ふたご座コンプレックス (作 桜井和音)
昨日の夜泣いたせいでまぶたが腫れて、せっかく新しいアイシャドウを使ってみたのに気分がブルーだとこぼしたら、友人がネットの記事で星座占いを見つけてきた。
「そういうときは根拠のないおまじないに縋るといいよ」
盛大にディスっているが、彼女は占いが好きだ。
「とりあえずこれ見て。ちゃんと話も聞くから」
あたしの方に向きを変えたスマホをぐいっと押し付けられて、無理やり視界に割り込む形でミーハーな記事の薄っぺらな情報が脳に流れ込んでくる。
話し上手で友達が多いけれど、飽きっぽいところのあるふたご座のあなた! 今日は少しブルーかも? ラッキーアイテムはメイク道具!
活字があるとつい読んでしまう習性で、だからなのかこういったどうでもいい情報を人一倍吸収してきた気がする。たかが生まれた時期で性格を決め付けられるなんて最悪、そして煽っているとしか思えない内容。
「……スマホ割っていい?」
「ごめんて」
友人はあたしからスマホを受け取ると、しっかりバッグの中に閉じ込めた。あたしの話をちゃんと聞いてくれるときの構え。
「占いってさ、マイナスの要素しか合ってないよね」
「そう?」
「性格。飽きっぽいって、それだけ合ってる」
別に、その性格に生まれたかったわけじゃないのにさ。
ねえ好きなものってある? 友達とか家族とかゲームとか漫画とか勉強とか。あたしはぜんぶ好きじゃない。だからといって嫌いでもなくて、ただ、確信を持って好きって言えないだけ。新しい人と出会って、仲良くなりたい!って思っても三か月すればもうどうでもよくなってる。今度こそ大好きなキャラクターを見つけたと思ってグッズを集めてみるけれど、気がつけばそれを眺めても心が躍らない。三十巻も続いている漫画は最後まで読めないし、ゲームのエンディングを見ることなんてほとんどない。好き!って言える友達がいない。誰と一緒にいても、ふっとどうでもよくなるときが来て離れたくなる。
最低だけど、友人のことも好きじゃない。別にいなくても生きていけると思いながら付き合っている。飽きっぽいっていうのは言ったことあったと思うけど。ね、あたしの書いた小説読んでくれる唯一の友達なのにさ、ほんと最低。
感情は紐にぶら下がって、気まぐれに発生する砂嵐に巻き込まれるたび揺れて傾いて汚れていく。埃にまみれて最初の色を見失って、ああもういいやと紐を切ってしまう。いつか拾ったとしてもまたそれの繰り返し、とてもじゃないけど信用なんてできない。あたしはあたし自身を信じられない。
まくし立てる。あなたのこと好きじゃない、って言ったのに友人は傷ついた風に振舞うこともあたしを責めることもしない。
「あのね、昨日の夜」
「お前、話下手くそかよ」
にやりと笑う友人を見て、ああ、今のあたしは彼女が好きだなあと思う。
これはいける、と思ってパソコンの画面に向き合って。でも、違った。天才的なアイデアだと思ったのに、違ったの。
敢えてそっけない言葉で終わらせる。
書けない。
小説が書けない。
文章を書くこと。
これしかないんだもの。
好きという言葉で表現して百パーセント納得のいくもの。あたしという個を定義するのに必要不可欠なもの。どれだけ傷つけられても許す以外の方法で乗り越えられないもの。
他の場所に、ないんだもの。
「何でやめないの」
友人の台詞が質問以上の意味を持たないことを願うけれど、もし質問以外のニュアンスがあるとして、それは心配だ。そんなの要らない。確かに、やめてしまえばあたしは狂わない。でも、狂わせてくれるほどのものを手放して出涸らしのような人生を送るの? 人生のきらめきを委ねた存在が消えてしまうなら命に価値なんてないのに。
「それしか、好きじゃないから」
「傷つけてくるのに、好きなの」
「好き」
どんな日のあたしでも変わらず笑顔で見つめるもの。自分をそぎ落としてそぎ落として最後に残るもの。細胞のように剥がれ落ちて生まれ変わっていく期限付きの好きとは違う。あたしに備わった唯一の自我。それを杖にして縋って縋って生きていくしかない、それしか、知らない。
「完成したの?」
「一応」
「じゃあ読む。私好きよ、あなたの文章」
書くことで誰かの希望になれますように。
読むことで誰かの救いになれますように。