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ヒーロー、パトロールをする

 それから一週間ほど経った後のある日。夕方、予定通りおじさんが僕の家にやってきて、玄関先で、うちの母と、


「まあまあどうもどうも。わざわざありがとうございます!本当にもう遠いところこんな田舎に」


「いえいえお母さん、お気遣いなく。これが私の仕事ですから、いや、そんな頭を下げられても困ります、本当、当たり前のことをしているだけで」


と、脇で見ている僕が嫌になるくらいおおげさなやり取りをした後、僕に向かって、


「元気そうだな。じゃ、行くか」


と言うので、僕は言われるままにおじさんと外に出た。


 僕がおじさんの家におじゃました次の日、おじさんから電話がかかってきて、前の晩酔ってしまったことを一通り謝られた後、今度一緒にパトロールをしないか、と誘われたのである。なんでもそれはおじさんがヒーローになってからずっと続けている日課なのだという。


「君の家の周りをパトロールしてもいいぞ。F(僕の実家は栃木県のF町というところにあるのである)ではパトロールしたことないしな。何しろ、」


家に引きこもってちゃいけない、どうだ一緒に、と、前と同じようなことをおじさんは言うのである。


 僕は前の晩のこともあり、もうおじさんに会うことに少しうんざりしていたが、F町に来てくれるというし、断る理由が見つからなかった。僕はパトロールに付き合うことを承諾した。そうしておじさんのアルバイトが無いという一週間後の今日に、日取りをしたのだった。


   *


 僕の実家は商店街の中にある。それは商店街とは言っても、過疎化だったり近所にスーパーマーケットができたりした影響で、大半の店はシャッターを閉めてしまっている、うらぶれた通りだ。午後五時、僕とおじさんはその商店街を連れだって歩いた。おじさんはいつも通り黒の戦隊ヒーローの格好をしている。僕たち以外にあたりに人はおらず、僕は近所の人々にこんなおじさんと歩いているところを見られずに済み、ちょっとホッとした。


 どこをパトロールするのか、特に決まりはないということだったので、僕はいつも自分が歩いている散歩のコースにおじさんを案内することにした。商店街から細い路地に折れ、住宅街に入る。家々の屋根の上で太陽はまだ空高く輝き、僕とおじさんをじりじり照らしてくる。


「パトロールって、具体的に何するんですか」


 僕は気になっていたことをおじさんに聞いてみた。


「何って、特に・・・。こうして歩いていくだけだよ」


「そうなんですか」


「運がよければ、怪人や怪物が出てきて、戦闘になって、そいつらを倒す。まあ滅多に無いことけどな」


「怪人とか怪物、ですか・・・」


僕は病気になって実家に戻ってきてからの二年間、雨の日以外はほぼ毎日この散歩コースを散歩しているが、いまだに怪人や怪物なるものには遭遇したことが無い。もっと言えば、今まで二十九年間生きて来たが、そんなもの見たことも聞いたことも無かった。


「地域の平和と安全を守る、地味だがヒーローにとっては一番基本的で大切な活動だよ。栃木県南部の平和は、私がパトロールをして守っていると言っても過言じゃないと思う」


 おじさんが自慢げにそう言ったとき、道の脇に建っていた住宅の二階の窓が、からからっと開いた。そしてその窓から、男の子が姿を現して、


「不審者だ!不審者!」


と、こちらに向かって叫んできた。叫び終えると、男の子はからからっと窓を閉じてしまった。


「・・・」


「・・・」


 僕とおじさんは子供に叫ばれて、一瞬足を止めた。しかし男の子が窓の向こうに消えてしまうと、何も言わずに再び歩き始めた。


   *


 住宅街をしばらく行き、線路を越えてやがて田んぼ道へ出た。先日母と喧嘩をした道である。そう言えば、あの喧嘩がもとで母がおじさんを呼んだのだったな、と僕は少し感慨深かった。ちょうど田植えの時期で、小さな緑色の苗が植えられている田んぼと、まだ苗が植えられておらず水が張られているだけの田んぼとに分かれていた。向こうにある丘から、気持ちのいい風が吹いてくる。


