SF作家のアキバ事件簿249 世界線の果て 249回目の恋
ある日、聖都アキバに発生した"リアルの裂け目"!
異次元人、時空海賊、科学ギャングの侵略が始まる!
秋葉原の危機に立ち上がる美アラサーのスーパーヒロイン。
ヲタクの聖地、秋葉原を逝くスーパーヒロイン達の叙事詩。
ヲトナのジュブナイル第249話「電気街のネオン 249回目の恋」。さて、今回は異なる世界線から来た、未来から来た僕が主人公です。
破滅的未来を回避するためにミレニアムに沸く秋葉原にやって来た"未来の僕"。世界線の流れを変えるために彼が選択する非情の未来。その時ヒロイン達は…
お楽しみいただければ幸いです。
第1章 蒼いトンネル
20XX AD。
空を裂く雷鳴。
崩壊しかけた"時空トンネル"の縁へ、転がり込むように現れる2人の影。
手を握り合ったまま、僕とミユリさんは膝をつく。
呼吸が合わない。心拍だけが同期する。
「やっぱり…やめよう」
掠れ声の僕。
「だめです、テリィ様。逝かなくちゃ」
ミユリさんの即答。
「でも、これが成功したら、僕たちは最初から存在しなかったことになる」
沈黙。
電光が彼女の横顔を白く切り出す。
「だからやるんです」
静かで、残酷な声。
「どうせ私たちは消滅する。なら、意味ある消滅を選びましょう。ためらわないで」
「…でも」
言葉が喉で崩れる。
「もう君に会えなくなる」
その瞬間。
ミユリさんの瞳が揺れる。
言葉は出ない。
代わりに、彼女は僕の胸に飛び込む。
衝突みたいな抱擁。
僕は彼女の背に手を回す。
「ありがとう」
「…何が?」
「全部さ。出会った日も、喧嘩した日も、君が笑った回数も。僕は忘れない」
「私も」
震える吐息。
「何1つ…後悔してないから」
直後に爆音。
絶叫。悲鳴。金属の断裂音。
世界が傾く。
2人同時にフロアに倒れる。
僕は胸元を裂き、埋め込まれていた"円筒印章"を引き抜く。
血と光が同時に漏れる。
「それは…」
「最後の鍵だ」
震える手で、制御パネルの中枢に差し込む。
起動。
蒼。空間が軋む。
トンネルの中の時空が、ガラス細工みたいに歪む。
光が屈折し、分裂し、万華鏡みたいに増殖する。
僕たちは見つめ合う。
雷鳴。
「逝くょ」
1歩。
トンネルへ踏み込む。
「待って。テリィ様」
ミユリさんが手を伸ばす。
僕も伸ばす。
届かない。
距離は指先1枚。
だが、既に時空そのものが引き裂かれている。
それでも。
伸ばす。伸ばす。伸ばす。
次の瞬間。
閃光。
爆ぜた光が世界を塗り潰す。
僕の輪郭が崩れる。
粒子になる。光になる。消える。
「テリィ様!!」
叫びが遅れて届く。
「テリィ様!…だめ!逝かないで」
光は消え、トンネルは沈黙し、
青は失われ、ただの螺旋の空洞が残る。
残されたミユリさんは、その場に崩れ落ちる。
動かない時空。
動かない世界。
動かない未来。
彼だけがいない。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
20XY AD
電気街の夜は、ネオンが少し多すぎる。
多すぎる光は、世界の輪郭をぼやかす。
人の顔も、建物の色も、そして時空さえも。
だからこの街では、ときどき奇妙なことが起きる。
例えば…
同じ恋が何度も始まる、とか。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
最初にミユリさんと出会った夜のことを、
僕はよく覚えている。
"マチガイダ・サンドウィッチズ"という、
少し名前のふざけたホットドッグ屋だった。
パーツ通りの角。
古い電子部品の店と中古ゲーム屋に挟まれた、
小さな店だ。
鉄板の上でソーセージが焼ける音。
ケチャップの匂い。
遠くから聞こえるrock 'n' roll。
ネオンはまだ完全に夜の色になっていない。
僕はカウンターでホットドッグを食べている。
そのとき隣の席に、彼女が座る。
長い髪を耳にかける。
それから、ほんの少しだけこちらを見る。
「ここ、空いてます?」
彼女は言う。
「どうぞ」
僕は答える。
それが、すべての始まりだ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
そのとき僕はまだ知らない。
この出会いが、
世界線を何度も創造することになるなんて。
ある世界線では僕が消え、
ある世界線では彼女が泣き、
ある世界線では僕たちは出会わない。
それでも、なぜか僕たちは
このホットドッグ屋でまた会う。
ネオンの下で。
同じ席で。
何度でも。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
あとになってわかったことが1つある。
世界線というものが本当に存在するのなら、
それはたぶん科学の問題じゃない。
恋の問題だ。
そしてもう1つ。
この物語には語り手がいる。
それは未来の僕だ。
そして、もう1人。
この世界を観測している
あなただ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
