心の真ん中にあるもの
昔、 「 私って何だろう 」 、と悩んだことがあります。
別に誰かから責められたとか、大きな壁にぶち当たったわけではなく、ただ小説を書いていたある日の出来事でした。
書いているキャラクター一人一人が自分の分身であるように感じ、私は悩んでしまったのです。
男性もいる、女性もいる。
年寄りも、若いのもいる。
お金持ちもいる、貧乏な人もいる。
頭がいいのもいる、馬鹿もいる。
その全てが自分のように思えたのです。
そこで冒頭の疑問が生じました。
「私って何だろう」
今まで考えること無く、信じていた何かが、とても脆いもののように感じた時でした。
現実の自分を表現すると、幾つかの言葉では言えました。
でもそれは表面的な違いであって、心の奥にあるもの、軸となるものとは、とても思えませんでした。
「この心の、真ん中にあるものは何だろう」
私はしばらく答えを見つけられずに、悩んでいました。
答えは意外なところから、やってきました。
それは、私の小説を読んでくださった方からの感想でした。
「あなたの小説はどれを読んでも、あたたかい空気を感じます」
どの小説を読んでも?
私ははっとしました。
どの小説にも、どのキャラクターにも共通しているものはなんだろう。
全てが重なる所。
私は一所懸命に考え、探しました。
そこで気付いたのです。
言葉にもできない、言葉にしてしまうと恥ずかしくなるような何かを。
あえて言うならば、冬の寒い日に窓からの光が差し込んで、板の床がほんのり暖かくなっているような。
色で言えば、うすい橙色というか。
そんな微かのものが最後に残りました。
それに気付いた私の感想は、「ちっちゃ(小さい)!」でした。
こんなに自分の軸、心の真ん中にあるもの、土台になるものが小さいなんて、本当にびっくりしました。
こんな、触れば壊れそうな何かをもとに、今まで生きていて、その周りをごてごてとつけてきたなんて……。
私は不安になる一方で、どこか安心をしました。
この、心の真ん中にあるもの、嫌いじゃない。
私は初めて、自分というものを肯定できる、というか自分を好きになれるような予感がしていました。
自分が好きになれれば、誰か一人ぐらいはやっぱり好きになってくれるような、そんな予感に繋がっていきました。
それこそ、病気になろうが、一文無しになろうが、火傷をして見かけが変わったとしても、私が私であるかぎりは大丈夫なのではないか、とその時思ったのです。
もちろん、現実はそんなに単純ではないのでしょうが、でも、どこかでそんな「いつまでたっても変わらない自分というもの」を見つけたような喜びを感じていました。
これからどんな人生が待っているのだろう。
自分の外側はきっと、変わっていく。
でも、死がやってくるまで、きっと「心の真ん中にあるもの」は変わらない。
わずかなものだけれど、私は生きていける自信がつきました。
私は一度やめていた小説を再開しました。
こころの中にある何かが、読んでくださった方を幸せにしてくれることを願いつつ。
形を変えても、表現できない何かが、伝わることを信じて。
私は小さい。
それでいい、と思っています。
ちなみに、私の体格は大きいです。あしからず。