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『競り師』というのは、特に名も知られていない生業だった。
「おっけい。二十五ポンドで落札だな」
ここはとある漁場で、ちょうど魚の競りが行われていた。男はその魚の名前も知らなかったが、相場だけは聞かされていた。普段は三十五ポンド前後で取引されているらしい。つまり、今日は少し伸び悩んでいた。最悪赤字だ。
「さあ、次の魚だ!」
男は親指を除く指を四本、まっすぐ伸ばしてかざした。港場の競りは魚一匹ごとに卸売業者が呼び掛け、買い手はその呼びかけに手やりで応える。一番高い値段をつけた人物がその魚を得られるのだ。ピンと伸ばされた四本の指は、瞬く間に業者に見つかった。
「おお、四十ポンド、毎度あり! 今日の最高値だな!」
これで、男は魚を一匹手に入れられた形だ。「ありがとう」と言って四十ポンドを渡して、魚を受け取った。男のその提示額を静かな目を持って見つめながら、ほかの買い手は周りを伺う。そうして、次の魚が競りにかけられた。
「ようし! 一番高いのは……三十五ポンドのそこの兄さんだ、いい買い物したね!」
それからも男は適当に競りに参加して、しばらくしてから音もなくその場を後にした。手には魚が三匹握られていた。
港場を離れる際、小太りの男が数人に詰め寄られるのを見かけた。大して暑くもないのに小太りの男は汗を流していて、詰め寄る男たちも何やら興奮している様子だった。
「あんた、今日は何匹買ったんだ?」
「……一匹……だよ」
怯えた様子で、小太りの男は右手を掲げる。確かに魚が一匹握られていた。
「たった一匹を、五十五ポンドで落札! それからは競りに参加する素振りもなし! あんた、『値段の吊り上げを頼まれた』んじゃないだろうな!?」
詰め寄る数人の形相は、きっと怒りに包まれていた。
例えばそれまで二十ポンド前後で取引されていたとして、急に誰かが五十ポンドで落札するとどうだろうか。ほかの買い手はその誰かに勝つために、それよりも多い額を提示するか、諦めるか、様子を見るしかない。大抵の買い手は様子を見るだろうが、一部のバカはなんとか高値を提示して買おうとする。そうするとそのバカに勝つために──と、どんどんと値は吊り上っていくのだ。実際にその後もその誰かが五十ポンドを出し続けるとは限らないのに。
つまり『競り師』というのは相場の調整が主な仕事であった。忌まれるべき生業だ。小太りの男は三流のそれだったのだ。
「……ふん」
そんな様子を冷めた目で見つめていると、ふと、港場に相応しくない格好をした若い男がどこからともなく現れて、話しかけてきた。
「やあ、セリ。順調かい?」
「……ミナト。俺を誰だと思ってる」
そう言って男──セリは、手に持つ魚を三匹全て、ミナトと呼んだ男に渡した。ミナトはそれを満足そうに見つめてから、懐をいじりだす。
「いくら使ったんだ?」
「……たしか、九十ポンド」
「そうか。売り上げは?」
「平均三十六ポンドだな」
自分の使った金額は曖昧なのに、売り上げの平均は淀みないセリ。そんないつも通りにミナトは苦笑して、百ポンド硬貨を一枚取り出してセリに渡した。
「また頼むよ」
「……ああ」
「……息災でな」
金が異様に絡むこの界隈においては、人の命なんてたやすく吹き飛ぶ。ミナトの別れの挨拶で、セリはいつもそのことを胸に刻んだ。そして、やはり視線冷ややかに小太りの男を探すが、もう彼らの姿はどこにもなかった。
○
その日は雨が降っていた。じめじめするだとか気温が下がるだとかではなくて、単純にやらなければならないことが増えるから、セリは雨が嫌いだった。だから、きっとその日も機嫌は悪かった。
セリの請け負う仕事は多岐にわたった。これでも競り師としては多少名を知られているくらい、結果を出しているのだ。その日の仕事はオークションだった。
『さあさ、今宵最期の商品はこちら! あえて概要は説明しませぬ、自分の目で見てお確かめをば!』
拡声器で反響する司会の煽りにあわせてステージ中央に歩いてきたのは一人の少女だった。年の頃は十二、三程度か。
人身売買。奴隷。もう一世紀も前に廃止された、古代の遺物である。それでも需要があるからこうして隠れてまで存在しているわけで、現存する奴隷はというと、多くは愛玩奴隷を指した。少女の金髪は艶めかしく、化粧でもされているのだろうか、肌は透き通るように白くて顔も悪くない。そのように身なりこそ綺麗にされているが、その瞳の奥に光はなかった。最高の商品だ。
「ちっ」
セリは舌打ちを一つして懐から手紙を一通取り出した。そこには適当なメッセージがつらつらと並べられているだけのようだったが、ところどころに数字が紛れている。手紙の段落の数はオークションに出品される商品の数に等しかった。そして、最後の段落に記されたただ一つの数字は、『五十万』。
先方は、この奴隷を五十万ポンド以上で売ることをご所望だった。
『十万ポンドからスタートしましょう! 十一万、十二万、おおっと、十五万! まだまだいくか……いった! 二十万万! 二十五万! どんどん値段が吊り上っていきます!』
吊り上がりが順調か、そうでないか。セリは集中して目だけで周りを伺う。前の値段提示から次の値段提示までの時間が速いか遅いか、それは誰がどれだけこの奴隷を欲しているかを表す。
しばらくそうしていると、先ほどから即答している人物を見つけた。誰かが十一万と言えばすぐさま十二万を提示し、他の誰かが奮発して十五万を提示すれば、そいつは二十万出して叩き潰した。どうやらこいつは、なりふり構わずこの奴隷を手に入れたいみたいだった。こういう奴がいるとセリとしてはやりやすい。
そいつが三十五万を提示して、オークションは停滞しかけた。司会も精一杯買い手を煽るが誰も反応する様子はない。セリの出番であった。
手元のボタンを、五回押した。
『おお、四十万、四十万ポンドが提示されました! さあさ、これ以上を出すお客様はいらっしゃいますでしょうか!?』
しん、と会場が冷え切った気がした。
セリはその人物をちらと見た。はやく値段を提示しろと。俺とお前の一騎打ちだぞと。五十万を超えたら自分は撤退するからと。すぐさま追い返してくるかと思ったが、なかなかどうしてそいつは動かなかった。
『おや、誰もいらっしゃらない? いいんですか、いいんですね!? おめでとうございます! 四十万ポンドで落札だぁ!』
「え……?」
ばっ、と今度は明らかに、セリはそいつを睨んだ。その表情は呆然と焦りとに彩られていて、直後、理解とともに自らの愚鈍を恥じた。
そいつは、微笑みとともにフードを下ろした。中から顔を覗かせたのは豪奢なドレスを纏った、これまた年端もいかない少女で──
「……あ、ああ……」
──知っていた。得意げに自分を睥睨するその金髪の少女を、セリは知っていた。
プライス・アウクション。その若さと、美貌と、可憐さと、野心とで有名な名うての競り師。だけれど、セリはまだ自分と比べると格下だと思っていた少女だった。
「ああ……」
セリは呆然と二階を見やった。そこにいる支配人はどこか申し訳なさそうに苦笑いをしていて、セリと目が合うと一つ首を振って去っていった。諦めろ、とそう告げられているようだった。
オークションにおいて、「やっぱり買えません」なんてない。こうして、セリは一夜にしてほとんど全財産を失った。