第四話 獣の目覚める束の間の夜
見ましたかという問いかけは、あまりにも率直過ぎて、私は一瞬困惑してしまった。
茶髪眼鏡の彼女は、どうやら愚直に過ぎる性格のようだった。
「……」
そして答える事なく、私は視線を逸らした。
果たして、この状況で見たと言う者が一体どこにいるというのか。見ていようと見ていまいと、「見ていない」と答えるだろう。だからこの問いに、意味はない。
「見たんですね?」
握ったカードを彼女は強く握り込む。涙目で胸元を隠す仕草に加虐心を揺すぶられ、彼女との会話をさっさと切り上げるようと私は適当に言葉を返した。
「……見たわ。さっともう1枚も拾ったら?」
見なかったと言わなかった理由は特になく、強いて言えば、『見た』と伝える事で彼女がどんな反応をするかを見たかったのかもしれない。
ハッと気づいたように裏側で放置されていたもう1枚のカードも慌てて拾い上げ、その胸元へと吸い込んでいく。
『見た』という私の答えよりも、まず安全で放置しても良い裏面のカードを優先して拾いあげる性格、か……想像通りだけど。
ふぅ、と一息つき、2枚のカードを大事そうに抱えたまま、彼女は改めて私をじっと見据えた。
「ど、どうか内緒にお願いしますっ!」
そして悲痛な小声の叫びと共に、頭をぺこぺこと下げる。幸い、他の囚人たちにカードは見られていないようだが、これ以上声と騒ぎが大きくなれば面倒な事になりそうな予感がした。
私は面倒になり、軽く頷いてみせた。
「わかったから。そもそもカードの見聞きは禁止されているし、誰にも言わないわ」
彼女は少し安心した様子で、ありがとうございますと言った。
「……それに。もうあなたと勝負する事は無さそうよ」
私の最期の、無意識の呟きが聞こえたのか彼女は小首を傾げたが、その後再びペコリと頭を下げるとその場に小さくうずくまってしまった。殻に閉じこもる貝類を思わせる姿だった。
"クローバーの3"。彼女が落とし、公開してしまったカードを私は確認していた。
そしてスート(トランプのマーク)は特定できなかったが、"赤の8"。それが落ちる瞬間に見えたもう1枚のカードだ。
彼女は片方しか見られていないと思っただろうが、私は両方とも見ていた。裏社会の賭博では、イカサマが日常茶飯事だった。咄嗟の動体視力は鍛えられたもので、回転しながら落ちるカードを認識する事も私には難しくはない。
あの様子では、この先彼女が勝利する事は難しいだろう。
人には分相応の生き方がある。彼女にはゲームの類は不向きだったというだけの話だ。そうと決まったわけではないが。
「さて」
私は一息つき、ようやく自身のカードを覗く事とした。
2枚のカードを右手で覆いながら寄せ、左手でさらに覆うようにして隠す。私の視覚分だけに絞り、僅かにずらした2枚のカードの端に親指をかけ、最小限の捲りで情報を得た。
ダイヤの10と、スペードの――。
「なる……ほど」
私は思わず声を漏らした。
"ははァ。これは運命か? 喜劇か? 悲劇か?"
