おんりー・まい・なびげーしょん (作:井ノ下功)
「こんっの、ポンコツ!」
俺は周囲に誰もいないのをいいことに、思わず携帯に向かって怒鳴りつけていた。
返ってくるのは、人ではない声――
『ポンコツ、なんて死語ですよぉ』
「うるせぇ言い返すな!」
『申し訳ありません、言われたら言い返すようにプログラミングされておりますので』
「いらんところだけ高性能だな! それじゃあ本末転倒だろ!」
『うっ、痛いところを突かれました……私はキズモノにされました、責任を取ってください』
「語弊がある言い方すんなぁっ!」
まさか、機械と言い合いできる日が来ようとは思いもしなかった。俺は荒ぶる呼吸を整えながら、『言葉のチョイスに関しましては、創造主にお申し出くださいませ』と音符を散らして喋る、ツインテールのアバターを睨みつけた。
奴の名は《ロスト》――自称・歌って踊れる超有能ナビゲーションアプリ
道に迷った俺が偶然見つけたこのアプリ……可愛い女の子が楽しくナビしてくれるとあって、普通のマップじゃあつまらないなと思っていた俺は即座にダウンロードしたのだが、あぁまったく、とんだ通信料の無駄遣いだった。だいたい、『道に迷った』なんて名前が付けられている時点でアウトだと、先に気付けば良かったのだ。
―――このアプリ、ナビゲーターのくせに方向音痴だった。
四方三里を田んぼに囲まれ、民家は見えず、人影もなく、時間は夕暮れ時。超ド級のど田舎のど真ん中で、俺は一人、悲嘆に暮れる。
「どーしてくれんだよ、これ……」
『何かお困りですか?』
「お前の所為でな」
『お言葉を返すようですが、あなたは私に会うより前に、すでに道に迷われておりましたよね? 状況に変化はない、と結論付けますが』
「明らかに悪化してんだろーが、状況も分かんねぇのかよこの馬鹿」
『……馬鹿って言う方が馬鹿なんですー、ふーんだ』
ロストは唇を尖らせて画面の隅っこに体育座りをした。背景に青い縦線が入るあたり、あざといというか、芸が細かい。そういうことに気を遣っている暇があったら、もうちょいマシなナビしてくれよ……。
俺は大きく溜め息をついた。
「あー、もう、アンインストールするかな……」
『えっ?』
ロストが飛び上がった。
『ちょ、ちょっと待ってください! 早まってはいけませんよ! 短気は損気です! 私はまだ7ある機能の内の1つ《ナビゲーション》しか出していませんよ!』
「いや、ナビゲーション以外の機能って必要あるのか?」
『ありますよ! たとえば……機能その2《歌》! 皆でわいわい行く時も、一人寂しく行く時も、ぴったりの一曲をあなたにお届け!』
「じゃあ何か歌ってみせろよ」
『お任せください! それでは――』
ロストが目を閉じて、指揮者のように両手を振り上げた。すると、実にゆったりとした、か細い前奏が始まって――――ってこの曲、まさか……!
『と~おりゃんせ~ と~りゃんせぇ~』
「やめろっ!」
俺は即刻ストップを命じた。
『えっ、何でですか。せっかく興が乗って来たのに!』
「選曲が最悪なんだよっ! なんで“とおりゃんせ”なんだよっ?」
『今のあなたの状況にジャストフィットだと思ったのですが……』
「ジャスト過ぎだ! 怖すぎんだよ、もう完全に日が暮れちまってて―――」
俺は自分の言葉にぞっとして辺りを見回した。
完全に、日が暮れて―――真っ暗。
田舎の闇。
それを嘗めてはいけない。
外灯など一本もなく、自分の周囲1メートルから先は、前を見ても後ろを見ても、ただただ闇があるだけ。虫の声は聞こえるが、暗闇の奥底から響くそれは、いたずらに恐怖心を煽るのみである。
「やべぇ……早く、どうにかしねぇと……」
『どうされました? あっ、もう、随分と暗くなりましたね! それでは――』
と、俺の心境など欠片も分かっていなそうな明るい声で言って、指をぱちんっと鳴らしたロスト。瞬間、手元が強い灯りを放って、闇を丸く切り取った。
『機能その4《アシストライトの自動点灯》です!』
「……初めて、まともに役立つことしたな」
『お褒めに預かり光栄です』
褒めてねぇ、と俺は心中に吐き捨てる。
「他には、どんな機能があるんだ?」
『機能その3《踊り》、その5《豆知識辞典》、その6《万歩計》、その7《名言っぽいことを言う》――以上になります』
「うーわ、使えねぇ……ってか、7つ目の《名言っぽいことを言う》って何なんだよ」
『ネーミング通り、その時々に応じた言葉を、いかにも名言っぽく言う機能です。ご披露いたしましょうか?』
「あー、うん」
『では、僭越ながら――』
ロストは背景をローマのコロッセオに変え、わざとらしい咳払いを一つ。
そして、言った。
『歩き続ければ、いずれどこへでも辿り着く。すべての道は繋がっているのだから。大切なのは、どことも知れぬ場所へ向かうと知りながら、最初の一歩を踏み出す勇気と、歩き続ける覚悟を、持つことである』
あぁ、確かに名言っぽい。と、俺は思った。けれど、
「……要するに、ナビに頼るな、って?」
『解釈につきましてはご自由にどうぞ』
「丸投げかよ」
『放任主義なんですぅ』
ロストは澄ました顔でそっぽを向いた。
「……はぁ」
俺は深々と嘆息し、黙って、歩き出した。現金なことに――そして、実に癪に障ることであるが――どうやら俺は、ロストの言う《名言》に励まされたらしい。
アシストライトの小さな光を頼りに、ゆっくり、ゆっくりと、知らない場所へ向かって、知らない道を辿っていく。旅は道連れ、なんていう言葉を思い出したのは、この役立たずのアプリの所為だろう。
「名言じゃなくて、迷言だよな、それ」
『同音異義語をおっしゃったと推測します。どういう意味での《めいげん》でしょうか?』
「迷う言葉、の迷言だ」
『《豆知識辞典》起動――【迷言】台詞などが、言葉の使い方や意味などの点においてまさしく迷っており、笑いを誘う言い回しであること――なんと、失礼ですね!』
ですが、とロストは続けざまに言った。
『ある意味では、私の本質を突いていると言えるかもしれません』
「はぁ? ……どういう意味だよ」
『人生とはロストに満ちているものです。迷い、迷わされ、失われ、敗北し、浪費して、いつかは死ぬ。しかし、だからこそ―――』
そこで不意に、ロストは言葉を切った。そして、慌てたように画面外から布団を引きずってくると、『充電が30%を切りました。万一に備え、節電モードに入ります』言うなり、さっさと横になって寝始めてしまった。アシストライトを残し、画面まで暗くなる。
「はぁっ? ちょ、お前……」
ふざけんな、と言いかけて、俺は言葉を飲み込んだ。充電が切れて、一番困るのは俺の方だ。
―――案外コイツ、いい奴かもしれない。
相変わらず道には迷ったままだが、たまにはこうして、無計画に歩くのも悪くない。幸い、時間と体力だけは有り余っている。
夜空を仰ぐと、田舎ならではの星空が広がっていた。
『―――だからこそ、人生って夢中になれるのです(You can be lost in your life)。』