜め前方。そこに巨大な氷の壁があった。

 薄暗くてよく見えないが、床の一部に真四角な闇があり、氷はそれを塞ぐような形で天井から床までを固めている。真四角の闇は、形からして、どうも地下室への入口のようだが……

(……そういえば、地下に冷凍用の貯蔵庫があるって地図にあったわね……)

 魔王城の地図があるというのも奇妙な話しだったが、以前にタザシーナが見せてくれた地図には、確かにそんな施設が描かれていた。とすれば、あの入口は冷凍用貯蔵庫への入口ということになる。

 氷のせいで近づけもしないが。

「……まいったなぁ……」

 溶かすにしても、あまりにも凍っている部分が大きすぎる。松明の一つや二つでは到底間に合わないだろう。

 かといって、それこそ魔法を使おうものなら、シルヴィの場合、氷を溶かす前に厨房をまるごと爆破してしまう。

 ……下手なのだ。魔法が。

「ヴェネッサが来るのを待ったほうがよさそうね。あ〜……どうしてこういうときにノイッシュはいないんだろ……朝一で向こうに行っちゃったばかりなのよね」

 ちょうど入れ違いにヴェネッサの家に行った妹を思い出して、シルヴィは盛大なため息をついた。魔力のコントロールが下手で暴走させがちなシルヴィと違い、ノイッシュは抜群のコントロールを誇っている。こういう家屋内での魔法なら、ノイッシュのほうが得意なのだ。

(私、昔、屋敷の西棟を吹き飛ばしちゃったからなぁ……)

 物心つく前から『魔法厳禁!』で育てられるフェイリーン一族だが、一族以外の者が見ていない時、特に身内だけしかいない屋敷内では、けっこう頻繁に魔法を使っていた。だいたいが火を熾したり、氷を溶かしたりといった小規模な作業だったりするが。

 ……ちなみに魔法に頼る理由は、火打ち石や松明の消費を防ぐためだったりする。

(しょうがない、一時中断だわ。庭の掃除でもしてきましょ)

 あっさりと意識を切り替えて、シルヴィは掃除用具片手に貯蔵庫を後にした。できないものを前にして、時間を無駄にするのはもったいないのだ。

 小さい頃から暇さえあれば内職していたシルヴィは、空いた時間を手つかずの中庭清掃にあてることにした。小さな神殿の建っている中庭は、今のところ誰も掃除しに行っていない。最初に手を入れるのは生活圏近辺であり、庭などは手が空いた時まで放置する予定だったからだ。

(小さいけど神殿もあるんだし、やっぱ掃除ぐらいしといたほうがいいわよね。……って言うか、なんで魔王城に神殿があるんだろ?)

 謎である。

 もしや何か得体の知れない邪教の邪神とかだろうか? 一瞬、そう思ったが、なんとなくそれはそれでこの魔王城に相応しくないような気がした。

 今まで目にうつる全部が全部、普通一般の『魔王城』とかけ離れた状態なのだ。ここで普通に邪教の神殿とかあったら、かえっておかしい気がする。どうせなら徹頭徹尾『普通じゃ考えられない魔王城』であってほしい。

 果たして、願いが通じたのかそうでないのか、中庭にちんまりと佇んでいた神殿の中は、ごくごくありきたりな内容の、一般的な神殿のそれだった。

 壇上にあるのも、自然神の筆頭である古代竜の像。瀟洒なパイプオルガンがびっくりするぐらい立派だという以外は、その辺りの街で普通にありそうな神殿だった。ちょっと建物の規模は可愛らしいが。

 ……そのわりに、パイプオルガンは立派だが。

「……すごいわねぇ……これ」

 新品同様にキラリと輝いているオルガンには、塵どころか埃一つ落ちていない。かつて部屋や廊下が埃もぐれだったことを考えると、誰かが掃除したとしか思えないような綺麗さだ。

「ここも先に誰かが掃除してたのかな……」

 なんだか今日は、行く先行く先全部先手を打たれているような感じだった。なんとなく嘆息をつきながら、オルガンを眺め、次いで祭壇を振り返る。

 ふと、その目が祭壇の小さなヘコみを見つけた。

 ちょうど裏側から見て、一番左下の隅。よくよく見れば、そこだけ色が黒ずんでいる。まるで誰かが、そこだけ何度も何度も触ったかのような……

(……なんだろ? 秘密の部屋の隠し通路とか?)

