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モノクロの螺旋  作者: 湯納
第二章 ネームレス・ブラック
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第三話 名前の無い獣

 まるで……悪い冗談みたい。


 『縁は巡る』と、賭博の場では良く耳にしたものだけど。

 私は手にしたカードに指を滑らせ、懐かしい紙質の触感に過去を思い出す。


 脳裏に蘇る賭場の喧噪。

 互いにカードをオープンする「ショーダウン」の歓声。高く積まれたクレイチップが崩れる乾いた響き。ディーラーからリズミカルに配られたカードが手元に滑り込む音。

 ……あぁ、懐かしい。しばらく忘れていた記憶だ。


 目を開け、私は現実を視る。

 私は手枷を付けている。味気の無い無地の服を身に着け、T96と刻まれた鉛のプレートを首から下げている。

 私は今、刑務所の中にいる。

 現実は今ここにしかない。鉄に繋がれたこの両の手で掴めるだけの、狭くて小さな現実。

 それが今の私。過去は変えられず、未来もその延長にしかない。


 後悔なんてものはないし、当然、今もしていない。

 悔いるものも恨むものもなく、ただ想定された可能性の一つがこの身に降り注いだ。それだけの話。


 賭博の渦に身を置く生活から離れ、ルーティンを繰り返すだけの日々にも慣れ、いつしか私はギャンブルは辞めようと考えていた。

 身を滅ぼすような毒は、甘美だ。けれど、刺激もスリルも無いこの生活もまた、慣れてしまえばそれで良いと思える。健康的な三食に、ベッドと屋根のある規則正しい生活を送る今の私に不満など、ない。


 ……ないと、思っていた。この感触を、思い出すまでは。

 あぁ、何てことをしてくれるのだ。


 虚空を眺め、T96のプレートを首から下げた囚人は、カードを指の腹でなぞっていた。優しく、何度も何度も。


──────────


 クイーンド王国の女性刑務所『ファーストレッド』。ここは国内でも特に凶悪な犯罪者を収容する施設である。クイーンド王国では犯罪の規模や性質によってS~Cの格付けによる等級が定められ、ここファーストレッドではA+以上の犯罪者が2千人程収容されていた。

 そしてT96のプレートを下げた彼女もまた、このファーストレッドに身を置く囚人の一人であった。


 その日、ファーストレッドでは定刻通りの夕食後、臨時の放送が流れた。何名かの囚人の番号が呼ばれ、就寝前に別のタスクがあるため待機するようにとのアナウンスだった。

 待機していた囚人たちは手枷を付けられた後、看守に連れられとある建物へと案内された。そこは受刑者が踏み入ることの許されていない区画にあった。


 建物内部は、点々と配置された何人もの黒服の男たちが監視の目を光らせており、囚人達は案内されるがまま最奥部の部屋へと集められた。

 囚人は総勢20名ほど。複数ある棟から数人ずつが参加させられているため、囚人同士に見知らぬ者も少なくない。

 集められた部屋は真っ白で窓もなく、物一つない空間であった。ただそこには囚人たちと、同数近い人数の黒服の男たちが立っているのみ。


 状況が飲み込めずにざわつく囚人たちを前に、部屋の前方に立っていた一人の黒服の男が、手を鳴らした。

 それは長く短い夜の、始まりの合図だった。


「皆様、ご注目下さい」


 囚人たちが静まりその男に注目する中、T96のプレートの女は、冷静に周りを観察していた。

 説明会ならば椅子くらいはある。刑務作業なら道具や資料がある。しかし、それどころか物ひとつない空間に、複数の黒服の男たちが周囲で見張っているだけという特殊な状況から、彼女はこれは何らかの実験だろうと推察していた。


「それでは、これより皆様にはゲームをして頂きます」


 案の定、想定しえない言葉が男の口から発せられる。

 何を目的として囚人たちにゲームなどやらせるのか。一部の模範囚に、前代未聞の遊戯会を開催するとでも……いや、背後に何らかの意図・意思が働いていると考えるのが妥当か。