「いい天気ですね、そう言えばこの間ここで母と――」


 僕がおじさんに話しかけようとすると、


「しっ」


鋭い声で止められた。おじさんはちょっと足を止め、


「いる」


と言った。


「え?」


「あそこだよ、あそこ」


 そう言いながら、僕たちの行く道の先を指差すのである。言われるままに前方を見ると、三十メートルほど先のところに、なにやら緑色をしたものがアスファルトの上にあった。


「行くぞ」


 おじさんはなぜか声を小さくしてそう言い、歩みを再開した。僕もその後についていった。――すぐにおじさんの指差したもののそばにたどり着いた。


見ると、バケツほどの大きさでぷるぷるとゼリー状で緑色をした、僕がこれまでの人生ではまるで見たことの無いものだった。どうやら生き物のようで、ナメクジのようにゆっくりと道の上を這っている。這ったその後には、銀色をしたねばねばした液体がアスファルトを濡らしていた。ゼリー状の体内の中心には、黒っぽい色をしたビー玉のような球体が、三つ、浮かんでいるのである。近づくと、卵が腐ったようなひどい臭いがした。


「うっ、なんなんですか、これ」


 僕は異臭に思わず鼻を手で覆いながら、おじさんに聞いた。おじさんは生物のそばに立ち、その生物を見下ろして、


「スライムだよ」


こともなげに言った。


「スライム?」


「うん。スライム。あーあ、こんなに肥大しちゃって。この間の雨を吸ったな」


「スライムって、あの、ゲームとかによく出てくる?」


「そうだよ」


 僕はすっかり驚いて、声も無くそのスライムだという生物を見つめた。スライムは僕やおじさんがやって来ても特にこれと言った反応を示さず、ぷるぷる体を震わせながら、ただゆっくりと移動している。


「・・・どうするんですか、これ」


 しばらくの沈黙があった後に、僕がおじさんに聞いた。おじさんはつまらなそうに、


「こうする」


と言って片足を上げ、スライムに向かって勢いよくその足を振り下ろした。がっ、と鈍い音がして、スライムの中央部分がおじさんの足型にへこんだ。


「あっ」


 僕は思わず声をあげた。おじさんはそれにかまわず、


「よっ、ほっ」


と言いながら、二度、三度、スライムを踏みつけた。スライムはそのたびにぶにゅん、ぶにゅんと体をへこませていき、四度めに踏みつけられたとき、


ばちゅんっ


と小さく音を立てて破裂した。その体が四方に飛び散った。僕は慌ててスライムの破片を避けた。辺りに静寂が訪れた。


「これでよし」


 おじさんはやはりつまらなそうにそう言うと、ブーツの底をアスファルトにぐりぐりとこすりつけて、底に付いた液体状のスライムの破片を落とした。だいたい底がきれいになると、ヒーロー服についているポケットから携帯電話を取り出し、どこかに電話をかけた。


「・・・あ、お疲れ様です、エンドウです。・・・ええ、今パトロールをしていて、スライムを一匹。・・・はい、はい、ありがとうございます、十五日ですね。よろしくお願いします、・・・失礼します」


 おじさんは電話を切った。そして、何事も無かったかのように歩き始めた。僕もその隣についていった。


「初めて見ました」


「スライムを?」


「はい、びっくりしました」


「まあ田舎だからなあ。そんなに珍しいものでもないよ」


 そんなものなのかなあ、と僕は思った。僕とおじさんの前には、相変わらず田園風景が広がっている。


   *


 それから田んぼの中を十五分ほど歩き、車通りの激しいバイパスを横切って、W川の土手の上に出た。当たり前のことだが川には人が少ない。人の少ないところをパトロールしても成果が上がるものなのかどうか、疑問があったが、僕はかまわず土手を歩くことにした。それは毎日の散歩でそこを歩くのがくせになっていることもあったし、おじさんに川の土手の上を案内したいという思いもあった。人を案内したくなるくらい、その川の景色は良いものだった。