だからもし、あなたが今、
このページを開いたばかりなら。
少しだけ覚えておいてほしい。
電気街のネオンの下では、
世界線が静かに流れている。
そしてそのどこかの世界線で、
僕はこれからミユリさんに出会う。
たぶん…
249回目に。
ネオンが光る。
ソーセージが焼ける。
店のドアが開く。
そして彼女が入ってくる。
この物語は、
今もどこかで始まっている。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ネオンが滲む舗道を、ピンクのキューベルワーゲンが滑る。
ワイパーの往復だけが、時間を刻む。
後部座席。
頬杖をついたまま、外を見ていない目のミユリさん。
「私、すごく困ってるの」
「何を?」
ハンドルを握るスピアは前を向いたまま。
「テリィ様に"もう1度推したい"って言われてる。
でも、そんなの無理よ」
1拍置く。
「姉様も大変ね」
わずかに笑う声。
「私たちは順調よ。
マリレが"やり直したい"って言ってきた時の顔、見せたかった。
今度こそ相当こたえたみたいね。この百合、勝ち確だわ」
「…で?」
ミユリさんが顔だけ動かす。
「どこへ向かってるの、スピア」
「私たちの知りたいことを、ぜんぶ知ってる人のところよ、姉様」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ネオン"秋葉原の母 ― KNOW YOUR FUTURE"。
2人は車を降りる。雨粒がアスファルトで弾ける。
「ここの予言、当たるの。うちのママ、何かあると絶対来るわ」
どこか誇らしげなスピア。
どこまでも疑わしげなミユリさん。
「ママのお墨付き?」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
室内。香の煙。
"秋葉原の母"はスピアの手を取る。
「この子、ずいぶん気性が激しいわね」
「百合、期待できる?」
即答。
「でも長くは続かない」
沈黙。
「続かないって…どれくらい?」
「もって48時間」
「48時間!?」
スピアの手が弾かれたみたいに引っ込む。
"秋葉原の母"の視線だけが追う。
「たったの?」
しぶしぶ手を戻すスピア。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
タロット。
カードが卓に並ぶ。
"秋葉原の母"の眉が初めて動く。
「…こんな配置、初めて見るわ。彼、かなり特別な人なのね」
「国民的ヲタクです。
ほら"メトロ戦隊 地下レンジャー"で直本賞を獲った…」
「それ以上よ」
"秋葉原の母"は目を細める。
「生まれながらに運命を背負ってる」
ミユリさんは、静かにうなずく。
「じゃあ…私とは、もう」
「いいえ」
即断。
「彼は"愛"を選ぶわ」
空気が止まる。
「…嘘」
「あなたを選ぶわ」
「ありえない」
「カードに出てる」
1枚のタロットカードを指す。
「真実の恋人。魂と肉体の一致。貴女は彼と結ばれて結婚する」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
メイド長のオフィス。
机と仮眠用ベッドの狭い部屋。
鏡の前。
ミユリさんは頭にベールを載せる。
笑顔満開。お一人様で結婚式だ。
「私、ミユリは、ここにテリィ様を…」
轟雷。
窓が閃光で白く染まる。
次の瞬間。
ガラスを割って、何かが転がり込む。
床に衝突音。煙を伴う焦げた匂い。
ロケッティアのコスプレ男が、床にノビている。
静寂。
「…誰?」
1歩近づくミユリさん。
次の瞬間息を呑む。
「テリィ様…なの?」
第2章 あの夜、僕は彼女を失う世界線を選んだ
メイドは、一歩、また一歩と後ずさる。
ロケッティアは、にじり寄る。
「あなたがテリィ様のはず、ないじゃない」
「僕だょ。お願いだ、信じてほしい」
「信じろって言うほうが無理よ。
万世橋の地下に超古代文明の科学センターの遺跡があって、
あの無限螺旋が"時空トンネル"だなんて…」
「本来は違う」
即答を挟む。
「ただ、あれほどの出力があれば時空連続帯を垂直に跳躍する"裂け目"を作れる」
メイドはベッドの上へ退避。
ロケッティアは床に跪き、下から説得。
「やめて。時空遷移なんて、ありえない」
指差す。断罪の指先。
「物理法則を全部踏み倒してるわ」
「驚くのは当然だ」
「あなたは絶対テリィ様じゃない。
コスプレ好きでお騒がせなスチームパンカーよ。
だってその無精ヒゲに白髪って」
「無精ヒゲ?」
慌ててマスクを外す。
顎を撫でる。
「…確かに伸びてるな」
「いつまでお芝居を続ける気?」
ベッドから降りて逃走を試みる。
僕に腕を掴まれる。
「触らないで」
「ミユリさん、僕だ」
「来ないで」
1拍。
「もし単なるレイヤーなら、この後に起きる出来事を知らないはずだ」
静寂。
「約10秒後。ここで"僕"は君に歌を捧げる。
デキシーバンドだ」
「デキシー?テリィ様はアーリージャズ派よ。
