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モノクロの螺旋  作者: 湯納
第一章 国ノ手
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第二話 怪物の瞳


「うーん……戦争で提供されるゲームが心理戦に特化したものと決まっていたなら、彼はいい線行くと思うのだけど……」


 執務室にセレスの悩まし気な、それでいて可愛らしい唸り声が響く。

 彼女は眺めていた人選の候補者リストをテーブルに置くと、名残惜しそうに結果のメモを加筆する。


「シロクマ、この後の予定は? 早く終わった分、もう一人くらい相手できるわ」


 戦争が決まってからというもの、王女の仕事ぶりは明らかに激務を極めている。

 まず、ほとんど毎日候補者の相手をしている。それも実力を見定めるまでに一人当たり早くて3時間、長い場合には24時間程かかる時もある。

 当然、他にも日々の業務など仕事は盛り沢山で、結果的に睡眠時間もろくに確保出来ない日が続く事も多い。

 想定より対戦が早く終わり、時間に余裕ができた今日などは特に休んで欲しいというのがシロクマの本音であった。


「本日はお休み下さい、セレスお嬢様。お気付きでしょうが、もはや候補者も減ってきております。焦る必要はございません」


「……そうね」


 候補者が減ってきているという事実は、深刻な問題だった。

 当初2万人と居た候補者達も、簡単なペーパーテストによる一次選考、王国内の国ノ手選考委員会の用意したゲーム実技による二次選考を経てあっという間に300人ほどに絞られていた。

 その内の240名が、最終選考である王女との対戦を既に経ている。特筆して未だ目立った候補者はなく、残りは僅か60名。


「ねえ。この中にもしも、国ノ手に相応しい者が居なかったら。私は貴方を選んで、一緒に立候補しても良いかしら、シロクマ」


「……」


 シロクマは答えない。

 王女が出るなど許されはしないだろうし、自分には到底その役目は果たせないと思ったからだ。


 眼を合わせる事もなく俯くシロクマはしかし、ニヤリと笑った。

 犬歯を覗かせるように上がる左の口角。視線を悟らせない細められた目。そして小さくクツクツと震え鳴る喉。左目を覆う眼鏡だけが光を反射し、白く不気味に輝ている。


 その不敵な笑みを、セレスは何度も見てきた。

 シロクマという男は誠実な老紳士である。けれどゲームに限った話では、対抗心を燃やし情熱的プレイスタイルを取る一面もあった。これも、国民性というやつなのだろう。

 彼はあらゆるゲームにおいて、リスクのある一手を打つ時、決まってこうして笑う。得てして一手のリターンは大きく、運が彼に傾けばセレスが敗北する事も多い。

 故に、セレスはシロクマの"笑み"に最大限の警戒と信頼を置いていた。


「クックッ、安心してくださいセレスお嬢様。もしもの時の手は打ってありますとも」


 軽く会釈をして、シロクマは背を向ける。


「こちらもまた、リスクを伴いますがね」


 去り際にそう付け足すと、再びクツクツと笑いながら、彼はセレスの執務室を後にした。


 扉が閉まった後、セレスはゆっくりと微笑む。

 端から見ればその姿は、優し気で向日葵を思わせる可憐な王女の笑顔に見えただろう。

 画に描けば木漏れ日のような暖かさを感じさせ、歌にすれば皆が顔を綻ばせるような王女の姿に。


 しかしその実、セレスは背筋を震わす予感に興奮を隠しきれずにいた。

 頬は紅く染まり、熱っぽい吐息が唇の隙間から漏れる。


「私は……期待していいのよね?」


 それから2ヶ月後。王女はリスト上の候補者全てとの対峙を終えた。

 国ノ手は未だ、決まっていない。


──────────


 アックス・レイ・ドラコは最後に語った。

 かの王女は"人の理から外れている"と。


「噂には聞いていたんだ。『ダイスに宿る女神を敵に回しているようだ』、『カードの精霊と交信できる存在に違いない』、『盤面を征服する傑物』だなんだと。でもよ……」


 彼は項垂れる。

 思い返したくもない過去から逃げるように、顔を(しか)め額を抑えた。


「こういっちゃ何だが、『怪物』だよ。傑物なんて、人を指す言葉だ」


 そして鼻で笑うように言い放つ。


「人の手になんか、負えやしない。次の戦争には、王女様が出るのが一番だよ。絶対に負けないだろうさ」


 彼はそう言い残し、送迎の車を断ると徒歩で城を後にした。


 数日後、アックスは結果が出る前に自ら立候補の取り消しを申し出た。

 彼のポーカープレイヤーとしての才能やゲームセンスは総合的にも高く、王女の選考を経てなお最終候補にその名を残していたというのにも関わらずだ。


 それはまるで刻まれた苦悩から、逃れるように。


──────────


 誰もいなくなった応接室で、メイドのリバー・メルフォールはアックスが座っていたシート辺りを歩き、手元の調書に記録したアックスの言動に目を通しながら、先のゲームを反芻していた。


