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ベリーグッドの神が呼んでる 2


 言うてる間に引っ越しの朝。

 とりあえず早起きして近所のコンビニまで朝食を買いに行き、うちに戻って食べる。楓さんはハムのサンドイッチ、俺は溶けたチーズのかかったパンやった。持っていく荷物はもうまとまっている。風、麗しく、陽差す金曜日。

「なぁ、楓さん」

 俺は食べ終わったパンの袋をくしゃくしゃに丸めていた。でも楓さんはまだ、やっと最後の一枚のサンドイッチに取り掛かったところ。

「なんや?」

「引っ越しの車は何時頃来るん?」

「もうそろそろやと思うけど」

「てかどこの引っ越し会社なん? そういうの全然聞いてなかったけど」

「引っ越し会社とかそういうのちゃうねん。知り合いに車出してもらうだけや」

「あ、そうなんか」

 楓さんにそんな知り合いがおるなんて、ちょっと意外やった。

 でもマンションの下で待っとったら、ほんまに車が来て、俺らの前に停まった。立派な二トントラック。何やら小柄な男が降りて来た。

「楓さん、久しぶりっす」

 男は律儀に頭を下げる。ほんまに小柄で、楓さんよりも少し小さい。多分、百五十五センチくらいやと思う。でもがっしりした体格で、それやのにやたらとピチっとしたジャージを着て、頭は剃り込み。歳は俺と同じくらい、か、少し下という感じ。悪そうな、何となく危険な空気を纏った男やった。

「よー、オトウト。元気やったか?」

「はい。おかげさまで」

「弟? 楓さんの?」

 驚いた。

「ちゃうちゃう。オトウトってのはあだ名で、ほんまもんの弟ちゃうよ」

 そう言ってオトウトは俺にも頭を下げる。

「ちす。オトウトです。よろしくお願いします」

「あ、こちらこそ」

「オトウト、こちら南條木通くん。変わった名前やろ。木通くんでええよ」

「木通くん。よろしくっす」

「よろしく」

 それで三人で楓さんの部屋の荷物を運び出す。家具類はうちにもあるから基本はそのまま置いて行く。やから運び出す荷物はほとんどが段ボールで、楓さんが部屋で段ボールをわたし、俺がそれを台車に乗せて下まで運び、オトウトが積み込む、という段取りで作業は進んだ。

 何回目かの往復で部屋に戻ると、楓さんが段ボールを三つ、玄関まで運んできているとこやった。髪を結って、タオルを巻いた首筋に軽く汗をかいとる。俺にしたってけっこう暑かった。シャツには汗染み。

「それで最後?」

「うん、最後」

「よし」

 やがてすべての荷物を台車に積み終わり、下に降りようとした時、楓さんは部屋の真ん中、腕を組んで突っ立っていた。

「どしたん? 降りようや」

「最後やー」

 そう言って。それは俺にはちょっと寂しそうな感じにも聞こえた。

「うん。せやな」

 段ボールがなくなった部屋からは何やか夏っぽい匂いがした。結った髪、首筋の汗。それがまた夏っぽい。

「でもまだ家具とかの片付けがあるから来るかもしれんけど」

「うん」

 そう言って楓さんは俺と一緒に部屋を出た。

 でも俺はその時、直感的に、楓さんは多分、もう何があってもここにはけえへん気なんやろな、と思った。結果的にそれは当たったんやけど。

 オトウトの運転で隣町の俺のマンションを目指す。運転席にオトウト、助手席に俺、その真ん中に楓さんが座った。クーラーはつけず、窓を少し開けて走った。

 車中、楓さんとオトウトは久しぶりに会ったのか、ずっと話して、盛り上がっていた。話の内容はありきたりで、「最近仕事はどうや?」とか「誰それは最近どうしとる?」的な、まぁそんな感じ。分からんから俺は会話には入らず、ずっと窓の外を見てた。

 しかしこの二人、いったいどういう関係なんやろか。楓さんはやたらとオープンやし、オトウトは妙に低姿勢。だいたいオトウトって、どういうネーミングセンスやねん。

 二十分くらいでうちに着いた。楓さんのうちに転がり込んでからはたまに荷物を取りに帰るくらいで、自分の家なんやけど帰るのは久しぶりやった。

 ドアを開けると、密封された古い空気がもわっと外に抜けてくる、顔に当たる。埃っぽくて、三人とも顔をしかめた。それで俺は何やか二人に悪い気がして、慌てて部屋に入って窓を全部開けた。光が差し込むとそこは確かに俺が一年前まで暮らしていた部屋で、埃が薄く舞っとる。俺は振り返り、苦笑いを浮かべた。

