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しりとり (作 篠宮 浅葱)

 いつもより遅めの時間のアラームで目が覚めた。今日は久しぶりの休みだ。張り切って朝食はフレンチトーストにしょう。

 朝からとても幸せな気分だった。いい天気だし今日は何も考えずに外を歩き回るのもいいかもしれない。そんなことを考えているといつの間にかフレンチトーストが胃袋に収まっていた。幸せな時間は思っているより短く、そして気づいたら終わっているものなのかも、とそんなとりとめのないことを思いながら身支度を始めた。

 連日の仕事の疲労で少し髪が傷んでいるし、最近つけ始めた歯の矯正器具が少し鬱陶しい。でも今はそんなことは些末な問題だった。今日は朝から気分がとても良い。長めの髪を少し高い位置で結び、お気に入りの服と香水を纏ったらお散歩モードの完成だ。そしてドアを開いた。これほど爽やかな気持ちで部屋のドアを開けたのもまた久しぶりだった。


「どこか遠いところ…普段じゃ絶対行かないようなところまで歩いてみよう!」

 今日はとても張り切っていた。本当にどこでも歩いて行けるような気がした。いつも向かう方向とは反対のほうに歩き出した。まだ家の近所のはずなのに見慣れない建物が多かった。それが楽しかった。しばらく歩いていると、気付いたら全く見たことのない街並みが広がっていた。

「すごい…少し遠くまで歩いてきただけなのに旅行に来たみたい…。今までどれだけ外の景色に気づいてこなかったんだろう。」

 ぼんやりと自分の視野の狭さについて考えながら歩いていると、ふと、陽の当たらない奥まった路地の片隅に、見慣れない大きさのキッチンカーが停まっているのに目が留まった。

「なんでこんな人目につかなそうな場所に…?でも何のお店なんだろう」

 気づくとまるで不思議な力に惹きつけられたかのように、キッチンカーに意識が釘付けになっていた。すぐに立ち寄ることに決めた。

「このお店…香水屋さん?」

 そこには初めてみる種類の香水が陳列されていた。どんなお店なんだろう。店主に話を聞いてみたいと思い車内を覗き、声をかけてみたが返事はなかった。不思議に思い、車内を見渡すと、居眠りをする若い人影が見えた。あれが店主だろうか。無理やり起こすのも悪いと思い、静かに商品を眺めることにした。色々な香水が立ち並ぶキッチンカーは独特な心地良い匂いに包まれていて、少しぼーっとしてきた。

「いい香水使ってますね。とても似合ってます」

「ッ!?」

 びっくりした。いつの間にか店主が目を覚ましていた。全く気配を感じなかった。

「あぁ、すいません、驚かせてしまいましたかね。とてもいい香水の匂いがしてきたのでつい」

 あまりに急な事すぎて声が出なかった。少し気まずさを感じながら商品を眺めていると、

「どうです?ウチの品ぞろえ。ここにあるのは全部僕が選んだ、とっておきなんです。どれもいいこばかりでしょう?それにウチではお客さんの好みや用途に合わせたオーダーメイドもやってるんですよ。もしよかったらどうです?」

 どうしよう。今日は買い物をするつもりで外に出た訳じゃない。でもこんなお店滅多に出会わないだろうし、お願いしてみることにした。

「じゃあ、お願いします」

「ありがとうございます!ではまずお茶しましょう!」

「…お茶ですか?」

 なぜ香水を作るのにお茶をする必要があるのだろうか。不思議な雰囲気のお店だと思っていたが、どうやら店主も不思議な人のようだ。

「お話しながらお客さんがどんな人で何を必要としてるか考えるんです。僕、こう見えて結構洞察力あるんですよ」

 そういうことか。しかし、店員と話すのは緊張する…そんなことをぼんやり思っているといつのまにかキッチンカーの前にテーブルとイス、そして紅茶が並べられていた。

「じゃあ早速はじめましょうか。まずはお名前教えてください」

「…南雲(なぐも)風花(ふうか)です」

「風花さん。よろしくお願いします。僕は相川透弥(とおや)って言います。呼び方はお好きなように。ちなみに風花さん」

「なんですか?」

「さっきからずっと雰囲気が硬いです。なにか悩みでも?」

「っ…」

 言い当てられてしまった。しかし普段愚痴をこぼす相手などいなかった私にとって日頃溜まった鬱憤を晴らすいい機会だと思い、仕事での悩みや不満を話すことにした。私が話している間、店主、透弥さんは何度か相づちを打ち親身になって話を聞いてくれた。柔らかく落ち着いた声で、会話をしていて心地よかった。かなり会話が弾みお互い笑みがこぼれるようになると不意に透弥さんが私に質問をしてきた。

