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ヒーロー、ハロワへ行く

 次の日の午後、僕はおじさんとハローワークに行くために、実家の最寄り駅から電車で二十分ほどのところにある、Sという駅へ向かった。昨日とはうって変わってあいにくの天気で、どんよりとした雲からとめどなく雨が降っていた。


 S駅に着くと、改札の外におじさんが待っていた。あの戦隊モノのヒーローの服を着て、傘を差している。僕はその格好を見てこれから一緒にハローワークまで行くのが恥ずかしくなった。改札口に他に人がほとんど居ないのが救いだった。


「や、じゃあ、行こうか」


 おじさんは何がうれしいのか、ニコニコと笑ってそう言うと僕の前を歩き始めた。ロータリーを抜け、そのまま西へ続く大通りをしばらく歩き、やがて左に折れて細道に入った。


「あの、ハロワの場所、知ってるんですか?」


と、僕が歩きながら聞くと、


「おう。私も昔、よく行ってたからな」


と言う。僕の頭に、就職活動をするスーツ姿のおじさんが浮かんだ。なんだ、やっぱりヒーローなんかじゃないじゃないか、と思った。


 おじさんがせかせかと前を歩いていくので、その後は無言でハローワークまで向かった。ハローワークは、それからさらに住宅街の中を歩き、道を二、三度折れた先の、線路沿いの路地の脇にあった。それは四角い二階建てのクリーム色をしたなんだか陰気な建物で、「ハローワークT(T市のTである)」という文字が二階の壁に書かれていた。こんな人気の無い住宅街にある、駅からも遠いし隣接している道も細い、交通の便の悪い建物に、人なんか来るのかと僕には思えた。


「久しぶりだなあ・・・」


 おじさんは一言そう漏らし、中に入っていった。僕もおじさんに続いた。


   *


 ハローワークの中は入って左手が相談窓口、中央が待合席、右手が求人検索用のモニターが並んでいるコーナーになっていた。フロア全体が蛍光灯で照らされ、建物の外見とは対照的に明るい印象だった。


相談窓口には、フロアの半分ほども占めるL字型の大きなカウンターがあって、そのカウンターが板の仕切りで縦に個別に仕切られて、二十ほどの窓口になっていた。カウンターの向こう側には職員が並び、こちら側には求職者が椅子に座って職員と相談をしている。その求職者の数の多いこと、窓口はほとんど埋まっており、それぞれの職員と求職者が騒がしく話しあっていた。


おじさんはハローワークに入るや否や(戦隊ヒーローの格好をしたおじさんが入ると、待合席に座っていた数人の求職者から好奇の視線が集まった)、相談窓口へと足を向けた。そして、求職者がおらず、空いているように見える窓口へと一直線に向かっていった。僕も慌てて後についていった。


その窓口の向こう側には、三十代に見える女性の職員が座っていた。白いワイシャツを着て、胸のあたりまで伸びている黒髪をパーマでワカメのように波打たせ、顔は全体的に平べったく、地味で、どこか抜けたような雰囲気の女性だった。頭につけている髪どめが派手なピンクであることが、地味な顔立ちの中で目立っていた。カタカタ、カウンターに置かれたパソコンにキーボードで何か打ち込んでいる。


おじさんはずんずん、その女性の前まで歩いていくと、カウンターに片手をついて、立ったまま、


「ちょっとすみません。こちら、二十九で今働いていないんですけど、やる気は十分にある青年なんですが、何かいい就職先はないでしょうかねえ」


いきなり聞いた。女性職員はパソコンのモニターから目を離し、おじさんを見上げると、ただでさえ細い目を眩しそうにますます細めて、


「はい、あの、そちらの総合受付でご相談の予約受付をしていただけますか?順番にお呼びいたしますので」


と、のんびりした栃木なまりで至極当然なことを言った。


「いやいや、それは分かってるんだけど、まあ、すぐに済ませることでもあるしやな」


おじさんはそう言って、窓口の椅子に座ってしまった。僕はその脇に立って、すっかり恥ずかしくなりながらおじさんと女性職員のやり取りを眺めることになった。


「何しろ、若くてやる気はあるんだ。働かなくなって二年以上経つけど、何かしら勤め口はあるだろう?無くちゃおかしい。景気だってずいぶん良くなってきてるわけだからなあ。なあお姉さん、そこんところどうにかならんだろうか」


「失礼ですが、ご年齢は二十九歳なんですか?」


「ああ、ああ、違う違う、就職したいのは私じゃない、こっちなんだ」


とおじさんは言いながら、隣にいた僕の背中をばんばん叩いた。


「ははは、勘違いされちゃったか、無理もなかったな、悪い悪い。それにしても、いい青年だろう?一歩間違えれば、俳優だってできそうなくらいだ。そう言うわけだから、ほら、何か、勤め口」