 よくありがちな冒険物の物語を思い出して、シルヴィはわくわくしながらその部分を押してみた。ガコッと、わりと近くで音がした。

「ぇえ!?」

 反射的に音の方を向いて、思わず声をあげる。壁の一部分が、ぽっかりと空いていた。

「え、え!? 本当に秘密の部屋!?」

 大きさは、小さな子供なら立って入れるぐらいだろうか。ちょうど壁の一部分の板を外したような感じだが、間違いなく秘密の入口である。どうやら奥は地下に向かって深いらしく、入ってすぐの所から階段となっていた。入口付近はしゃがんで入らないといけないが、奥のほうはけっこう広そうだ。

「……カンテラって、あったっけ……」

 生憎、手元には無い。

 神殿内にも燭台はあるが、蝋燭が無いため使用不可だった。

 何か無いかと周囲を見渡すと、部屋の四隅にいい感じの筒が設置されている。

「……昔のカンテラ……っていうか、何これ?」

 油の入れる場所のないカンテラ、といったところだろうか。素材不明な半透明の容器は、形的にはカンテラに似ていたが、中身は空っぽだった。ただ、取っ手らしいものがついているので、持ち運び可能な品であるのは間違いない。

「なんだろ…ぅわ?」

 あちこちまさぐっていると、いきなりそれが点灯した。唐突な反応に、おもわず変な声が出る。

(な、な、なにコレ!? 明かり!? ……って言っても、光源はいったい何なわけ?)

 炎ではあり得ない奇妙な光は、どこか魔法の『光球』に似ていた。もしかすると、そういう魔法具なのかもしれない。

(は……初めて見たかも……今でも使える魔法具なんて)

 そういえば、おとぎ話には時折こんな便利道具が出てきていた。実際に目にするのは初めてだが、なるほど、こういうものであるらしい。

 種も仕掛けも無いが、唯一、魔法がかかっている。

 シルヴィはしげしげとカンテラを見つめた。

 その口元に、ゆるゆると笑みが浮かんでゆく。

(ふ……ふふふ。明かりも手に入った。隠し扉も開いた。これはもう、探検に出るっきゃないわね?)

 にやぁ、と口元が不気味に歪んだ。シルヴィの頭の中には、隠し扉=隠し財宝という、非常に安易かつ希望的想像、もとい妄想が膨れあがっていた。

 なにせいくら五百年も昔とはいえ、周辺諸国を恐怖に陥れた魔王の居城である。隠し財宝の一つや二つ、あってもいいんじゃないか、という気持ちがあるのだ。

 無論、建国王が魔王を倒したときに、城の宝物をごっそり持って帰って国を建てた、という伝説もあった。

 だがしかし、得てしてそういう伝説には、対のように『どこかに隠し財宝が眠っている』伝説もあったりする。

 それ故に、この隠し扉発見に、シルヴィの気持ちも大いに弾んだ。弾みまくって、一番大事なことを忘れていた。

 魔王の城で『見つかっていないもの』は、あるかどうかもわからない『隠し財宝』の他にもう一つある。

 それは、封印されている、魔王その人の姿だった。


 ※ ※ ※


「っきゃぁああああああッ!」

 盛大な悲鳴が、真っ暗な空間にエコーをかけて響き渡った。

 それに重なって、デデデデデッ、という何か段差のあるところを物が弾みをつけて滑り落ちてくるような音が響く。

「痛い痛い痛いッ……っていうか止まれーッ!」

 段差でバウンドする体にあわせて、声も微妙にバウンドしていた。息を吸い込む間だけ悲鳴が止み、再度悲鳴の形ではき出しながら、シルヴィはどこまでも階段を滑り落ちていく。

 あまり段差のない階段が延々続いているせいか、それとも単に距離が長いだけなのか、シルヴィのお尻の感覚がほとんど無くなるまで落下は続き、ようやく止まったかと思ったら、今度は真正面に向かって景気よく体が飛んでいった。

「いやぁーッ! 床も凍ってるーッ<」

 半ば本気で泣きながら、シルヴィは両足の踵を全力で床に押しつけた。丈夫な革とゴムで作られているブーツなのだが、あんまり役には立たないらしい。かえって奇妙なスピンが効いたらしく、滑りに回転が加わってしまった。

「!!!」

 こうなるともはや声もない。

 このままこの勢いでどこにぶつかるのだろうか。少なくとも、いずれ壁にはぶつかるはずだ。その衝撃を想像して、シルヴィは真っ青になった。

(死ぬ! マジで死ぬ<)

 比喩でなく死を覚悟した瞬間、突然目の前に白いものが現れた。

 ばふんっ!

