第六話 怪物達の暗闘
黒服から渡されたボードに、カードを嵌め込み蓋をする。
首に掛けるのは性にあわないので、手首に紐を巻き付け直接持つ事とした。
私が公開したのは、ダイヤの10。勝敗にスートは関係しないので、重要なのはこの"10"という数字になる。
私はこれから、限りなく勝てそうな相手を見つけ出して2勝しなければいけない。私には、1勝でクリアとなる「2倍条件による勝利」が存在しない。
と言っても3戦中の2勝。ざっと全ての手札の発生確率と勝率を計算してみても、私の手札の勝率は80%程ある。
相手を選ばずとも2勝は達成できそうなものだが、これはプライドを賭けたゲーム。何かを賭けたゲームである以上、勝利とは誠実に、貪欲に求めなくてはならない。
さて。
辺りを観察し、どんなカードが転がっているかと観察していると、ふと一人の人物の公開カードが目に留まった。
「…………」
私は一度目を閉じ、大きく呼吸をする。再度目を開けるが、視界に映るそのカードの数字が変わる事はなかった。
先ほどの、茶髪眼鏡"バカ"女。
彼女はあろうことか、『3』のカードを公開していた。私は彼女が持つもう一枚のカードが8である事を知っている。その組み合せであれば、8を出す方が賢明だろうに。
合計数11のカードの勝率は、心理的な駆け引きを度外視すればおよそ20%。彼女は頭が回らないだけでなく、運も相当に悪いようだ。
そんな中で公開カードが3。もはや勝つ気がないのかとも思えるが、もし、もしも私が「見た」と言った事が原因で、彼女が3のカードを公開しているとしたら。これ以上情報を出す訳にはいかないと考えての選択だったら。
"ククク。罪悪感でも感じたか?"
獣は嬉しそうに尋ねる。
いいえ。知ったことではないわ。
私は答える。弱者とは食われるもの。全ての弱さは本人にあり、全ての結果は本人に起因する。せいぜい私も、うまく利用するだけだ。
"ほぅ。良い、良いぞ。以前のお前はゲームに強く、賭けに強く、そして心が強かった。さぁ、今宵も俺に勝ち続ける姿を見せてくれ。よもや衰えてはいないだろうな?"
獣が吠える。
当然、そのつもりだ。勝負に敗北する気などサラサラない。
「簡単よ。見てなさい」
せっかくだし、この際彼女を利用させてもらおう。
私は目線の先に佇む一人の間抜けな人物に向かって、堂々と歩き出した。
「子鹿ちゃん。私とやらない?」
茶髪の彼女──合計数11と分かり切った相手の目の前に立ち、私は声を掛ける。ボードを持つ手を軽く振り、10という数字を見せつけながら。
「あっ、さっきの人……」
彼女の目線は私の顔、次いでボードのカードへと移り、そして数秒間硬直した。
ゆっくりと時間をかけ思考を終えたのか、顔を引き攣らせながら彼女は拒絶の言葉を口にする。
「い、嫌です」
私の見せる10という数字。それは隠されたもう1枚がAであっても引き分け、2~11であれば彼女は敗北してしまう致死の数字だ。
想定通りの答えを一旦スルーして、私は一つの質問をする。それは、どうしても聞かなければならない事であった。
「というかあんた、何でそんな小さい数字見せてんの?」
小声で囁くように、私は尋ねた。
「もしかして、私に見られたから?」
その問に、再び彼女は固まってしまった。返事をするまでもなく、その態度は雄弁にYESと語っている。
彼女はたった一人、私に見られたからという理由で、8ではなく、3を公開しているのだ。
ルール上、私は見てしまった3の数字を誰かに言う事もできないし、それを踏まえて挑む私との勝負など断ってしまえば良いだけなのに。
……ああ、私のせいなのね。
悪戯に『見た』なんて、言うんじゃなかった。
「悪かったわね」
私は一言だけ詫びた。
それを言って、状況が変わるわけではない。何人もの他のプレイヤーが彼女の公開カードを目にしている。今更公開カードを8に変えたところで、さらに勝率は下がるだけだろう。
既に、どうにもならない状況に陥っている。彼女の勝利は、もはや絶たれたに等しい。
けれど、それもまた自業自得だと思う。
「ねえ、勝負しましょ?」
自身がカモにされそうだと、向けられた悪意から感じたのだろう。彼女は無意識にボードを体の後ろへと隠し、首をふるふると横に揺らした。
「お願い。1回でいいのよ。ほら、隣の部屋へ……行きましょう?」
同じ相手との再戦は出来ないルールがある以上、勝負は元より1回しかないのだが。