女性職員は無表情でちょっと僕を見、やはり無表情のままおじさんに向き直って、口を開いた。


「こちらがご本人様、ですね。それではあなたは、お父様ですか?」


「いやいや、違う、見ての通りヒーローだよ。この青年を助けるために活動しているところです」


「・・・」


女性職員は相も変らぬ無表情でおじさんを見つめた。三人の間にしばらく沈黙が広がった。


「・・・分かりました。それではヒーロー様、すみませんが、椅子にはご本人に座っていただくことにします、よろしいですね?(あい、と言っておじさんはそれにしたがって立ち上がり、代わりに僕が椅子に座った)・・・ありがとうございます。さて、あなたは二十九歳で、現在離職中ということですが、以前勤めていた会社を辞めたご理由を、差し支えなければ教えていただけませんか?」


 のんびりした栃木弁で、僕が答えにくいことをずばり聞いてくる。


「はあ、その、仕事のしすぎで、精神病にかかってしまったんです。それで仕事ができなくなって」


「精神病」


「はあ、そうです」


再び沈黙。しかし女性職員の顔には、先ほどとは違ってある表情が表れていた。驚きと気まずさが混じりあって顔のはしばしににじんでいるような、そんな表情である。


女性職員が黙ってしまったので、僕が話の穂を継いだ。もうこうなったら、自分から話してしまったほうがいい、という気持ちがした。


「統合失調症っていう病気なんです。その療養のために、二年間、働いていないわけなんです」


「ご病気は治られたのですか?」


「治っていません」


「そうですか」


「ええ・・・」


「・・・」


また気まずい空気になってしまった。ちょっとの間三人で黙った後で、女性職員がふと思いついたように声をあげた。


「あの、そちらの病気ですと、障害認定を受けておられるのではないですか?」


「はい、精神障害の三級に該当してます」


僕がそう言うと、女性職員はしてやったりとでもいうように一気に元気になって、


「そうですか。それでは、こちらに来るより医療機関にご相談されたほうが良いかと思われます。通院している医療機関に、デイケアはありますか?」


「はい、あります」


「それではそのデイケアのケースワーカーさんなどを通して、就職活動をされることをおすすめします。障害者の方専門の就職斡旋を行っている方々ですので」


「ちょっと待ったお姉さん」


 おじさんが突如割り込んできた。


「それじゃあ何か、ここじゃ勤め口を紹介してくれないっちゅうことか」


女性職員は見るからに慌てた。


「いえいえ、決してそう言うわけではないのですが――」


いえいえ、と言いながら、両手を胸の前に出してぶんぶん振ったのである。昭和の匂いがする、前時代的な仕草だった。


「障害のある方となると、私たちのご案内できる求人では紹介できるものがかなり限定されてしまいますので。なにしろ、一般の方を対象にした求人になりますから」


この言葉がおじさんの火に油を注いだ。おじさんはカウンターに両手をつき、女性職員のほうへ身を乗り出して、


「一般の方ってどういうことだ、それじゃこっちが特別な方だとでも言うんかい」


かなりの大声だった。僕たちの周りにいた求職者と職員が、いっせいにこちらを向いた。


「そういうんが差別って言うんと違うか。だからお役所仕事は嫌いなんだ。いったいなんだと思っているんだ。やる気はあるって言ってるだろ、それに応じてそっちも必死で仕事を紹介するんが筋なんじゃないのか」


 周りは事の成り行きを眺めようとシンと静まり返り、女性職員はいえいえ、そんなことは、いえいえ、と必死で両手を振り回す。僕はいたたまれなくなって、


「もういい、もういいですから」


と言って立ち上がり、おじさんをなだめ、それでもおじさんはおさまらず、上の者呼べ、あんたじゃだめだ、上のモン呼べと叫ぶ。僕は叫んでいるおじさんのその腕を引いて入り口に向かい、すみません、すみませんと女性職員に謝りながら、周囲の視線を集めつつハローワークを出た。


   *


 ハローワークの外は相変わらず雨だった。僕が傘を開き、行こうとすると、おじさんは出口のところで立ち止まっている。


「傘は?どうしたんですか」


僕が聞くと、


「窓口に忘れてきた」


と言う。先ほど爆発したかんしゃく玉に穴が空いて、一気にしぼんだような声だった。


「取りに戻りましょうか」


「いいよ」


確かに、あれだけ騒いだ後に傘を取りに戻るのは、かなり恥ずかしいことのように思えた。


「でも」


「いいって。たまには雨に濡れろ、って言う神様の思し召しなんだろ」


と言って、おじさんは歩き始めた。雨があっと言う間におじさんの肩に落ち、ヒーローの服を濡らした。


 僕はおじさんの後を追い、並びかけて相合傘を差した。そのまま二人黙りこくって、住宅街を歩いた。しばらく行ったところで、おじさんが話しかけてきた。


「あのお姉さんの言ってたデイケアっていうところ、行ってみたらどうだい?」


「いや、もう行ったことがあるんです。でも、大の大人が集まって、習字をしたりハンドベルをしたり、そりゃあつまらないところなんです。当然の話なんですが、いるのはみんな精神病の人たちばかりで、いや、自分ももちろんそうなんですけど、・・・どうもなじめなくって」


「そうか」


おじさんは僕のほうを見ず、前を向きながら言った。


「そうか。じゃあ無理することないな」


 相合傘が届かないおじさんの左肩を、雨が静かに濡らしていた。

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