 僕とおじさんが歩く、その左手に、川はぐんと湾曲して流れている。川幅は広いけれども水量が少なく、底は浅い。川のこちら側の河原はものすごく広くて、その一部は数百メートルも続く、綺麗な芝が生えたグラウンドのようになっている。そこはグライダーの発着場で、休日にはグライダーがひっきりなしに飛ぶのだった。


 どうです、いい景色でしょう、F町は何にもない町ですけど、ここの景色だけはちょっと自慢したくなるんです。そうか、そうだな、悪くないよ。そんなことをしゃべりながら二人、土手の上を歩いていたときだった。


「あ」


おじさんが突然立ち止り、ばかみたいに口をぽかんと開けた。


「どうしました?」


僕が聞くと、おじさんは口を開けたまま北の空を指差した。おじさんの指の先を見て、僕も声をあげた。


「あ」


 川の向こう岸のはるか先から、大型草食恐竜に翼を生やしたような格好の、巨大な赤い動物が、ばっさばっさと翼をはためかせながら、こちらへ飛んで来るところだったのである。その動物は全身が硬そうな鱗に覆われて、顔はイグアナのよう、頭に大きな角を二本生やして、


「きっしえぇぇぇぇ」


大声で一鳴きし、ごおおお、と口から中空に炎を吐いた。


「ドラゴンだな」


「ドラゴン、ですね」


 僕とおじさんはドラゴンを見ながら呟いた。僕は驚きよりも、そのドラゴンの存在感に圧倒されて、もはや一言もなく、呆れてしまった。


ここで僕は断言したいのだが、人が、存在しないと思われていた生物や物体――UMAやUFOなど――に遭遇した時、特にそれが巨大なものであった場合、驚き、パニックを起こし、泣き叫んだりなどは決してしないものなのである。そこから生じるリアクションは、驚きを通り越して、ただただ呆れてその生物ないし物体を見つめてしまう、それに限るのだ。


 そうやって僕が呆れ返ってドラゴンを眺めているうちに、ドラゴンは空を優雅に飛んでこちらに向かって来て、広々としたグライダーの発着場に降り立った。そうして発着場の隅の方へと歩いたかと思うと、翼を畳んで芝生の上に寝転んだ。


「ど、どうしましょう」


 僕は隣にいるおじさんに尋ねた。


おじさんは先ほどのスライムの時と同じようないかにもつまらなそうな顔をして、


「大丈夫だよ」


と言い、再び携帯電話を取り出した。


「あ、エンドウです。今F町に居るんですが、・・・そうです、ドラゴンです。・・・はい、よろしくお願いします」


おじさんは電話を切ると、僕に向かってこう言った。


「応援に自衛隊を呼んだよ。もうすぐ来るってさ。私の携帯のGPSでこっちの場所を把握してるんだ」


「自衛隊って、じゃあ、戦わないんですか」


「戦う?私が、あれと?」


おじさんは眼鏡の奥のつぶらな瞳を丸くした。


「はっは、無理無理!あんなの、巨大化できるタイプのヒーローじゃないと。私は巨大化できないもん」


ぬけぬけと、そう言うのである。


「せっかくだから、戦闘を見学して行こうか」


 おじさんはそう言うと、シロツメ草が一面に生えた土手に腰を下ろした。僕もそれに習って、おじさんの隣に座った。ドラゴンはおとなしく、グライダー発着場の隅で寝ている。ドラゴンが呼吸をする度、その赤い腹が膨れたりしぼんだりを繰り返していた。


 二十分ほど経った時だった。きゅらきゅらきゅらきゅら、と、辺りに異様な音がしてきたかと思うと、僕とおじさんの座っているところから右手に二十メートルほど行った土手の上に、突如戦車が二台、出現した。


