第五話 エイトワールの理論
「それでは皆様。ゲームを始めてください」
5分が経過し、男がついにゲームの開始を告げた。
その言葉を合図に、黒服の男たちがそれぞれ囚人の元へと向かい、私の元にも一人がやってきた。
「囚人番号『W28』、エイトワール様。こちらをどうぞ」
黒服はそう言って、小さなボードを差し出した。
手帳サイズのボードには、肌触りの良い黒い布地に2枚のカードを収める凹みが用意され、それぞれ「公開カード」「非公開カード」の金属プレートが目印に掲げられていた。
私はクリアガラスの蓋を開け、迷うことなく所定の凹みにカードをセットした。1枚のカードはオープンした状態で、もう1枚のカードは裏側に。
蓋を閉め、収納されたカードを眺めながら、これで良いと頷く。どちらのカードを公開するかは、この5分間で考えつくして決めていた。この期に及んで迷うようでは、お先は真っ暗だろうと、私、ツヅリ・エイトワールは考える。
ゲームを楽しみたい気持ちはあるが、何よりも刑期短縮の褒美が魅力的だった。
万引きに始まった私の犯罪歴は計画的な強盗や盗品の裏取引などを繰り返したもので、あと10年はここだ。どんくさい仲間を誘った事で計画がパァになり、深夜の宝石店で私は捕まった。私一人なら、きっとうまく行っただろうに。
暇を持て余すここでの生活で、私はいくつもの計画を練っていた。もう同じ轍は踏まない。私一人で実行する分には、このツヅリ・エイトワールの計画は常に完璧だから。早く出て、自由で楽しい生活に戻りたいと願っていた矢先に、この刑期短縮の甘い話だ。
私は勝つしかないと思ったのだ。どんな手を使ってでも、勝って見せる。そのためにはまず、このゲームで私の踏み台となる"カモ"を見つけなければならない。
ボードの端から垂れている紐を首に掛け、私は辺りを見渡した。
開幕。まずは様子見だ。こういったゲームでは情報収集が何より重要となるのは自明の理。
おっと。早速良い相手を見つけた。
未だに座り込み、ようやくカチリとクリアガラスの蓋を嵌めたばかりで、見るからに鈍そうな眼鏡をかけた垂れ目の女だ。
まるで標本が完成したかのように満面の笑みを浮かべ、頭上に掲げて喜ぶ姿は童女のようなあどけない印象を受けた。20歳くらいか? 私より5歳も若い。羨ましいと思う反面、人生経験の差に優位性を感じる。若さは今回のようなゲームでは弱さに繋がるだろう。
少し彼女の様子を見るとしよう。あのタイプは駆け引きのフィールドに引き出せば勝てる。だが、そもそもゲームのルールに則った数字比べで勝たなくては意味がない。
まずは彼女が誰かと対戦するのを待とう。対戦後の様子を見れば勝敗結果も分かるはず。
そんな事を考えていると、ゲーム開始から30秒と経たずして早速、その垂れ目の若い女に向かって一直線に近付く人物がいた。
囚人番号T96。色白で鋭い目付きと、肩まで伸びる綺麗な黒髪が印象的だった。澄まし顔で壁際に立っていたその女は、無表情に垂れ目女の元に歩み寄り。
そして勝負の宣言をしたのだった。ゲーム開始後に様子を見る事もなく。対戦相手の公開カードを見て考えに耽る事もなく。
誰もがまだカードを収納し、辺りを見回すだけで動き出していない状況だった。彼女唯一人を除いて。
落ち着いて考えを張り巡らせていた私ですら、決断力と行動力、そして彼女の放つ自信のオーラに驚きを隠せなかった。
けれど。私は彼女の公開しているカードを見て息をついた。
遠目に見えたのは、"ダイヤの10"。それが黒髪の女が公開しているカードだ。
ハイカード(数字の高いカード)を公開する1枚に選ぶ、その愚行から私は彼女への評価をこう定めた。
『行動力だけが高い、頭は残念なタイプ』だと。大して考えることも無く、場当たり的な感覚だけで行動に出てしまう後先気にしない無神経タイプ。得てして周りに迷惑を掛け、本人は反省もなく満足気に去っていく悪夢のような存在だ。
