3話 お姫様の我儘
主人公が出てこない・・・。ちょいと説明回
アニーシアは制止の声も聞かずに父の居室の扉を叩いた。
「父様!」
「アニーシア……」
返答も受けず開いた扉の先には父の呆れ顔がある。
父は顔が移りそうなほど磨かれた見事な執務机につき、額を押さえていた。
経験の長い彼の侍従は、不快そうに眉をぴくりと動かしたが、慣れた様子で王女に礼をした。
王女は侍従の礼など見もせずに父の執務机に駆け寄ると、両手をついて身を乗り出した。
「父様、ロウリザリエの鍵を使わせて欲しいの」
お昼のデザートはベリーのケーキが食べたいの、くらいの軽さで強請られた内容に、ツールー国王ベネツクラインは目を剥いた。
国王の信頼も厚い、壮年の、身なりの整った侍従の眉間に、ギシっと音がしそうな勢いで深い皺が刻まれた。
「……何故、ロウリザリエに?」
受けた衝撃に若干戸惑いを隠しきれない様子で、ベネツクライン王は娘に問いかけた。
アニーシアは内証話をする顔になり父の方にさらに身を乗り出した。
「あら、たいしたことじゃないの。こんなこと言って大丈夫かしら。大丈夫よね?」
アニーシアは侍従の苦いの顔をちらりと見て、下唇に人差し指を当てた。
「ユーグ卿になら言っても大丈夫よね?そんなに変なことじゃないわ……」
低い声で彼女は早口に呟くと、少なくとも見た目には真剣な表情になった。
「こっそり……こっそりよ?ビレシオ従兄様にロウリザリエを見せてあげたいの」
その時、話を聞いていた二人の表情の変化は見ものだった。
「ア、アニーシア……!!」
「なりません」
ベネツクライン王が震えた声を上げるのと、ユーグ卿がいっそ厳かに言い切ったのは同時だった。
「えっ」
アニーシアは驚いて机に乗り出していた身体を退いた。
まさかそんな反応が返ってくるとは考えられなかったのだ。
ユーグ卿は早足で執務室の扉まで開けると、続きの間を見渡した。
「……騎士ソールシャ、人払いをします。向こうの扉の前で待機しなさい」
彼が片手で支える扉の向こうで、若い男の声が短く返事をした。
ユーグ卿は執務室の重厚な黒材の扉を閉めると、部屋の主に目配せしてから鍵を閉めた。
「な、なあに?仰々しいわね……」
流石のアニーシアも深刻な様子に怖気づいた風だが、努めて明るく声を出した。
ユーグ卿はそんな彼女を一度冷ややかに見やって、また執務机の方に戻ってきた。
「陛下、私から王女殿下に質問することをお許しください」
「……許可する」
ベネツクライン王は傍から聞いても疲れたふうの声で、彼に発言を許した。
「では、まず」
ユーグ卿は王女に向かってわざとらしく、しかし品が悪くならない程度の咳払いをした。
「殿下、この度はハイドーア公殿が、ロウリザリエに入りたいと、殿下にお頼み申されたのですかな?」
口調は慇懃だったが、ユーグ卿の眼は強くアニーシアを見つめている。アニーシアは慌てて両手と首を振った。
「いいえ、ビレシオ従兄様はそんなことおっしゃらないわ」
ユーグ卿は眼を細めた。
「ほう」
「今朝、従兄様と銀の庭園を歩いていたら、――ほら、あそこからロウリザリエの窓が少し見えるでしょう。そうしたら、私が昔にロウリザリエに入った時の話になったけれども、あの、あまり覚えていなかったものだから……ロウリザリエの中がどうかと、従兄様に聞かれたのに、私答えられなくって……」
ユーグ卿から目を逸らしてまくし立てるアニーシアの両手は、指を編んだり、手をこすり合わせたりと忙しい。
「せっかくビレシオ従兄様がご興味を持たれてたみたいなのに――だから、いっそ中を案内できたらと思ったのよ!だって、いくらロウリザリエが特別だからって、ねえ?ビレシオ従兄様は父様の、お姉さまの、息子なんだもの、ね?」
最後のほうはかなり早口で、声が上擦っていた。彼女はいくらか期待してちらりと父王とその侍従を見たが、結果は芳しくはなかった。ユーグ卿の眉間などは、彼女が話し始める前よりももっと深く溝が刻まれていた。