「ごめん、よう考えたら掃除しとけばよかった」

「いや、いいっすよ。掃除からやりましょ」

 なんて。オトウトは優しく、良い奴やった。

 俺は洗面所の下から雑巾を探し出し、バケツに水を入れる。オトウトはそれを受け取って「じゃ上の方から拭いていきますね」なんて言って早速動き出す。楓さんはその間、ずっと、不思議そうな顔をして部屋の中を見回していた。

「楓さんの部屋に比べたら狭いやろ」

 声をかけると楓さんは、

「木通くん、ここに一人で住んでたん?」

「そう。やから二人やとちょっと狭いけど、次の家が見つかるまで、しばらくは我慢してや」

「我慢なんてないで、私」

「そうか?」

「うん」

「まぁ、ほんなら良かったけど」

 それから大掃除になった。一年間放置した部屋は予想以上に汚く、三人ががりでもなかなか骨の折れる作業にやった。

 雑巾を何度も絞り、壁や床を拭く。カオス的な冷蔵庫の中身を捨て、楓さんの荷物が来るからその他、要らない私物もどんどん捨てた。それで何となく受け入れ態勢ができた頃には、もう十四時半。一旦休憩ということで、三人で近所の中華屋まで歩き、遅めの昼食を食べた。三人とも日替わり定食。今日は青椒肉絲と小海老の唐揚げやった。楓さんは瓶ビールを一本飲み、俺とオトウトは煙草を二本ずつ吸った。みんな疲れていて、あまり会話は弾まなかった。

 昼食後はいよいよ搬入作業で、楓さんの荷物をどんどん部屋に運び込んだ。それで威勢良く運び込んだはええんやけど、そしたら今度は段ボールの山で足の踏み場もなくなってもうて、これは完全にあかんなぁ、と誰しもが思ったんやけど疲れてるから誰も何も言わん、という状態に陥った。

 で、一瞬の沈黙のあと、楓さんが黙って段ボールを開け出すから、オトウトもそれに続き、けっきょく荷ほどきまでを一気にやることになった。ほんまに、こんな計画性のない引っ越し、聞いたことないわ。

「とりあえずすぐ使わんもんは段ボールのまま置いとこうや。服とか、全部が全部すぐは要らんやろ?」

「せやな。ほな、そういう系のやつは全部部屋の端に置いとこう」

 そう言って楓さんは段ボールを部屋の端に移動させた。

 けっきょくすぐに要りそうなものは全体の約半分くらいで、そういうものはとりあえず段ボールを開けてしまうわけやから、定位置を作って置いてやらないと何となく気持ちが悪い。それはここで、あれはそこで、なんて試行錯誤を重ねながら段ボールを開けていく。楓さんは雑やから、細いもん、例えば化粧品なんかを小分けもせずに段ボールに放り込んだりしとるからタチが悪い。それを段ボールから一個一個ひらって並べる。んで、終わったと思って他のもんを取り出したりしてると、また化粧品が底の方から裸で出てきたりして、疲れも相まってイライラした。

 でもオトウトは当事者でもないのに文句一つ言わないでせっせと作業をしていた。そんな姿を見ると俺も何も言えんかった。

「よし。だいぶ片付いたなぁ」

 なんて楓さんが一区切り、言うたのはもう十九時半。外は暗く、室内灯を一番明るいやつにして作業をしてた。

「とりあえずすぐに要るもんはこれでええか?」

「ええんちゃう。あー、だいぶすっきりしたなぁ」

「せやな」

 見渡すと、確かに積み込んだ時から考えるとだいぶ片付いて、すっきりした。とりあえずは何となく生活ができる感があった。しかし部屋の端にはまだ手付かずの段ボールが積み上げられていて、手放しでは喜べないのも事実やった。でもとりあえず、今日のところは三人、もう限界やった。

「オトウト、一日悪かったな。ほんまに助かった」

 楓さんはそう言ってぺこりと頭を下げる。

「ほんまにありがとう」

 俺も頭を下げた。

「いえ、俺は全然大丈夫っすよ。お役に立てて何よりです」

 オトウトは捲り上げたTシャツの袖を戻して、タオルで顔を拭いていた。

「あ、せや。今からどっか晩御飯行こうや。お礼に奢るからさ」

 楓さんが提案する。

「そうしよう。俺も腹ペコやわ」

「ありがとうございます」

 それで俺ら三人は、歩いて十五分くらいの駅前の繁華街まで行き、適当に目に付いた焼肉屋に入った。俺と楓さんはビールを飲む。楓さんはオトウトにもビールを勧めたが、オトウトは「車なんで」と丁重に断っていた。

