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なんということもない雨の詩

 ある仕事帰りの夕暮れに、雨と遭遇した。

 ついてないなとつぶやいて、置き傘を取りにロッカーへと戻る。

 

「帰り、送っていこうか?」


 親切にも、そう申し出る同僚に手を振って、僕はひとりビニール傘をさして、帰路につく。

 駅までの道のりは、およそ徒歩で三十分。

 車ならあっという間の距離だ。

 それでも徒歩は無駄ではない。

 ただ考える時間というものは必要なのだ。

 僕だって。誰だって。


 ひっきりなしに傘を叩く雨。安物のビニール傘は手に心地よい振動のみを残して、すべて、大地へと流してしまう。

 タイミング悪く、目の前の信号が赤に変わった。

 ふと脚をとめ、すこし視界を上へと向ける。

 昏い天空からひたすら水滴がふりそそぎ、ビニール傘の表面をたたいて、つうっと流れ落ちるようすまでが、克明に僕の視界に刻まれる。

 雨はやがて側溝に溜まり、川へ疾り、海へと還るのだろう。

 こんな日もあっていい。

 帰って風呂に入り、酒とともに食事を終えて床につく。そんな機械的な動作から開放され、ただ物思いにふけりながら歩くのも、なかなかおつなものだ。

 

 たとえば、別れた彼女は元気にしているだろうか、とか。

 たとえば、青春をともに歩んだ親友のことだとか。

 そいつからの手酷い裏切りだとか。

 彼女を奪われ、すべてを失い、孤独を愛するようになったとか。

 そんな、どこにでも転がっているような、どうでもいいような想い出ばかりが、僕の脳裏をよぎる。いいかげんに忘れてしまえよ。そう自分に言い聞かせる。

 淡白な性格だと言われる僕だけど、なかなかどうして、そういうわけでもないらしい。


 帽子を深くかぶった少年が、雨に打たれながら、自転車で僕の傍らを走り抜けていく。

 滑って転ばないようにね。

 思わず心でそうつぶやいている。あれは痛いから。

 滑って転んでも、怪我はいずれ治る。

 だけどできるなら、転ばない方がいいじゃないか。


 ふたつ並んだ赤と黒の傘。幸福そうなカップルが視界に入る。

 僕はまた、いやでも青春の痛みに手を触れる。

 君はどうしているだろう。

 たとえば愛は、通り雨のように、一瞬で駆け抜けていくものだよと言えば、君はいつものように口許を隠して嗤うだろうか。

 雨は人を憂鬱にさせるという。

 確かに雨の日に、微笑みを浮かべて歩いている人はそういない。

 だけど誰にだって、そういう日は必要なのだ。

 人が生きるために雨が必要なように。


 駅が見えてきた。

 そろそろこのくだらない時間も終わりに近づいている。

 雨はまだ、僕の傘を叩いている。

 だけどその力が、少しずつ弱まっているのがわかる。

 

 おそらく、明日は晴れるのだろう。



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― 新着の感想 ―
[良い点] 心情と情景描写との対比が素晴らしい。 上から目線な言葉ですけど、とても丁寧で深かったです、日本文学らしさもあって。 色々先が想像できてしまうぐらい、満足できました。 [一言] 私も雨は…
[一言] 雨と後悔。雨上がりに続いていく人生。 良かったです(≧Д≦)
[良い点] 短編ですが、奥が深いと思いました。 こういう時間がたまにはあっても良いかな、とも思いました。
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