9.タツマの前世語り
俺はさ、日本て国に住んでたんだ。
そこには俺みたいな黒髪黒目の人間が、いーっぱい住んでるんだ。
信じられるか?
1億2千万以上もの人間が住んでるって言ったら。
へー、このオワリ国には120万人もいるのか?
じゃあ、その100倍だな。
それで俺はその日本の田舎の方で生まれてな、22歳までは勉強してたんだ。
えっ、学者だったのかって?
違うよ、日本では6歳から15歳までは誰でも勉強できるんだ。
そして家に余裕があれば、さらに3年とか7年、時には9年も勉強する人がいる。
おれは大学までいかしてもらったから、22歳まで勉強してたんだよ。
それで就職したのが、中堅どころの自動車部品メーカー。
自動車って何かって?
まあ、馬のいらない馬車って感じかな。
燃料を燃やすエンジンってのを動かして、車輪を回すんだ。
そこで俺は、エンジン関係の部品設計をやってたんだ。
仕事はそれなりに楽しかったよ。
商品を売る直前になって問題が発生して、後始末に走り回ったこともあったけどな。
まあ、けっこう充実してたと思う。
だけど33歳の時に大転換があったんだ。
なぜか俺が、海外赴任することになったんだよな。
海を越えた異人の国で仕事をしろってんだぜ、言葉も通じないのに。
最初は抵抗したんだけど、俺ならできるって押し切られて、行かざるを得なかったんだ。
赴任先は、3人の日本人と数人の現地社員がいる営業所だった。
基本的に営業が仕事なんだけど、顧客のニーズに素早く応えるためにエンジニアが必要だって名目だったな。
最初はそこの所長と2人の営業マンに歓迎されて、感じは悪くなかったんだ。
そんで1週間くらい、いろいろ教えてもらってたらさ、営業の1人が辞めちゃったんだよ、突然。
おいおい、どうすんだよって思ってたら、俺に営業やれって言うんだぜ、所長。
もうムチャクチャだよ。
今まで技術一筋でやってきたのに、いきなり営業やれとか。
営業ってのは、顧客に自社の商品を売り込んで、注文を取ってくる仕事だ。
そのためには常に情報を集めてなきゃいけないし、時には接待とかもする。
他にも在庫の管理とか、トラブル対応なんかもしなきゃいけないから、心が休まる暇が無いんだよ、ホント。
それに加えて言葉も満足に通じないときては、仕事もストレスも溜まる一方だ。
しかも現地の社員は5時過ぎると、みんな帰っちゃうんだぜ。
日本人だけが夜遅くまで仕事してるの。
いわゆるカルチャーギャップってやつ?
それでも後任が決まるまでって条件で、俺は頑張ったよ。
毎日、夜遅くまで仕事して、休日も家に仕事持ち帰ったりしてさ。
最近はどこ行ってもメールや電話がつながるから、仕事から逃げられないんだよな。
あー、メールってのは瞬時に手紙をやりとりする手段で、電話は遠距離で会話する道具だ。
そんで俺は頑張ってたんだけど、何ヵ月待っても、後任が決まらなかったんだ。
何度、所長に抗議しても、”もうじき決まるから、もうじき決まるから”って言われるばかり。
そうこうするうちに、衝撃の事実が発覚したんだ。
ちょっと仕事から逃げたくて倉庫の陰でさぼってたら、現地社員がそれに気付かずにお喋りしてたんだ。
外国語だから、細かいところは曖昧だけど、さすがに1年ぐらいも仕事してるとだいぶ分かる。
そいつらはこう言ってたんだよ。
”日本人は大変だな~、いつも夜遅くまで仕事して。
しかし、あれだろ? あのタツマってのは騙されたんだろ?
前の営業マンが辞めるのが分かっててタツマを呼んで、そのまま営業として使っちまおうって。
あの所長も悪い奴だよな~、ギャハハハハハ”
もうね、それを聞いた時、何を言ってるのか分からなかったよ。
いや、認めたくなかったんだろうな。
俺はしばらく、そこで呆然としてた。
そのうち、ようやく気を取り直した俺は、所長を問い詰めたんだ。
”最初から俺に、営業やらせるつもりで呼んだんですか?”ってね。
そしたら所長、うろたえちゃってさあ。
”いや、それは~”とか、”君には感謝してるんだ~”とか言うだけで話が進まなかった。
もう埒があかないんで、今度は日本にいる開発部の上司に電話した。
”課長、こんなことになってるんですけど、どうしましょう?”って。
さらに、”俺は営業やるために会社に入ったんじゃないんで、帰してください”って頼んだんだ。
そしたらなんて言われたと思う?