 決して流行っている焼肉屋ではなかった。でも三人、がつがつと肉を食べた。疲れた身体に焼いた肉、タレ、塩、レモン、キムチ類、ほんでビールが非常に沁みる。マジで美味。調子に乗ってどんどん注文した。ほんでまた案の定、楓さんは泥酔して、鬱陶しい感じで俺とオトウトに絡む。俺はまぁ、言うて自分も少し酔うてるからまだええんやけど、素面のオトウトはきっついやろなぁ、とぼんやり考えてた。

 やから楓さんがふらふらと千鳥足でトイレに立ったタイミングで、

「ごめんなぁ、一人素面やのに」

 謝った。

「いや、全然ええすよ。楓さん、相変わらずですね」

 なんて笑いよる。今日初めて会ったんやけど、朝と今とでこの男の印象はだいぶ変わった。朝会った時は何か悪そうな、怖そうな、そんな印象やったんやけど、一日共にしてみると、素直で気持ちの良い男やった。

「オトウトと楓さんはどういう繋がりなん?」

「えーと。昔、俺がけっこうヤンチャしてた頃にお世話になったんすよ」

「へぇ。ほな、楓さんも昔はけっこうヤンチャやったん?」

「うーん。楓さんはそうでもなかったですけどねぇ。楓さんの旦那さんがとにかく悪かったすね。俺、地元が一緒で、ガキの頃から可愛がってもらってたんですけど」

「あぁ。何か悪かったって話は聞いたことはある」

「今はどうも暴力団か何かに入ってるって噂すよ。しばらく連絡取ってないから不確かですけど」

「え、そうなん? それは知らんかった」

 俺はそれを聞いて、それやったらまぁこのタイミングであの家を出て、ある意味正解やったかもしれへんな、と思った。

「あ、てか旦那さんの話とか嫌すか?」

「いやいや、ええよ。俺と楓さんは別に何かあるわけちゃうし。たまたま一緒に住んでるだけと言うか、何というか」

「そうすか。まぁ楓さん、変わってるならなぁ」

「オトウトの方こそ、俺って微妙な存在ちゃうの? 楓さんの旦那さんにもお世話になってたんなら」

「いや、別にそうは思わないっすよ。それに、付き合いは旦那さんの方が全然長いっすけど、恩があるのは楓さんの方なんで、楓さんが困ってたら助けますよ」

「なぁ、それって何があったん? 何でそんな楓さんに恩を感じてるん? それ、めっちゃ気になるわ」

「あぁ、実は五年くらい前に……」

 オトウトがそこまで話したところで楓さんが俺の頭を後ろから叩いた。

「何をごちゃごちゃ話しとるんや」

 よう分からんけどニヤニヤ笑っとる。

「今、ええとこやったのに」

「しょうもない昔話なんておもんないって」

「何や、聞いてたんか」

「ちょっとな」

 それからまた絡み酒が始まって、しばらく飲んだんやけど、けっきょく楓さんは潰れて俺とオトウトが介抱してうちまで連れて帰った。

 帰り道、俺は素面のオトウトに申し訳なくて仕方なかった。酔いも覚めた。だって、そうやろ。一日中引っ越しの手伝いに付き合わされて、挙句、酒も飲めず酔っ払いの介抱までさせられて一日が終わるなんて。殺してやりたいよね、最早。俺ならそう思うわ。

「ほんまにごめんな」

 俺は二トントラックの運転席のオトウトに言う。楓さんは先に部屋に放り込んできた。

「はは、気にせんとってください」

「家、ここから遠いん?」

「自分は市内の方なんすよ」

「ほな一時間くらいかかるやん」

「大丈夫っすよ。ほな」

 それでオトウトの乗る二トントラックは走り出す。俺は車が向こうの角を曲がるまで手を振っていた。車が消えて、そこで気づいたんやけど、楓さんの恩の話、けっきょく聞きそびれてたなぁ。オトウト。また会うことがあるんやろか。何て思った。それで、あたりからは虫の鳴き声。じりじりと。

 部屋に戻ると、楓さんは俺が放り出したカッコのままソファで眠っていた。呑気なもんやな。化粧とか何も落としてへんこと、気づいてたけどムカつくからそのまま放置したった。お情けでタオルケットだけかけたったけど。