「ッ!?」

 白く柔らかいものに全力でぶつかる。突然の衝撃にシルヴィは息を止めた。痛いと同時に、もっちりとした感触が全身を包む。そして同時に、シルヴィの体は止まった。

 ぶわっと広がり、視界を塞いだのは白いシーツ。カンテラに照らされたそれは、一瞬だけシルヴィの体を包み、すぐにふわりと離した。シルヴィの目は反射的にシーツを追い、次いでそれが流れてきた自分の右側を見る。高く積み上げられた巨大なクッションが、ぶつかった自分の勢いのせいで、光の届かない所へと吹っ飛んでいくのが見えた。ほぼ寝台に近い大きさのそれのおかげで、シルヴィは壁への激突という結末を逃れられたのだ。

 かわりに、クッションは吹っ飛んだが。

(助かっ……)

 そう思いかけた瞬間、

「ぷぎゅっ!?」

 いきなり、体の上に何かが落ちてきた!

 奇妙な悲鳴をあげて押しつぶされたシルヴィは、衝撃に息をつまらせながら、必死で身じろいだ。

「な、なに、これぇ……って…… !!!」

 どうやらあの巨大なクッションもどきの上には、それが乗っていたらしい。シルヴィが体当たりで勢いよくクッションを吹き飛ばしたものだから、上に乗っていたそれが落ちてきたのだ。……それは理解できたのだが、シルヴィはあの騒動中も無事だったカンテラに照らし出されたその物体を見て、理解するより早く悲鳴をあげかけた。

「……ひ……」

 ひゅっと喉の奥がひきつって、それ以上の声が出てこない。体が一気に強ばって、自分の上に覆い被さるそれをどけることすらできなかった。

 黒い髪。人の頭。右手に持ったカンテラが、胸の上に乗ったそれを照らし出す。その下にはもちろん体がついている。人が一人、自分の上に覆い被さっている状態だ。

 だが、この異様な重さは何なのか。

(……し……死体ッ?)

 一気に鼓動が跳ね上がった。

 全身でそれを感じながら、シルヴィはようよう生唾を飲み込む。呼吸は細くなり、奇妙な汗が全身から吹き出すのを感じた。必死で強ばる体を動かし、じりじりとそれの下から這い出ようと試みる。

 ぐらり、と力無くそれが揺れた。そのまま滑るように胸の上から落ちかけた頭を、思わず手を伸ばして支える。

 暖かい感触がした。……生きている。

(やだ……びっくりした)

 相手が死体では無いことを知って、シルヴィは大きく目を瞠り、全身で嘆息をついた。

 どっと押し寄せてきた安堵に、知らず体が弛緩する。そのまま床に背中を預けると、床に沈み込むような感じがした。思った以上に緊張していたらしい。かつてない疲労と脱力感に、シルヴィは再度大きく息を吐いた。

「おどかさないでよ……もう……」

 改めて相手を見る。横から覗き込むようにすると、黒髪の下に顔が見えた。少年から青年になる前ぐらいだろう。シルヴィとそう年は変わらないように見えた。顔立ちは驚くほど端正で、それで一層シルヴィは眉をひそめてしまう。

 なぜ、こんな所に、こんな人がいるのだろうか。

(……こんな……所に……?)

 ふいに呼吸が止まる。シルヴィの中で時が止まった。

(……なんで、こんなところに、人がいるの……?)

 その疑問は正しくない。シルヴィは恐る恐る、再度自問した。

(……こんなところに、普通の人が、いる……?)

 居る訳がない。

 なにより、ここは隠し通路を経た先の、閉ざされた場所だった。どこか別の入り口があるのならともかく、もし、それが無いとすれば……

(まさか……)

 気づいた途端、急速に恐怖が体を浸していった。そうだ。あり得ない話しではない。

(……まさか……いや、でも……ほらっ! 魔王に捕らえられていた王子様とか、騎士とかっ……!)

 それが逃げに近い『想像』なのはわかっている。

 シルヴィはじっと相手の反応を待った。あれだけ景気よく衝撃をあたえたのだから、何か動きがあってもいいだろう。そう思ったのだ。

 むしろ無いほうが嬉しいが。

 シルヴィの祈りも虚しく、それとも期待に応えてなのか、若者がわずかに身じろぎした。眉間にかすかな皺がより、ややあってから目が開いていく。

 それと同時に、突然周囲に重圧にも似た圧迫感が満ちるのを感じた。

(うわッ!)

 その衝撃に、シルヴィは一瞬息を呑んだ。

 肌がびりびりと震え、体が恐怖に強ばる。周囲を圧するそれが、魔力と呼ばれるものだということを彼女は知っていた。

(……うわ……やばい。これ……マジだ)

 覚醒と同時に周囲に満ちた、この尋常ではない魔力。

 あり得ない。おそらく現代において最強の魔法使いだろう母ですら、この魔力には遠く及ばない。だから悟らずにはいられなかった。

 外見ばかりは普通の人間のようでも、この若者は違うと。

(……魔王……)

 なにも邪悪な姿をした異形の者だけが、そう呼ばれるわけでは無いのだと、シルヴィは若者を見ながらそう思った。

 だが、肌を刺すような異常な魔力の強さを感じながらも、シルヴィは若者自体に奇妙な違和感を感じていた。

 若者の、寝起き直後の人特有のぼんやりとした表情を見れば見るほどに、それは強くなる。

(……なんだろう……?)