だが、このゲームにおいて実力不足は自身の結果に返ってくる。よほど運が良くない限り、あのタイプはカモにされて終わりだろう。
早速、私は重要な情報の入手に成功した。垂れ目の女よりも、もっと魅力的なカモの存在。自分の勝利へと繋がるかもしれない、大事な対戦相手。彼女こそが獲物だ。入念に、観察するとしよう。
ツヅリ・エイトワールは、焦らず、常に冷静だ。
「コジカちゃん。私とやらない?」
黒髪の女は、垂れ目女に向かってそう誘いかけた。
垂れ目の女はコジカという名前なのだろうか。二人とも面識はないが、もしイメージで子鹿とあだ名をつけたのならば……。
悪くないセンスと言える。意地悪だとも思うが。弱肉強食における、弱者に類する勝手なイメージ像。それに当てはめれば、確かに子鹿は適当かもしれない。茶髪のイメージも重なっているのだろう。
ただ、私からすればアライグマなんかがぴったりだと思う。
コジカとか呼ばれた女は、顔を上げる。
目の前にいた黒髪の女と目を合わせ、続いて公開されたカードを見る。時間をかけて目を見開き、そして硬直した。
当然、こうなる。私でなくとも容易に想像がつくだろう。公開しているのは『10』というハイカードだ。黒髪の女は、このゲームを分かっていない。この2on1と呼ばれるゲームの特性と、必要な戦術を。
このゲーム自体は恐らく、一般的なものではない。今回のために用意されたオリジナルゲームだろう。そして前代未聞のこのゲームの特性は、なんと言っても「カード2枚の合計を競う」という単純さでありながら、2パターンある真逆の勝利条件によって生まれる「読みの複雑さ」にあると言える。
更にルールに明文化された、「相手と合意を得る」という条件。合意がなければ勝負は成立しない。暴力や脅迫がない以上、勝負が成立する条件は互いが「勝てる(かも)と考えている状況」でしかない。これがネックになる。
勝負が成立するケースは2パターン。
①2倍条件で勝てそうな相手を見つけ出し、「2倍条件は発生せず、単純な大小で勝てる」と相手に思わせる。
②単純に自分より合計が低い(2倍条件にはあたらない)相手を見つけ出し、「単純な数字の合計値で勝てる」又は「2倍条件で勝てる」と相手に思わせる。
双方の合意が必要である以上、お互いが勝てると考えなくてはいけないのだ。
ここで必要となってくるのは、高度な"読み"と"見せ"の技術。そして鍵となるのは、たった1枚のオープンカードだ。"読み"の深さも"見せ"のカムフラージュも、全てはこの1枚に集約される。
見るからに低いAを見せるプレイヤーに対して、合計数15のプレイヤーが勝負を望むことは決してないし、見るからに高いKを見せるプレイヤーに対して、合計数14のプレイヤーが勝負を望むことも決してない。
では理想の戦術、つまり最適なオープンカードは何か。
結論から言うと、真ん中に近い数字、つまり1から13の平均である"7"だ。この数字を見せる事こそが、一番無難だと言える。
理由は単純で、勝率が最も高くなるから。
分かりやすい例をいえば、自分が7を公開している状態で、突然目の前にやってきて「私と勝負しましょう!」と言ってくる相手がいたとする。
その相手も7を公開していた時、相手の伏せられたもう1枚をどう想定するだろうか。私なら間違いなく平均の7よりも大きく、そしてJ~K程の大きな数字の可能性が高いと考える。
7を公開してる者に、勝てると踏んで挑んでくる。このアクションから、非公開の相手のハンドレンジ、つまり札の想定できる幅は8~13、恐らくは11~13と読むことが出来る。
であれば、自分の持つもう1枚が7以下なら誘いは断るし、8~10でも避けた方が懸命だと判断する事になるだろう。
これが"読み"だ。
そして意気揚々と勝負を仕掛けてきた相手が持つ、もう1枚のカード。
もしもそのカードが5だったとしたら。彼女は大きい数字を持っているかのように振舞い、見事に私を騙してみせた事になる。
