第一話 憂鬱なポーカー
とある世界。
中央大陸に一大国家を形成する『クイーンド』王国。
複雑に入り組む王城内を、二つの人影が急ぎ足で移動していた。
「ねぇ、シロクマ。次の相手は誰だっけ?」
コツコツとヒールを鳴らし、荘厳な大理石の廊下を歩くのは、可憐な顔立ちに赤い瞳を持つ少女。
薄っすらと金の混じる白銀の髪は留められる事なく腰まで掛かり、歩く振動に合わせてふわりふわりと風に揺られている。
身に纏うドレスは淡い青を基調としたスレンダーな白で、モデルのような均整の取れたシルエットを顕わにしている。
一方『シロクマ』の名で呼ばれた人物は、彼女の一歩後ろを歩く執事服に身を包んだ初老の男性であった。
白に染まる頭髪に、汚れ一つない漆黒のスーツを纏う長身。年齢を思わせないしっかりとした体躯。
紳士の気品を感じさせる立ち姿は、男が王族に仕える一流の執事の証左でもある。
シロクマは、片目のみに掛けた眼鏡の奥を光らせながら答えた。
「ええ。次はポーカープレイヤーでございます、セレスお嬢様」
セレスと呼ばれた女性はふーんと呟き、悩まし気に口を尖らせた。
込み上げる僅かな期待と、幾度となく繰り返した失望の苦い思い出に苛まれて。
ポーカープレイヤーとは、トランプを用いたゲーム「ポーカー」を嗜む者の総合的な呼び名であり、特に大会の賞金や賭博場での勝ち分で生計を立てるプロのプレイヤーを指す事が多い。
今では一般的なゲームの一つとされているポーカーだが、このクイーンド王国における歴史はそれほど長くない。
およそ百年程前、突如としてこの世界に「トランプ」と呼ばれる遊戯が流行し、以降定着した。
トランプは4種類のスート(模様)にそれぞれ1~13の数字とジョーカーの札によって構成される。
中でも1は「A」、11は「J」、12は「Q」、13は「K」と表示され、絵札と呼ばれる「J」「Q」「K」にはそれぞれ、王子、女王、王の姿が写っているのが一般的である。
この札を用いたゲームは多種多様な広がりを見せ、現在でも日々新しいゲームが考案されている。
最も、セレスの考えるトランプの面白さは多様性のあるゲームという他に、数十年に一度、その構成が変化する事にあるのだが。
瞬く間に爆発的な人気を博したトランプは百年を経た今でも人々を熱中させているが、その明確な由来は謎に包まれ、無名の誰かが発明したとも、異界より伝播したとも噂されている。
代表的なトランプゲームの一つであるポーカーは、大会が行われるほどの競技性があり、賭博の場に不可欠と言われる程の誰もが知るメジャーなゲームである。
セレスもまた、国内でも相当な人気を誇るこのポーカーをこよなく愛するプレイヤーの一人だった。
この後に控える相手がポーカープレイヤーと聞き、少なくない期待と僅かな高揚感があったのはそのためである。
セレス――セレスティア・ナナ・ホワイト――は、このクイーンド王国の王女である。
専属の執事であるシロクマにはお嬢様と呼ばせているものの、彼女は正統な王族の娘の一人であった。
そんな人物が、忙しなく城内を歩いている事情には背景がある。
彼女は王国が直面している一つのトラブルに対処するための、つまり、『戦争』にあたっての人選を、今まさに行っている最中だった。
およそ6年前。この星に小さな隕石が落ちた。隕石はいくつかの国々に隣接する大海に落ち、そして新たな陸地を生成した。
これを発端に王国と隣国の帝国との利権争いが勃発。決着はどれほどの交渉を経ても付かず、度重なる不毛な争いに国のコストは増える一方だった。
痺れを切らしたクイーンド王国の女王は、半年程前に、遂に戦争を表明するに至った。
戦争とは、交渉の一つである。
だがそれは、クイーンド王国のみならずこの星において死や破壊を伴う暴力的な行為ではなく、知能によって優雅に戦い競うものとされている。
戦争では、小道具を使ったテーブル上で完結するゲームから一定のエリア全てを使った大規模なものまで、ありとあらゆるユニークなゲームがその都度定められ、当事国の代表者同士が対戦する事となる。戦争で用いられるゲームは、加盟国によって設立させた『国際交渉規定組織』、通称『TTT』が提供する事とされている。
TTT組織は戦争当日にゲームルールとプレイエリアを公開し、一度きりの公平なゲームがそこで執り行われるのである。
そしてゲームの勝敗により、戦争は決着する。
謀略を張り巡らせ、高度な駆け引きと思考力によって勝敗が決まる。
それがこの星での戦争の形である。
王国は帝国との合意の上、両国の代表者による戦争を行う事とした。
国を代表する者は国の担い手、『国ノ手』と呼ばれ、戦争を個人で代理する。
国ノ手に選ばれるのは、誰よりも知能が高く、どんなゲームでも勝利に導く事ができる強者である。
