7話 とんでもないことになった
理解ができなかった。
色々なことがわからなかった。
ナユタは驚く暇もなく、台風の目となった。
しかし、彼女は自分が騒ぎの中心だと気付いていなかった。そんな隙もなかった。
目を開けて、真っ暗だと思われた周囲に光が差すと、そこは記憶にある図書準備室ではなかった。
自分が転がっていたのはもっと広い空間だった。
甲高い悲鳴を聞いた。
江角女史の声とは違う、若い女の声だ。
次第にはっきりする頭と視界。
視線を巡らせると、見知らぬ男と目があった。彼はなんだかひどく恐怖しているような顔だった。
もしかして自分を怖がっているのかとナユタが思い当たる時には、彼女は既に他に数人いることに気づいていた。
そしてある人に目を止めた。
綺麗な人だった。
まだあどけなさの残る少女だ。
しかし、とんでもなく美しい。
こんなに綺麗な少女をナユタは見たことがなかった。残念ながら、怯えの見える表情だったが、それでも綺麗だとナユタは見惚れた。
大きく見開かれたぱっちりした目は、夜明け前の空の様に澄んだ紺色で、信じられないくらい睫毛も長い。花びらみたいな唇も、鼻筋の通った鼻も小さくて形が整っている。
それらを収めている卵形の輪郭はびっくりするほど小さくてスマートだ。
蜂蜜みたいな金色の髪は、高貴そうで、豪奢で、柔らかそう。
ナユタは目を細めた。
「く、曲者!」
彼女は、ナユタに向かって大声を上げた。
ナユタが目を丸くする。肘をついて軽く上体を起こす。
ナユタはようやく、その美少女や見知らぬ人たちが、まるで舞台衣装のような、古臭くて、それでいて明らかに上等な服装をしているのに気づいた。
彼女は完全に身体を起こした。
何やら騒がしい人達に眉を顰める。
「誰…?」
その年頃にしてはハスキーな声を、周囲は耳に留めなかった。
「な、何者だ!どうしてここにいる!」
壮年の男が声を震わせて叫んだ。僅かに耳に違和感があった。
ナユタは思わず自分の身体を見やった。制服を着ている見慣れた身体だ。
自分は自分だった。
すると、恐らくこの部屋の外と思われる場所から、金属が軽くぶつかるような音が沢山聞こえてきた。
「王女殿下はご無事か!?」
逞しくて低い声だった。
「バラン隊長!」
扉から鎧ーーおそらくかなり軽装の鎧だろうーーを身につけた大柄な男性が覗いた。
壮年の男が、慌ただしく室内の女性達を外に出した。美少女も当然いなくなった。
ナユタは、あの美しい人がおそらく「王女殿下」なのだなと思った。
鎧の男性は女性達を保護しながら、ナユタの方を睥睨した。
ナユタはぶるると身を震わせた。恐怖もあったが、このあまりにおかしい状況に置かれている自分を認めるのと、その状況とやらを把握しようとするのにかなりの気合が必要だったのだ。
ここはどこで、彼らは誰で、自分はどうなったのか。
「ユーグ卿、カシュー男爵、私は決してこの部屋には入れない者だが、この状況を放置もできないのだ」
軋む歯の間から漏らすように、鎧の騎士が言った。
「陛下には私がお伝えします」
背の高い紳士の声を聞くや否や、騎士は扉の境を越えて歩いてきた。
ナユタは逃げなかった。騎士の腰には細長い何かがぶら下がっている。剣だと思った。そして、何故かそれが装飾でなく実用品であるという確信があった。
ナユタはじっと男の顔を見つめた。壮健な体つきや身のこなしとは裏腹に、皺のの深い顔は思ったより年を取っていた。
「お前は誰だ」
問う声は、これまでとは違って意外なほど穏やかだった。
「わかりません」
ナユタは落ち着いて答えた。老騎士は眉間に少しだけ皺を寄せた。
「なんだと?」
ナユタは彼の顔をじっと見たまま話した。
「私は、自分が誰であるか記憶をなくしてはいません。ですが、今ここで私が何者であるかの答えは知りません」
視界の端で、背の高い紳士が目を見張ったのを捉えた。老騎士はナユタから視線を外して、ちらりと彼を見やった。
「ここがどこであるか、わかっているのか?」
「わかりません」
ナユタは正直に言った。
老騎士は溜息を着いた。
「……武器は持っているか?」
ナユタは首を傾げた。変な質問だった。自分が不審者で、武器を隠していて、尋問にあったら、多分嘘をつくのだが。
「持っていないと思います」
いつの間にか、ナユタは無意識に正座していた。
「立てるか?」
「……ちょっと待ってください」
ナユタはゆっくり立ち上がった。問題ない。
「立てました」
老騎士は頷いた。
「では、こちらに来い」
ナユタは逆らわなかった。さすがに逆らうメリットがなさそうだっだ。陰気臭い部屋を出ると、広く、暖かく、綺麗な部屋を通った。
かなりの人数がナユタを囲んで移動した。
時折、天井の高い廊下の窓が開け放たれているのを見ながら、ナユタはこっそり溜息をを吐いた。彼女の中では、今は冬である。もっと空気は厳しくて、冷たいはずだ。
窓が全開であれば、息が白くなるはずなのだ。
空気は暖かかった。
とんでもないことになったようだと思った。
別に無理やり移動されられたり、縛られたりもなく、移動した。
周囲が乱暴でないことに、少しほっとした。ナユタが話した老騎士は、今も集団の先頭を歩いている。彼は間違いなく権力ある大人だった。
でもナユタがおとなしいせいか、とくにひどいことを言うでもない。
ただ、連れて行かれた先は不審者にふさわしく牢屋であった。
ナユタは思わず、少し顔をしかめた。