獣はハハハハと口を大きくして笑い転げている。
本当に、つくづく皮肉だと思う。スートは違うが、私がここへ来る前、4年前最後に握っていたハンドと、両方ともが同じ数字だった。
これがホールデムなら。あの夜の続きだったなら、私はブラフで攻めるだろうなと、懐かしい思考に血が巡る。
とはいえ、この人数で一斉にホールデムを行うとは考えにくい。一体どんなゲームになる事やら。
再び、黒服の男の声が響いた。
ルールを説明しますので、良くお聞きください、と前置きをして、いよいよ詳細なルールが開示された。
「ゲームの名前は、『2on1』でございます。ルールは至ってシンプルです。
①まず準備として、配られたカードの1枚を「公開」し、もう1枚を「非公開(裏返し)」にして下さい。後ほどお渡しするケースに、その状態で入れて頂き、準備完了となります。
②勝負は1対1の、プレイヤー同士となります。お互いのケースにある「公開」カードを確認した上で、同意があれば勝負成立となります。成立後は隣室の個別ブースに移動し、勝負を行ってください。
③勝敗は、お互いの「非公開」カードを公開し、2枚のカードの数字を合計し大きかった方が勝利となります。こちらを通常の勝利パターンAとします。ただし、合計数の2倍以上が相手だった場合のみ、数字の小さい方が勝利となります。こちらを2倍条件の勝利パターンBとします。つまり、合計数11のプレイヤーは合計数12~21のプレイヤーにはパターンAにより負けますが、合計数22以上のプレイヤーにはパターンBにより勝てるという事になります。
④勝負は全部で3回行います。同じ相手と再度勝負する事はできません。そして3回の勝負をし、Aパターン勝利を2回、もしくはBパターン勝利を1回達成すれば、本日のゲームはクリアとなります。
⑤3回戦を終えた方から退場して頂きます。またクリアされた方も退場頂けます。
⑥プレイヤーの皆様一人一人に我々主催者側の者が一人付きます。勝敗判定時も付き添いますので、ご了承ください。
以上、何か質問はございますか?」
いくつかの質問や細かな補足を続け、男は最後にこう締めくくった。
「ゲームの開始は5分後と致します。配られたカードの内どちらを公開するか、よくお考え下さい。それでは皆さま、どうか良いゲームを」
言い終えると同時に部屋の入口の扉が開き、複数の黒服の男たちが補充されるように入ってくる。
プレイヤー1人につき黒服1人が付くという話だったが、こういう事かと納得した。
質問等で追加された補足は以下のようなものだ。
・プレイヤーは囚人21名。
・プレイヤーの対戦に特に合図などはなく、この大部屋内で互いに合意が取れた2人が黒服に報告する事で隣室へ行き、勝負を行う。
・隣室には仕切りのあるブースが複数あり、他のプレイヤーから公開時のカードを見られる事を防ぐ。
・ゲームにジョーカーは含まれていない。一組のトランプのみを用いているため、同一のカードは存在しない。
・自・他プレイヤー問わず非公開状態のカードについて情報を教える・聞くといった行為は禁止。
・プレイヤー同士のカードの交換は禁止。
・引き分けは引き分けとしてカウントする。勝利扱いではなく、ノーカウントにもならない。
・ゲームのクリア者は後日、次のステージへと案内される。
・暴力やイカサマ、その他ゲームの公正性を欠くと判断するものは禁止。見つけ次第、対象者は敗北となる。等々。
つまり、2枚のカードの内1枚を公開した状態で他プレイヤーと対戦の合意を取り、隣室に移動してカードの合計数を競い勝負するという内容だ。
勝敗は基本的には合計数が大きい方が勝ちだが、2倍以上の大きさが相手だと小さい方が勝つ、と。
"ルール設定は細かいが、確かに大枠は単純だな。1枚を非公開とする事でゲーム性が生まれ、2倍条件によって駆け引きの複雑性が増している"
獣はルールを反芻しながら、面白いと呟いた。
"楽しめそうか、『2on1』というゲームは?"
獣は目を細めこちらを覗き込む。
面白いゲームには、共通点がある。それは『一見シンプルに見えて、駆け引きの要素を持ち奥行きのあるルールである事』。
今回のゲームは初めて聞くものだが、ルールは確かにシンプルでいて──考える事は多い。
公開するカードの選択/ハンド毎の発生率と勝率/相手にすべきカードレンジ(幅)/3戦ある対戦のタイミング/一組のトランプの総数とプレイヤー数/茶髪眼鏡の囚人のカード情報の利用/二人の挙動不審な囚人の存在。
「少しだけ、面白そうね」
"対戦相手はもう決まったか? 勝利は見えたか?"
私の呟きに反応し、獣は楽し気に語り掛ける。
私は期待している。このゲームに。この後の展開に。
果たしてこのゲームは、私の手の平から溢れるだろうか。それとも……。
私ははしたなくも、笑いを零した。誰にも聞かれぬよう、声を押し殺して。
私は牙を剥くように、口を開き嗤った。誰にも見られぬよう、口元を隠して。
"獣はいったい、どちらだか"
夜が始まる。
獣が目を覚ます、束の間の夜が。
旧第三話の後半部分です。長かったので分割しました。
次話からようやくゲームが始まります。