私は背徳感を覚えるような、そんな言葉を口にする。不思議と彼女の可愛いさに、少し興奮している節がある事を認めながら。
伏せ目がちの彼女は、私をじっと見つめた。
私はニコリと微笑み、じっと彼女を見つめ返す。そうして数秒が経ち、巫山戯た笑みを浮かべる私の余裕の態度に、言葉以上の含みがあることをようやく彼女は感じ取ったようで、目を見開いて動揺を顕にした。
「内緒にって、お願いしたじゃないですか……」
彼女は涙目になりながら、懇願するようにこちらを見つめる。
私は何も言っていない。私は彼女が落としたカードを知っているが、それを誰かに教えるのはルール違反だ。ルール破りによる敗北のリスクを背負う気は無い。
けれど、今はその素振りをする。
「ええ、もちろん。内緒にする"つもり"よ」
そう、貴方の次の行動次第では。暗にそう言いながら、私は彼女に一歩近付く。
華奢な肩にそっと触れると、彼女はびくりと震えた。
腰を屈め、彼女の耳元に顔を寄せる。ふわりとした柔らかい茶色の髪が呼吸に合わせて揺られ、彼女の熱っぽい吐息が私の首にかかった。
「どう、する?」
他の誰にも聞こえない声で、私は問い掛ける。
彼女はしばらく固まったまま動けずにいたが、やがてゆっくりと薄ピンクの乾いた口が開かれていくのが見えた。
そして掠れた声が聞こえた。
「わか──」
「なんてね」
分かりました、と彼女が言いきる前に。私は彼女の肩を軽く叩き、冗談よ、と笑って見せた。
一歩下がり、彼女の正面に立つ。キョトンとした表情がこちらを見上げていた。
「『合意』じゃないとダメだものね。これじゃ脅迫じみてるし」
声のトーンを1つ上げ、明るくにこやかに振る舞う。
「残念ね。じゃあ、気が変わったら声を掛けてね」
バイバ〜イと手を振り、私は最後まで笑顔で背を向けその場を離れた。
「……ダメかぁ」
私は一人呟きながら、ふらふらと壁際へ向かい座り込んだ。抱えていたボードを適当に床に置き、大袈裟に溜息をつく。
彼女は今頃、一安心して胸を撫で下ろしている頃だろう。
私が印象付けたのは、"10を見せる私が、3を見せる彼女に勝負を挑んだ事"、そして"3を見せる彼女が、10の相手を避けた"という2つの事実。
さて。この種に果実は成るか。
私はこの後の展開と、2戦目の相手について考えながら時間を潰す。
餌を撒いた後は、ただじっと待つのみ。
相手が食いついてくる、その瞬間を。
──────────
「ねえ、私と勝負しませんか?」
しばらくして、目の前に立つ誰かから声が掛かった。その誰かはこちらに見えやすいよう、ボードを提示している。
前髪で視線を隠しながら、ちらりとボードの公開カードを確かめる。カードの数字は『スペードの8』。
"来たぞ"
寝ていた獣が瞼を開け、カードを見つめる。
私は顔を上げて姿勢を起こし、相手を見上げた。赤茶の髪が目立つ、切れ目の女がにこやかに微笑んでいた。
あぁ、確かこの女。さっき私たちのやり取りを遠巻きに見ていた一人だ。
「私はツヅリ・エイトワールよ。この数字より小さい数字を公開してる人は、中々相手にしてくれなさそうだから。思い切って、自分より大きい数字の人に声を掛けてみたんです。私と勝負、してくれませんか?」
ツヅリと名乗る女からは、爽やかさな印象を受ける。
装いのマスクだ。その下に覗く瞳には、目の前の獲物を丸呑みする獣が舌なめずりをしている。
勝利を確信した者が纏う独特の気配と、勝利への期待が滲んでいる。
匂いが隠しきれていないわ、お嬢さん。
「……そうね。いいわ」
私は思惑を悟られないように、俯きがちに頷いた。
「本当!? 良かった、行きましょう」
彼女は座ったままの私に手を差し伸べる。
随分と心に余裕があるものね、と感心しながら、私はありがたくその施しを頂戴する。
近くで待機していた黒服にツヅリは勝負の旨を伝える。
黒服についていく形で、ツヅリは隣室へと歩いていく。私もまた、ツヅリの背を追うように続いた。
背中越しに見えない彼女の表情は、ほくそ笑んでいるだろうか。
私がそれを、誘導したとも知らずに。
──────────
あっさりと、彼女は勝負に合意してくれた。
私の8と彼女の10、数字だけ見ても彼女の方が有利だろうし、普通は受け入れるだろう。
しかし、彼女に勝ち目はない。
黒髪の、そういえばまだ名前を聞いていないが、彼女は大きな過ちを犯している事に未だ気付いていない。
3を公開していた茶髪の彼女。何と呼んでいたか、こ……コアラ?