派手なデキシーはお嫌いなハズ…」
「…3」
「数えないで」
「2」
「やめて」
「1」
沈黙。
「ほら。何も…」
「いや、ピアニッシモから始まルンだ。
歌詞がポルトガル語で覚えるのに1週間かかってるんだ」
空気が震える。
どこからともなく。
糸のように細い音。
…ピアニッシモ。
「ほら。バルコニーに出て聞いてごらん」
促されるまま、ミユリさんは窓を押し開ける。
夜気が流れ込み、カーテンが息をする。
彼女は窓から足先だけ外へ出す。
手すりに触れ、恐る恐る下を覗く。
そこに…いる。
デキシーバンドの編成。
クラリネット、チューバ、ウォッシュボード…
その真ん中で、コルネットがわりのアルトトロンボーンを片手に恋の歌を張り上げる…僕。
「嫌だ。テリィ様ったら…恥ずかしい。やめて」
声は拒む。頬は上気する。
相合を崩す指先が、しかし手すりを離さない。
視線は僕に釘付けだ。
「君に振り向いてほしかった。だから、僕は必死だったんだ」
背後で囁くロケッティア。
下の"僕"はクライマックスで白バラの花束を放り上げる。夜気を裂いて弧を描き、胸元へ。
しっかり受け止めるミユリさん。
「…なぜここへ来たの? 」
「未来の全部は話せない。必要なコトだけ言う。
僕たちは侵略を受ける」
下では YaYaYa の大合唱が始まる。
歌声に消えぬよう、ミユリさんは声量を上げる。
「僕たちって?」
「全人類だ。この世界線の」
1拍。
「だから変えたい。未来を。
君の力がいる。そして」
息を吐く。
「未来から僕が来ていることは、
誰にも知られてはいけない。
特に"僕"自身には」
親指で下を示す。
路上で高らかに歌い切り、舞台役者のようなお辞儀する"僕"。
「あれが、昔の"僕"だ」
白バラの花束を抱えたまま、振り向くミユリさん。
「…でも私、何をすれば良いの?」
「静かに」
即答。
「もうすぐスピアが来る」
ロケッティアは影へ滑り込む。
気配を消す。
「ねぇ姉様。何してるの? 日付け変わるわよ」
メイド服のまま、窓から身軽に現れるスピア。
夜風にスカートが揺れる。
「またテリィたん? …あぁ」
視線を下へ。
デキシーバンド。"僕"。
ミユリさんが胸に抱く花束。
沈黙。3秒。
呆れ顔。
それに気づいた下の"僕"は、指揮者のように手を振り、バンドを率いて撤収を開始する。
整然。陽気。逃走。
スピア、肩をすくめる。
「…まったく。よくやるわ」
夜が元の静けさを取り戻す。
だがミユリさんの胸だけが、まだ鳴っている。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
御屋敷のキッチン。
湯気。包丁のリズム。焦げる寸前のバターの匂い。
その中心で、同じメイド服のスピアがずいっと距離を詰める。
「で、話って?」
サンドイッチを組み立てていたマリレ。
手を止めずに答える。
「そう。私たちのこと」
「また?」
「またよ。あと48時間で、私たち別れるの。だからその前に聞かせて。
あなた、私と…ねぇ!メイドはキッチンに立ち入り禁止よ」
キッチンに顔をのぞかせるコニィ。
スピアを透明人間みたいに無視。
マリレにだけ甘い声を落とす。
「注文の品、できた?」
「もうできてるわ。そこ」
指先でテイクアウト用の皿を示す。
「さすが。仕事早いのね」
ぱしん。
コニィの手が、軽くマリレのヒップを叩く。
上目遣いでウィンク。皿を持ち去る背中。
…沈黙。
振り向いたスピアの顔は、怒りを通り越して静止画になってる。
「…こ、混む前に入ってた注文なの」
マリレ、妙に早口。
「マリレ」
低い声。
「なに」
「あなた、コニィとどうなってるの?」
「それ、私が知りたい」
「なにそれ」
「なんか怪しいのよ」
「それは同意」
スピアが腕を組む。
「引っかかるの。
コニィが秋葉原に現れたのは、
私たちが"時空SOS"を発信した直後でしょ?
それからずっとあなたに張り付いてる。
しかもバネサ議員のオフィスには、
彼女のファイルがあった」
「…つまり?」
「彼女は、別の世界線からの侵略者。あるいは"闇の政府"」
1拍。
「少なくとも確かなのは」
スピアは指を立てる。
「彼女の目的は、
あなたのベッドに潜り込むことだって点」
「OK。それで行きましょ」
「…は?」
じゅうううう。
ふたり同時に振り向く。
フライパン。煙。真っ黒。
「しまっ」
パティが完全炭化。
スピア、眉をひそめる。
「それで行くって何よ」
スピアはトングで真っ黒な"それ"をつまむ。
真顔で尋ねる。
「潜入よ。コニィの目的を逆利用する」
焦げた匂いの中、作戦だけがやけに鮮やかだ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
御屋敷の2Fにあるメイド長室。
灯りは柔らかい。
外の喧騒が嘘みたいに遠い。
机の端に、小さな写真機の産物…
僕とミユリさんのツーショットのプリクラ。
指先で拾い上げた、その瞬間。
「人のものを勝手に見ないで」
振り向く。
ドアのところに、当の本人。
怒っているというより、守っている顔。