「あ、あの、ほんとにこっそり――ちょっとだけなの、きっとビレシオ従兄様も喜んでくださるわ!」
アニーシアは、両手を強く握り締めて、必死に訴えた。
二人の大人は、アニーシアが言い終わるまで忍耐強く聞いていた。そして、彼女の言葉が切れると、それまで王女をじっと見つめていたユーグ卿は再び国王のほうに体を向けた。
「陛下、再度私が、いくつか質問してもよろしいでしょうか?」
「ああ……」
ベネツクライン王はいくらか投げやりに返事をした。
「アニーシア殿下」
すらりとした体躯のユーグ卿は、自分より頭一つ半ほど背丈の低い王女に合わせて屈みこみ、その目を覗き込んだ。
あらたまった様子に、アニーシアは少し怯んだ。
「このアビライティアに、ロウリザリエを造ったのは、暦代のどの国王ですか?」
アニーシアはむっと唇を尖らせた。
「それくらい、誰でも知っているわ。バノイ1世よ」
「はい」
ユーグ卿は頷いた。
「内分裂を起こしたわが国を、再び一つに統治した英雄であり、現王朝の初代であらせられる偉大なるセグレー王の妻にして、史上唯一王家の血をひかずに国王となった、バノイ1世が、即位後に建造されました」
いちいち丁寧で詳しく、しかも妙にゆっくりとした口調で補足されたアニーシアは、馬鹿にされた気分になってユーグ卿を睨みつけた。しかし、彼はそれに少しも影響されなかったようだった。
「バノイ1世は即位中、ごく少数の信頼できる管理人以外には、その、壮麗なる図書室に立ち入る権利を与えませんでした。退位後、その権利は新たに国王となったその息子オーファン王に引き継がれ、彼もまた、自分の子供にしかロウリザリエへの権利を与えず、それは今日にも続いています」
アニーシアは、ふんと鼻を鳴らした。
「そ、その権利を与えるのは、今は父様じゃない。だから父様が――」
ユーグ卿はその先を与えなかった。
「アニーシア王女殿下は、ルーディアルク王太子殿下と、ハイドーア公が、いずれ王権を争われることをお望みですか?」
意外な方向に話が飛んだアニーシアは、はしたなくもぽかんと口を開けた。
「は?」
ユーグ卿は、王女の眼前でありながら、しかもその父である国王の前で、堂々とため息をついた。
「国王と、その直系のみにこれまで許されてきたロウリザリエの権利を、ハイドーア公にお与えになる。確実に、次代の王位継承に影響いたします」
咎められる視線を向けられて、アニーシアはかっとなってユーグ卿を見上げた。
「私、そんなこと言ってないわ!」
「そうですか」
ユーグ卿は冷淡に応えた。
「アニーシア……」
様子を見ていたベネツクライン王は、堪えきれなかった様子で娘を呼んだ。
「ビレシオをロウリザリエには入れられない。そんなことをしたら、ビレシオが王位に手を出そうとしていると言われて、彼を排除する動きが出ても不思議はないのだ」
「び、ビレシオ従兄様はお兄様と争おうなんて、そんなことする方じゃないわ」
ユーグ卿がわざとらしく頷いた。
「そうでございますとも。勤勉で、学に長けていて、思慮深くあらせられる」
「でしょう?だから、こっそり……」
「なりません」
不毛な会話に、ベネツクライン王は執務机に頬杖をついた。
「アニーシア、お前の言っていることはビレシオにとっても良くない。いくら知れないようにしても、もし分かれば王宮を揺るがす醜聞になる。ルーディアルクも捨て置けないとして、留学を切り上げて帰城するだろうよ」
「……」
アニーシアは押し黙った。大好きな従兄にいいところを見せたいが、自分に甘い父は反対するし、宮廷に影響力を持つ年季の入った側近は取り付く島もなさそうだ。
そして、彼女が大の苦手とする、厳格な実兄の影がちらつくと、アニーシアの勢いはすっかりしぼんでしまった。
「……わかったわ」
彼女が執務室を出た後で、深い深いため息がふたつ、部屋の中にこだました。
ハイドーア公爵=ビレシオ従兄様
ヒロイン姫は、おつむがアレでも大抵はびしょーじょ力で乗り切る。しかし今回は旗色が悪い。