 シャワーを浴びて久しぶりに自分のベッドに潜り込む。眠りにつくまでそんなに時間はかからなさそうやった。深い深い闇の中。眠りの渦。泥みたいな。俺はゆっくりそれに落ちていく。多分、明日の朝までは底に潜っとる。睡眠。



 夕方、うちに帰ると楓さんがソファに座って部屋の中でシャボン玉を吹いとった。

「おわっ、何してんねん」

「見たら分かるやろ。シャボン玉や」

「それは分かるけど、何でこんなとこでしとんねんって話」

 きらきらとシャボン玉が舞っとる。油膜、超現象のように。重力を無くしたかのように浮いて。そして予め決められたように順番に散る。ぱちんぱちんと順番に。

「木通くーん、退屈やったよ一日」

「俺はバイトで疲れた。てか楓さん、仕事は見つかったん?」

「うーん。探してるんやけどね」

「見つかってないというわけね」

「うん」

 多分、探してすらいない。

 それでまた吹く。まぁ、もう何でもええけどさ。

「な、散歩がてらご飯食べに行こや」

「ご飯はええけど、酒はあかんで」

「えー、なんで?」

「なんでちゃうわ。ここに来てからまだ二週間やのに、もう四回も潰れてるんやで。その度に介抱する身になってみいや」

「いや、今日は大丈夫や」

「信用ならん」

「ま、とりあえず行こや」

 なんや上手いこと煙に巻かれた気もするけど、二人、うちを出てまた繁華街を目指す。

 前に住んでいた楓さんのうちは駅近やけど小さな駅で、近所に繁華街というか、飲み屋とかそういう類の店はなかった。周りにあるのはせいぜいコンビニくらいで、そこで楓さんはよう酒を買い込んでいたんやけど、やっぱ飲み屋とはちゃうからハイおかわり、注文、というわけにはいかず、実質的に酒が切れたら足を運んで店舗まで買いに行かなあかんわけで、近いとはいえそれはけっこうめんどくて、特に酔ってたらなおさらやから、それで楓さんの酒量もまだ多少なりともセーブできていた。っても十分飲んどったけどな。

 それが今や徒歩圏内に飲み屋だらけ、酒だらけの繁華街があるようになってもうて、楓さんのリミッターは見事に外れて、引越し以降、ほぼ毎日飲みまくっとる。二人でも行くけど、どうも俺がバイトでおらん夜も一人で行っとるようで、それもけっこうな量を飲みよる。前述したが、二週間で四回も潰れた。その度に俺は楓さんを介抱してうちまで連れて帰っているのだ。もういい加減、あほらしくてやってられん。あと二カ月の前のマンションの契約期間満了を待たずにこの人は死ぬんちゃうやろか、と、俺は半ば本気で思っていた。このペースならマジであり得る。

 かつては俺も音楽業界に身を置いた人間。酒豪、よう飲む奴はまぁ、まぁおった。フェスのバックヤードとか、けっこうなみんな酔っ払っとる。ほんでもこんなに飲み、酒癖の悪い人間はなかなかおらんかった。うちのドラムの奴にしてもよう飲んだが、楓さんはその上を行く。ま、潰れとるから別に強いわけではないんやけどね。

「あ、焼き鳥の匂い。酒飲みたい」

 楓さんは繁華街に着くとすぐにそんなことを言い出した。

「あかん、言うてるやろ」

「なんでや。あほ」

 なんて、ちょっと苛立った、尖った声を出す。

「あかんもんはあかん」

「あほ」

「うるさい。ほら、今日はあの牛丼屋ででも食べて帰ろ」

「嫌やそんなん」

 楓さんはそう言って膨れる。

 やからその牛丼屋はとりあえず通り過ぎ、何となく繁華街を歩いて行く。酒の匂いと食べ物の温気。夏色のじめっとした空気とか、そういったもんが混ざり合い、半袖シャツから出た腕にまとわりつく。手の先はポケットの中。楓さんは少し後ろを歩く。

「なぁ、あれ」

 そう言って楓さんが指差したのは、繁華街から一筋外れた角にある銭湯やった。銭湯と言っても、いわゆるスーパー銭湯的な近代的のやつではなく、昔ながらのオーソドックスなザ・銭湯といった感じの銭湯やった。