 彼女が考えていると、説明を続ける男の後ろに控えていた黒服の一人が、おもむろに紙袋から何かを取り出した。

 それは手のひらに収まる小ささで、説明をしていた男に手渡された。

 ゲームという言葉に釣られ、囚人たちは「それ」に意識を向ける。


「これから行うゲームには、こちらを使用します」


 男は手にしたそれ、『一組のトランプカード』を掲げて見せた。


 瞬間、T96番の胸が高鳴った。

 トランプ。それはかつて日常的に触れていたもの。時に金を生み、時に危険を及ぼし、闘争と刺激と快感を齎す猛毒。

 刑務所内での賭博は当然御法度であり、トランプやダイスなどの持ち込み、自作、使用などは全てが禁止されている。このクイーンド王国では賭博が一般的な娯楽の一つであるからこそ、それに関係する犯罪も特に多く、刑務所内での賭博は厳禁となっているのが通例である。


 しかしだ。今、この場ではトランプを用いたゲームが囚人たちの間で行われるという。

 久しく離れ、忘れかけていたシチュエーション。その手に触れず、目にする事も敵わなかった娯楽用品。

 涎を垂らさんばかりの囚人たちの前で、男はトランプの封を優雅に切り、中身を取り出した。そして紙製カード特有の匂いを漂わせながら、手に取ったカードを美しい手捌きで男はシャッフルをしてみせた。


 「一つ、大切な事をお伝えします。皆様にはこれからゲームを行っていただきますが、負けたからといってペナルティはありません。むしろ、成績に応じた刑期の短縮をお約束します」


 きっぱりと言い切る男の声に、囚人たちがどよめき出す。これまで何のために集められ、何をさせられるのか不安を抱えていた囚人たちであったが、ノーリスクで禁止されていたゲームを楽しむ事ができ、加えて『刑期短縮』という大きなリターンを提示されたのだ。

 例えそのチャンスがどれほど狭き門だったとしても、誰もが魅せられる上手い話だった。


「それではルールを説明をしながら、準備を行って参りましょうか」


 男は囚人たちの喧噪を意に介さず、悠長にルール事項を読み上げ始める。


「これから皆様にはランダムに混ぜたカードの中から2枚ずつ配ります。まず、誰にも見られないようにご自身のカードを確認してください。誰かに自分のカードを見せる事、伝える事は禁止とします。他人のカードを覗き見たり、聞き出す事も禁止です。発覚した場合には、その時点で失格・退場となりますのでお気を付けください」


 男はカードをひとしきりシャッフルした後、無造作に2枚を取っては囚人に手渡し、手前から奥へと配り歩いていった。

 やがて数分で、プレイヤーとなる囚人たち全員の手にカードが行き渡った。


──────────


 プレートに刻まれた囚人番号、T96の女。彼女は元は裏社会に生きる賭博師だった。

 親も家もないスラム生まれの孤児だった彼女は、貧しさの中で強かさと度胸、引いては勝負強さの能力を開花させていった。そして次第に、ギャンブルへの依存を深めていった。

 いつからか違法な掛金を設定する非公認の賭博場や、法で禁止されるような危険を伴う賭けを行う組織にも顔が知れるようになり、13の頃にはスカウトされた事で異例の若さでアンダーテイカーと呼ばれる組織の専属賭博師ととなった。名前を持たなかった彼女は『ネームレス・ブラック』と呼ばれ、裏社会の一部では畏怖されるまでの凄腕の賭博師となる。

 ある晩、彼女はアンダーテイカーの兄弟組織から頼まれた代打ちを受け、敵対組織との賭博に参加した。死者を伴う抗争へと発展したその賭博は、警察の介入によって終わりを迎え、同時に彼女を含めた関係者は逮捕されるに至った。

 違法賭博に薬物取引も合わさり、懲役25年の実刑判決が下ったのが今から4年前。彼女が16の時だった。


 そして今、彼女は再び薄く張りのあるカードに触れている。

 あの夜と、同じ様に……。


──────────


 カードを見ることも無く、懐かしい手触りから過去に思いを馳せていた私は、これまた懐かしい声を聞き現実へと意識を戻した。


"久しいな"

 

 目を覚ました獣が、私に話しかけた。

 私の中に生きるこの存在を、私は唯「獣」と呼んでいる。たまに現れては好き勝手に喋り、またどこかへと消える。私の別の人格とも、異形な存在とも判断が付きかねているが、姿はなく、他の誰にも声は聞こえない。獣は私だけの知る存在であり、ここ数年は姿を消していた。


"退屈は嫌いだ。ずっと寝ていたが、どうにも面白そうな気配を感じてな"


 獣は私の思考に答える。

 とはいえ、薄々そんな気はしていた。こうしてまた、目を覚ます予感すらもあった。


"まるであの夜と同じだ。たった2枚の紙きれが、お前の運命を、その明暗を分けるらしい"

 

 クククと、獣は笑う。


"あぁ、ギャンブルは辞めたんだったか?"


