第十話 第三の代償
「私と勝負してみない? "A"と"2"だと思うのよね、あなたのカード」
私は勝負に誘う。
最初から、私の目的は変わっていない。
勝利を得る。勝てる相手から、勝つべくした勝利を。
「意味が……分かりません。勝負の話も、あなたの妄想の話も。トランプの厚みですか? きっと見間違えです」
「あなた以外に誰も"A"と"2"を持っていない現状が、ただの偶然だと言うのね。ねぇ、あなた以外のプレイヤー20人にカード40枚を配って、残りの使用しないカードは12枚。その中に偶々"A"と"2"の8枚全てが残っている確率って、どれくらいかしら?」
「知りません……。でも0じゃないです。それに、本当にそうとも限りませんよ」
彼女の言い分は苦しい。
「いいわ。じゃあ、言ってみようかしら。今この場で」
私の言葉に、彼女とそして傍に控えていた黒服がピクリと反応した。
あぁ。非公開カードについての情報の取り扱いルールね。
「例えば、『このゲームは仕組まれている! 手札が有利になる"A"や"2"は、私たちには配られていないのよ! 勝者は既に決まっていて、主催者側にもう選ばれているの。彼女のように! 彼女には誰も勝てないもの! こんな不公平にゲームに、"意味なんて無い"んだわ!』なんて、取り乱すようにして叫ぶの」
大袈裟に言ってはいるが、嘘は一つしか言っていない。
「このゲームに、意味は無い」。この言葉だけは嘘であるが、もはや誰も否定する事はできない。
運営側が「事実、仕込みはあるが決して意味を無くしてしまうものではなく……。」なんて説明を入れる事は出来ない。
そして私の言葉を聞いたプレイヤーたちは、自分の手札を再確認し、その後に周辺のプレイヤーの様子を見て、互いに"A"や"2"が無い事を察する。
ゲームには既に選ばれた者がいるという認識は、プレイヤー達からモチベーションを奪う。
減刑という美味しすぎる話にも疑惑が生まれ、ゲームによる選出という裏にあった意図すら機能しなくなり、やがてゲーム自体が成立しなくなる……かもしれない。
いずれにしても、運営側にとっては致命的な暴露になる。
「それは……」
彼女は言い淀む。
黒服も、明確にルールに触れていないためかアクションこそ起こしていないが、明らかに動揺している様子が見て取れた。
しばらく俯いていた彼女は、やがて大きくため息をついた。
「はぁ。もう、いいです。やめてください」
吐き捨てるように、彼女、アリアはそう言った。
そのまま前髪を掻き上げ、大きく息を吸う。
「それで、十黒さん。あなたは何が目的なんですか? 私が調整役だったら、何なんですか?」
先ほどまでの曖昧な態度と打って変わり、彼女は装う事なく敵意を滲ませた瞳で私を睨みつける。
彼女が、その存在を認めた瞬間だった。
「そんな顔もするのね。素敵じゃない」
私はついそんな言葉を口にする。
明らかに怒りを含む表情を浮かべつつ、彼女は落ち着いたトーンで続けた。
「私にはバレてもペナルティはありませんが、ゲームの進行を妨げる行動は看過できません。目的を教えてください、可能な限りは協力しますから」
「んー。それはさっきも言ったけど」
「もしかして勝負、ですか? その数字を公開しているあなたは私のチェック対象ではありましたが、『運に頼ったプレイヤー』ではないと、もう十分にわかりました。勝負をする必要はないです」
彼女は呆れたように言った。
律儀にも私がアリアの誘いに受ける責務を果たそうとしている、と考えているようだ。
「違う。違うのよ、"私が"勝負したいの」
やっぱり意味が分からないですと、首を振りながら彼女は訝しむ様子で私の顔を覗き込む。
「……負けたいんですか?」
「いいえ。負けるのはあなた。代わりに私はあなたの秘密を誰にも言わず、何も無かったようにこのままゲームをクリアする。それだけの話よ」
「脅しですか。やり口が非情ですね。……私からすれば拒否権はありません。と言いたい所ですが」