「…ごめん」
素直に言うと、彼女は少しだけ目を細める。
「私、質問があります」
「どうぞ」
僕は彼女のベッドに腰を下ろす。
沈む感触が、妙に現実的だ。
「テリィ様の行動を変えさせたいなら…どうして本人に直接おっしゃらないの?」
静かな核心。
僕は息を吐く。
「できない。
未来の人間が自分自身と接触すると、
時空反動が起きる」
「時空反動?」
「僕も理論の全ては知らない。
科学者たちの説明だと
量子メカニクスの干渉現象らしい。
異なる世界線の同一存在同士が接触すると、
存在がもつれ合い、
最終的に対消滅する」
「…」
「その瞬間、
秋葉原が吹き飛ぶくらいの
エネルギーが放出される」
沈黙。
時計の秒針だけが音を立てる。
「ここ数日の出来事が、世界線を分岐させる分水嶺なんだ」
僕はプリクラを見つめたまま続ける。
「もうすぐ、僕とミユリさんは深く結ばれる。
互いなしじゃいられなくなる」
ミユリさんの喉が、小さく鳴る。
「…その先は?」
「僕らの仲を裂く出来事が起きる」
「それが…」
彼女の声はかすれている。
「この世界線の終わり?」
「YES」
肯定は、刃物みたいに短かい。
「何があったの?」
僕は目を閉じる。
「ティルとの関係が壊れた。決定的に。
彼女は秋葉原を去る」
「…それ、私のせい?」
慎重な問い。逃げ場を残さない優しさ。
「違う。僕のせいだ。
僕が彼女を傷つけた。ひどい方法で」
「じゃあどうして」
「必要だったんだ」
言葉が重く落ちる。
「だが、ティルが"鍵"だった。
ヲタッキーズは、この世界線を補完する魔法陣だったんだ。
全員が揃って初めて補完の結界を張れる。
ひとりでも欠けた瞬間、均衡は崩れる。
世界線を補完する力が消えさる」
僕は彼女を見る。
「その結果が…世界線の崩壊だ」
長い沈黙。
ミユリさんはゆっくり息を吸い、
「…つまり私は」
まっすぐ逝う。
「テリィ様とティルの仲を取り持てば良いの?」
「そう」
「なら、ティルに直接そう話せば?」
途中で言葉が止まる。
彼女は顔を背ける。
理由に気づいたからだ。
僕は静かに首を振る。
「それだけじゃ足りない」
「…え?」
「"僕"が推してるのはミユリさんなんだ」
1歩、近づく。
「ティルに推し変するだけじゃ未来は変わらない
ミユリさんが…」
喉が焼ける。
「ミユリさんが"僕"を突き放さなきゃいけない」
空気が止まる。
「ミユリさんへの想いを、断ち切らせてほしい」
プリクラが、僕の手から滑り落ちる。
フロアに触れた小さな音だけが、
世界線の終わりみたいに響く。
ミユリさんは…
ただ、立ち尽くしている。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
首都高のランプを滑り降り、夜気を切り裂き止まる1台のバイク。
エンジン音が落ち、静寂が戻る。
ヘルメットを外したのは…マリレとコニィ。
「助かったわ」
「いいのょ」
街灯の光が、彼女たちの髪を別々の色に染める。
「運転、上手ね。あーあ…今夜もベッドで1人かぁ。相手はテレビのリモコンだけ」
「そうなの?」
「でも…」
コニィが一歩近づく。
「誰かがお相手してくれたら、寂しくないんだけどな」
沈黙。
夜風だけが通り過ぎる。
「私は帰るわ」
「残念。じゃ…おやすみのキスを」
音を立てて、わざとらしく粘ついた口づけ。
「…これでも、まだ帰れる?」
勝ち誇る眼差し。
マリレは一瞬だけ黙り、肩をすくめる。
「わかったわ。まぁいいか」
バイクから降りる。
コニィは、獲物をくわえた猫のように微笑む。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ポスターが破れる音。
ティルは壁から"下り坂148"のポスターを引き剥がし、ためらいなく床へ落とす。
そこへ入ってきたカレルが目を見開く。
「おい」
無視。
ティルは剥がした跡の壁に、指先で大きくピンクの"Z"を描く。
「おい何してる。家の中で魔法を使うなよ!」
「出てって」
「ここ俺が借りてる部屋なんだけど」
「もううんざりなの」
振り向く。瞳は萌えている。
「この街も。テリィたんも」
「また八つ当たりか」
「違う。もう待たされるのは嫌なの。
彼が運命を受け入れる日まで待て?
冗談じゃないわ。
"時空トンネル"の場所だって私が教えたのよ。
なのに…」
言葉が切れる。
「…こんな人生、もううんざり」
カレルは呆然とベッドに腰を落とす。
「…ごめん。あなたに関係ない話だった」
ため息。
「怒ってる君、綺麗だな」
「やめて」
「すごいエネルギー感じる」
視線が落ちる。
胸元へ。
「その溢れてるパワー、発散させないか?」
ティルの目がゆっくり上がる。
「いいコトを教えてあげましょうか?」
1歩近づく。零距離。
「私のカラダ、もうとっくに暴走してる。
一緒に走ってみない?」
唇が触れそうになった瞬間…
ピンポーン
カレルの顔が歪む。
「…っ」
内股ぎみに小走りで玄関へ。
扉を開ける。
そこにいたのは…ミユリさんだ。
「よりによってミユリかよ。何?