 目の前にいるのは、もしかしなくても、大昔に魔王と呼ばれたその人のはずだった。

 それなのに……

(……なんか……ちっちゃい子供みたい……)

 おかしな話だが、年相応に見えない。それどころか、妙に幼い印象を覚える。

 端正な外見から受ける印象とは別の意味で、「可愛らしい」という感覚がシルヴィの中で膨らんでいた。その証拠に、いつの間にか緊張も恐怖もどこかにいってしまっている。

 不思議そうに瞬きをし、自分の状況をぼんやり見ている若者は、まさしく小さな子供がお昼寝の途中で目が覚めてぼんやりしている様そのものだった。奇妙なほど可愛らしい。

 ぼんやりとながら、自分の傍にいるシルヴィに興味を覚えたらしい若者は、酷く印象的な目をこちらへと向ける。

 一度見たら忘れられない色の二つの目に、シルヴィはごくりと喉を鳴らした。

(オッドアイ……人の目にも、あるんだ……)

 カンテラに照らされた若者の目は、右が金色を、左が青色をしている。

(ただでさえ人目惹きそうな顔してるのに……)

 これほどの容貌は、王都でも稀だ。それに加えて稀少な色の目。王宮にでも赴けば、騒がれること請け合いだった。

 妙な感心をしながら、シルヴィは若者の目をしげしげと見つめる。若者もただただシルヴィを見つめている。

 見つめている。

 ……見つめてないで何か喋れよと、しばらく見つめ合った後でシルヴィは思った。

 若者はただぼんやりこちらを見るだけで、普通ならとるだろう動作を一切しない。驚くことも、訝しむことも、もちろん、シルヴィの上から退くということもだ。

(……けっこう重いんですけど……)

 さすがにジト目になったシルヴィに、若者はちょっと首を傾げた。

 不思議そうにこちらを見てくる目は静かに澄んでいたが、全体的になんともぼんやりとした気配がある。

(……まさか、寝ぼけてるんじゃないでしょうね……?)

 そのことに思い至ったシルヴィは、若者をじっと見つめたまま、ゆっくりと慎重に問いかけた。

「……あなた、魔王……?」

 考えれば馬鹿馬鹿しい限りの奇妙な問いだったが、若者は軽く瞬きしただけで、馬鹿にすることも笑うこともなかった。

 むしろ、言葉を理解したのかどうかもあやしいような、不思議そうな顔でシルヴィをじっと見ている。

「……マオ…ウ……?」

 静かな声が、囁くように若者の唇から零れた。

 言葉の響きを確かめるような声に、シルヴィは小さく頷いて若者をひたと見つめる。密かに感嘆した。

(声、意外と低いんだ)

 なかなかいい声だ。これはモテただろうなと、またいらないことを考える。

「マオウ……魔王よ。……わかる?」

 これだけ至近距離で眼差しをあわせるのは、はっきりいろんな意味で言って心臓に悪かった。だが、相手が動かない以上、上に乗られたままのシルヴィにはどうしようもない。

 しかもこちらが動いたら、この若者はそれこそそのまま抵抗なく床に転げ落ちそうな気がする。

「マオウ……」

「そう。……わかる?」

 小さな独白に頷き、さらに確認したのは、どうも相手が言葉を理解してないような節があったからだ。

 本当に小さな子供を相手にしているような気持ちになって、シルヴィはゆっくりと言った。

 若者はもう一度瞬きをする。

 そうして、見ているこちらがびっくりするような晴れやかな顔で笑った。

「マオウ」

 シルヴィはその邪気のない笑顔に、ただ惚けた。


 ※ ※ ※


 山間から顔を覗かせた太陽が、ちょうど三つ分ほど山より上に昇った頃、バルバトスは大きなバスケットを片手に城の入り口で声を張り上げた。

「おーい。シルヴィ。シールーヴィーイ」

 山間で叫べば雪崩れを呼びそうな大声が、びりびりと魔王城に響き渡る。

 後ろからバルバトスの後を追って入ったオルドラン・マライユールとヴィンツェル・バークが、耳を押さえたままの姿で苦笑した。

「駆けつけるまでに何秒かかると思う?」

「今日は地下倉庫だろう? なら、まぁ、六十秒といったところかな」

 シルヴィにとって伯父にあたるヴィンツェルと、タザシーナの又従兄弟になるオルドランは、二頭立ての馬に曳かせていた雪車から麻袋を下ろし、比較的入り口近くにある広間へと運び込んだ。

