第十一話 勝利の配当
ゲーム開始から一時間。
会場は、静かにその様相を変化させつつあった。
部屋に残るプレイヤーの数は14名。
誰もが互いのカードを把握し、状況は煮詰まり始めていた。
様子見の意味はもはや薄れ、プレイヤーは思い思いの行動を取り始める。
勝てると踏んで勝負を誘う者。自らの手札を確認しながら勝負を受けるか思案する者。状況の整理に考え込む者。未だ全体の様子を観察する者。そして戦意を失い、塞ぎ込む者。
ネイロ・サンダールゥは、壁際で膝を抱え蹲っていた。
誰とも目を合わせる事はなく、その顔は伏せられていた。
「どうして、こうなっちゃうんだろう」
自問自答をしながら、私はこれまでの戦いを振り返る。
初戦。相手の公開カード『5』を小さいと考え、気安く勝負を受けた。もう一枚は『9』、結果は敗北。
続く二戦目。相手の公開カードは『4』。それも、直前の勝負で敗けたばかりの様子だった。
今度こそ勝てると、思った。
もう一枚は『Q』。またも、結果は敗北だった。
思えば昔から、騙し合いや駆け引きは苦手だった。
いつも誰かを頼って、結局利用される。ここに来たのだって、気付かない間に詐欺の片棒を担がされていたからだ。
単純な考え方しかできない私は、いつもそうだ。こうして訪れた減刑のチャンスすら、私は利用されるだけの存在でしかない。
戦績は2戦2敗。もう、後はない。
諦めたくはない。けれどどうしたら勝てるか。もう分からない。
「気は変わった?」
ふと、聞き覚えのある艶やかな声が耳から伝わった。
何度目かの、聞きなれた同じフレーズ。
おもむろに顔を上げる。暗闇が開け、白く眩い世界が広がった。
そこには一人の女性が、腰に手を当て堂々と立っていた。
T96のプレートを掛けた囚人。ゲームが始まってすぐに、『10』の数字を見せつけながら勝負を誘ってきた相手だ。
「またあなたですか……」
うんざりとした感情を隠す事なく、ため息と共に彼女を見上げる。
分かり切った質問を繰り返すこの人物が、正直苦手だった。
いつか本当に、私が"YES"と答えると思っているのだろうか。いくら何でも、勝負は目に見えている。
でも。既に2敗という無様な姿を晒している私だ。そう思われても仕方ないのかもしれない。
「私を、笑いにでも来たんですか」
「いいえ」
黒髪の女は否定する。
しかし、これまで何度も騙されてきた私からすれば、その言葉は容易に信じられない。
何か裏がある。思惑がある。狡猾な猛禽類を思わせる彼女の目が、それを物語っているように感じられた。
「教えて欲しいんだけど」
目の前の彼女はそう切り出した。
態度や表情からは余裕が感じられる。察するに、敗北続きの私と違ってこの人は、一勝はしている。
そんな人物が一体何を聞きたいのだろうと、私は疑問に思った。
「ちゃんと答えてもらってなかったから。あなたのその公開カード、ゲーム前の"アレ"が原因?」
ゲーム前のアレ。
私がカードを落として、彼女に見られたアクシデントの事。
そう。彼女の言うように、このカードを公開している理由は、見られたから。
けれど、正直私はどちらを公開すべきかなんて問題は、分からなかった。
どちらを公開してもメリットもデメリットもありそうで、どちらでも良かった。
結局、私は"見られたから"という理由で"3"を公開カードに選んだ。
2戦を経た今となって、ようやくもう片方にしておけば良かったかと考えているが、今更どうだっていい。
それよりも、どうして勝負にも関係ない事を聞くのか。
私は不思議に思いながらも、素直に答えた。
「はい。でも、後悔しています。もっと考えて選べば良かったなって」
「そう? 私はあなたのそのカードのおかげで助かったけど」
彼女は肩を竦めながら笑って見せる。
私と対戦した訳でもないのに、私が役立った……?
