ヒーロー、飲む
その後駅までの帰り道で、おじさんが、今度うちに来て一緒に飲まないか、と唐突に言った。とにかく、家に引きこもってちゃいけない、外に出てパーッと飲んでウサを晴らしてだな、病気なんて吹き飛ばしちゃうんだ、私とになるが他人とコミュニケーションも取れるしな、お母さんだって一歩一歩前進してるんだって、安心するだろう、ほら、あれ、なんだ、ノミュニケーションってやつだよ、ノミュニケーション、ははは。・・・と、こんな具合でうるさいので、僕はおじさんのこの提案を受けることにした。
*
それから二日後の夕暮れ、僕はO駅という駅まで電車で向かった。駅に辿りつくと、おじさんが教えてくれた住所をスマホで調べて彼の家へと向かった。
O駅は新幹線も停まる、栃木県内ではかなり大きい部類に入る駅である。駅前は発展していて、建ち並ぶビルにコンビ二やら居酒屋やら消費者金融の無人窓口やらいかがわしい店やらが灯りを点して、道行く人を誘っていた。
僕は駅前の大通りから細い路地に入った。するとそこはもう大通りの喧騒から離れたうす汚い住宅街になっており、住宅やアパートが夕暮れの中ひっそりと静まりかえっていた。
おじさんの家はその住宅街の中を十分ほど歩いたところにあった。家々が建ち並ぶ路地の一角にある、古ぼけた二階建てのアパートがそれだった。アパートには鉄製の外階段がついており、ひどく錆びついていた。僕は二階に書かれている「コーポ○○」という文字とおじさんから教えてもらったアパート名が一致するのを確認すると、錆びついた階段をかんかんかんと登っていった。
二階にたどり着くと、僕はおじさんの住んでいるはずの号室のインターホンを押した。しかし、いくら待っても中から反応が無い。そもそも、インターホンのピンポンという音が、全然鳴らなかった気がするのである。もう一度、今度は二回続けて、インターホンを押した。やはり何も反応が無いし、インターホンの音も聞こえない。仕方なしにドアをがんがんノックした。階段とおなじように錆びついた鉄製のドアである。すると、すぐにどすどすどすという足音がドアの中から聞こえて、ガチャという音と共にドアが開いた。
「ああ、よく来たな。迷わなかったか」
おじさんがドアの向こうから現れた。やはり、戦隊ヒーローの服を着ていた。
おじさんが勢い込んでとにかくまああがりなよ、と言うのであがらせてもらうと、案内されたのは類を見ないほど散らかった八畳ほどの部屋である。服や雑誌やいかがわしいDVDのパッケージやポテトチップスの袋なんかが床の上に散乱していて、足の踏み場も無い。部屋の中央にコタツが置いてあるのだが、そのコタツの周りにも物があふれて座れそうに無いので、どこに腰を落ち着けていいかわからず、僕は部屋の入り口で呆然と立ち尽くした。
「ああ、ベッドの上に座って」
後ろからおじさんがそう声をかけてきた。見ると、確かにベッドの上はなんとか片付いているのである。僕は床の上の物を踏まないよう、慎重に歩いてベッドまで移動した。おじさんも僕の後に続いてベッドへやってきて、よっ、と言いながらベッドの上にあぐらをかいた。
僕がおじさんの真似をしてあぐらをかきながら、靴下を脱ぐべきかどうか迷っていると、おじさんはベッドの脇の床の上から、スーパーのビニール袋を取り出した。中には巨大なペットボトルに入った甲類焼酎と、パック入りのピーナツとするめが入っていた。おじさんはそれらを僕とおじさんの間に置き、ああそうだグラスが無い、と言ってコタツまで移動してコタツの上にあったグラスをふたつ取り、グラスを洗いもせず、再びベッドの上に戻ってきた。
「さ、やるかあ」
そう言って、いかにもうれしそうにグラスをベッドの上に置くと、焼酎のプラスチックのフタをぱきき、と開けたのである。
*
焼酎とつまみは想像通りの味で、おいしく無かった。おじさんは焼酎を割ることすらせず、そのままどぷどぷと僕のグラスに注いでくるのである。焼酎は香りが無く、まずい水を飲まされているようだった。すきっ腹で飲んでいるせいもあって、僕はあっという間に酔ってしまった。
「あのう」
それまでずっとおじさんが一方的にしゃべっていたところに、酔って元気が出てきた僕が初めて口を挟んだ。
「ヒーローの服、それだけじゃないんですね」
部屋の壁には二着、戦隊ヒーローの服がかけられているのである。一着は緑色を基調としていて、胸のところに鷲の顔のようなものがついており、もう一着は赤色が基調で、こちらは胸のところに手裏剣のようなマークがついているのだった。
「ああ、これな」
おじさんがちょっと首を回して服を見た。