 たった4時間で終わってしまった、アックスと王女セレスの頭脳ゲーム。

 対戦していた2人に、王女御付きの執事長シロクマ、そしてリバーだけが見ていた悪夢のような戦いを。


 この応接室は、今回の国ノ手の人選のためにいくらか改修された特別な部屋である。

 ゲームに集中できるよう設計され、落ち着きと気品のある優雅な部屋をイメージして作られている。

 用意されたガラステーブルを挟むようにして、ゆったり寛げる大きなソファが向かい合い、奥に王女が、手前に対戦者が座り、基本的にテーブル上に収まるゲームが何戦か行われる。


 今日の対戦相手として案内されたアックスは、光量の絞られた部屋で、目を閉じてじっと座ったままその時を待っていた。


 やがて扉が開き、王女と執事長が入室する。

 二人は簡単な挨拶を交わし、大した会話もなくすぐにゲームを始めた。

 この時のアックスも落ち着きがあり、強者らしく余裕のある態度にリバーからは見えた。


 まずはポーカーをしましょうという王女の意向で、ディーラーを務める私を挟み、二人は通常のポーカーを楽しんだ。

 2時間程のプレイの後、王女は別のゲームを提案する。チップの総数はアックス3千7百、王女2千3百とアックスが勝っている状況だった。


 プロのポーカープレイヤーとも並ぶ腕を持つ王女に対し、これほどの差をもって勝っている状態を継続しているアックスは相当に強者であるとリバーには思えた。


 しかし後に、アックスはこう語った。


「ああ、ポーカーは勝っていたさ、当然。俺はプロだ。ポーカーで食っている以上、負けない自信も最初からあった。そうだ……俺は勝っていた」


 何かを迷うようにアックスの目線が宙を彷徨(さまよ)う。

 たっぷり1分の沈黙が続き、彼は再び口を開いた。


「でもな。もし、もしも続けていたなら。俺は負けていたかもしれない。あと何ハンド続けたら迎える未来かは分からない。数時間かも、数日かも、数ヶ月かもしれない。でもな、俺はきっと彼女に勝てなくなる。そんな気がしたんだ。ポーカーに限らないと思うが、"勝てない"とビビっちまったら、もう勝負は終わりなんだ」


 彼は首を振り、分からないと呟く。


「人には癖ってのがある。好むプレイスタイル、波の乗り方、想定するレンジ幅、確率への信頼度。俺にもあるし、隠そうとしてもそれは個性として表に出てくる。そういったものを手繰り寄せて、相手を少しずつ知りながら、先を読むんだ。心理戦ってのはそこが核だ。本来なら、というか普通はそうだ」


 考えるように、彼は俯く。


「王女様には、無いんだ。癖や匂いが。機械か?全く違う何人と入れ違いに戦っているのか?……俺には読めなかったんだ、その思考が」


 でも、と彼は続ける。


「意図的に癖を隠したり、あえて癖を見せたりするプレイヤーはいる。他にもいるんだ。ただ、俺が本当に怖かったのはさ。あの透き通る赤い"瞳"なんだ」


 その言葉に、リバーはあぁと納得の言葉を漏らした。

 王女の瞳。アックスが言及したものを、リバーは知っていた。


「こっちの事をじーっと見つめて、機械みたいに分析してるんだ。俺が王女様を解らずにいる間、癖やプレイスタイルも含めた『俺という人間の性質』を一方的に暴かれていく感覚が怖かった。ゆっくりと体に巻き付いて、口を大きく開いた大蛇が目の前にいるようだった。……だから俺は、たったの2時間で切り上げられた事に、逆に安心したんだ」


 でもそうじゃなかった。と、彼は口にした。

 その後の戦いは、アックスにとって残酷な展開だった。


 優れた才覚の持ち主を探すため、いくつか異なるタイプのゲームによって選考は行われる。複雑なルールを強いるゲーム、長期的な戦略が必要なゲーム、変化する状況に適応するゲーム。