何でもいい、アライグマちゃんとしよう。
このアライグマちゃんに挑もうとした行為が、どれほど愚かだったかを彼女はこれから後悔するだろう。
恐らく、黒髪の彼女の手札は"10とロー(低い)カード"だ。
黒髪の彼女がアライグマちゃんに勝負を挑んだ理由から推測が立つ。
そもそもアライグマちゃんの3という数字。これを公開するのは相当のリスクがある。
2倍以上の相手への勝利を求める場合、相手が勝負に応じなくなるのだ。
仮に合計20のハンドを持っていた場合、相手が10以下なら自分が敗北してしまうと考えて、Aや2を見せる相手とは勝負に合意しなくなる。
だからこそ、10以下を持つ側は10以下と悟られないように擬態しなくてはいけない。2と8を持っているなら、8を見せるなどして。
けれど、アライグマちゃんは3を公開していた。
であれば考えられる彼女の手は、3-3の6、3-2の5、3-1の4など、そうせざるを得ないパターン。
又は、そう思わせて挑んできた合計数7~9辺りを食らう、合計10以上の手札だ。
単純に考えて、確率的には後者だ。
3が確定しているアライグマちゃんの合計数のハンドレンジは、4~16。平均は10。
彼女のハンドが前者の4~6である確率よりも7~13である確率の方が高い。
もし黒髪の彼女が確率で考えていたとすれば、彼女のハンドも見えてくる。
ハンドレンジ7~13、その手札に勝ててかつ、2倍条件による敗北が起こりにくい数字。
15以上になると、2倍条件による敗北の確率が高まるから、想定されるのは14以下
そして公開されている数字は10。
ここまで来れば、見えてくるハンドレンジは"11~14"。
黒髪の彼女のハンドは、"10+ローカード"だろう。
そして合計11~14であれば、私は勝てる。
だが。私、ツヅリ・エイトワールは堅実な女だ。
私は慎重に、一つの違和感を追求する。
もし彼女の頭も、ここまでの思考ができていたら。
私が誘った直後、一瞬の間があった。
彼女を思考の浅いタイプだと想定しているが、もし彼女がそう擬態しているだけだったら?
あの一瞬で、彼女のハンドを11~14と想定している私に、なお勝てると判断して、合意した可能性がある。
私はもう一度考え直してみる。彼女のハンドが11~14ではない、他の数字の可能性を。
片方が10という事は、ハンドレンジは11~23。これは確定だ。
そこから11~14を外すと、残るは15~23。
……あぁ、そういう事か。
私は思わず、にやりと笑ってしまった。
いけない、いけない。
幸い、彼女は私の背後を歩いている。今のは気付かれていないはずだ。
大丈夫だ。やはり想定通り。
彼女がもし、11から14でない場合でも、私が想定しているもう一つのパターンで説明がつく。
そして、私はそのパターンであっても確実に勝てる。
何故、彼女は3のアライグマちゃんに挑んだのか。
別の視点から見た時、答えは見えてくる。
3を公開したアライグマちゃんのカードは、そうせざるを得ない状況として3-3の6、3-2の5、3-1の4の他に、3-13の16、3-12の15、3-11の14の3種類が考えられる。
小さい数字の公開は勝負自体が成立しにくい。だから、より大きい数字を持っていれば、そちらを公開した方が良いと私は想定してきた。
しかし、大き過ぎる数字を見せる事で挑んでくる相手は、より大きな合計数を持つ相手という可能性も高い。
手札は3と13、公開カードを13とする。そこに12を公開するプレイヤーが挑んできたらどう考えるか。
相手のレンジは13~25、平均で19。こちらの合計16では勝てなくなる。
加えて、数字の大きいプレイヤー以外は公開13のプレイヤーを避けてしまう。
結果、勝負が成立しずらく、勝つ事も難しくなる。
そういった状況を回避すべく、大き過ぎる数字をあえて公開しなかった可能性がある。
考えられる手札は非公開カード11~13、合計数は14~16。
これを前提とした場合、黒髪の彼女が挑むハンドレンジは15~17。
自身あり気に挑んだ様子からして、16か17の可能性が濃厚。
11~14でない場合の、彼女の手札の真相はこれだ。
私が彼女の手札を11~14と想定して挑む場合、私の手札は12~15程度である、と彼女は考える。
彼女の手札は16か17。彼女は勝てると、確信する。
全ての辻褄が合う。
しかし残念ながら、私の手札は"12~15ではない"。
私は、あなたの手札が11~14でも、17であっても勝てる。
私に誘い出されて、あなたはここで敗北する。
さぁ、まずは一勝を頂くとしよう。
──────────
勝負に合意したプレイヤー達を隣室に案内する黒服は、ふと後ろを振り返る。
そして背後から付いてくる二人の表情を見たとき、寒気を感じ足が止まった。
ニタリとほくそ笑む女は遠くを見つめ、思考の読めない不気味な怪物を思わせた。
目を細め、薄氷のような笑みを浮かべる女は、人の皮を被る得体の知れない化け物を思わせた。
自身の勝利を疑わない勝負師たちの様相に、黒服の男は怖気づいてしまった。
同時に、どちらかが勝ち、どちらかが敗北を期すこの後の展開に、僅かに興奮と期待を漲らせていた。
再び歩き出す黒服と、そこについていく怪物が2人。
勝負は成立し、残すは結果が明かされるのみである。
お読み下さりありがとうございます。
二人の持つカード、そして勝負の行方。続きも宜しくお願い致します。
……と。真面目に連載ものを書く事が初めてなので、後書きに何を書くか迷ってしまいますね。
えと……晩御飯はファミレスでハンバーグを食べました。肉の気分だったんでしょう。明日は焼肉かな。
何書いてるんだろう。
それでは、またお会いしましょう。良い夜を!