第十三話 モノクロームの回顧
「私よ、クロ。ずっと昔、一緒にゲームをしたじゃない……覚えてない?」
セレスは再会に胸を躍らせ、弾けるような笑顔で首を傾げる。
対して十黒は、表情を変える事なくじっとセレスを見つめていた。
「10年は経ったかしら。賭場『ギルティ』で、あなたを勝手に師匠と呼んでいたのだけれど」
セレスは十黒のリアクションを、固唾を飲んで待つ。その姿は『待て』をされた犬のようで、ゆっくりと振られる尻尾が見えるようだった。
聞き覚えのある『ギルティ』の名から、十黒は記憶の底から糸を手繰り寄せる。
十黒がまだネームレス・ブラックの渾名で呼ばれる前、高額カジノや違法カジノに寄っては目を付けられない程度に荒稼ぎを繰り返していた日々の中で出会った一人の少女が、記憶の中で手を振っていた。
賭場『ギルティ』は決してアマのギャンブラーや一般人が入場しない高額賭場の一つであり、限られた一部の富豪や一流のギャンブラーたちが集う完全会員制の賭場であった。
そこは賭けの対象は金銭に限られず、資産や契約、制約など非合法のものも対象となる事や、掛金に上限が設定されていない事から一般の賭博場とは一線を画す危険地帯。
また会員の人数に制限がある事から会員証それ自体が価値を持つため、十黒は賭けによって会員証を手にして以来、よく通っていた。
ある日、いつものように夕方頃に目を覚ました十黒は『ギルティ』へ向かった。
しばらく様子を見た後に、今夜の稼ぎ場と見定めた卓についてゲームに興じていた十黒は、しばらくして入れ替わるように席についた一人の少女の存在に疑念を抱いた。
その少女は自分よりもいくつか年下に見えた。
真っ白な髪に、深紅の瞳を持つ可憐な少女だった。
金持ちが子供を連れて遊びに来る事は珍しくない。
どこぞのお嬢様が"お遊び"で参加したのだろうと考えたが、辺りには親らしき存在が見当たらない。
子供を放って親は別の場所でギャンブルに興じるにしても、遊べるだけのチップを渡されたにしては少女の持つチップは少なかった。あれでは3ゲームも持たないだろう。
大方、食いつくされた後か。であれば実力もたかが知れている。
フィッシュがやって来た、程度にしか考えていなかった私は、しかし驚くものを目にした。
数時間後、少女の持つチップは何十倍にも膨れ上がり、同じテーブルに着く他プレイヤー達の平均すら上回り始めたのだ。
プレイを見るに、偶然ではない。
少女は実力で、他プレイヤーを打ち負かしている。
……面白い。
私は少女を哀れなフィッシュではなく、敵として認識を改めゲームを続けた。
やがてテーブルからは徐々に人が減り、私たちは二人だけとなった。
少女はじっと私を見つめ、時に楽し気に笑い、時に目を見開いてゲームに白熱する。
私も骨のある相手を前に、遠慮なく本気のゲームを楽しんだ。
しかし楽しいひと時は、突然に終わりを迎える。
一進一退のゲームを続けた少女が突然、何かに気付いたように視線を彷徨わせると、席を立ちどこかへと走っていったのだった。
私はゲームの余韻に浸りながら待っていたが、その日少女が戻ってくる事はなかった。
名前くらい、聞いておけばよかったなと私は少し後悔した。
また会える事をどこか期待していた私は、以降『ギルティ』へと通い続けた。
一週間と経たず、私は再び少女に出会った。
それから、私たちは二人でよくギャンブルをした。
時には協力し、時には競い合って。テーブルを荒らしまわった。
少女は私を師匠と呼び、私はゲームのストラテジーや彼女の知らないゲームを教えた。
彼女はこっそりと遊びに来ているようで時間が来るとどこかへと逃げるように消えていくが、いつも執事服の男やメイド服の人物に連れ帰られる姿が見えた。
こっそりと手を振ると、彼女は悲し気な顔で手を振り返していたのを覚えている。
その少女の名前は……。
「……ナナ?」
『ナナ』と呼ばれた瞬間、セレスは飛び跳ねる勢いで十黒に駆け寄るとその身体に抱き着いた。
反動に体を揺らすも、十黒は柔らかく微笑みその体を抱擁する。
身長170cmの十黒に対しセレスは身長155cmと小さく、また漆黒の髪と同色のスーツに押し寄せる純白の髪とドレスは対称的で、美しいコントラストは芸術的な絵画の一作品のようでもあった。
2人を呆然と見つめていたリバーは一瞬見蕩れてしまった事に気付き、悔しさを含んだ黒い感情に拳を強く握った。
一方、厳戒態勢で十黒を挟むように立つ警備の2人は困惑していた。駆け寄った王女を引き剥がすべきか。囚人と王女が接触している状況は危険といえるが、状況を見るに割って入ろうものなら王女の怒りを買いかねない。結果、いつでも動ける体勢で様子を見守る事にした。
そして執事のシロクマは、好々爺然とした表情のまま固まっていた。
にっこりとした笑顔が張り付いたまま、陶器のように動く事なく2人を眺めていた。
「やっぱり、やっぱりね! すぐ分かったもの私。久しぶり、元気だった?」