「昔組んでた戦隊のやつなんだよ。緑は初めてヒーローになったときに着てたやつで、赤はその後何年かして戦隊を組んだときのやつだな。そう、赤を着てたときは、リーダーだった。大抵赤がリーダーなんだよ、知ってるか?緑を何年もやってた経験を買ってもらってなあ。良かったよあのころは、子供たちに人気は出るし、おもちゃは売れるし」
「ちょっと待ってください」
「ん?」
「ヒーローって、勝手にやってるんじゃなかったんですか。もっとほら、個人的にというか、趣味みたいな」
僕にとっては衝撃の事実だった。ヒーローというものが本当にこの世にいること自体、これまで生きてきて知らなかったのである。テレビ番組の中にしか存在しないものだと思っていた。
「そんなわけ無いじゃないか、君は。まったく、それじゃ今まで私をなんだと思ってたんだ?趣味やボランティアでヒーローなんかやってられるか。初めて会ったときに言ったろう、会社、じゃなかった、地球防衛軍に所属してるって」
「そりゃそうですけど。まさかと思いますよ、裸で風呂の中でそう言われても。それじゃあ、いるんですか、仲間が。赤とか、青とか、ピンクとか」
「いない」
ぶぜんとして、そう言うのである。
「え?」
「もう十年も前になるかな、解散した。赤とピンクの間に子供ができてな、ピンクは産休に入ったし、赤ももっと安定した職に就きたいって言って。それから、ずっと一人でやってる」
「一人で、ですか・・・」
一人で戦隊ヒーローが務まるものなのか、よく分からなかったが、おじさんの機嫌がどんどん悪くなっていくのが見るからに感じられたので、僕はそれ以上突っ込まないことにした。
「なんだ、一人じゃ悪いか」
おじさんは僕の言葉尻をめざとく捕らえると、焼酎をグラスに注いで、ぐっと一飲みに飲み干した。そうしてピーナツをばりぼり食べて、
「私くらい経験があるとだな、仲間なんて必要無いんだよ。そもそも子供ができたから辞めるなんて、ヒーロー失格なんだよ。なんだあいつら。黄色も青も、『もう自分たちも三十半ばだし、ここが潮時だと思う』なんて言い出して、三人でいりゃ、赤とピンクに新しい人を探しさえすればまた続けられたのに、半ば強制的に解散しやがって。残された私がどんだけ・・・
仲間か。そりゃあ、仲間は欲しいよ。五人で集まって、ビッとポーズを決めれば、それだけで絵になるしな。一人でポーズを決めたって、どうにも締まらない。でもこの齢になって仲間を探すのだって、なかなか大変で」
なんだかとめどもなくなってきた。また焼酎をグラスいっぱいに注ぎ、ぐびぐび飲み干す。
「だいたいこの業界自体が、もう斜陽産業でなあ。ただでさえ子供は少なくなってるし、娯楽も多様化してるし。いまどき戦隊ヒーローが、妖怪ウォッチに人気で勝てると思うか?思わないだろ。まったく景気が悪いったらありゃしない!うちの会社の仕事の受注自体が減ってる上に、若いヒーローから順に仕事が割り振られていくもんだから、ちっとも仕事が回ってこない。
私が今何で飯食ってるか、わかるか?近所のドラッグストアのバイトだよ。ヒーローの報酬だけじゃ、とてもじゃないけど食っていけない。1080円になります、ってレジ打ちして暮らしてるのさ。四十五になるいい大人が!それでようやく三ヵ月ぶりに仕事が回ってきたと思ったら、三十手前のおっさんの、就職を手伝え、だってさ。けっ!なんじゃそりゃ。昔じゃありえない話だ。
私だって何もテクが無いわけじゃない、怪人や犯罪者の一人二人、寄こしてくれれば、昔取ったきねづかでちゃんと向こうに見せ場も作りつつやっつけてやるのに。あああ、それが三十手前のおっさんの就職の手伝い!やってられるか。それでも、この間は、三ヵ月ぶりの仕事だったもんだから、会社から連絡をもらってから、バイトを休んで君の家にまで飛んで行ったんだぞ。それなのになんだ、就職はまるでできそうにもないし。
・・・え、何?帰る?なんだ、まだこんな時間だぞ。酒もつまみもこんなにある。どうせ明日も、何も予定はないんだろう?せっかくだから泊まっていったらどうだ。何、それでも帰るって?」
おじさんがすっかり酔っ払って愚痴っぽくなってきたので、僕はいい加減帰ることにした。おじさんは僕をしつこく引きとめたが、僕はそれに負けず、電車が無くなるから、と嘘を言い張ってアパートを出た。
おじさんの見送りも断って、一人アパートの階段を降りて、星空の下に出た時は、ほっとしてため息が出た。もう二度とおじさんの家には行かないようにしよう、と思った。初夏の夜の風が、さっとひと吹き、僕の体をなぜた。