 大人が背中に担いでやっと持ち運びができる巨大な麻袋には、タザシーナ達が寝る間も惜しんで作った服が詰め込まれている。

「……む?」

 二人が部屋に入ってから出てくるまで、入口付近で仁王立ちしていたバルバトスは、厳つい顔に不審の色を浮かべて首をひねった。

「どうした? バルバトス」

「なにかあったのか?」

 まだ大量の荷物を積んでいる雪車に引き返そうと出てきた妻の親族達の声に、バルバトスは困ったように呟く。

「ヴィが来ん」

「……そういえば、来ないな」

 いつもならバルバトスの大声を聞きつけて、掃除の手を止めてすっ飛んで来るはずの少女の姿が、今日はどこにも見えなかった。

「地下のせいで声が聞こえなかったんじゃないか?」

「私が様子を見てこよう。バルバトス、荷物のほうを頼んでもかまわないか? それに……タザシーナ。君はそこで何をしてるんだ?」

 城に着いてすぐ中に入って行った男三人は、その時点になってようやく、タザシーナが門に入ったすぐのところで立ち止まっていることに気づいた。

 振り返った彼ら三人の視線を受けても、タザシーナはぴくりとも動かない。

「シーナ」

 バルバトスが、その巨体からは想像もできない早さで妻のもとに駆け戻った。

 美しい顔を凍りつかせて呆然と中空を見ていたタザシーナは、何事かと険しい顔で駆け寄って来た夫に視線を戻した。強ばった顔のまま口を開きかけた後、ハッとなったように入口を振り仰ぐ。

「シルヴィ!」

「お、おはよう! 早かったのねぇ! 皆!」

 なぜか未だかつて無い勢いで息切らせて走ってきたシルヴィは、あっけにとられた伯父達の前で妙に焦った照れ笑いをしてみせた。そうして、門の所にいる両親に大きく手を振る。

「ねぇ! お腹すいたんだけど、何か食べる物ない?」

 いきなり出てきてそんなことを言う『年頃』の娘に、同じ年頃の子供を持つ二人の男はあっけにとられて言った。

「なんだ、何も食べてないのか?」

「いや、まぁ……食べたような食べてないような……」

「朝はちゃんと食べるようにいつも言われてるだろう。バルバトスが昼食用のを持ってきてるから、少し食べさせてもらいなさい」

「はぁい」

 二人の呆れ声に照れ笑いをしてから、シルヴィは奇妙な表情をしている両親の元に駆け寄った。

 食料を持っている父親にニッと笑いかけてから、母親に視線を向け、シルヴィは思わずたたらを踏む。

「ぇ、えと、母さん?」

「……シルヴィ」

 日頃の穏やかな顔とは違う、引き締まった厳しい表情の母親に、シルヴィは驚きと同時に妙な焦りを感じてごくりと喉を鳴らした。

「な、なに?」

「……何が、あったの?」

 具体的な事象を指さず、あえてそう言った母親に、シルヴィは内心冷や汗をかきながら唸った。

(……さすがに……わかっちゃうか……)

 シルヴィも、他の者ならいざしらず、この母親にだけはあの魔王のことを隠しきれないと思っていた。

 思っていたが、強いて動揺を押し殺し、恐る恐るといった感じを装いながら困ったように言ってみせる。

「えぇと……ちょっと……お城の中のもの、いろいろ壊しちゃったかも……」

 無理に何も無いと言うよりは、そう言ったほうがずっと真実味があった。

 実際、あの後いろいろあってあちこちひっくりかえしたせいで、いろんな部屋が広範囲で散らかっている。言い訳としては上々だったが、母親は真顔のまま声を重ねた。

「何か、重要なものも壊したりした?」

 念を押すように問うタザシーナに、シルヴィは「……そうかも」と困ったようにうなだれてみせる。タザシーナが何を気にしてこんなことを言っているのか、わかるだけにその理由をでっちあげるのが大変だった。

(……母さんなら、この城の異変に気づいちゃう……)

 唯一の救いは、あの得体の知れない地下の部屋にいる間は、魔王の桁外れの魔力が外に漏れないことだった。

 一度一緒に地下から這い出たシルヴィは、そのことに気づいて大慌てで彼を地下に押しとどめたのだ。

 だが、一度地上に顔を出した際に溢れた魔力が、今も尚城の内部に残り香りのように残ってしまっている。その強力な魔力に、おそらく当代一の魔女であるタザシーナが気づかないわけがなかった。

(……バレませんように……バレませんように!)