嫉妬に狂って元カレのお楽しみを邪魔しに来た?」
背後から、わざと乱れた服でティルが現れる。
挑発の視線を飛ばす。
「いいえ。ティルに用があるの」
カレルは深くため息をついた。
「…はいはい」
タッグマッチみたいにティルとハイタッチ。
「続きは後でな」
「ええ。ちゃんと準備しておいて」
ミユリを片付けてから逝くわと言わんばかり。
「了解」
カレルは退場。
静寂。
向き合う2人。
「話って何?」
「…私たち、最初につまずいたけど」
「やめて。友達ごっこ嫌い」
「違うの」
ミユリの声は静かだ。
「テリィ様と…仲直りして」
「は?」
露骨な不信。
「私が橋渡しするから」
「馬鹿にしないで」
ティルは立ち上がり、真正面から睨む。
「貴女が私を助ける?ありえない。
私のこと嫌いでしょ。わかってるわ」
「あなたのためじゃない」
1拍置く。
「テリィ様のため」
沈黙。
「彼の運命の人は、貴女よ。貴女が彼の未来」
ティルの瞳が揺れる。
「…気づくの遅いわ」
「いいえ。最初から気づいてた」
ミユリは1歩近づく。
「あの日、万貫森でテリィ様の下を去った時…
私は決めたの。
このままじゃ誰も前に進めないって」
静かに続ける。
「彼が諦めない限り、私にも未来はないわ」
「…助けなんていらない」
腰に手。挑戦の姿勢。
「あなたとテリィたんがどうなろうと、
私には関係ないし」
「ここに来るの、すごく勇気がいったの」
ソファに座るティル。
ミユリさんは見下ろさず、同じ高さにしゃがむ。
「素直になれないのはわかる。
でも、あなたには助けが必要だわ」
手を差し出す。
「信じて。仲直りの手伝いをさせて」
ティルはその手を見つめる。
疑い。
迷い。
そして…
まだ答えは出ないまま、
夜だけが静かに更けて逝く。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
キャンドルの灯りが揺れるコニィの部屋。
甘い匂いが、壁紙にまで染み込んでいるようだ。
うつ伏せになったマリレの背中を
コニィがゆっくりと指先で辿る。
円を描くように、肩から腰へ。
マリレはうっとりと目を閉じたまま、囁く。
「秋葉原に来て、どのくらい?」
「数ヶ月前よ」
指の動きは止まらない。
「なんで秋葉原に?」
コニィは少し笑う。
「昔から百合に興味があったからかな。
でも実際に来てみたら…思ってたよりも
ずっと過激な街だった」
ため息まじりに、マリレの顔を背後から覗き込む。
熱い吐息が頬に触れる。そのまま唇を重ねる。
短く、けれど確かめるように。
やがてコニィはマリレの前へ回り込み、座る。
ランジェリー姿の肢体が、キャンドルの光で曲線だけ強調される。
「お次は?」
「シャワー浴びよう」
「じゃあ一緒に」
「いや、貴女だけ」
「どうして?」
「潔癖症なの。清潔な子でないと」
マリレは小さく笑う。
「いいわ。私、あなたのためだったらどんなプレイでもしてあげる」
コニィがシャツを脱ぐ。意外なほど豊かな胸元。
振り返りながらバスルームへ消えていく。
扉が閉まった瞬間、マリレの表情から曖昧さが消える。
素早く立ち上がり、部屋を探り始める。
引き出し。チェスト。
中身はローションばかりだ。
ウルトラシルクローション?
整然と並ぶボトル。
ノック。
慌ててチェストを閉める。扉を開けると、メイド姿のスピアが立っている。
「何してるの?」
「コニィを調べに来たの。
あなたこそ何しに来てるの?」
「私だって同じよ。早く帰って」
スピアの声は低い。
「コニィのロッカーの中に3人の写真があった。
マリレの顔にだけ丸印がついてた」
「ウソでしょ?」
マリレの瞳が揺れる。
シャワールームから、のんびりした声。
「音楽でもかけて待ってて」
スピアが唇を噛む。
「この浮気者」
マリレが小さく肩をすくめる。
「彼女を部屋から追い出すためにシャワーにやったの…
わかったわ、ベイビー」
その言葉にスピアの顔色が変わる。
「ベイビー? もう最低」
「この場は私に任せて帰って」
「いい? もしコニィと何かしたら」
「何もするわけないでしょ」
そのとき、シャワー室から声。
「あなたってすごいキスが上手なのね」
乾いた音が響く。
スピアの平手が、マリレの頬を打つ。
「何もしないだなんて…
もう充分にしてるじゃない」
「誰か来てるの?」
バスタオルを巻いたコニィが現れる。
濡れた髪。雫が鎖骨を伝う。
スピアを見つけ、腕を組み、挑むような視線。
スピアは髪留めを投げつける。
「これ、お店に忘れてたわ」
床に落ちる小さな金属音。
「48時間持たなかったわ。
マリレ、あなたとはもうこれで終わりよ」
踵を返し、出て行く。
ドアが強く閉まる。
静寂。
コニィが上目遣いで微笑む。
濡れた身体のまま。
「私も帰る」
マリレはそう伝え再びドアを開ける。
外へ出る。
キャンドルの灯りだけが揺れている。
何もなかったかのように。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
御屋敷。
夜のパーツ通りから、窓の奥を覗き込む2つの影。
僕とミユリさんだ。
僕は双眼鏡を構えながら低く唸る。
「話した通りの服だ」
店内ではティルが席に座っている。
金髪を下ろし、胸の谷間を強調したセパレートtypeの黒いメイド服。
静かに本を開いている。
隣ではミユリさんが小さく眉を上げる。
「…あの黒の胸の谷間くっきりメイド服が、
お好みなのですね?」
「え。いや、別に。でも、ほら、打てる手は
全部打たないとね。よし…来たぞ」
店の扉が開く。
ティルは本を読みながら、わずかに顔を上げる。
ミユリさんは落ち着かない様子で身を乗り出す。
「自分から見ちゃだめ。
あくまで、自然に会ったふりをするのよ。
ほら、さりげなく本の表紙を見せて。
テリィ様に見えるように。
ヘミングウェイがお好きだから」
「…あ、隣に座った」
僕は双眼鏡をミユリさんに渡す。
「大成功ですね」
ミユリさんは覗き込み、店内を観察する。
ティルと…"僕"が、談笑を始める。
「テリィ様、何か?」
ミユリさんが顔を上げる。
僕はしばらく答えない。
「別に。ただ…
この世界線のミユリさんを見るたびに、思い出が溢れ出すんだ」
ミユリさんは艶やかに微笑む。
「それで…私たちって結婚しましたか?」
「ミユリさん。それは…」
言葉を止める僕を見て、彼女は小さく首を振る。
「話せないのですね。未来のことは。
ごめんなさい」
再び双眼鏡を覗くミユリさん。
しばらくして、僕はぽつりと口を開く。
「次のオリンピックの年だ」
双眼鏡を覗くのをやめ、ミユリさんは振り向く。
「駆け落ちをした」
「次のオリンピック?