 当然アックスも承知しており、ポーカー以外でもゲームが強い事を証明するため、彼は次のゲームへの移行を快く受け入れた。


 ポーカーは読みやブラフの駆け引きなど、心理戦が主となるゲームだ。通常、次のゲームは異なる性質のものを用意するのであるが、意外な事に王女が持ち出した次のゲームは、さらに心理戦を深く追求するゲームだった。

 提案されたファイブサムというゲームは、王女考案のオリジナルゲームだ。ルールも明快で、心理戦色のより強いゲーム性に、ル―ル説明を受けたアックスは面白そうだと期待をうずかせながら頷いていた。プロのポーカープレイヤーとしてのプライドもあって白熱した戦いを夢見たのだ。


 しかし、3戦もしないうち。ポーカー時以上の暗い深淵に飲み込まれる感覚が彼を覆いつくした。

 1戦目は王女の勝利。2戦目、王女の勝利。続く3戦目。王女の勝利。

 このゲームは1戦に10分を要しない。30分と掛からず彼の心は次第に折れていった。

 練り上げるほどの定石はない。知識も経験も、必要ない。


 単純な読みだけの勝負。


 全6戦。一度として彼が王女に勝つことはなく。

 動揺と焦燥で落ち着きを失ったアックスを横目に、王女は静かに次のゲームを提案した。


 最期に持ち出されたボードゲームは運の要素を多分に含んだ、双六のような市販のゲームだった。

けれど、もはや憔悴しきったアックスはゲームを楽しむ事も集中する事も出来ず、開始早々で王女は見切りを付け、終了を告げた。


 こうしてアックスの選考は終わった。

 ポーカーではアックスが、ファイブサムでは王女が勝利し、そして最後のゲームはノーカウント。

 引き分けのように見える結果だが、アックスは敗北したと感じた。


 リバーはこれまで、多くの対戦者を見届けてきた。国ノ手選考委員会のトップであるクイーンド王国女王に報告するため、一挙手一投足全てを観察し、評価してきた。

 有名賭博師や一流ゲームプレイヤー、学業の専門家など多くの国民と、王女の対峙結果を見てきたそのリバーの目からすれば、アックスの実力は決して不足したものではない。


 リバーはそう感じ、アックスの見送りを終えた後、女王への報告の前に王女の執務室へと向かった。


「セレスお嬢様、お疲れ様でございます。一つお伺いしてもよろしいでしょうか」


 好奇心から、リバーは尋ねた。

 セレスの回答は思ったよりもシンプルで、それでいて難解なものだった。


「十分な素質はあると思うわ。でも、経験が足りていないのでしょう。私の眼を見ながら戦えたなら、迷いなく彼を選べるのだけど」


王女は少し残念そうな表情を浮かべる。

その眼はルビーのような煌めきを放っていた。

礼を言い部屋を出たリバーは、肩口から垂れる編み込まれた薄紫の髪を撫でながら思考する。


眼を見る、か。


 今でこそ女王お付きのメイドの一人であるリバーだが、彼女は以前は王女のお付きであった。

 当然、王女と幾度となくゲームを繰り返す中でその超常的な勝負強さと、アックスの口にした"瞳"の恐ろしさは身を以って体感していた。


 この王女と渡り合える人物など、正直言って想像がつかない。

 本当にこの国に、そんな人物はいるのだろうか、と彼女は疑問に思うのだった。


──────────


 メイドのリバーが立ち去り、シロクマも何かを画策してどこかへと向かった夕暮れ時の執務室。

 一人になったセレスは、窓の外を眺めながら憂う。


 王女としてとても口には出せないが、個人的には鉱石やら陸地の利権、ひいてはこの『戦争そのもの』に全く興味はなかった。

 ただ、強敵と、その場限りのルールで、すべての知能を用いたゲームを楽しんでみたい。

 興味はそこに集約されていた。


「何で私、王女なんだろう……」


 候補者リストに目を通し、自身の書いたメモとゲーム記録を眺めながら。

 セレスは何度となく頭をよぎる、答えのない疑問を呟いた。

 答えは無く、覆す事の出来ない状況に、不満は募るばかりだ。


「私が出られればいいのに」


 悩める16歳は、今日も頭を抱えていた。


ゲームはいつ始まるんでしょう…

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