この技術が、"見せ"だ。今回の場合騙すメリットは無いが、本来は自分に有利に働かせる場面で用いる事になる。
互いに合意を得る上で、1枚ずつ公開されたカードはこのようにして、"読み"合い、"見せ"合う事となる。
ではなぜ平均付近、つまり7といったカードが勝率を高めるのか。実はこれは直感でもわかる簡単な話だ。
仮に8とKを持っていて、Kを見せるだろうか。
Kを見せびらかす相手に挑んでくるのは、ローカード(数字が低いカード)2枚を持って2倍条件による勝利を目論む者か、K+Kのような勝利を疑わないハイカード持ちくらいだろう。
普通なら、Kのような強いカードを見せる相手には勝てないと思い、勝負を挑まないし受ける事もない。
逆に8を見せていたらどうか。
8という数字は平均に近い。想定される数字は広くなり、相手は絞った戦術を取りにくくなる。
結果多くの相手が挑む可能性があり、また勝負を誘っても受けてもらえる可能性は高まる。
この違いをロジカルに説明するのがハンドレンジ(手札の幅)だ。
仮に8を公開した場合。
相手から見ると、公開された8から想定される合計のハンドレンジは9~21。平均で15となる。
ざっくり平均値に±1した合計14~16の手札を想定したとしよう。この手札に挑もうと考える相手は合計2~7と17~26の16種となる。つまり、16種の多様な相手が釣れる。そしてこの16種の中で、8とKで勝てる相手は合計17~21の4種。
対して公開された13から想定されるハンドレンジは14~26。平均は20。同様に合計19~21を想定した時、釣れるハンドは2~9と22~26の13種。そして勝てるハンドは合計21の1種のみ。
この違いが、Kより8を公開した方が幅広い相手を捕まえられ、かつ自分が勝てる可能性が高まる理由であり、平均に近い数字を公開する事が定石であると言える。
そう考えた私は、持っていたスペードの8を迷わずに公開する事とした。
ツヅリ・エイトワールの思う勝ち方は、いつだって堅実さに裏付けられている。
黒髪の女が公開する"10"という数字。これは酷い選び方だ。せめて5~9といった真ん中の方の数字を見せるべきで、もし持っていないのであればご愁傷様としか言いようがない。
ただ、少なくともそんなに堂々とした態度で挑むべきではなかった。余裕の態度は勝利を疑わない自信を示し、相手より優位であると白状しているようなもの。
私であれば自信なさげに振る舞い、相手が勝負して良いかも? と思うように誘導する。
垂れ目の彼女は体を竦ませ、勝負を断るか悩んでいる様子だった。
ふと気になり、垂れ目の方のボードも覗いてみると、公開されているカードはなんと"クローバーの"3だった。
もはや話にならない。どうしてこうも、間抜けばかりなのか。と呆れてしまうが、私は感謝を忘れてはならない。私は彼女らのような弱者を踏み台として、勝者となれるのだから。
情報は、直接勝負をしなくとも得られるのだ。例えば、公開カードや、あんなやり取りを眺めているだけでも
ツヅリ・エイトワールは思考を続ける。ここで奢り、油断しては足元を掬われかねない。
今得ている情報から、私は最適な行動を考える。
私の手札から考えるとあの3は危険だ。2倍条件によって、私が敗北する可能性がそこそこに高い。だが、黒髪の方。あちらならどうか。
私はいくつもの思考を繰り返し、果てに結論を導き出した。
「よし」
ニヤリと笑い、二人の様子を見守る。
どうやら話はこじれているようで、勝負の合意には至らないようだ。まぁ、勝負が行われようが行われまいが、どちらでも良い。
あの黒髪の女が一人になったなら。
私は仕掛けるとしよう。
見い出したチャンスを、余すこと無く活用するために。
自由への第一歩となる、大事な勝利を得るために。
勢いだけで書き出したので、随時修正が入ります。反省は少ししてます。
ツヅリちゃんは赤髪でクールを気取った大人なれでぃーです。