木漏れ日はいつもあたたかい
セーラー服のまま、森の中を歩く。わたしはまだ少女で、心は灰色で美しく空虚だった。なんで自分がそうなっているのか全然わかんなかったけど、裸足で落ち葉を踏むのは気持ちよかった。
上を見たら、暗い緑色の葉の隙間から場違いなほどに明るい光が差し込んでいた。あたたかいはずの木漏れ日。熱は持っていたけど、わたしの頬にあたるそれは冷たかった。
そうしているうちに、わたしはなんでこうなっているのか思い出した。
恋人とけんかした。
恋人はわたしよりひとつ年上で、テニス部のエース。爽やかで女の子にもてて、誰にでもからっぽな笑顔を向ける。背が高くて日焼けしていて、髪は茶色くて…あれ?どんな顔していたっけ。
わたしと恋人は、いつも通り並んで下校していた。彼はいつも通り明るくいろんなことをしゃべった。わたしはそれを聞いていたけど、何も考えてなかった。耳には入ってきたけど頭がそれを拒否したんだ。
ぼーっとしていたわたしに、彼は申し訳なさそうな顔をして訊ねた。
「もしかして、俺が話してばっかりでつまんなかった?」
ごめんね。呟くように彼の口からこぼれたその言葉は、わたしの耳たぶに当たって、消えた。
煩わしかった。わたしと話したいと思ってくれるのはうれしかったけど、それを聞いて的確な相づちを打つ作業がわたしにとっては苦しかった。
彼はまた、こうも聞いた。
「俺といて、つまんない?」
わたしは答えた。
べつに。
すると彼は悲しそうな顔をした。
「君は冷たいね。君の正直なところが俺は大好きだけど、その大好きなところが俺を傷つけてるなんて、皮肉だよ」
それが、今日の最後の会話だった。けんかじゃないけど、わたしの中ではけんかだった。わたしの正直さが彼を傷つけたように、彼の優しさにわたしは傷つけられた。傷つけあったんだから、けんかだと思う。殴り合いより残酷な、冷戦。
そして、気がついたらこの森の中にいた。きっと家の近くの公園を通ったときに変な道に入り込んだんだ。裸足なのは…なんでだろう。はき慣れたローファーで靴擦れでもしたのかもしれない。
思い出しているうちにもわたしの足は動き続けていた。からっぽな身体。機械的な歩みはお似合いだった。
息が詰まった。とたんに視界がぼやけた。いったん立ち止まった。意識してゆっくり、ゆっくり息を吸ったら、森の湿った臭さが肺に広がった。まるで急に森の生き物になったみたいだった。
木になりたい。ふとそう思った。木になったらゆっくり、好きなことを考えて毎日を過ごせる。しなきゃいけないのは、呼吸と光合成だけ。口がないから、誰かと話す義務もないんだ。
「おい」
後ろから声がした。この森に、わたし以外にも誰かいるんだ。不思議に思ったけど、全くおそろしくはなかった。声の主を知るために振り向くと、そこに人はいなかった。
そこにいたのは、四本足の毛玉。灰色で毛むくじゃらだった。大きな耳に、黄色い目。鋭い牙。
狼。
狼はじっとわたしを見ていた。わたしも同じように見つめ返す。そうでもしないと、鋭い瞳に噛まれてしまいそうだった。
「おまえ、なにしてる」
狼はわたしを睨むように見てそう言った。狼がしゃべってることも、そもそも狼がいることも、わたしには全然不思議じゃなかった。木漏れ日は明るさを無くして、もう熱しか持ってない。
「ただ、歩いてただけ」
「そうか。…その、姿でか」
狼はわたしの頭のてっぺんからつま先までをぐるっと見てそう言った。次の瞬間、わたしの視界は急に低くなっていた。視線を下げると、灰色のごわごわした前足が四本見えた。
「…久しぶり」
知らないうちにその言葉が出た。わたしは彼を知っている。彼はわたしの友達だ。この森のずっと向こうにある、だだっ広い乾いた野原を並んで走ったことがある、そう思った。
「久しぶり」
彼はそう答えた。鋭い瞳は昔と少しと変わらない。いや、わたしが昔だと思っているだけで本当はつい最近のことなのかもしれない。
「群れの、みんなは」
「向こうにいる。行こうか」
わたしは彼と並んで歩き始めた。しっぽを彼のしっぽに絡めてみる。邪魔。そう言って彼はわたしのしっぽを払ったけど、ちくちくした毛皮の感触がひたすらに懐かしかった。
森を歩いている途中で、ふと森の外に目をやった。人間のにおいがした。よく見ると、人間の少年が一人で歩いていた。肌は日焼けして茶色くて、身体が大きい。茶色い髪がさらさらと揺れていた。少年は携帯電話を耳に当てていた。しばらくして、携帯電話を耳から離して、不安そうにそれを見たあと、再び耳に当てた。恋人にでも電話しているのかもしれない。
「どうした」
「べつに」
「そうか」
わたしたちは並んで森を歩いていた。灰色の毛皮を体中に纏って歩いていた。
木漏れ日があたたかい。きっともう夏の初めなんだ。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。