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晴天、ジャガイモ、ときどき不在

作者: 燕尾
掲載日:2026/04/02

ジャガイモって美味しいですよね


 西の空が、じわじわと鮮やかな茜色に染まり始めていた。

 熱を帯びた空気が涼しさを取り戻し、凪いでいた風が畑の葉をざわつかせる。

 世界の端から夜が零れ落ちてくるようなこの色を見ると、私はようやく今日という一日の終わりを実感するのだ。



 ジャガイモ畑での作業は、朝の露が乾く前からずっと続いていた。

 腰に蓄積された土の重みを心地よい痛みとして感じながら、私はただ黙々と鍬を振るう。

 夏は日が無駄に長いせいで、どうしても作業時間が際限なく伸びてしまう。

 夕方までと決めてはいるのだが、空が完全に光を失うまで手を止められない日も珍しくはなかった。



 それでも、私はこの単調な仕事が好きだ。



 誰に聞かせるでもなく、湿った土に向かってぽつりとそう呟いてみる。

 鼻を突く土の匂い、肌にまとわりつく汗の感触、そして無遠慮に芽吹く緑の生命力。

 かつての喧騒など、もうここにはない。


 これら静かな営みだけが、今の私の生活のすべてだった。

 土を噛んだ鍬を古びた納屋の壁に立てかけ、掌についた乾いた土を無造作に払う。

 ふと見上げた空では、引きちぎられたような雲が赤黒く燃え、一羽の鳥がどこか遠い安住の地へ向かって飛んでいくのが見えた。



 さて、帰ろうか。



 ゆっくりと重い足取りで歩きながら、今夜の質素な献立を考える。

 冷蔵庫に残っていた数種類の野菜と、今日掘り出したばかりのジャガイモで何かつくれるだろうか。

 いや、火を使う前にまずはシャワーだ。


 汗で背中に張りついたシャツが、ひどく不快で気持ち悪い。

 そんな些細な日常の不満を頭の隅で転がしながら、私はいつもの玄関の前に立つ。

 使い古された戸に手をかけ、いつものように、何の疑いもなくその面を押した。



「…………」



 開かない。

 不意に指先に伝わった無機質な抵抗に、私は眉を寄せた。

 この家の主である私が、戸を引くことすら許されない。


 ……鍵が、掛かっている。


 おかしい、という思考が脳裏を掠める。

 私は普段、この家に鍵など掛けないのだ。

 この粗末な家に、盗られて困るような価値のある物は何ひとつない。

 並んだ家具はどれも時を吸って古び、ようやく使える程度の代物ばかり。

 財布は常に身につけて歩いているし、家の中には硬貨一枚、貯金箱の類すら置いていないのだから。


 そもそも、物好きな泥棒や犯罪者が、狙いを定める候補にここを選ぶはずもない。

 人通りも少なく、寂れたこの場所で、私に近づこうとする者など……まず、いないのだから。

 そう自分に言い聞かせながらも、私は財布の隅に一応忍ばせていた古びた鍵を取り出す。

 錆びた鍵穴にそれを差し込み、ゆっくりと回した。



「…………」



 開かない。

 やはり、物理的な鍵の問題ではなかった。

 扉そのものが、目に見えない何かに縛りつけられているように固く閉ざされている。

 大気から滲み出した誰かの魔力が、この空間そのものを“支配”しているような、異様な重さ。


 私は小さく一息を吐き、静かに扉へと掌を添えた。

 指先から微かな熱を流し込み、歪んだ法則を、ただ静かに“自由”へと書き換える。

 今度こそ、扉は音もなく開いた。


 家の中は、いつも通りの静けさに満ちていた。

 けれど、吸い込んだ空気が、私の知るそれとは決定的に違っている。

 古びた畳の乾いた匂いに混じって、肺の奥を微かにくすぐる異質な気配。

 それは、どうしようもなく懐かしく、そして何よりも厄介な匂いだった。


 ゆっくりと、奥の襖が滑る乾いた音が響く。

 その音に呼応するようにして、部屋の気配が急激に密度を増した。



 …………やっぱりか。



「や、久しぶりだね……調子どうかな?」


「数十秒前までは、これ以上なく絶好調だったよ」



 私は声の主を見据え、できる限り、今の感情がすべて伝わるようなめんどくさそうな顔を向けた。