 シルヴィは、それこそ神に祈る気持ちで念じた。

 どうしてこんなに必死になってあの魔王を隠そうとしているのか、正直なところシルヴィにもよくわからない。

 ただ、隠さないとヤバイと本能が訴えているのだ。

 偽魔王軍を作っている矢先に、本物の魔王(と思しき人物)を起こしてしまったのが恐ろしかったわけではない。むしろあの幼児並みの反応しかかえせない若者が、本当に魔王なのかどうか未だに疑問なほどだし、なにより、あの魔王を皆の前に引き合わせたときのことを考えると、どうしても危険な目にあいそうなのは……

 ……あの魔王自身な気がする。

(いかん! 絶対駄目だ! 確実におもちゃにされる!)

 我が子を案じる母親の気持ちで、シルヴィは魔王を守らなければと奮い立っていた。出会って数十秒で保護意欲をかきたてられたのが、ある意味運の尽きだったのかもしれない。

「扉も壊しちゃったし、厨房の食器もいくつか割っちゃったし、いろいろやっちゃったかも」

 タザシーナはじっと言い訳をするシルヴィを見つめていたが、ややあって盛大なため息をついて呟いた。

「……まぁ、そういうことにしておいてもかまいませんが」

(ぅーわ、微妙にバレてるっぽい……)

 顔がひきつるのを感じながら、シルヴィはくるりと母に背を向けた。逃げろ逃げろ。

 そうしておいて、不思議そうな顔で妻と子の会話を聞いていたバルバトスを振り仰ぐ。

「えと、あのね、父さん。何か食べていいものない? お腹すいちゃって」

「ん? あぁ……バケットとバターなら、少し余分がある。あと、干し肉と、葡萄酒もあるな」

「やった!」

 演技でなく本気で歓声をあげるシルヴィの横で、タザシーナがぽつりと「食料なら、すぐに食べられるものが厨房にもあったと思うのだけど」と呟く。シルヴィはあえてそれを黙殺した。

 そんなものは、すでに地下で魔王の腹の中に消えているのだ。

「そ、それより、母さんがここに来たってことは、ある程度活動の計画ができたってことよね?」

 バスケットの中からパンとバターを取り出したシルヴィに、タザシーナは嘆息をつき、次いで小さく微笑って頷いた。

「えぇ。破壊する物件もいくつかリストアップしましたし、作業服もできましたからね。そうですね……そろそろ動いてもいいでしょう。この城の活用がこれから重要になってきますが、本拠地の整備は、人手さえあれば活動中でもできますし」

「……破壊する物件に、作業服って……なんか微妙にアレなんだけど」

「あら、いくら魔王軍を名乗るからと言っても、どこでもかしこでも破壊すればいいというわけではありませんよ。ちゃんと選んで壊さないと。専用の服も必要です」

 ちゃんと選んで物を壊す魔王軍ってアリだろうかと、シルヴィはちょっと遠い目をして考えた。

「まぁ、そのへんは母さんに任せるけど……ちなみに、壊すのって、やっぱり魔法で、よね?」

「えぇ。……まさか魔王軍が大金槌やノコギリを持って、破壊活動をするわけにはいかないでしょう?」

 なんだか大工みたいだ。

「いや、まぁ……そうなんだけど」

「実行部隊は、もちろん私とあなたです」

「あれ? 伯父さん達は見物なの?」

 今は分家の当主になっているとはいえ、ヴィンツェルはフェイリーン家のれっきとした直系だった。男であるために本家を継げなかったが、かなり強い魔力を受け継いでいる。むろん、その娘であるヴェネッサもかなり腕の良い魔女だった。また、母の又従兄弟であるオルドランも、卓越した魔力の持ち主だ。

「いきなり何人もが出向いて魔法を使うより、強力な魔法の使い手が一人か二人いるのを見せつけるほうがいいのだよ。いざというとき、ごまかしもきくからな」

「?」

 意味がわからずに首を傾げると、ヴィンツェルは軽く笑ってタザシーナを見た。

「タザシーナを筆頭に、我らがフェリシア地方の血族には魔力を有する者が驚くほど多い。私達も魔力封じの封環などでなんとかごまかしてきたが、それにも限りがある。他に魔力を有する者がほとんど産まれなくなった今では尚のことだ。この一族の魔力持ちの出生率は異様だからな」