そんな彼らを置いて、セレスは十黒の胸元に顔を填めながら鼻息を荒くして再開の感動に浸る。
「えぇ、まぁ」
適当な言葉で返す十黒に、顔を上げたセレスがじっと眼を覗き込む。
「王女だったの、あなた」
ぶっきらぼうに十黒は尋ねた。
「貴様、無礼だぞ。王女様もお離れ下さ──」
馴れ馴れしい言葉遣いに、すかさずリバーが言動を窘めるも、その言葉はセレスによって遮られる。
「いいの! 彼女は私の大切な友人だから」
頬を膨らませる王女の姿に、リバーは険しい顔を崩さないまま、渋々と頷き一歩下がる。
リバーは再び強く拳を握りじっと十黒を睨んだ。
「普通に話してくれて構わないわ、クロ。あぁ、あなたの名前、『犬子』っていうのね? 犬子って呼んでいい? 呼ぶわね?」
犬子、犬子と何度か口にしながら、セレスは抱き着いたまま話を続ける。
「こんな所で会えるとは思わなかったわ。本当に嬉しいの、私」
「私も思わなかったわよ。どこかのお嬢様かと思っていたけど、まさかナナが王族だとはね」
「ねぇ犬子、セレスって呼んで? そしてまたゲームをしましょう? 昔みたいに」
セレスは十黒──犬子の耳元で囁く。
犬子はクツクツと笑うと、えぇそうね。と答えた。
「変わらないのね、あなた。いいわよセレス。ゲームは何かしら?」
「ふふふ。ありがとう! そうね、色々考えて用意していたんだけど、どうでも良くなっちゃった。ここは王道にポーカーでどう?」
「ええ、素敵。」
犬子は、童心に返るような晴れやかな気持ちで、セレスの提案を受ける。
「勘は鈍ってないでしょうね」
「ブランク込みでも、あなたには負けないわ」
挑発するように笑う犬子に、セレスはまぁ、と驚きを露わにする。
これまで多くの者達とセレスはゲームをしてきた。
昔ならまだしも、ここ数年は私を挑発する者など一人もいなかった。久々の感覚に、セレスの熱が入る。
「へぇ、言うわね。私、リチャードにも勝ったのよ?」
「ゲーム数は?」
「時間で言えば12時間。運が良かったのは認めるけどね」
ゲームには波がある以上、勝つ事自体は珍しくない。
だが、偶然は続かない。12時間のゲームとは、裏を返せば圧倒的実力者を相手に勝ち負けを12時間繰り返した果てに、負けなかったという事だ。
それだけの戦績を残す事は、実力差があればまず難しい。
運に加えて実力があって初めて可能な結果である。犬子は彼女の言葉から、以前よりも遥かに強くなったであろう事を察した。
「あの頃とは違うのね。楽しみだわ」
セレスはにこりと微笑むと、名残惜し気に犬子から離れ、指を鳴らした。
「シロクマ、リバー。急な変更で悪いけど、用意してくれるかしら」
警備の2人は安堵の様子を浮かべながら犬子の後ろへと並び立ち、シロクマとリバーは隣室の準備室へ向かった。
ガラステーブルを挟みセレスと犬子が席に着く。
テーブルにはブルーマットが敷かれ、それぞれの手元にはチップが台車で運ばれる。
準備の進行を見守りながら、セレスはゲームの詳細を伝える。
「ゲームはポーカー、テキサスホールデム。1対1のヘッズアップ、ローカルルールなし。ディーラーは……」
セレスがシロクマとリバーの方を見やると、リバーが一歩前へと出た。
「私がやっても宜しいでしょうか」
名乗りを上げるリバーに、セレスはシロクマの方へチラッと視線を向ける。
シロクマがこくりと頷くのを見て、セレスは承諾した。
「いいでしょう。それではお願いするわ」
リバーは頭を下げると、テーブルの横に立ちディーラー用の手袋を装着した。
「それでは、このリバー・メルフォール、お二人のゲームのディーラーを務めさせて頂きます。宜しくお願い致します」
対峙するセレスと犬子の隣で、リバーはカードを開封し、不要なカードを抜いてカットを始めた。
シロクマはセレスの後ろを離れ、イカサマ防止と強さの真偽を最後まで確認すべく犬子の背後へと回った。
「ルールは先ほどセレス様が仰った通りとなります。プレイ時間は無制限、どちらかのチップが尽きる事でのゲーム終了か、王女様の判断がついた段階で終わりとなります」
リバーはカットしたカードを置く。
トランプカードは世界的に愛用されるブランドメーカーのもので、裏面は複雑な幾何学模様が描かれている。
「一つだけ、犬子様にお伝え致します。あなた様は王女様のご友人としてプレイされますが、あなたが受刑者である以上、そして我々が王女様のお付である以上、我々にも看過できない行為があります。くれぐれも言動にはお気を付け下さい」
犬子が頷くのを確認し、リバーはゲームの開始を告げた。
「それでは、『テキサスホールデム』を始めます」
こうして国ノ手選出の最終審査が始まった。
黒髪の囚人と純白の王女がテーブル一つを挟み向かい合う。
それは減刑のために勝利でなく、ただゲームを楽しむために。
それは国ノ手を選ぶためでなく、ただゲームを楽しむために。