どうやらまた私は、知らず知らずのうちに利用されていたらしい。
「お礼を言いたくてね、それだけ」
彼女はそれだけ言うと、バイバイと手を振りその場を後に歩き出してしまった。
「あ、良いこと教えてあげる。"他人のカードはよく見ておく"事よ。じゃ、また気が変わったらね」
一瞬振り返り、そう言い残して黒髪の女は歩いていく。
一体、何が目的だったのだろう。
礼だけ言われて、アドバイスらしき発言を残して立ち去っていく。
そのアドバイスだって、私でも分かっているような事だ。他のプレイヤーのカードを全員見たし、だからこそ今考えて、迷って、どうやったら勝てるかを苦悩しているのだ。
私は去って行く彼女をただ眺めていた。
最期の言葉が脳裏で反響する。
ふと彼女の背に揺れるボードが、目に留まる。それは些細な違和感だった。
「……?」
公開されているカードに、意識が向いた。
確か彼女は初め、ダイヤの"10"を公開していたはず。
しかし、今彼女のボードにあるカードは、スペードの"K"に変わっている。
……あぁ。途中で公開カードを変えることも出来たのか。
ルールにも、ゲーム中に公開カードを変えてはいけない規定は無かった。賢いなぁ。
きっと、彼女のような人物が最後まで勝ち残るんだ。
私も見られてしまったカードに固執せず、変えていればよかったのかな。
「……あれ?」
私は再び違和感を覚える。
なんで? どうして今になって、それも"K"なんて端の数字を公開するんだろう。
端の数字であるほど、勝負は合意しづらくなる気がするのに。その事に気が付いていない?
いや。あんな人が、私でも気付くような事を見落とす気はしない。
私が何か、気付いていない?
……。
………!
次の瞬間。ネイロは大きく目を見開いた。
合計数は、10+13で『23』。私の合計は、3+8=『11』。
彼女の手札は、私の手札の2倍以上だ。
彼女の言葉が、脳で再び反響する。
「……あっ、あの!」
ネイロは叫ぶようにして、黒髪の女を呼び止める。
彼女の足が止まった。
「た、戦って下さい、私と!」
彼女は、ゆっくりと振り向く。
「気が、変わりました!」
私はその言葉を、ようやく口にした。
黒髪の女は、優しく微笑んで、頷いた。
「いいわよ、『合意』ね」
彼女はそう言って、黒服に目配せをする。
この瞬間、勝負が成立した。私の、最後となる第三戦の勝負が。
「さ、行きましょう?」
彼女は私の手を取り、隣の部屋へと向かう。
何故、彼女は私を誘うのか。私には何も分からない。
けれどこのチャンスを逃してはいけないと、私は本能が訴えていた。
三度目の薄暗い隣室は、しかし不安と恐怖を煽る黒ではなく、落ち着きを感じる黒に感じられた。
「あの、ありがとうございます」
「?」
彼女はとぼけた様に首を傾げる。
私には分かる。"K"をわざわざ公開するメリットは、きっと無い。
ただ私を、助けるために。彼女は私に声を掛けたんだ。
「どうして、こんな事してくれるんですか?」
「私のためよ。見返りも、お礼も、何も期待してないから安心して」
澄ました顔で、彼女は答える。
見返りもいらない。その言葉は安心できる反面、少し寂しく聞こえた。
そして自身のためだという動機に、相変わらず理解の及ばない相手だと、私は思った。
「あの。お名前を聞いても良いですか?」
私は、ふと尋ねる。
彼女は快く、その名前を告げた。
「十黒。十黒犬子よ。呼び方は『犬子』でも『クロ』でもいいわ」
私を助けた、人物の名を。私は何度も反芻し、胸にしまい込んだ。
「ありがとうございます。犬子さん」
私はもう一度だけ礼を言い、黒服と犬子さんと共に、ボックスルームへと入った。
──────────
「それでは、ボードをご準備ください」
黒服の声が掛かる。
私は首から下げていたボードを外し、テーブルへと置いた。
「犬子さん。最後に一つだけ、いいですか?」
彼女は、手首に巻いた紐を外しながら、ええ、と答える。
「あの時。ゲーム開始前の時に、『あなたと勝負する事はなさそう』って言いませんでしたか?」
私は不思議に思い、尋ねる。
すると彼女は、フフフと笑った。
「やっぱり聞こえてたの。ええ、言ったわ」
彼女はボードをテーブルに置きながら、淡々とその意味を語った。
「『勝負』とは、勝敗がまだついていない事柄に対して、客観的に勝敗を確定させる事をいう。だから、勝敗結果が確定したものを『勝負』とは呼ばない」
彼女は私に近づき、耳元で囁いた。
「私はあなたの手を知っていたし、あなたも今や私の手を知っている。非公開情報も駆け引きもない。だからこれは、『勝負』ではないのよ」
彼女はくるりと反転し、元の位置へと戻った。
『あなたの手を知っていた』という発言から察するに、私のカードは両方見られていたのだろうか。
真相は分からないまま、準備は整い黒服によってショーダウンが告げられる。
カードを公開する直前、『最後までちゃんと疑いなさい』と彼女は口にした。
瞬間、私はぞっとするほど嫌な予感に包まれる。
全く疑いを持っていなかった私はその言葉に、また騙されたのかと直感的に思った。
しかし既に、勝負は始まっている。
私の見たカードは偽物だったのか? いつ、なにを騙されたのか?