それはずいぶん急ですね。
というより若すぎる…カモ」
「ロミオとジュリエットはもっと若かった…
ミユリさんは、そう言ってた。
僕らは霊南坂へ行き、教会で結婚した」
ミユリさんは少し残念そうな顔になる。
「ちゃんとした式はしなかったの?」
「いや、盛大に祝ったさ。
ヲタッキーズのみんなが途中で落ち合ってね。
その夜は朝まで歌ったり踊ったりしたよ」
僕は遠いものを見るように続ける。
「けやき坂のタワマンで。
山田省吾の『路地裏の少女』が流れていた」
ミユリさんの目が少し輝く。
「私の好きな rock ‘n’ roll です」
「みんなは疲れて眠ってしまったけど…
僕たちは曲に合わせて踊った。2人だけで」
小さく息をつく。
「だからあの歌は、
それ以来、僕たちの思い出の曲なんだ」
僕は再び双眼鏡を覗き、店内を見る。
ティルと"僕"は、まだ笑い合っている。
ミユリさんが静かに言う。
「…これがうまくいったら、その日はもう来ない。
永遠に失われるのですね」
「ああ。そうなるね」
少し間がある。
「でも…そうなったらテリィ様はどうなるの?
つまり、違う世界線から来たテリィ様は?」
僕は窓の奥を見つめたまま答える。
「ここで世界線が変われば、全てが時空遷移する。
未来も変わる。歴史の道筋も」
静かに続ける。
「量子力学上の"もつれ"が解ける時、
今の僕という存在は、恐らく消滅するだろう」
沈黙。
ミユリさんは唇を噛み、俯く。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
御屋敷。
テーブル席。向き合って話し込む"僕"とティル。
ティルは髪をほどき、ゆっくり耳に金髪をかける。
視線をわざとテーブルに落とす。
深い胸の谷間があらわになる。
"僕"は少し戸惑いながらも言う。
「君が僕にこだわるのは…
それが世界線が決めた運命だからだろう?」
ティルはくすりと笑う。
「テリィたんも辛いわね。
相思相愛の推しがいるのに、量子力学的もつれの 相手が別人だなんて」
「…そうなんだ」
「でも人の心は変わるものよ。だから別にいいの」
"僕"は首を振る。
「でも僕の気持ちは変わらない」
ティルは静かに頷く。
「そうね。でももし…
ミユリ姉様があなたに興味をなくしたら?」
"僕"は眉をひそめる。
「それはどういう意味だ?」
「もしもの話よ」
「ミユリさんと何か話をしたのか?」
「話というか…」
言いかけて、ティルは言葉を濁す。
その時"僕"の視線がふと窓の外へ向く。
外の暗がりで、人影が動く。
「…ばれた?」
椅子を蹴るように立ち上がる"僕"。
そのまま御屋敷の外へ飛び出す。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「テリィ様は離れて」
ミユリさんに突き飛ばされる。
物陰へと押し込まれる僕。
一方、御屋敷から飛び出して来た"僕"。
ミユリさんはまっすぐ向き合う。
「テリィ様…」
"僕"の目が鋭くなる。
「見てたのか?」
少し間を置いて、問いを重ねる。
「ミユリさんが仕組んだのか?」
ミユリさんは迷わず答える。
「YES」
「僕とティルの仲を取り持とうとしたのか?」
ミユリさんは小さく息を吸う。
「テリィ様は…私のこと、お怒りですよね。
よくわかります」
その瞬間。
言葉を遮り"僕"はミユリさんにキスをする。
物陰から見ている僕は、思わず息を呑む。
(我ながら…ヤルな)
ミユリさんの脳裏に、いくつもの記憶がよみがる。
無邪気に笑う自分。
僕とキスをして、息を乱した夜。
幸せそうに僕を見上げた、あの日々。
唇が離れる。
全てを知られてしまったミユリさん。
静かに目を閉じる。
"僕"は低く言う。
「ミユリさんは、今でも僕のことが好きなんだ」
「…」
「なのに、どうして推し変しろと言うんだ」
言葉が鋭くなる。
「マリレやエアリや、他のスーパーヒロイン達…
この世界線のためか?