 確かに、とシルヴィは頷く。

 現存する一族の全てが魔法使いというのは、今時ちょっとあり得ない。 

「魔法使いがフェイリーンの血統に多いというのは、もはや周知の事実だ。派手な魔法を使う『魔王軍』の出現に、フェイリーン家が注目されないはずがない」

「疑われる、ってことね?」

「むろん、一番の懸念はそこだ。だがな、シルヴィ。古の詩にあるように『王国の盾であり剣である』ことを求められて注目されるにせよ、裏で手を引いている黒幕として疑われるにせよ、どちらにしても当主であるタザシーナや君はやがて人の前に顔を出さないといけなくなるだろう。そういうとき、『魔王軍』の破壊活動で魔法を使うのが一人ないし二人ぐらいにしておけば、そっちの担当を私達が担って、君たちは何喰わぬ顔で反対側の立場に立って潔白を証明してみせることもできる」

 ヴィンツェルの声に、シルヴィはなるほどと納得した。

 確かに、同じ偽魔王軍の中でも『魔王軍として振る舞う者』と『魔王軍の敵対者として立つ者』というポジションをあらかじめ決めておかないといけないだろう。フェイリーン家の成り立ちを考えれば、当然のことだった。

「うちの娘は、留学中だから参加できんがな……」

 ちょっと寂しそうに言うマライユール家当主に、タザシーナは微笑った。

「まぁまぁ。無理に呼び寄せると、かえっていらぬ注目を集めますからね。あと、奥方達にも頼んでおきましたが、周辺への根回しも重要です。その辺りのことは、頼みましたよ」

「妻のことなら、心配はいらない。ファーレン家の婦人も一緒だしな。それよりも、そちらのほうは準備万端なのか? 本格的な攻撃魔法など、今まで使っていないだろう?」

 オルドランの声に、タザシーナは口元に笑みを浮かべた。

 それはもう、娘ですら惚れ惚れとするような男らしい笑みだった。 

「完璧ですわ」

 全員が顔を見合わせた。眉の動きで意志が伝わる-----『違う意味でダイジョウブカ?』

「一応、私は家訓に従って、これまで極力魔法を使わずに過ごしてきました。魔力もずいぶんと殺してきましたわ。けれど、魔王軍として振る舞うのであれば、全力でやってもかまわないのです。いえ、むしろ人にあるまじき力として盛大に全力で魔法を放つ必要があるでしょう」

 妙に目を輝かせて言う母に、ちょっと逃げ腰になりながらもシルヴィは同意した。

「そ、そうね。むしろ、普通じゃできないぐらいの大魔法ぶっ放したほうがいいよね」

「ええ! いろいろ試したい魔法があるのですよ。この際です。思う存分やらせていただきます!」

「……いや、母さん、やっぱりちょっとは加減して……」

 やる気満々の母に、バターを塗ったパンを囓りながらシルヴィはぼやいた。この母に全力でやられた日には、たぶんこっちも身が持たない。

「出発はいつ?」

 シルヴィの問いに、タザシーナはにっこりと笑った。

「あなたの準備が整えば、今すぐにでも。栄誉ある魔王軍復活の第一の標的は、我がフェイリーン家の屋敷ですよ」


 ※ ※ ※


 黄昏の光が雪原を赤銅色に染め抜いていく。

 夕暮れと同時にどこからともなくたちこめる暗雲を頭上に、シルヴィはなんとも言えない気持ちで、遙か前方に見える古い屋敷を眺めた。

「……まさか自分の家を壊すことになるとは思わなかったわ……」

 力無い娘の嘆き声を聞いて、すぐ近くで同じようにして屋敷を眺めていたタザシーナは軽く笑った。

「悲しい?」

「……もちろん」

 言ってから、シルヴィはついとタザシーナを見た。

「でも、母さんがそう決めたからには、理由があるんでしょ? あそこ壊さないといけないような」

「えぇ……いくつかあります」

「……どんな?」

「一つ、あの屋敷は老朽化していて、どうせそろそろ建替えの時期だった。一つ、私たちがしばらく行方不明でも不思議ではない状況を作っておく必要があった。一つ、対魔王軍が発足したとき、その拠点となりそうな場所としてあの家が使われるのは御免だから」

「……つまり、そうなる前に壊しておけ、ということ?」

「そういうことです」

 にっこりと笑う母親に、シルヴィは深い嘆息をついた。

 ただそれだけのために先祖伝来の屋敷を吹き飛ばそうと言うのだから、思い切りがいいというか、何というか……

「母さんは、あの屋敷がもったいないって、思わない?」

「あんまり思わないわね」

 さらっと言いきって、タザシーナは驚いた顔をするシルヴィに微苦笑を浮かべてみせた。

「感傷だけでものを言えば……そうね……惜しいとは思うわ。でもね、これからの生活を考えれば、どのみち今回のことがなくても、あの屋敷は近いうちに取り壊しになってたのよ。かなり古い建物だから」