 これまた愉快そうに、獣は息を吐く。

 そう。ギャンブルは辞めた。辞めると決めた。

 しかし、だ。話を聞くにこれはあくまで刑期短縮のチャンスであって、ペナルティもない。リスクのないゲームを、『ギャンブル』とは呼ばない。


 私の思考を聞いていた獣がまた笑う。


"じゃあ、楽しむとしようか。この夜を。目の前の馳走を"

 

 そして涎を垂らしながら、獣は耳元で囁いた。

 ともあれ「ゲーム」と銘打った行為に敗北するのは性に合わない。これは決して、獣に飲み込まれた訳ではない。私は自身の理性の下で、この闘争にプライドを賭けるのだ。何かを賭けたなら、私はその戦いで手を抜くことはない。本気で、私は闘争をする。


"それがお前の本質だろう。シたかったんだろ? お前も。わざわざ本気でゲームを楽しむために大儀を掲げる、その文句が『誇りを賭ける』だなんて、笑わせる"


 獣はなおも楽しそうに喉を鳴らす。

 私は何も答えず、ゆっくりと意識を沈めた。そこは黒く波打つ海。全ての雑念が消えた、クリアな世界。身体が浮くような感覚と、全身に絶え間なく程よい力が流れ、脳が遥か高次元のモノと繋がるような感覚。五感が研ぎ澄まされ、集中力が高まっていく。

 

 目を開けた私は今一度状況を整理する事とした。

 ルールはまだ伝えられていないが、カギはこの2枚のカードに違いない。

 黒服のカードの配り方に恣意(しい)性は感じられない。その前に行われたカットも完璧なヒドゥンシャッフルであった。これは稀に居る動体視力が良いプレーヤーにカードの並び順を把握されないよう、手で覆い隠しながら混ぜてしまうシャッフル方法だ。ランダム性は、一旦は信じて良いはず。カード自体へのトリックや、黒服たちの仕込みの可能性は否定できないけれど。


 私は壁を背に座りこみ、目立たぬよう辺りの囚人の様子を見渡した。

 挙動不審にうろつく者、その場に座り込む者、キョロキョロと辺りを警戒して見渡す者。

 配られたカードを覗いた後は、人は面白い程の多様な反応を示す。これはポーカー時代に得た知見だが、例えば強いハンドを精一杯の平静で誤魔化そうと緊張を混じらせる者や、弱いハンドからブラフを考え一瞬躊躇する者など、目線や仕草を観察するだけでも得られる情報は多い。

 プロが蔓延っていた賭博場でもないこの場において、私の中に蓄積された経験・知識から得られる情報アドバンテージは大きい。


 そう思っての観察だったが、私は思わぬ情報を手に入れる事となる。

 すぐ近く、目の前いた囚人番号N16の女性はあろう事か、手を滑らせ受け取ったカードをその場に落としたのだった。


 色白で小柄な、20歳前後の女。茶色の髪を雑に後ろで束ね、丸眼鏡に虚ろな目線を泳がす野暮ったい風貌。

 顔つきには、その人物の歩んできた人生が刻まれると言う。もし彼女を見た目だけで判断するなら、どんくさそうで、騙しやすそうで、何というか刑務所が似つかわしくない人物という印象だった。


 床に転がったカードは1枚が裏面、もう1枚は表面が上の状態だった。

 彼女は慌てて表になっていたカードを裏返し、大きな胸元に隠すように抱え辺りを見回す。誰にも見られていないと思ったのかホッと胸を撫で下ろした所で、最後に私と目があった。


「み、見ましたか?」


 震える声で尋ねる茶髪眼鏡の女。

 こちらを見つめる目は涙に潤み、どこか小動物を思わせた。

結局ゲーム自体は始まらず…。次こそは。

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