それでティルに頼んで…」
"僕"は首を振る。
「どうしてもティルを推せと君は言うのか?」
少し間を置き、静かに続ける。
「でもティルはミユリさんじゃない。
僕が推すのは…ミユリさんだ」
ミユリさんは目を開ける。
「テリィ様…」
声が震える。
「私たちは何とかしなきゃいけないんです。
これは個人の問題じゃないの。
私たちが別れた方が…
世界線がうまくつながるのよ」
沈黙。
"僕"はポケットから2枚のチケットを取り出す。
「金曜日に会ってくれ」
ミユリさんが戸惑う。
「万貫森で、山田省吾の野外コンサートがある」
チケットを差し出す。
「それに逝こう」
ミユリさんは首を振る。
「ダメよ…テリィ様。
私たち、デートなんてもうできないわ」
私たちは別れるべきなの」
涙をこらえながら言う。
「私のことは…もう忘れて」
"僕"は、静かに答える。
「できないよ」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「できないよ」
その声が夜気に溶けた瞬間。
背後から低い声。
「…それで世界線が滅びたんだ」
振り向く"僕"。
物陰からゆっくりと姿を現す黒い影。
茶色の革コート。ロケッティアのマスク。
僕だ。異なる世界線から来た。
「誰だ」
"僕"が睨む。
ロケッティアは少し首を傾ける。
「ずいぶん若いな」
「質問しているのは僕だ」
「そうだろうな。昔の僕はそういう男だった」
ミユリさんが息を呑む。
「…やめて」
"僕"の視線が鋭くなる。
「君は誰だ」
ロケッティアはマスクに手をかける。
「言っただろ」
ゆっくり外す。
白髪まじりの髪。不精ヒゲ。同じ顔。
「異なる世界線の君だ」
沈黙。
"僕"は一歩前に出る。
「…ふざけるな」
「普通そう思うよな」
ロケッティアは静かに言う。
「でも、ここで君がミユリさんを選ぶと
僕の世界線は崩壊する」
「黙れ」
「僕はそれを見てきた」
"僕"の拳が震える。
「君は未来の僕じゃない」
「そう思いたい気持ちはわかる」
ロケッティアは冷たく続ける。
「だが君は彼女を手放さない」
その結果、ティルは秋葉原を去る。
"ヲタッキーズ"は崩壊し、
この世界線を補完する魔法陣は解かれる。
そして…侵略が始まる」
静まり返る路地。
"僕"はゆっくり言う。
「証拠は?」
ロケッティアはポケットから何かを取り出す。
古びた写真。3人の写真だ。
"僕"。
ミユリさん。
ティル。
その中央に…赤い線。
「世界線が崩壊した日だ」
ミユリさんの手が震える。
"僕"は写真を見つめる。
そして言う。
「…それでも」
ロケッティアが目を細める。
「それでも?」
"僕"は顔を上げる。
「それでも僕はミユリさんを推す」
空気が凍る。
ロケッティアの目が暗くなる。
「やっぱりな」
静かに言う。
「君はそう言う。
だから僕はここに来た」
コートの下から金属の音。
ロケッティアの腕の装置が光る。
「止めるために」
"僕"が一歩踏み出す。
「僕の人生を?」
ロケッティアは首を振る。
「違う」
1拍。
「この世界線をだ」
その瞬間…遠くで雷鳴。
"時空トンネル"の共鳴音が夜に響く。
ミユリさんが叫ぶ。
「やめて!!」
2人のテリィが、同時に動く。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「この世界線をだ」
その瞬間。
ロケッティアの腕の装置が青く発光する。
ウィィィン……
時空が蒼く歪む。
"僕"は1歩踏み出す。
「装置?」
「位相干渉バリアだ」
ロケッティアは低く言う。
「僕と君が接触した瞬間
"量子もつれ"が暴走し、対消滅する。
膨大なエネルギーが放出され秋葉原は消滅する」
ミユリさんが息を呑む。
「やめて…」
"僕"は笑う。
「なるほどな」
さらに1歩前へ。
ロケッティアが叫ぶ。
「止まれ!!」
だが"僕"は止まらない。
「異なる世界線の僕が何を言おうと関係ない。
僕の人生は僕が決める」
ロケッティアの目が鋭くなる。
「ホントにそうか?」
腕の装置を回す。
キィン——
時空が波打つ。
"僕"の足元のアスファルトが歪む。
「うっ…!」
世界線が推し返す。
まるで見えない壁のように。
「量子干渉場だ」
ロケッティアは静かに言う。
「近づけば近づくほど、世界線が拒絶する」
"僕"は歯を食いしばる。
「そんなもの…」
さらに踏み出す。
ドン!!