「あら? ネイロ……あの"3"を見せていた子は既に一敗したと聞いたし、合計数もあなたの排除対象ではないのよ? 他にあなたがチェックすべき人間もいなさそうだし、別にあなた自身が勝ち残る必要もないのでしょう。手が空いたなら付き合ってくれても良いじゃない」
「いえ、負けるのは構いませんが、あなたの非公開が何であれ、私はその、勝ててしまうんですよ?」
なんだ、そんな事。
私は彼女の耳元に寄り、───にあるでしょ、とだけを囁いた。
近くの黒服が訝しんでいたが、アリアが目立たぬよう片手を上げ動きを制止させる。
「と言っても、それ自体聞いてなかったかしら?」
「いいえ。分かっているので大丈夫です。えっと……」
そう言って彼女は顎に指を当て、記憶を辿り始める。
やがて答えに行き着いたのか、彼女は冷めた目で私をじっと見つめた。
「その公開カードを見た時から思ってましたけど。十黒さん、あなたは正気じゃないですね」
「交渉成立ね。それじゃあ、私が次に『勝負』という言葉を口にしたら合図だから。よろしく」
「……後悔しても知りませんよ」
彼女は黒服に勝負の合意成立を告げた。
頭上にいくつも?マークを浮かべてそうな顔で、黒服がたどたどしく案内を促す。
そうして私達は、隣室へと移動した。
──────────
ゲームも白熱してきた頃合なのか。
一度目とは異なり、全6室のうち他の5部屋には明かりが灯っている。
私たちは、使用されていない最後の一部屋へと案内された。
扉が開けられ、黒服に続き私とアリアが部屋に踏み入る。
部屋の内装はどうやらどの部屋も全く同じのようだ。
背後でガチャりと、扉の閉まる音が響いた。
黒服がテーブルの横に立つ。
指示に従い、テーブル越しに私とアリアは向かい合った。
「それではボードをテーブルにご準備ください」
アリアは紐を外しボードをテーブルに置いた。
蓋に手を掛け、カチリと留め金の外れる音が響く。
「ご準備ください」
手首に掛けた紐を解く途中で手を止めた私に、黒服が催促する。
私はええ、と返しながら、再び手を動かす。
「互いにゲームに合意して、この部屋に入った」
誰ともなく話し掛けるように、私は呟く。
私を見つめるアリアと、眉をひそめながら様子を伺う黒服を横目に、私は続ける。
「勝負は成立し、あとは決着を待つのみね」
私はテーブルに置いたボードの蓋を開けた後、テーブル沿いに一歩アリアへと近付く。
「さぁ。それじゃあ『勝負』、しましょうか」
目線を合わせるよう少し屈み、ゆっくりと私はアリアに宣戦布告を告げた。
アリアがごくりと唾をのみ、きつく私を見据える。
「覚悟、してください」
アリアの低い声が、鼓膜を揺らす。
次の瞬間、重心を低く構えた彼女が大きく一歩を踏み込み、上半身を傾けながら固く握った拳を横殴りに振った。
お手柔らかにね、と。言っておけばよかったかしら。
脳が弾けるような衝撃と、体が一瞬浮く感覚。
左頬を思いきり殴られた私は、後方へと飛び肩から壁にぶつかった。
数歩よろめきながら、何とか踏みとどまったが、唇を切ったのか口の端から血が数滴、滴った。
「ジャックス様! お止めください!」
意識がふわふわとする中で、黒服の男の叫ぶ声が聞こえた。
あぁ、この様子なら、問題なさそうだ。
"酷い有様だな"
獣が憐れむように、私に語り掛ける。
いつもでしょ。組織に居た時も。多少の無茶はやってきた。
"目的のための手段に、躊躇がないのは昔からだったが。見てて飽きないな、お前は。"
獣は満足そうに笑っている。
仕組まれた手札を持つ、ルールの外にいる存在。そんなアリアに私が勝つ方法は、皮肉にもルールの中にあった。
しかし私は彼女に、『ルールにある』としか伝えなかった。
厳重注意のいざこざで収まってしまっては困るのだ。
だから、すぐに止めが入る勢いで殴りきった彼女の行動は、期待通りと言える。
"……何も考えず、私怨での勢いだけかもしれないがな"
それは……否定できないが。違うと信じたい所だ。
結果的に、事が運べば良い。
「なぜ、このような事を!」
アリアの両腕を押さえつけながら、黒服が問い詰めている。
