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白雪の花贄

掲載日:2026/03/19

 人の住む世を『現世うつしよ』。妖の住む世を『常世とこよ』と呼び、まだその二つの世の行き来があった時代――。

 現世の隠れ里に暮らす、雪を呼ぶ異能を持つ一族の娘、雪菜ゆきな

 常世の一国を治める妖の王、炎鬼の妖魔、灯哉とうや

 政略から始まる二人の契約結婚。始まりはそうであったけれども。

 二人はやがて、お互いになくてはならない存在となってゆく。

 これは、二人が前を向いて歩いていくための、成長の物語。



***



 霊山の麓にある、雪深い隠れ里。朝一番で井戸水を汲み上げた雪菜ゆきなは、かじかんだ両手に吐息を吹きかける。


(ふう、今日は一段と冷えるなあ)


 見上げた空は快晴で。目の醒めるような青だった。周囲の森から、雪の重みに耐えかねた枝がたわみ、どさりと雪の落ちる音がする。雪景色に囲まれた地図にも載らない静かな村――ここが雪菜の育った里『雪籠りのゆきごもりのさと』だった。

 木桶に汲んだ冷水で、雪菜は手早く顔を洗う。すぐに朝の支度に取り掛からなければならない。キンと冷えた肌を手拭いでぬぐい、雪菜は村の一角にある民家に駆け込む。


「お母さん、おはよう! すぐに朝の支度、手伝うね!」

「あらあら。おはよう、雪菜。無理をしなくても大丈夫よ。母さんだけでも、充分手は足りているから」

「そういうわけにはいかないよ。手は多い方がいいだろうし、鈴芽すずめの分も私が働かないと」


 土間の竈の前に立っていた母親が振り返る。雪菜は力こぶを作ってみせた。

 鈴芽は雪菜の双子の妹だ。今年で二人とも十八歳になる。生まれつき鈴芽は身体が弱く、普段から奥の和室から出てくることは少なかった。だからこそ、姉である自分が妹の分も働き手を務める必要があった。自分は元気なことだけが取り柄だったからだ。

 そうというのも――。


(……私は、強い異能の力を持った妹に比べて、持って生まれた力が弱いから)


 ここ『雪籠りの郷』には異能を持つ一族が暮らしている。舞を奉納することにより自在に雪を呼ぶことができる能力だ。妖魔にも似た妖術めいた力。そのため、代々雪深い山の郷に隠れるように暮らしてきた。異能を持たない人々の目に触れぬように。

 一族の存在を知る数少ない要人たちからは、『雪呼びの民』と呼ばれていた。雪呼びの民には古来より大切な使命がある。それは、人の住む現世と鏡写しの世界である、妖魔の住む常世――。その常世の一国の妖の王、炎鬼えんきの贄として嫁ぐことだった。


(常世の炎鬼……。どのくらい恐ろしい人物なんだろう)


 妖魔の炎鬼は、炎を自在に操る異能を持つという。炎鬼は『火ノひのくに』と呼ばれる山岳の都を統治。火焔の力を持って外敵を退けてきた強国らしい。けれど炎は常に荒々しく、国土は渇き、民は畏怖を抱いているのだとか。


(たしか、今代の炎鬼はまだ二十四歳になったばかりの若い王様なんだっけ)


 この歳で一国を治めるなど、どれほどの重圧だろう。

 雪呼びの民は、炎鬼自身ですら制御の難しい火焔の異能を、雪を呼び抑える役割を負っている。だから、一族は代々、その時代の炎鬼の贄として常世に渡り、嫁ぐことを繰り返してきたのだ。今代の炎鬼にもまた、結婚適齢期を迎えた一族の娘が許嫁として選ばれることになるのだろう。けれども、人の世である現世を離れて、妖の世である常世に嫁ぐことは人にとって楽なことではない。不運にも許嫁に選ばれた娘は生贄と同義であった。

 雪菜は、居間の囲炉裏の前にしゃがみ込む。用意されていた薪を手に取った。


(一族の使命のことは忘れてはならない大切なこと。だけれど、まずは日々の生活を大事にしないと)


 この雪深い山での生活は楽ではない。毎日が寒さとの戦いだ。風邪を引かないよう健康を保つこと。元気でなければ一族の使命をまっとうするどころの話ではないからだ。

 雪菜は竹筒を口元に充てる。囲炉裏の消し炭に向けて思いっきり息を吹きかけた。



***



 朝の支度を終えた雪菜たち一家は、囲炉裏の周囲に集まっていた。中央には大きな鉄鍋が置かれており、中では雑煮餅が湯気を上げていた。柔らかく煮た餅に黒豆が添えられている。寒さの厳しい一日を乗り越えるための活力の源だった。