「あぁ、ずっと前からあるよ。行ったことないけどな」

「行きたい」

「別にええけど、タオルも着替えもないで」

「タオルくらい貸してくれるんちゃうん? 着替えは帰ってからでええよ」

「あ、そう」

 それでけっきょく銭湯に入ることにした。

 外見も昔ながらやけど、中も昔ながらで、サウナとかそういう類のものもなく、シンプルに風呂、洗い場、壁に富士山、という感じ。軽く身体を洗った後、つかった湯は熱めで、身体がじんじんと痒くなった。顔を洗い天を仰ぐと、何だか久しぶりにリラックスできた。

 昔、ほんまに昔やけど、大学の頃、ライブ終わりにメンバーでよく銭湯に行った。湯船に並んで今日のライブの良かったことやったり悪かったことを話したりした。青春やったな。俺の。なんて思うけど、これはなんつうか多分、普通の奴が昔を懐かしむのとはまた、またちょっとちゃう感じな気がする。俺が抱いてる感情はもっと恋に近い感じで、結婚直前に婚約者に捨てられた感じ。それを引きずってる感じ。

 しかし、まぁ、俺は最近、楓さんによう「仕事は見つかったんか?」なんて聞くけど、考えたら俺やってこのままじゃあかんよなぁ。なんとかせんとなぁ。そう思いながら湯に沈んでく。沈没的な感じで。撃沈。苦しくってすぐに上がってきたけど。

 外に出ると、楓さんはすでに出てきていて、銭湯の前に座って缶ビールを飲んどった。楓さんは基本、烏やねんな。

「けっきょく飲んどる」

「木通くんの分もある」

 そう言って楓さんはコンビニの袋から缶々をもう一本取り出して俺にわたした。

「こういう時って普通、女の人の方が後に出てくるもんちゃうの」

 そう言って俺は缶ビールを飲む。

「あー、そういう歌、昔の歌、あったやんな?」

「そうやな」

「なんてったっけ、あの歌?」

「忘れた」

 ほんまは覚えとったけど言わんかった。

「ほんでもあれは冬の歌か」

「今は夏やで」

「分かっとるわ」

 俺は一本だけ煙草を吸った。楓さんは二本缶ビールを飲んで、合計三本の空っぽになった缶々はコンビニのゴミ箱に捨てて帰路についた。

「な、フランシスコザビエルの出身はどこ?」

「ポルトガル」

「ちゃう、スペインや。ポルトガル国王のメイを受けてたって話や。それでポルトガル出身や思っとる人が多いらしい」

「へぇ。楓さん、物知りなんやな」

「今日、テレビで見た。歴史の番組」

「ふぅん。他には何言うてた?」

「他はー……。あんま覚えてないけど」

「そっか」

「うん」

「な、楓さん」

「なんや」

「頑張ろな。俺もやけど」

「うん、せやな」

 そんな不毛な話をして歩いた。



 土曜日、楓さんが映画を観たいと言うから梅田まで出た。

 言い出したのは昨日の夜やった。たまたま見つけた雑誌広告を見せてきて、明日行くで、なんて言う。俺は土曜日は夜からバイトがあるし、映画も別に興味がなかったからまったく乗り気ちゃうくて、むしろストレートに行きたくないとはっきり断ってんのに、楓さんはまったく聞く耳を持たなかった。

「あっ」

 俺は嫌々と上映情報を携帯で調べていた。

「なんや」

「楓さん、この映画、上映してる映画館めっちゃ少ないやん」

「そうなん? 駅前の映画館でやってないん?」

「やってない。梅田まで行かなあかんわ」

「そっか」

「めんどいな。やめとこか」

「いや、行く」

「マジで?」

 それで梅田まで出てきたのだ。

 で、定刻前に映画館に着いてチケットを買う。席が埋まってしまうのが嫌で早めに行ったにも関わらず、映画館はがらがらで、上映まで無駄に時間が空いて、塩味のポップコーンを二人で鳩みたいに摘んで時間を潰した。なんとも微妙な時間。でも、もっと微妙やったのは映画の内容で、ありきたりなラブロマンスっつうのかな、こういうのは。二人の男女が出会い、良い感じになり、一瞬ちょっと険悪になりかけてまた戻るという、それなりの歳であれば、最低十五回は見たことのあるような内容の映画やった。なんで楓さんはこんな微妙な映画を観たがったんやろ、と不思議になり、隣に座る楓さんの顔を覗き込むと、どうも同じようなことを考えていたようで、苦虫を噛み潰したような顔をしてスクリーンを睨んでいた。

