4
「いや、……ねえ? その値段ではちょっと……」
「ありがとう。でも、他の人に頼むよ」
「すまないね。専属のがいてくれてるんだ」
どこを訪ねてもこの返答だった。セリにしては良心的な値段設定のつもりだった。そして、お釣りでとどまらない額の利益を提供できる自信もあった。
だけれど、誰もがセリと契約を結ぶことを拒んだ。競り師としての信用が失墜したことを、セリは実感せざるをえなかった。
ここが道端だということも忘れてセリは叫んだ。
「おっかしいだろ! この俺を雇えるんだぞ!?」
うがー、と苛立ちをあらわにするセリは、一頻り暴れてから落ち着いた。冬の気候が火照った身体を冷ます。
そこで、セリは自分を見つめる視線に気がついた。外出からずっと後ろをついてきている少女。ティアーフロだ。
それは、酷く冷たい視線だった。
「あ? なんだ、その目は。こういう時はどんな態度を取るか教わらなかったのか?」
八つ当たりだという自覚はあった。だけれど、自分を見下すようなその視線は到底セリが許せる類いのそれではなかった。この業界をプライドだけで生き残っているような男なのだから。
しかし、ティアーフロは怯える素振りも見せず言った。
「……仕事」
「……は?」
「あと数セント妥協すれば、先方は首を縦に振る」
「……ふ、る?」
ティアーフロはここで遂にセリの怒りに気がついて、言い直した。
「……振ります。振ると、思います」
敬語。それを聞いても気分が悪いままだったが、セリは及第点とした。ティアーフロの様子を眺めていると、かの奴隷商の調教も大した腕ではなかったのかも知れないな、とセリは思った。
ため息をついて、セリはぶっきらぼうに吐き捨てた。
「どうしてだ、ティア?」
呼び名を聞いてティアーフロは嫌な顔をした。だが、セリに睨まれて押し黙り、先の言葉を続けた。
「……あ、の。大変言いづらい、のですが」
セリは顎をくいっ、と示した。言ってみろと。
「ご主人は昨日、プライス・アウクションに負けられました」
「……ああ」
先に断りがあったためか、セリはまず、ティアーフロの言葉を全部聞くことを優先した。大した話でなければタダでは置かないことを心に決めて。
「……敗者であるご、ご主人の言い値でご主人を雇ってしまっては、せ、先方の顔に傷が付きます」
「……」
ティアーフロはセリが黙っているのを確認しながら、続けた。
「す、少し妥協の姿勢をみ、見せるだけで、先方とて、実力者であるご主人の力は、喉から手が出るほど欲しいはずです」
つまり、先方の顔を立てる必要があるだけだ、と。こちらが下手に出てやれば、セリの実力をもってすれば簡単に契約など取れると。
セリは顎に手を当てて思案した。そして苛立ちのままに頭をがしがしと掻いて、あたりを彷徨い、そして言った。
「そんなことは分かっている」
ティアーフロは一歩、後ずさった。余計なことをしてしまった、と。これでは助言ではなく、主人のプライドを傷つけただけだ、と。
だが、セリはティアーフロの思うような態度を取らなかった。何か別のことを考えている様子だった。そして、ピタッ、と足を止めてティアーフロに問うた。
「お前、どうして奴隷なんかになっている?」
「……ど、どうして、とは……」
「借金、誘拐、甘言。お前、それだけの頭があればどれも避けられるだろうが」
ティアーフロがしばし逡巡して、口を開こうとした時だった。セリが言った。
「あー、やっぱいい。面倒は背負い込みたくない。お前もう喋るな。不快だ」
セリは続けた。
「助言もしなくていい。お前程度が思いつくことに俺が気付けないと思うな」
それからセリは、先ほどセリの申し出を断った商館へと再度赴いて、もう一度、契約を打診した。ティアーフロのいう通り、金額は少しだけ妥協されていた。先方は喜んでセリとの契約を結んだ。
好きなものはあるか、とセリが聞くと、ティアーフロは言った。
「……紙飛行機、と、アイスクリーム、が、好きです……」
真冬である。アイスクリームは売ってなかったので、セリは折り紙を買い与えてやった。
○
それからセリは港へ向かった。きっと今日からその日暮らしが始まるのだろうと思ったからだ。その日の酒代を稼いで、食事して、寝て、明日はまた明日の酒代を稼ぐ。そんな暮らしだ。
そんな暮らしはごめんだった。
「……ミナト」
赴くはミナトの居城だった。それは大きな、三階あるレンガの建物。その最奥だった。
「おや、ちょうど良かった。どうしたんだい、昨日の今日で。俺は仕事を頼んでいたっけ?」
セリがここに来るのはミナトからの仕事を完遂した時だけだった。それがミナトとの関係。セリが望んで仕事を貰うのではなく、ミナトが望んでセリに頼むのだ。
セリは言った。
「惚けるな、知ってんだろうが。俺は今ほとんど無一文だ」
ミナトは苦笑した。
「……そうだね。それが買い取らされた少女か。意外と可愛いじゃないか」
「知らん。使えんも使えん。そのくせ、四十万も使って買った手前捨てるのも忍びない。最悪のお荷物だ」
目の前で悪態を吐くセリに、ティアーフロは嫌な顔一つしなかった。もう慣れていたからだ。ミナトはまたも苦笑した。
「……ははは。それで、今日はどうしてここに? 仕事が欲しくなったのかい?」
「違う。俺がお前に仕事をせがむことなんてないだろ。 ……今日は俺が働くんじゃなくて、お前が働くんだ」
セリはこの建物のおもてに掲げられている謳い文句を思い出した。
「お前の『本業』の方だよ。船を出して欲しい。行き先はどこでもいいから」
ミナトは表情を真剣なものに変えていった。
「この国を出るのか」
「ああ。堕ちた信用を取り戻すより、ゼロから築く方が簡単だ」
それほどまでに、セリというのは愛着だとか、哀愁だとかとは縁遠い人間だった。故郷なんて糞食らえの精神を持ち、それでいて移住に毛ほどの躊躇いも見せない圧倒的行動力。これが、セリが競り師として成功している理由の一つでもあった。
だが、ミナトは首を横に振った。
「……は?」
珍しくセリは動揺した。まさか断られるとは思っていなかった。そもそも受託業である『運輸』に乗客を選ぶ権利などないし(例えば「あなたは僕の船に乗らないでくれ」だなんて言われたことはあるだろうか)、それでなくてもセリはミナトに少なくない恩を売っていたからだ。
ミナトは懐から契約書を取り出した。長々と連ねられる契約書の下部には、ミナトの名前と、プライス・アウクションの名前がサインされていた。
「すまない。これがプライス嬢との契約だ。俺は決してお前をこの国から出せない。 ……彼女はお前と、もう一度直接対決をしたがっているんだよ」
この国から簡単に出られると思わないでくれ、とミナトは言った。