「ところで、風花さんは笑うときに絶対に歯を隠しますよね?コンプレックスですか?」

 本当にこの人には何でもお見通しなのか。私は昔から歯並びが悩みで、笑う時に歯を隠そうとするのも癖だった。最近つけ始めた矯正も相まって普段よりも強く意識していたことだった。それを指摘されて、和んでいた気分が沈むのを抑えられなかった。すると透弥さんが、

「…歯ですか。あぁ、ごめんなさい。別に人の欠点を吊し上げようなんて思った訳じゃないんです。僕は、人間は欠点があるからこそ輝きを持つものだと思うんです。風花さんも自分の欠点を好きになれる、輝かしく思える瞬間がすぐに来ます。それに花のような笑顔の風花さんはきっと今よりも素敵だと思います」

 と、笑顔で言ってくれた。こんなことを言われたのは初めてだった。冷静に考えればこんなものほぼ口説き文句だったが、そんなことよりも純粋な嬉しさが勝った。軽々しいとはわかっていたが心が奪われそうだった。そんな調子でしばらくすると透弥さんがおもむろに席を立ちキッチンカーの中へ入っていった。

「ありがとうございます、風花さん。あなたのこともだいぶわかったので、そろそろ香水の調合を始めますね。少し時間がかかるのでその間しりとりでもしませんか?好きなんです、しりとり」

 不思議な誘いだったが面白そうだったのでしりとりをすることにした。透弥さんのワードチョイスが独特で知らない単語ばかりなのもまた面白かった。しばらく経った頃に純粋な疑問をぶつけてみた。

「ところで、透弥さんはなんでしりとりが好きなんですか?」

「美しいんですよ、しりとり。言葉の一番最後の文字が、次の人の言葉の一番初めに昇華され紡がれていく。こんなに美しい言葉遊びはほかにありません。これは人も同じです。相手を見たとき最後に目が行く、言い換えればその人にとって最大の欠点が、長所として昇華したのに気づいたときが僕にとってこの上ない至福なのです」

 急に透弥さんが薄気味悪く感じられた。この人は私が思っていたような人じゃない。そう訝しんでいると、香水が完成したらしい。

「ごめんなさい。やっぱり〝前の人〟からあなたに昇華したものは越えられない。」

 突然彼の雰囲気が変わった。なんの話をしているのか全く分からない。私の疑問に満ちた表情を察したのか、透弥さんが語りだした。

「これもしりとりですよ。前の人の一番最後は香水でした。それを次の人に紡ぎ、昇華させるため彼女には来世に向かってもらいました。風花さんという人の最初は香水で、最後は歯です。風花さんの香水の匂いに気づいたときは本当に嬉しかったんです」

 悪寒が止まらなかった。さっきまでの幸せな空気は一瞬にして目の前の男の歪んだ空気に飲み込まれてしまった。嫌だ。とにかく逃げなくては。その一心で後ろを振り返ったが、どういうわけか目の前にはもう彼が立っていた。

「安心してください。しりとりは紡がれていきます。あなたの最後も必ず昇華されます。大丈夫ですよ。次を待つ時間というのも存外楽しいものです」

 こんなことになるんだったらいつもと違うことなんてしなければよかった。いつも通りにしていればよかった。もう日常はなくなるのだ。彼が、鈍く光る銀色を手に、こちらへ近づいてくる。

「来世では貴女がなにも気にせず思いっきり笑えますように」

 経験したことのない痛みがお腹を貫いた。目が霞み感覚が消えていく。どうせならもう少し幸せに浸りたかった。

 何もかもがもう叶わなくなった。

 数日後、奥まった路地から、歯がすべて抜かれ、香水の匂いを纏った女性の遺体が発見された。そこにはもうキッチンカーの影も形もなくなっていた。


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