”いや、それはそれで不幸な話なんだが、今の君の仕事も重要なんだ。
すでに営業部からは重役を通して話が通っていて、開発部も受け入れてる。
申し訳ないけど、しばらくは今のまま耐えてくれ”
びっくりしたよ~。
いつの間にか俺、元の職場からも売られてたんだ。
この時点でようやく、会社が俺を営業として使い倒すつもりなんだって気づいた。
黄昏たなあ、あの時は。
その晩はメチャクチャ酒飲んで酔い潰れたね。
だけど、次の朝になれば、また仕事は始まるんだ。
えっ、辞めればよかったじゃないかって?
そりゃそうなんだけどさあ、日本人てそういうとこ真面目なのよ。
今俺がやらないと、他の人に迷惑が掛かると思って、仕事しちゃうんだ。
結局俺は、今までと同じように仕事をこなしていた。
1年もやってるとさすがに仕事にも慣れてきて、やる気が無くてもなんとかなったってのもある。
それからしばらくは、おとなしく仕事をしてた。
だけど、なんの希望もなくてさ、まるで死んでるみたいだったよ。
それを見た所長は、安心したんだろうな。
あろうことか、今度は俺に数字を求めてきやがったんだ。
たしかに営業ってのは数字を上げてなんぼだけど、俺に割り当てられる目標がどんどん厳しくなりやがった。
そうすると、さらに仕事が増えるよね。
でも俺のやる気は上がらないから、もう悪循環だよ。
そんな状況で無理して仕事してたら、とうとう体がおかしくなってきた。
訳もなく不安になるとか、頭痛や動悸なんかの症状が出てきたんだ。
軽度の精神疾患ってやつだな。
俺は精神的にタフな方だと思ってたけど、これには参った。
初めて身の危険を感じたよ。
このまま仕事を続けてたら、本格的なうつ病になっちまうってね。
そこで俺は、迷わず病院の精神科に駆け込んでやった。
そしたらちゃーんと診断書を出してもらえたよ。
次にどうするかっていうと、もちろん診断書を所長に見せた。
ていうか、突きつけた。
”こんな状況なんで、もう仕事は続けられません、日本へ帰してください”って言ってね。
そしたら所長、またうろたえちゃってさあ。
油汗流して俺に言うんだ。
”今、君に抜けられたら困るんだ。後任が決まるまでもう少し頑張ってくれないか”ときたね。
さすがに俺も、これにはブチ切れた。
”所長は私を破滅させたいんですか? ただちに後任を決めてください、1ヶ月以上は待てません”
と言ってやったよ。
所長もこれには反論できず、泣く泣く本社と連絡を取ってた。
それからすぐに俺の帰国が決まり、引っ越し準備や諸々の手続きに入ったね。
仕事の方は最低限にとどめ、俺はなんとか精神の平衡を保ったまま、日本に帰ることができたって寸法だ。
えっ、営業の仕事はどうなったのかって?
知らないなあ、所長がどうにかしたんじゃない。
それで帰国してからどうしたかっていうと、まず休暇を取った。
貯まりに貯まった有給休暇があったからな。
そしてその合間に、会社と今後の話をしたんだ。
会社からは、元の職場への復帰を打診されたけど、先が暗いのは目に見えてる。
決して穏便な方法で帰国したわけじゃないから、今後の出世は望めないからね。
さらに言えば、俺を売った上司を、もう信頼できなくなっていた。
結局、退職金を少し積み増してもらって、会社都合で退職することにしたよ。
13年足らずの、長いんだか短いんだか、よく分からない会社人生だったな。
その後は、失業手当をもらいながら、しばらくのんびりしてたんだ。
そしてそろそろ次の仕事を探そうかな~、と思ってた矢先にこの世界へ来たわけだ。
最初はびっくりしたけど、前世には大した未練も無い。
そういう意味では、新しい人生をやり直すにはちょうどよかったのかもしれないな。
だから、これからよろしく頼むよ、スザク、ホシカゲ。
2017/9/2 後半で聞き手への説明がないとの指摘があったので、少し修正しました。
ただし外来語とか細かい用語を全て説明するのも不自然なので、そこは現地語で意訳されているとご理解ください。