「うわあ、すごいな」


僕は思わず声をあげた。戦車を見るのも僕にとっては生まれて初めてのことだった。それらは迷彩色に塗られて、てっぺんの銃座には迷彩の軍服を着て緑色のヘルメットを着けた自衛官がいた。その自衛官のうちの一人が、土手に現れてすぐ、こちらに気づいて敬礼してきた。おじさんはいかにも僕に自慢げに、土手に座ったまま敬礼を返した。


 戦車は土手の上でちょっと立ち止まったかと思うと、おそらくドラゴンを確認したのだろう、きゅらきゅら、キャタピラの音を再び響かせて土手を降り始めた。土手を降りて、発着場に入り、ドラゴンと二、三十メートルのところまで距離を詰めた。ドラゴンは戦車が近づいてくるのにもかまわず、寝転がったままだった。戦車はドラゴンに対して二台が平行になるように並んで停まった。砲台が音もなく水平に回り、大砲の先がドラゴンに向けられた。そうして、なんの前触れもなく、出し抜けに、


どんっ。どんっ


 大砲がドラゴンに向かって発射されたのである。それは見事に寝ていたドラゴンに命中し、すさまじい爆音を響かせながら爆発した。爆煙がドラゴンの体を覆った。


「あんぎゃああああ」


ドラゴンの叫び声が聞こえた。数秒して煙が薄まり、見えてきたドラゴンは、無残だった。首の付け根と、わき腹に大きな穴が空き、皮膚がぶすぶす焼きただれていた。その穴からは真っ赤な鮮血があふれ出ていた。片方の翼が吹き飛び、体から数メートル離れたところに落ちている。ドラゴンはぴくりとも動かなかった。


「即死だな」


 おじさんがぽつりと言った。


「なんだか、かわいそうですね」


僕が応じた。するとおじさんは、仕方ないさ、どっこいしょ、と言って立ち上がった。


「行こうか。どうせこのあとは後片付けとか、もろもろの手続きとか、見ててもつまらないことになる」


すたすた、もう歩き始めているのである。慌てて僕もそれを追いかけた。


 夕焼けに染まる土手の上を、僕とおじさんは歩いた。僕はまだドラゴンや戦車が珍しく、時々後ろを振り返った。ドラゴンは静かに発着場に横たわっていた。その周りを、戦車から降りた四、五人の自衛官が、ライフルを持って囲んでいる。非現実的なそれらの姿を、夕陽がオレンジ色に染めていた。


「一万円、なんだ」


おじさんが出し抜けに話しかけてきたので、僕は後ろを見るのをやめ、おじさんの方を向いた。


「はい?」


「ドラゴンがいるってパトロール中に通報しただけで、報酬として一万円、私は貰えるんだ。さっきのスライムは、倒して二万円。ヒーロー業はうちの会社では成功報酬制でね。そういう意味じゃ、今日は非常に運が良かった」


おじさんは前を向いて、表情も無く、淡々と話していく。


「・・・」


僕はおじさんが何を言おうとしているのか、黙ってそれを聞いた。


「君を就職させたら、十万円、ていう話だったんだ。だからハロワにも連れていった」


「・・・」


「でも、なんていうか、・・・なあ、何かやりたいことはないのかい?」


「はい?」


唐突な質問だった。おじさんは僕の答えを待たずに続けた。


「就職だのなんだのはとりあえず置いといてだな、君が何かやりたいことがあったら、まずはそれができるように、応援したいんだ。もし無かったら、やりたいことを探すところから始めてもいい。就職とか、そのために十万円とか、本当にもうどうでもいいんだ。ここまで関わった以上は、きっと助ける。それまでずっと、見守っているぞ。なんて言ったって、私は、ヒーローだからな」


 近くの空でひばりが鳴いていた。僕は淡々として語るおじさんのその表情を、隣で眺めながら聞いた。おじさんは行動がめちゃくちゃだし、腹は出ていてまるでヒーローに見えないし、断じて、断じてちっとも尊敬できる人では無いが――この言葉は、少し信じてもいいかも知れないと、思った。

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