 眉の間に深く溝を刻み、不機嫌を隠さずに口元を引き締める。

 だが、彼女はそんな私の抵抗など微塵も気にする様子はない。

 いつも通りの、掴みどころのない飄々とした笑みを浮かべているだけだ。



「鍵掛けないと不用心だからさ。一応、私が掛けておいてあげたよ」


「別にいらないよ、そんなお節介」



 畳の上に無造作に腰を下ろす彼女の姿は、まるでこの家の真の主であるかのように自然だった。

 私の家であるはずなのに、彼女がそこに居るだけで、世界の重心がずれていく。

 魔力で支配されているわけではない。

 けれど、彼女がそこに存在するだけで、すべての空間が彼女の色に染まり、彼女のものになってしまうのだ。


 私は溜息を飲み込みながら靴を脱ぎ、ゆっくりと居間へと足を踏み入れた。

 彼女は何も言わず、ただ愉しげに私の挙動を目で追っている。



「そんな怖い顔しなくても良いよ。私はただ、お茶しに来ただけなんだからさ」


「…………」


「まぁまぁ……まずはご飯にしようよ。お腹、空いちゃった」



 当然のように作るのは私なのだと、彼女の目はそう言っていた。

 私は心の中で毒を吐きながらも、黙って台所へ向かう。

 冷蔵庫から、今日掘り出したばかりの土まみれのジャガイモを取り出した。

 慣れた手つきで皮を剥き、茹で、丁寧に潰し、高温の油で揚げる。

 


 無心で手を動かし続け、コロッケ、ポテトサラダ、フライドポテト、じゃがバター、そして肉じゃが……。



 卓上には、見事なまでに茶色一色の料理が並んでいく。

 食卓を埋め尽くした皿を前に、彼女────リゼリアは子供のように目を輝かせた。



「いつも思うけど、流石の腕前だね…………。うん、どれも本当に美味しそう」


「それは何より。冷めないうちに食べればいい」



 箸を進めながら、中身のない他愛もない話をいくつも交わした。

 リゼリアはよく喋る。

 けれど、決して核心には触れようとしない。

 彼女の吐き出す言葉は、いつも霧のようにぼんやりとしていて、どれだけ手を伸ばしても指の間をすり抜けていく。


 そんな彼女は、一年に二度、私の元を訪れる……。

 必ず春と冬。

 それは、この家で育てるジャガイモの収穫時期を正確に狙ってのことだ。

 だから私は、自分が食べる分よりも少しだけ多く、この芋を栽培している。








 しばらくして、彼女は満足そうに箸を置き、小さく手を合わせた。



「ご馳走様。ほんと、最高に美味しかったよ」



 私は短く頷き、空になった食器を無造作に片付け始める。

 リゼリアはその一挙一動を、射抜くような視線で静かに見守っていた。



「…………で、本当は何しに来たの? いつも来るのは収穫時期のはずでしょ」



 私の問いに対して、リゼリアはただ肩をすくめて笑ってみせた。

 だが、その笑みはどこか薄氷のように脆く、形だけを整えた偽物に見えた。



「そういえばさ、私……物体を完全に消滅させられるようになったんだ……ほら」



 私の問いを無造作に踏みにじり、彼女は卓上のコップをひょいと掴み、宙へと放り投げた。

 放物線を描くコップが、空中で一瞬だけ、刺すような光に包まれる。




 ────そして、消えた。




 砕ける音も、崩れる予兆もなく、ただそこから存在を抹消された。

 私は思わず目を細める。

 確かに、以前の彼女が持っていた力とは根底から質が違う。

 単なる物理的な破壊ではない。因果そのものを断ち切り、存在そのものを消し去る力。

 それは、絶対的な力だった。



「キミが失踪なんてしないで、ずっと私に力を貸してくれていたら……もっと早く、色んな能力を手にできたはずなんだけどね」



 口調はどこまでも穏やかで、慈しむようでさえあった。

 けれど、射抜くようなその目は、少しも笑っていなかった。



「いまさら、過ぎた昔のことを蒸し返さないでよ……どのみち、君は今それを手に入れているんだから」



 私は耐えきれずに視線を逸らし、震えそうな声を押し殺して答える。

 彼女の力が、もはや手の付けられない領域まで膨れ上がっていることは、一目見れば理解できた。

 かつての彼女は、力こそ異質でも【彼女自身】は脆く、弱かったはずだ。

 