 体が弱いため奥の和室に籠りきりの鈴芽も、食事は共に囲むことにしている。透けるほどに白い肌。華奢な身体つき。雪原の輝きのような白銀色の髪。大きく愛らしい氷藍色の深い青の瞳。雪呼びの民特有の色合いは姉である自分と同じだ。けれど、強い異能の力を継いだ妹は、より神秘さを感じさせる外見をしていた。

 今日の妹の体調はどうだろうか――。

 雪菜は鈴芽の様子を確認する。目が合うと、鈴芽が小さな花が咲いたように笑んだ。


「お姉ちゃん。おはよう。今日も朝早くからお支度してくれてありがとう。お役に立てなくて、ごめんなさい……」

「鈴芽はそんなこと気にしなくていいの。私は、私がやれることをやっているだけだから。それで鈴芽の身体が少しでも楽になれるのなら、お姉ちゃんはそれだけで嬉しいから」

「うん……。ありがとう、お姉ちゃん」


 鈴芽は切なげに微笑んだ。自身の身体が弱いことで、家族の負担になっていることを彼女はずっと気にしているのだ。

 鈴芽が病弱なのは、その強すぎる異能が原因だと言われていた。彼女は生まれつき、これまでの雪呼びの民の中で最も類まれな能力を持っていたのだ。一族は皆等しく雪を呼ぶ異能を持って生まれる。その中でも鈴芽は、少し念じるだけで猛吹雪を起こせるほどの才を秘めていた。


(逆に姉である私は、どれだけ念じてもやっと粉雪を降らせられるくらいなんだよね……)


 異能の才のほとんどが妹に継がれたのだろう。雪菜の異能は一族の中でも劣っているほうだった。鈴芽とは双子なのだから、どちらかが強くどちらかが弱いのではなく、按分してくれればよかったのに……と思わずにはいられない。けれども、状況を嘆いても変わることはない。だから、妹が強すぎる異能のせいで体が不自由な分、異能が弱く元気だけが取り柄の自分が家族を支えていこうと思っているのだ。

 母親や妹と談笑していると、朝一番に外に出ていた父親が戻って来る。家回りの除雪作業や家畜の世話を終えたのだろう。

 そうして家族で雑煮餅を食べ終わったところで――村の里長が家を訪れた。


「――清吉せいきち、おるか。雪菜と鈴芽も一緒か?」

「里長? はい、娘たちもおりますが」


 父・清吉は囲炉裏の前から立ち上がると、里長を出迎える。里長は室内に雪菜と鈴芽がいることを確認すると、家に足を踏み入れることなく話を続ける。


「……火ノ国の妖の王から、一族の娘を一人差し出すようにと通達を受けた。結婚適齢期を迎えた娘は例外なく対象となろう」

「いよいよでございますか……。私の家では、雪菜と鈴芽が候補に挙がるわけですね」

「ご息女ともども十八歳であるからな。……すまない」

「いえ、里長が謝られる必要はございません。これは一族に生まれた娘の宿命ですので」

「……朝餉を終えたら娘たちを儂の屋敷へ寄越してくれ。郷の娘たち全員を集めて、誰を妖の王の許嫁として差し出すのか決めねばならぬからな」

「……承知いたしました」


 頭を下げる清吉。里長は清吉に気遣うような視線を向ける。それ以上声を掛けることはなく、里長は次の家へと足を向けていった。


「あなた、今の話は……」

「ついに妖の王から要請があったようだ。雪菜、鈴芽、頼めるか?」


 青ざめている母親に答えてから、清吉は雪菜と鈴芽に目を向ける。


 ……この日が訪れること。とうに覚悟は決まっていた。『雪呼びの民』の一族として生を受けてから。


 雪菜は、迫った現実に怯えている鈴芽の手を、そっと取る。


「鈴芽。大丈夫だよ。お姉ちゃんが傍にいるからね」

「うん……。わたし、お父さんともお母さんとも、お姉ちゃんとも離れたくないよ。どうして郷の誰かが選ばれないといけないんだろう」


 ぼやいた鈴芽の小さな手を、雪菜はそっと握りしめる。

 『雪呼びの民』が異能を持っているから。妖の王である炎鬼がその異能を必要としているから。代々、一族は現世から常世にある火ノ国に嫁いできたから。例外はないから。


 ……理屈は分かっている。けれども、常世の炎鬼の元に嫁ぐということは現世から切り離されること。孤独になること。人の子が常世に渡り、妖魔の蔓延る世で生きることは相当に厳しいこと――。それらを思えば、簡単に納得できることではなかった。特に、結婚適齢期を迎えた思春期の娘たちにとっては。