皆目見当が付かず、ただ泣きそうになりながら捲ったカードは、しかし予想を裏切る事はなかった。
「サンダールゥ様、合計『11』。十黒様、合計『23』。勝者、サンダールゥ様でございます!」
黒服がネイロの勝利を告げる。
見ると、彼女は悪戯じみた笑顔を浮かべている。
それは彼女の最後のアドバイスだった。
「おめでとうございます。サンダールゥ様、ゲームはクリアとなります。また両名とも三戦を終えましたので、案内に従い退室をお願い致します。ボード等はこちらに置いたままで構いません」
黒服はそう告げ、扉を開けた。
こうして、あっけなく勝負は終わったのだった。
──────────
「こちらで少々お待ち下さい」
私たちは、建物の表で各棟の看守が迎えに来るのを待っていた。
ゲームが終わり、私たちは元の収容棟へと帰る。
ただ、戻るのだ。割り当てられた部屋に。何でもない日常に。
どうにも十黒犬子という人物が気になり、私は何度も待っている間に横目で見てしまう。
白く透る肌に金の瞳。漆黒の髪は頭の両側で結ばれ、肩の近くまで垂れている。
切れ長な目に、落ち着いた雰囲気。しかし笑った時の軽やかさやしなやかな動きは猫のようなイメージだ。
「気にする必要はないわよ。あなたを利用して私は勝つだけの力を得た。だから得た力の余りを、あなたに返しただけ」
視線に気づいたのか、彼女は困ったような顔でそう言って、私の頭を軽く撫でる。
決して何か不安に思ったりはしていないのだが、私を気遣ってかそんな言葉をくれた。
「何事も勝ちすぎるとよくない。そういうものだから」
彼女はそう呟いて、小さく笑った。
普段のクールな雰囲気と異なる、華の舞いそうな可愛らしい笑顔に。
心なしか、私の胸が高鳴ったような気がした。
そしてこれが私、ネイロ・サンダールゥが見た十黒犬子という女性の、最後の姿だった。
伝え聞いた話によれば、以降ゲームは何度か行われたようだ。
私はといえば、第二戦として行われた違う刑務所のプレイヤー達と混合のゲームで、あっけなく敗北した。
得られた減刑は刑期の10%にあたる6カ月分。
元から勝ち残る事は難しいと思っていただけに、妥当というか、よくやったと納得できる結果だった。ほとんど犬子さんのお陰とも言える。
ゲーム時の説明では、現在各所でゲームが行われているとの事だった。
犬子さんの姿は同室にはなく、きっとどこかで同じようにゲームをしているのだろうと思った。
その後の噂によれば、彼女は勝ち続けているとも、どこかで消えた、つまり敗北したとも聞いたものだが、私は信じている。
彼女なら、きっと最期まで残るだろうと。
あの日。『2on1』というゲームにおいて、動揺や焦りを一切見せず、悠々とプレイしていた人は彼女一人だけだったから。
そして一ヶ月後。
ゲームに参加したプレイヤーには、ある情報が告げられた。
ついに一人の最終勝者が決定した、と。
2章完結です。
続く3章は短く終わる予定。3話くらいで4章いけるといいな……。