 その言葉に、シルヴィは俯き加減に頷いた。

 ……わかっている。母の言うことは正しい。

「最初の造りがすごく良かったから、ここまで長く保ったけど……次に大雪が降ったら、たぶん北棟あたりは崩れてたでしょう」

 シルヴィは、遠くに見える屋根に目を細めた。

 かつて幼少時に自分が吹き飛ばしたこともある西棟と、積雪量が他よりも多い北棟。この二つの棟は、今ではもう使われていなかった。危険だからだ。

「もう、そろそろ壊さないといけない。そういう時期だったのですよ」

 シルヴィは目を眇めた。

 あとは壊されるだけになってしまった古い家には、生まれてたった十七年とはいえ、思い出がいっぱいつまっている。

「……魔王城にね、荷物全部運び出しちゃうから、引っ越しでもするのかなって思ったのよ……」

「……そう」

 シルヴィの呟きに、タザシーナも小さく返す。

 シルヴィは嘆息をつきながら問うた。

「メイッシュはこのこと、知ってるの?」

「えぇ。今朝、家を出る時に話しましたから。あの子もなんとなく予感はしていたんでしょうね……だいぶ泣かれたし、それで今もヘソを曲げて、ヴェネッサの所にいるのですよ。夜には魔王城で集まることになってますが」

「……そっか」

 わざわざ朝から妹がヴェネッサの所に行っていたのは、そういう理由からだったのか。シルヴィは嘆息をついた。

「復活した魔王軍は、ちょうどすぐ近くにあったフェイリーン家を破壊、その後、南下してファーレン家とバーク家も犠牲になった……ということにしたいんだよね?」

 シルヴィの声に、タザシーナは頷く。

「じりじりと勢力範囲を伸ばしている感じで、ね。壊し方もそれぞれ変えますよ」

「マライユール家は別にいいんでしょ? けっこう離れてるし」

「えぇ。あそこの家はまだ新しいから、壊す必要も無いでしょう」

「……せめて、隣の領地に近いぐらい城から遠いから、壊さなくても不審に思われない……ぐらいの理由にしてほしかったわ」

「あら。だって、ファーレン家とバーク家を壊す理由も、大半は建替えの時期が来てるから、なんですもの」

「……あぁ、そう……」

 力無く返答しながら、シルヴィは嘆息をついた。心の中で盛大に自問せずにはいられない。

(……お母さん、もしかして偽魔王軍を『便利な解体屋』がわりにしてない……?)

 なんだか一人でしんみりしているのが馬鹿馬鹿しくなって、シルヴィは勢いよく立ち上がった。

 それを見て、タザシーナがちょっと笑う。

「やる気になった?」

「えぇ。もう、ちゃっちゃとやっちゃうわよ」

「第一撃は譲ってあげますよ。……あなたのコントロールで当たればいいけど」

「ほっといて!」

 頬に手を当てて困ったように言う母に、シルヴィは真っ赤になって怒鳴った。

 魔力の大きさとは裏腹に、シルヴィはほとんど魔法が使えない。その最たる理由が、魔法のコントロールにあるのだが、こればかりはどうしようもなかった。

 魔法というもの自体が珍しいものになった今、魔法を教えてくれる機関や施設というものは無く、親から子への伝授か独学しか無い。だが、タザシーナの魔法の授業はシルヴィにはさっぱりわからず、結局、使えるのは初歩の初歩と言える魔法に留まってしまっていた。

 ……それもよく見当はずれの方向に飛んでいったりするあたり、役に立つとはいいがたいが。

「とりあえず、屋敷周辺を吹き飛ばすのであればどこに当ててもいいから。むしろ屋敷に直接当たる前にあちこちに大穴あけちゃったほうが、魔王軍の攻撃っぽくていいかもしれませんね」

「……最初っから一発で当てられるとは思ってないわけね。……いいけど……」

 破壊屋の相方にシルヴィを引っ張り出してきた時点で、精密なピンポイント攻撃をする気が無いのはわかっていた。だが、それにしてもあんまりな指示では無いだろうか……

「いいわよもう。数撃ちゃ当たるで行くから。……おっきいのいくからね!」

「がんばって〜」

 半分以上ヤケクソになって魔法を唱えはじめた娘の後ろで、魔法障壁を手早く創りながらタザシーナが声援をおくる。

 その数秒後フェリシア地方北東部の一角に幾重もの雷が降り注ぎ、そこにあった屋敷を跡形もなく吹き飛ばした。

 爆風に舞い上がった雪の柱は、遠く離れた王都からでも見ることができたという。


 王国歴五百十二年、冬。

 魔王復活が王により宣言されたのは、その二日後のことだった。


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