ビリーブ(3)
レイは慌てて、背後を見る。
背の高いがっしりとした体格の男が立っていた。年は三十代ぐらいだろうか。彫りの深い、精悍な顔立ちで、右の頬に傷があった。
そして、なにより地球連邦政府、通称セントラルの軍服を着ていた。襟の階級章は大尉だった。
レイは急いで立ち上がり、敬礼する。
「レイ・ツキヤ候補生です」
「ああ、戦場で堅苦しいのはいい。敬礼している間に死んじまったやつを、何人か知ってる」
男は眉をしかめて、首を振った。
ずいぶんフランクな性格のようだ。指導官のフリトとは大違いだ。
「キース・レインだ。この基地の所属じゃないんだが、ちょっと野暮用で寄ったら、この状態だ」
「キース・レイン大尉……まさか、本物の!」
レイは興奮を押さえ切れずに、目を見開く。
「なんだ? おれのこと知ってるのか」
「有名ですよ! レイン大尉といえば、セントラルのエースパイロットとして、撃墜数も現役ナンバーワンじゃないですか」
「嘘じゃないが、今までのお遊びの延長みたいな戦闘の結果じゃ、自慢にもならんよ。これからの戦いで、撃墜数なんて簡単に上回る奴も出て来るだろうさ」
キースは皮肉っぽく言う。
「それってどういう……」
レイは質問しようとしたが、キースが遮った。
「とにかく、こんな場所で立ち話をしている状況じゃない。中に入りたいんだが、そこの表門と裏門以外に出入り口はあるか?
できれば秘密で、人が出入りできる程度の小さな出入り口だと助かるが」
キースは、周りを警戒しながら小声で言った。
「それなら打ってつけの出入り口があります。基地じゃなくて、訓練校の方から入ることになりますけど」
「かまわん。その方が気づかれにくいだろうしな」
「あの……一つお聞きしてもよろしいですか?」
「なんだ」
「今のこの現状について、大尉はどのぐらいご存知ですか?」
「大体は把握している。推測も含めてだがな。そして、今やらなければいけないことも、だ」
「……そう、ですか」
レイは頷いて、先に歩き出す。訓練校側となると、少し道を戻ることになる。
無言のまま二人は歩き、訓練校のある辺りの壁までやってきた。
目の前には高い壁だ。訓練校の出入り口は、反対の位置にあるが、ここでいい。
「どうした? 壁の前で立ち止まったりして」
「ここですよ、大尉」
「ここ?」
「抜け穴です。コツがいりますが、ここの壁を押せば、中に入れます」
「おいおい、本気か? ただの壁にしか見えんぞ」
驚いた顔で、キースは壁を注視している。
レイも最初から知っていなければ、見つけることなどできないだろう。フート特製の抜け穴は、いまだに間抜けな使用者の失敗以外で見つかったことはないのだ。
「じゃあ、開けますよ」
「慎重にな」
レイは頷いて、壁の位置を探りながら、手をつく。力を加える場所も決まっているのだ。そこ以外は、いくら押しても動くことはない。
レイはゆっくりと力を込める。開いたはいいが、向こう側に敵が待ちかまえていたなんてことになったら、一巻の終わりだ。
ズズズッ、と引きずる音がして、壁が奥に動き出す。隙間から中の様子をのぞいたが、人のいる気配はない。
「大丈夫そうです」
「よし。助かった。おまえはここで戻れ」
キースは、壁際に立つとレイに言った。
「そんな! おれも行きます」
「丸腰の候補生になにができる?」
面倒くさそうに、キースが言う。
「体術には自信があります。それに、中の地理も把握しています。お役に立てると思いますが」
レイは、ぐっと拳を握りしめ、キースを見つめる。
ここに来るまでに、あれだけ人を見殺しにしておきながら、ただ帰ることなど出来るわけがなかった。
キースは、目をそらさずにレイを見ていたが、不意にため息をついた。
「さっき、聞いたな。現状についてどれだけ知っているかって」
「……はい。聞きました」
急な話の転換に、レイは戸惑いながら首を縦に振った。
「知りたければ、教えてやる。ここを空爆したのはフリーダムのやつらだ」
フリーダムとは、月が名乗っている国名だ。
自分たちの国は、自由だと主張する名前で、地球の一般市民の間ではあまり使われていない名称だった。
キースの言葉は、レイにとって意外ではない。ただ、どうして攻めてこられたのかが、わからないのだ。
「でも、おかしいじゃないですか。月が、フリーダムが攻めてきたのなら、そのタイムラグから、迎撃態勢がこちらも整うはずです」
「やつらは昨日、アフリカ大陸を占領した」
「アフリカを!」
レイは呆気にとられた。
アフリカは、軍事的に強い地域ではなかったが、だからといって、攻められて対応できないほどではない。事実、何度かフリーダムの軍隊を退けてもいる。
「昨日、大規模なフリーダムの軍隊がアフリカに降下した。最大規模だ。いつもの小競り合いの比じゃなかった。3時間ほどで、アフリカは制圧されて、そこを拠点に一気に、軍を展開した。今度は月から地球にやってくるような、時間差はない。ここを含め、各国はぎりぎりの防衛戦を張るのが精一杯だろう」
「しかし、ニュースでもそんなことは一切やっていませんでした」
キースがウソをついているとは思わなかったが、すぐに信じられる話でもなかった。
だが、キースは鼻で笑った。
「発表するわけないだろう。大混乱になる。やつらが、地球に拠点を得たなんてことになれば、戦争は激化するに決まっているからな」
「それは確かにそうですが……。じゃあ、この基地はもう陥落したということですか?」
「8割方な。上がった戦闘機は打ち落とされたようだ。敵に新型機がいるみたいでな。こっちが、ちょうど基地の外にいるときだったんで、ここに来るまで手間どっちまったんだが、あの新型機じゃ、おれでも無理だな」
「大尉でもって、それじゃあ、絶望的じゃ――」
「おい!」
キースが低い声を出した。迫力にレイは押し黙る。
「戦場で絶望なて言葉を使うな。どんな状況であろうと、生き残るための方法を探る。おれはそうやって生き残ってきたんだよ」
「……すみません」
「まあいい。これでわかっただろう。おまえはもどって、シェルターにでも隠れておけ。どうなるかわからんが、生き残っていれば、チャンスはあるだろう」
「大尉はどうするんですか? 中は敵に制圧されているのだとすれば、どうしてこんな真似までして、中に入ろうとするんですか?」
「ん……最初に言っただろう。野望用でここに来たって」
確かに、そう言っていた。特に気にも止めていなかったけれど、キースほどの人物が基地にやってくるのに、噂にもならないのは不思議ではある。
「可能性があるんだよ」
「可能性、ですか?」
「そうだ。この街を守れる可能性がな」
キースは、口の端を上げて笑った。
とても危険地帯にこれから行こうという、人間の顔じゃなかった。
その表情を見て、レイの心も決まった。
「なら、おれも行きます」
「おいおい。話を聞いてなかったのか? 可能性はあっても、中は敵地と一緒だぞ」
「でも、街を守れる可能性がある。一人より二人の方が、可能性はわずかでも上がるでしょう」
「そりゃそうだが……しかたないな」
キースはあきれた顔で、レイを見据えた。
「おい、おまえ。最初に聞いたが忘れちまった。名前は?」
「レイ・ツキヤです」
レイは敬礼をせずに、真っ直ぐとキースを見つめながら答えた。