かつて、クイーンド王国がまだ小国であった頃。『伝説の国ノ手』と呼ばれた男がいた。
幾多の戦争に圧倒的な能力で勝利し、今の大国にまでのし上げたこの国の英雄である。
彼に憧れた者も多く、「ギャンブル好き」というクイーンド王国の国民性はここに起因するとも一説では言われている。
国民にとって戦争とは、危機感も薄い、ある種のお祭りのようなものでもあった。
各国を代表する国ノ手同士の熾烈なゲーム。勝てば何かを得、負ければ何かを失う。そこに国民達は熱狂し、沸き立つのだ。
今回の戦争もまた同様であり、城下の街では戦争の発表後からお祭りムードが続いている。
しかし、戦争まであと2か月となった現在。クイーンド王国は未だに国ノ手の選出に難航していた。
人選に時間を要している理由は、大きく2つある。
1つ目は、単純にギャンブル好きが多い国民性ゆえか立候補者が多く、想定以上に選抜に時間が掛かる事。
そして2つ目の理由。それはこの王女セレスにあった。
「ポーカーねぇ……。シロクマ、詳細を教えて?」
シロクマは、セレスの質問の裏にある意図を察する。
彼はセレスに長年に渡って仕えている。そのため、彼女の悩みも誰よりも理解していた。故に、彼女が対戦相手に憂いている事を察するのも、難しくは無かった。
シロクマは手にした資料をめくり、詳細を補足する。
「ポーカー界の期待の新星と巷では騒がれているようです。先のホールデム(※1)の大会ではあの『国内最強』『生ける伝説』とも言われたリチャード氏にも勝利し、見事優勝を……」
話を聞いていたセレスは、歩く速度を緩やかに落とし、やがて立ち止まると溜息をついた。
そしてシロクマの声を遮るように、彼女は左手を軽く上げた。
「知っているわ、シロクマ。名前は"アックス・レイ・ドラコ"。スラム出身の23歳、ポーカー歴2年で優勝を成し得た天才。プレイスタイルはルーズアグレッシブ。優勝時のハンドはオフスート8-K(※2)」
シロクマはこれから伝えようとしていた情報をセレスが既に知っていた事に、少しばかりの驚きの表情を浮かべる。しかし、それも当然かという納得した様子で微笑んだ。
「流石はセレスお嬢様。つい最近のニュースまでご存じのようで」
「だって、先週に人選で相手にしたばかりよ、そのリチャードと。彼は対戦中にいくらか話しをしてくれたわ。最近の戦術とか、流行りのチップブランドなんかも。それから、今のポーカー界に"自分より見込みのある青年がいる"って話とか。でも……」
セレスは思い出話のように楽し気に語っていたが、明るい声はだんだんと小さく、最後には呟くような声となる。
それは退屈そうに、つまらなそうに、彼女の口から語られた。
「結局リチャードが、私に勝つことはなかった」
人選が定まらない2つ目の理由。
それは、"誰も王女に勝てないから"である。
彼女の頭脳は、異才そのものであった。
きっかけは幼少期に遊びで始めたカードゲームだった。
ルールを教えて数戦の後、次第に執事・メイドの誰もが勝てなくなっていた。
以降、彼女のゲームの才能は開花する。
元々この星では戦争のルールもあって、王族においても知能の高さによって次の承継が決まる事も多い。
そうした中で一際優秀な人物が王族にいる事自体は決して珍しくなかった。現女王もまた、そうした人物の一人である。
けれど、彼女は過去最高峰と言われる程の逸材だった。
幼少期から刺激を求めては城を抜け出し、城下町の賭場に紛れ込む事数知らず。
面白そうなゲームは見聞きする度に片端から試し、来る日も来る日も暇さえあればゲームに興じていた。
相手の心理を探り、盤面を余すことなく俯瞰し、数手先を読み、勝敗条件を満たすための戦略・戦術を編み出す。
貪欲なまでの勝利への渇望と、そこへ必ず辿り着く力を持ち、その力は日々磨かれていった。
彼女の好きなポーカーにまつわる、こんな逸話がある。
城に新しく使用人を迎え入れたところ、その人物は元プロのポーカープレイヤーだった。
本人もかつてはポーカーで腕を鳴らしていたと豪語しており、王女は早速ゲームに誘った。
その夜、王女はその召使いにポーカーで敵う事はなかった。王女は悔しがりながらも、ポーカーの奥深さに触れ大層喜んだ。
翌日、王女は再び勝負を挑んだ。その翌日も、その次の日も。次第に、王女が勝つ回数は増えていった。
そして数日が経ち。その召使いが勝つことは全く無くなった。
王女が10歳の時だ。
彼女は今や、プロのポーカープレイヤーとも対等に渡り合える力があると、シロクマは考えている。
シロクマのみならず、他の執事やメイドたちもそう考えているだろう。
王女の強さに敵う相手は早々には見つからないとも。
いつからか王女の身の回りに付く者には、完璧な業務遂行能力以外にもう一つの要件が追加されていた。
それは"ゲームに強い事"。突発的に、断続的に、無制限に。王女はゲームを求めるからだ。