想定外の、それも自分たち運営側の人間の凶行に慌てているようだ。
「……」
アリアは何も答えない。
私はズキズキと痛む頬を抑えながら、何とか壁に寄りかかりながら立ち上がる。
扉が開き、何事かと控えていたもう一人の黒服が中に入ってくる。
アリアを抑えていた黒服の指示の元、アリアはもう一人の方に連れていかれた。
再び扉ががちゃりと閉まり、静けさが訪れる。
「大丈夫ですか、十黒様」
項垂れままの私に、黒服が近付く。
「普通、私の心配が先なんじゃないの。アリアを問い詰めるよりも」
「あっ、その……」
しどろもどろになる黒服に呆れながら、私は確認しなければならない事項を尋ねる。
「まぁいいわ。それよりも聞きたい事があるんだけど」
「えっ、はい!」
黒服は名誉挽回のためか、意気込みのある返事をする。
「『勝負は成立した』『勝負を行う部屋にも入った』『蓋も空けられた』。ここまで来て、対戦相手が『失格』となった。ルールでは"行為が見つかり次第敗北となる"だったかしら」
面白い程に、黒服の目が見開かれていく。
「ねぇ。勝敗はどうなるのかしら? 一戦目で『入室後、勝負の取り止めはない』とも説明を聞いているのだけど」
「……」
この状況は想定になかったのか。
或いは、私の目論見に気付き、回答に躊躇したのか。
一瞬間を置いて、黒服は冷静に答えを述べる。
「勝負成立後の対戦相手不在となり、十黒様の勝利でございます」
「そう、殴られた甲斐があるってものね」
私は一息つきながら、ついでに残り2つの確認も済ませる。
「ところで、この事例って勝利パターンにはないのだけど。私はこれでゲームクリアになるのかしら?」
黒服は今度は淀みなく、回答する。
「はい。今回の勝利も、1カウントとなります。イメージとしては、勝利カウントが2になればクリアとなります。そしてBパターンによる勝利は一勝で2カウントという扱いです」
「分かったわ、ありがとう」
私はテーブルへと戻り、自身のボードの蓋をそのまま閉じた。
向かいには、退室していったアリアのボードが残されている。
いざこざのせいか、ボードの蓋は取れ、中のカードもテーブルに溢れていた。
カードは2枚とも、表を向いている。それはクローバー『2』と。
──ダイヤの『A』だった。
「ふふっ」
あの時。私が最初にカマを掛けた、あの瞬間。アリアは一体どんな気持ちだったのだろう。
「どうかされましたか……?」
「いいえ。何も」
再び手首に紐を巻き付けながら、私は黒服に最期の確認をする。
「3戦を終えたら退室しなきゃいけないのよね?」
「はい、我々が最後まで案内させて頂きます」
「でもゲームをクリアしたプレイヤーの退室は、任意。合ってる?」
「……そうですね。十黒様はまだ2戦目です、もう1戦するまでは退室されなくても構いません」
「安心したわ」
勝負部屋を退室すると、控えの医療関係者と思われる女性が駆けつけてきた。
その場で消毒と軽い手当をされた私は、続行の意思を告げ元の大部屋へと戻った。
黒服に聞いてみると、アリアは退場となったそうだ。
最も、彼女は役割をこなしている以上、運営している組織からの大したお咎めはないはずだが。
私が脅しましたと、後で口添えするとしよう。殴ってもらったお礼をしなければならない。
「さて」
深呼吸をした私は、最後に残された仕事を果たすべく歩き出した。
それは私が私であるための、誇りをかけた最期の戦いである。
読んでくださりありがとうございます。
個人的には伏線というものが好きで、小説や漫画で見事な回収シーンを見ると脳汁を溢れさせながら大興奮します。
「私もいつかはああいうのが書きたい」とつぶらな瞳で憧憬の念を抱くのですが、いざ仕込んでやろうと思うとこれが難しい。
意気込み空しく諦めもありながら、所々に種を植えているのが本作品です。
改めて読んでいただくとまた違った楽しみ方ができる、そんな作品を目指しつつ。
面白い頭脳ゲーム作品を書いていきますので、今後ともどうぞ、宜しくお願い致します。