 気遣う父親と母親に見送られ、雪菜と鈴芽は連れたって里長の屋敷へ向かった。



***



 傾斜地に建てられた里長の屋敷。広い床の間には、一族の若い娘たちが集められていた。小さな村であるため、十人にも満たない人数だ。その隅に雪菜と鈴芽は腰かける。娘たちは全員一様に不安そうな顔をしていた。小規模であるためか、村の皆は仲が良い。自分は選ばれたくないけれど、他の誰かが選ばれることも嫌だ。娘たちは皆、複雑な心境だった。

 いくらも経たないうちに里長が床の間へ入っていた。横並びに座る娘たちと向き合う位置に重い腰を下ろす。


「――皆。ここへ呼ばれたこと、予想はついていると思う。前置きは省略させてもらおう。常世の火ノ国の妖の王・炎鬼より、一族の娘をひとり、許嫁に迎えたいと申し入れがあった。郷の側から誰かを指名することはせぬ。誰か、名乗りを上げてくれる者はいるか?」

「…………」


 娘たちは一様に俯く。互いの出方を窺っているようだった。

 皆、本音を言えば炎鬼の許嫁になどなりたくないのだ。妖魔と夫婦となって常世に嫁ぐなど、自ら死地に飛び込むようなものだから。

 『雪呼びの民』の一族として生まれたからには逃れられない運命。許嫁に選ばれることは一族としての誇りだ。喜んでこの身を差し出そう。表向きはそうだ。けれど、自ら犠牲になること、生贄になることを、そう簡単に割り切ることはできなかった。

 痛いほどの静寂。雪菜は冷や汗の滲む手を拳に握る。


 ――炎鬼の許嫁として名乗り出ること。もしも誰も立候補者が出なかったら。


 雪菜は心に決めていたことがあった。

 誰も挙手をしなかったら、自分が名乗り出ようと。

 お互いの出方を窺う空気の中。雪菜は、意を決して手を真っ直ぐに挙げた。


「――私が、常世へ参ります」

「お姉ちゃん……!」


 いつも弱々しい声音でしか話さない鈴芽が、珍しく声を張り上げる。そのくらい衝撃だったのだろう。雪菜は申しわけなさそうに鈴芽に目線を向けてから、里長を見た。


「皆様ご存知のことと思いますが、私は郷の中で一番異能の力が弱い。だから、ずっと申しわけなくて……何らかの形で皆の役に立ちたいと思っていたんです。妖の王の許嫁として郷から娘を一人差し出さなければならない時が来て、誰もそれを望んでいなかったら、私が名乗り出ようと思っていました」

「お姉ちゃん、そんな……」

「……そうか。感謝する、雪菜。異能の力の強弱など、気負うところではないとずっと申してはおったが。気にするなと言うほうが無理であったな」


 里長が小さく頭を下げる。雪菜はぶんぶんと首を左右に振った。

 里長が謝罪することなど何もない。すべては自分が決めたことなのだ。もちろん、両親にも妹にも打ち明けたことはなかった。自分が妖の王の許嫁になると決めていることを。

 その場にいる他の娘たちも、気遣うように雪菜を振り返っている。皆、雪菜の異能が弱いことを理由に許嫁を名乗り出たこと、心苦しく思っているのだろう。

 郷の皆は仲が良かった。まるで皆で本当の家族であるように。

 だからこそ、雪菜は皆の役に立ち、皆を守りたかったのだ。異能の弱い自分を虐げることなく、遠巻きにすることもなく、温かく受け入れてくれた皆に恩返しがしたかったのだ。


(みんなや家族と離れることは寂しい。でも、私にできることはこれくらいだから)


 自分が炎鬼に嫁ぐことで、他の皆が犠牲になることなく、幸せになれるといい。皆の幸せを守る一端となれることが、異能の力が弱く生まれた出来損ないである自分にできる一番のことなのだ。この決意はもう、揺るがない。

 雪菜は板敷の間に三つ指を突く。その場で、里長に向けて深々と頭を垂れた。


「――どうか、私に妖の王の許嫁となる栄誉をお与えください。必ず、一族の役目を全うしてまいります」


(おわり)

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