せめて王女が退屈しないよう、少しでも相手が務まる事。ゲームへの強さこそが重要な条件であり、現在の専属付き人であるシロクマもまた、王女を除き、この城で頭脳の優れる有数の人物の一人であった。
「左様でございましたね。これは失礼を」
シロクマは、彼女の異才を誇りに思うと同時に、残念にも思うのだ。
今は王女の責務として、候補者と対面しゲームを行っているが、恐らくは退屈が占める割合の方が多いのだろう。
せっかくのゲームを対戦できる機会だというのに。彼女の期待は大抵裏切られ、そして彼女は悲しむのだ。
現に対戦室へと向かうセレスの横顔は、これから始まるゲームへの期待もなく、楽しみの輝きを失った、曇り空のようだった。
「しかし何事にも、想定を超えうる可能性というものもございます」
セレスの様子に気遣ってか、シロクマはにやりと笑って見せた。
「いずれはセレスお嬢様の望むような方と相まみえる事を、私も祈っておりますよ」
「ふふっ、ありがとうシロクマ。けれどその言い方では、"自分はもう諦めている"という風に聞こえるけれど?」
「おや、老人はいたわるものと習われなかったのですかな。まるで老骨に鞭を打ってでも"まだ諦めてくれるな"と、そうおっしゃっているように聞こえますが」
一瞬の沈黙の後、二人はクククと笑い出した。
シロクマは誰よりもセレスを傍で見守ると同時に、誰よりもセレスのゲーム相手をしてきた人物である。ゲーム性や運の要素などによって勝てる事はあれど、到底"対等な相手"と呼べるほどの実力でない事は自覚していた。
なればと今回の人選に伴い、国の為だけならず、いくらかセレスと対等に並ぶような相手が見つかる事を心から祈るのは、シロクマの本意であった。
せめて一人だけでも。セレスの相手が務まる者を。優秀に過ぎるほどの人材を。
今年でまだ16歳となるばかりの若いセレスに、ましてや国の王族たる王女に、戦争の大役である国ノ手を担う事は許されない。
国ノ手に憧れを抱く者は多いが、英雄視や称賛は勝利を掴んで初めて得られるものである。
あまり表立って語られる事はないが、敗北した国ノ手は酷く恐ろしい結末を迎える事もある。国民の反感を買うリスクもあるし、戦犯扱いで処される国もある程だ。
戦争の国ノ手には、必ず勝利しなくてはならないという重責が付きまとう。
その手は国のために傷つきながら戦い続け、汚れる事もある。故に王族が担う事は、許されない。
だからこそ、彼女は『選考側』としてその能力を発揮する立場にあった。
いくつもの選考を経て、最後まで残った優秀な候補たちは、王女と直接ゲームを執り行う。そしてゲームの結果や王女と執事のシロクマ、そして女王の付き人であるメイドの三人の総合的な見解によって評価されるのである。
しかし。
稀代の天才とも謳われるセレスのゲームセンスと勝負強さに勝る人物がいないのもまた、事実である。
1つのゲームのエキスパートであれば、そのゲームにおいてのみ勝利する事は可能である。ポーカーやバカラ等、プロであればセレスに勝る事はそう難しくない。
だが、戦争を行う際のゲームルールは国際組織TTTにより当日初めて発表される。
求められるのは瞬発的な発想力、優れた心理戦の能力、戦局の先読みができるセンス、戦略・戦術の構築力、等々を含む総合力である。
つまり、ありとあらゆるゲームに柔軟に適応し勝利できる能力。
この点において、ここ4ヶ月の人選でセレスに勝る者は未だいないという結果なのである。
セレスは今日も人選に勤しむ。
国に勝利を齎す為の、最善の国ノ手を用意するために。
そして、自身が満足できるような勝負を求めて。
「着きました。本日はこちらの応接室での対戦となります」
シロクマが懐中時計を確認し、時間通りの到着である事を確認する。
「……強いと、いいわね」
瑞々しい唇から零れた言葉はまるで、願い事を口にするあどけない少女のようであった。
だがそれも一瞬の出来事で、よし、と気を引き締め、セレスは裁定者としての気構えを整える。
「それでは、ご武運を」
どうか、強き相手と巡り会いますように。
そうシロクマは心で呟きながら扉を開く。
王女セレスと、執事シロクマが対戦の行われる部屋へ入室し、そして扉は閉められた。
※ホールデム
ポーカーの一種、テキサスホールデムの略称。日本ではファイブポーカーが一般的ですが、世界ではこちらの方が一般的だそうです。
※オフスートXX
ホールデムをプレイする上でのゲーム用語。詳細についてはお調べください。
後書き:
作中のゲーム名や用語、戦略。今後出てくるオリジナルゲームのルールもそうですが。
調べる必要はありません。雰囲気だけ楽しん頂ければ、それで十分です。
それでは、長くも短いひと時の物語に。どうぞお付き合いください。