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年輪バームクーヘン(作:白雨)

「まるで私の人生みたい」

 ふと、彼女はそう呟いた。右手に持った個包装のバームクーヘンを見る目は、どこか自嘲的な雰囲気を湛えていた。

僕の漏らした「へ?」という間抜けな音に、彼女は少し驚いたように口を押えた。どうやらその言葉は、彼女としても意図せず口にしたものだったようで。

 内容に、というよりも、突然の呟きに条件反射で飛び出ただけの声だったが、彼女の言葉を反芻してみると、なかなか日常では聞かないことを言っている。

どういうことかと聞くべきか、何も聞かなかったことにするべきか。僕がそれを決めかねているうちに、彼女は口元から手を下ろした。どうやら、どういうことかを話してくれるようだ。

「このバームクーヘン。私の人生みたいだなって」

 包装のビニール袋を破いた彼女は、女性が一口で食べるには少し大きいであろうそれを、しかし、一息で口の中に放り込んだ。

このバームクーヘンは、さっき顔を出した部長がお土産だと言って部室に置いていった、ちょっとお高いものだ。少しばかり豪快すぎるように思えるその食べ方に、「勿体ないなぁ」と僕はぼやいた。

「……その心は?」

 彼女がもさもさと口を動かし、それを飲み込んでしまうまで待ってから、僕は問いを返した。

「んー……。ここ、かな」

 そう言いながら二つ目に手を伸ばした彼女は、バームクーヘンの内側――ホールならば穴になっているところ――を指さした。よくわからず首を傾げた僕は、その言葉を理解することをいったん横に置き、ひとまず目の前の事象を咎めることにした。

「二つ目はずるい」

「さっき部長が、一人一個だと二個余るって言ってたじゃん。今ここで私と君が二個食べちゃえばぴったりでしょ?」

「箱の隙間でバレるんじゃ」

「じゃあ、箱はもう捨てちゃおう」

 そう言うが早いか、箱の中身を机の上に出した彼女は、紙箱を潰してゴミ箱に捨ててしまった。僕が何かを言う暇もなく――まあ、別に注意も文句も言うつもりは無かったけれど。ちょっとお高い洋菓子なんて、そうそう食べる機会もないのだから、それが多く食べられるなら嬉しいに決まっている。

「はい、君の分」

 二片のバームクーヘンを手渡してきた彼女は、いたずらっぽく笑った。

「僕も共犯者ってこと?」

「特に文句はないでしょ?」

 一応挙げておいた抗議の声を一刀両断された僕は、「まあ、そうだけど」と素直に頷いた。

「ところで、勿体ないって?」

 彼女は二つ目を食べる前に、先程の僕の発言を掘り返してくる。

「一人暮らしだと、こういうお菓子ってそうそう食べられないでしょ。もうちょっと大事に食べたら?」

「ああ、そういうことね」

 得心が言ったというように頷いた彼女は、しかし、同じ行動を繰り返した。軽く息をつき、僕もバームクーヘンを口にする。

「確かにもったいないけど……好きなんだよね、一口で食べちゃうの。口いっぱいにおいしいものが入ってるって、幸せじゃない?」

「それは、わかるかも」

 「そうでしょ?」と言うように笑ってうなずく彼女。その得意げそうな顔に、僕は苦情を返した。

「バームクーヘンって、年輪みたいな模様があるでしょ?」

 彼女が口にしたそれが、僕の「その心は?」という発言に対するアンサーであることに、数瞬の後に気がついた。

 少し辛そうな、それ以上に寂しそうな表情を浮かべて、彼女は言う。

「切り株の生きて来た年数を表す年輪は、だけど真ん中がすっぽりと抜けてる。それが、私の人生みたいだなって」

 なるほど。僕は彼女の発言の意図を理解する。

 今でこそこうして平和に過ごしている彼女であるが、高校に進学するまでは非常に劣悪な環境に身を置いていたそうだ。

 曰く、家ではいわゆる毒親に苦しめられ、学校ではいじめの被害者となり。

 いつぞやに軽い口調で彼女が言っていた「私がそれなりに頑丈じゃなかったらとっくに潰れてたかも」というその言葉は、しかし、事実そうであったのだろうと思わせるものだった。

「今までの人生はからっぽで。私の人生は途中からスタートしてるんだろうなって、そんなことを思ったの」

 そんな彼女の言葉に、僕は返す言葉を見つけられずに黙って頷いた。

「まあ、そんな面白くない話! ほら、私達だけ多く食べたってみんなにバレないように、早く二つ目も食べちゃって」

 空気を切り替えるように、明るい口調で彼女はそう言った。素直に従い、二つ目の包装を開けたところで。僕は返す言葉、返したい言葉を見つけた。

「バームクーヘンの穴って、作るときは芯が入ってるんだよ」

「……? うん」

 僕の発言の意図を図りかねたか、彼女は曖昧に返事をする。

 僕の言いたいことは、気休めでしかないと分かっているし、彼女からすれば余計なお世話かもしれない。それでも、口にせずにはいられなかった。

「きっと、辛い日々でも、今はからっぽに見えても、その時を生き抜いたことがなくなるわけじゃないと思うんだ」

 彼女は目をぱちくりとさせる。対する僕は、続く言葉をうまく形にできず、半ばしどろもどろになりながらも、口を止められなかった。

「だから……その、なんていうかな。そんな日々でも、芯としてあるっていうか……土台っていうか……」

「……ふふふっ」

 そんな声を漏らしながら、彼女は柔和に笑った。

「ありがとね。嬉しいよ」

 その言葉で我に返った僕は、今更になって恥ずかしさに襲われる。おそらく、僕の顔は真っ赤になっているのだろう。柔和だった彼女の笑みが、悪戯っぽいものに変わっているのがその証拠だ。せめてもの抵抗として、僕は顔を逸らす。

「……多分、私はずっと、過去の私を肯定してもらいたかったんだと思う」

「へ?」

 恥ずかしさによる自己嫌悪に苛まれ始めていた僕は、それを聞き逃した。

「なんでもないでーす」

 そう返してくる彼女は、楽しそうに笑っていた。

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