 朝一の上映やったから、外に出てもまだ昼で、日が高い。

「どうする? これから」

 俺は煙草に火をつけて聞く。

「歩く」

「どこを?」

「この辺を」

 映画を外して楓さんはむすっとしとる。

 それで二人、当てもなく梅田の街をぶらぶら歩いた。

「暇やなー」

「梅田なんて何もやることないやろ。楓さん、服とか買わんの?」

「買わん」

「あ、そう」

「木通くんは欲しいもんないんか」

「うーん、強いて言うなら本屋行きたいかな」

 ほんで駅前の大型書店まで戻った。

 けど、俺は別にお目当ての本があったわけではなく、ぷらぷらと並べられた文庫を眺めただけで、すぐに、あぁ、やっぱ別に欲しいの無いなぁ、なんて思ってた。でも本屋というものは、そうしているだけでも何となく楽しい。ハードカバーとか嵩張るし、何で買うんか、そんな気持ち全然分からんけど手に取ってみたりする。

 しばらくうろついていると、やたら真剣に雑誌を食い入るように読む楓さんの横顔に鉢合わせた。

「何の本?」

「これ」

 音楽雑誌やった。

「この人、木通くんの友達やんな?」

 そうやって見せてきたの確かに知った顔、ロイヤルスカムのボーカルの奴、俺の友達が写っていた。

「うん。せやな」

 でかでかと表紙を飾ってやがる。あいつも偉くなったもんやな。「名作誕生! 新バンド、エイジャー、そしてロイヤルスカムを語るロングインタビュー」やて。あいつ、いつの間にか新しいバンド組んでたんやな。エイジャー、やて。うん。ええ名前ちゃう。そして、語っちゃうのか、ロイヤルスカムを。

「読む?」

「や、いい」

「なんでー? 木通くんとやってたバンドのことも書いてあるで」

「ええよ。もう、昔のことやから」

 俺はそう言って本屋を出て行く。

 楓さんも追ってくる。

「木通くん、もう音楽はやらんの?」

「どうやろ」

「木通くんがギター弾いてるとこ、写真でしか見たことない」

「うん」

 それ以上、楓さんは何も言わんかった。でも何となく言いたいことは分かった気がする。楓さんのことやから、全然ちゃうのかもしれへんけど、何となく。

 人混みの梅田の街をなおも歩く。週末やし人が多い。肩がぶつかる。歩きづらい。でもこればかりはどうしようもないなぁ、なんて。

 どうしようもないことをどうしようもないと割り切ることは、果たして強さなんやろか、弱さなんやろか。ポケットには煙草とライター、財布、いつも通りの俺。

 横断歩道の信号待ちで、楓さんが急に俺の腕を掴んだ。

「何?」

「あれ」

 道を挟んだ向こうの方を指差す。

「は?」

「あいつ、あの横断歩道の向こうを歩いてるやつ」

 楓さんが示す方を見ると長身でオールバックの男が人混みの合間を歩いていた。目つきが悪く、黒のスーツを着ている。

「誰? 知ってる人?」

「あれ、私の旦那。青葉っていうの」

「うそ」

「マジ」

「あの人が?」

 俺は初めてその顔を見た。

「そう」

「へぇ」

 話には聞いていたけど、ほんまに悪そう、というか危なそうで、偏見かもしれないが、まともな職に就いているようには見えへんかった。

 楓さんのうち、自分が一年間寝泊まりしていた部屋を思い出した。あの部屋はほんまはこの男の部屋なんやな、と思うと不思議な気持ちになった。

 青葉はこちらに気づかずどこかへ歩いていく。

「顔見るの一年ぶりや」

「ふぅん」

「まったく。変わらんな、あいつは」

「殴ってこよか?」

 なぜかそんな言葉が出た。

「えっ、なんで?」

 俺の言葉に楓さんは意外そうな顔をする。それはまるで少女のようやった。

「なんでって言われても」

「木通くん、私のこと好きなん?」

 楓さんがじっと俺を見つめる。まっすぐな目。

 信号機が青になり、立ち止まっていた人々が横断歩道を渡っていく。俺達を残して、足早に。いつの間にか青葉も雑踏の中に消えていた。

「なんかさ」

「なんや」

「雨、振りそうやね」

「ふむ」

 俺の言葉に楓さんは空を見上げる。いつの間にか曇天。黒ずんでいて。

 それから三十分後、案の定雨が降った。

 帰りの電車、疲れていて、二人ともぐっすり眠った。最寄り駅近くの喫茶店でエビピラフを食べた。コンビニで傘とコーヒーを買って帰った。

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