 だが、今は違う。



 目の前に座る彼女は、もはや神にも等しい、無敵に近い存在へと成り果てていた。

 私はこわごわと、再びリゼリアへと顔を向けた。



「私は、これからも君の邪魔をするつもりなんて、これっぽっちもな────」



 紡ぎかけた言葉の途中で、リゼリアはふと伏せ目がちに視線を落とした。

 そして、祈るような静けさで、こう告げたのだ。



「今日から、しばらくは会えないかも。……もしかしたら、これが最後になるかもしれないね」



 その響きは、冗談のように軽やかで。

 けれど、逆らえない神託のように、重く、鋭かった。



「やっと、私の夢が叶うんだ。そうなれば、今よりずっと忙しくなるからさ。次に会うとしたら何十年も先……。あるいは、この世界から跡形もなく消えてしまうか、だね」


「………………頑張って」



 その夢が何であるか、私はあえて聞き返さなかった。

 リゼリアの叶えたいモノなんて、どうせ私の世界の安寧とは対極にある、碌でもない代物だろうから。



「それじゃあ、帰るよ。お邪魔しました」



 リゼリアは静かに立ち上がり、玄関へと歩き出した。

 西日の逆光に透けるその背中は、かつて世界を震撼させた頃よりも、ほんの少しだけ小さく見えた。

 何かを言いかけた彼女の唇が、不自然に止まる。

 言葉を失ったのか、それとも、あえて飲み込んだのか。

 私はそれを黙って見つめ、同じように口を開きかけて、静かに閉じた。


 今さら、何を言っても遅すぎるのだ。

 彼女が選んだ 血塗られた歩み は、私の安っぽい言葉ひとつで変わるようなものではない。

 それでも、どうしても何かを伝えたくて、私は去りゆく背中に向かって、独り言のように呟いた。



「…………今更だけど。私を、この人間界に連れてきてくれて、ありがとう…今度は君が作るスイーツが食べたいな」



 リゼリアは、最後までこちらを振り返ることはなかった。

 けれど、その華奢な肩が、一瞬だけ微かに揺れたのを私は見逃さなかった。

 玄関の戸を開ける直前、彼女は誰にも見せることのなかった笑みを浮かべた。



 それは、酷く歪で。

 それでいて、今までで一番、柔らかい微笑みだった。



 彼女の姿が消えたあと、私は深い溜息と共に肺の空気をすべて吐き出した。

 主を失った部屋には、彼女の残り香がまだ微かに漂っている。

 それは、鼻を突く魔力の匂いでも、魂を削るような威圧的な気配でもない。

 ただ、胸の奥を締め付ける、どうしようもなく懐かしい匂いだった。






 そういえば、私は彼女に、まだ何ひとつ恩を返せていなかったな。







 それから、数日が過ぎた頃のことだ。


 ────“魔王”が、勇者一行の手によって討伐されたという報せが、この辺境にも届いた。

 町の広場では、見たこともないほど色とりどりの旗が誇らしげに掲げられ、人々は狂喜乱舞していた。


 無邪気に歌い踊る子どもたち、昼間から酒を酌み交わし涙を流す大人たち。

 誰もが、この「正義の勝利」を、呪縛からの解放を、心から祝福していた。

 新聞の一面には、無残に崩れ落ちた魔王城のモノクロ写真と、その頂で剣を高く掲げる勇者たちの勇姿。



 『人類の完全なる勝利』『長きにわたる恐怖の終焉』



 そんな勇ましい見出しが、踊るような大文字で紙面を埋め尽くしていた。

 私はその紙面を、指先に残った土を払いもせず、ただ静かに見つめていた。

 不思議なほど、何の感情も湧いてはこない。

 ただ、吹き抜ける風の音に混じって、届くはずのない遠い誰かの声を、ただ淡々と受け止めていただけだ。

 重い腰を上げ、いつものように畑へ出ると、ジャガイモの青々とした葉が、無慈悲なほど穏やかな風に揺れていた。



 今年も、驚くほどよく育っている。

 この畑があれば、私はこれからも人間として生きていけるだろう。




 けれど、来年からは、育てる数を少しだけ減らそう…………




 私は、誰にも聞こえない声で、そう静かに決めたのだ。





読んでくれている方、モチベーションに繋がってます、本当に嬉しさと感謝でいっぱいです!


ありがとうございます!

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