空間衝撃。
2人の間に青い火花が散る。
ミユリさんが叫ぶ。
「やめて!!時空が爆発するわ!!」
ロケッティアの額に汗。
「だから言った。
僕は君を殺しに来たんじゃない」
止めに来た」
"僕"は笑う。
「未来の僕はずいぶんと臆病なんだな」
「…違う」
ロケッティアの声が低くなる。
「君が愚かなんだ」
その瞬間。
"僕"がポケットから何かを取り出す。
小さな金属リング。
ロケッティアの目が見開く。
「それは…」
「知ってるよ」
若い僕が言う。
「万世橋地下の遺跡で拾った。
"時空トンネル"の制御ユニットさ」
リングが光り時空が歪み始める。
ロケッティアの声が変わる。
「やめろ。それを使えば…」
"僕"が笑う。
「ここに量子干渉場が発生する。
僕達のATフィールドだ」
青い衝撃波。
ドォン!!
2つの干渉場がぶつかる。
街灯が一斉に明滅する。
ビリビリビリ……
世界が軋む音がする。
ミユリさんが叫ぶ。
「やめて!!2人とも!!」
2人のテリィが睨み合う。
青い光の中心で。
"僕"。
異なる世界線から来た僕。
同じ顔。
同じ眼差し。
同時に言う。
「彼女を離せ」
沈黙。
そして…ロケッティアが低く言う。
「だから世界線は崩壊したんだ」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
青い干渉場が火花を散らす。
ビリビリビリ……
街灯が割れ、窓ガラスが震える。
"僕"とロケッティア。
同じ顔の2人が睨み合う。
その中央で時空が歪む。
「やめて!!」
ミユリさんの声。
だが2人は止まらない。
"僕"が叫ぶ。
「未来なんかに縛られてたまるか!」
ロケッティアも負けない。
「その思い上がりが世界線を崩壊させる!!」
その瞬間…
パリン。
空気が割れる音。3人が同時に振り向く。
御屋敷の扉。そこに立っているのは…
メイド服のエアリ。
その背中には、遥か未来目指すための翅が…
彼女は妖精だ。
金髪を揺らし、腕を組む。
胸元の開いた赤いメイド服が夜風に揺れる。
そして呆れた顔。
「…なにしてるの?」
沈黙。
ロケッティアが小さく呟く。
「最悪だ」
エアリはゆっくり歩いてくる。
青い量子干渉場のすぐ手前まで。
ロケッティアが叫ぶ。
「止まれ!!」
エアリは止まらない。
「そこに入ると—」
エアリ。
「お黙り」
パチン。
指を鳴らす。その瞬間…
量子干渉場が歪む。
ロケッティアの目が見開く。
「そんな…」
青い壁が。ぐにゃりと曲がる。
エアリがその中に1歩入る。
バチィッ!!
火花。だがエアリは平然としている。
"僕"は呆然。
「どうやって…」
エアリ。
「量子力学ってね」
もう1歩近づく。
青い干渉場が揺らぐ。
「しょせんは確率論。違う?」
ロケッティアが震える声。
「魔法で確率を操作した?」
エアリは肩をすくめる。
「YES」
さらに近づく。
2人のテリィの間に割って入る。
ビキビキビキ……
量子場が崩れていく。
アキバ全域に停電が広がる。
ティルは2人を見比べる。
"僕"とロケッティア。
「なるほどね」
腕を組む。
「未来のテリィたん」
ロケッティア。
「…そうだ」
「で」
エアリ。
「"今"のテリィたん」
"僕"。
「そうだけど」
エアリが深いため息。
「ほんと男ってバカ」
エアリは振り向く。
「世界線がどうとか、運命がどうとか」
肩をすくめる。
「そんなの女子にとっちゃどうでも良いの」
叫ぶロケッティア。
「どうでもよくない」
エアリのダメ出し。
「どうでもいいの!!」
1歩前へ。2人テリィの胸ぐらを同時に掴む。
「え?」
慌てる"僕"。
「ま、待て」
ロケッティア、狼狽。
「2人とも」
エアリ、顔を近づける。
金髪が揺れる。
「スーパーヒロインを泣かせたら…」
微笑む。
「この世界線を消すわょ」
沈黙。風だけが吹く。
そして、ロケッティアが小さく笑う。
「…やっぱり」
"僕"を振り向く。
「君は」
エアリを見る。
「この子達には勝てない」
エアリはひとこと。
「当たり前でしょ」
ドン。
2人の胸を突き飛ばす。
「さっさと消えて。
この世界線が消えちゃうでしょ」
ロケッティアに指を向ける。
「未来」
"僕"を見る。
「いま」
ミユリさんを見る。
「姉様。スーパーヒロインのターンよ」
ミユリさんが小さく笑う。
量子干渉場が完全に消える。
ロケッティアは空を見る。
「…時間切れだ」
腕のデバイスが光る。
ウィィン……
時空が歪む。
消える直前。
ロケッティアは"僕"に言う。
「覚えておくんだ。
君が選ぶ、その恋が、世界線を、決める」
光。消滅。沈黙。
"僕"。エアリ。ミユリさん。
3人だけが残る。
エアリが僕を見る。
「で?」
巨乳を突き出す。
「私、テリィたんのセフレ?未来でも」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
アキバのNo.1ホットドッグステーション。
"マチガイダ・サンドウィッチズ"。
夕方になると鉄板の油が温まり、
ソーセージの匂いがパーツ通りに流れ出す。
ネオンはまだ半分しか灯っていない。
世界が少しだけ躊躇する時間だ。
ロケッティアは紙皿のホットドッグを持ったまま、
少し困ったような顔をしている。
「諦めさせるはずだっただろう」
なのにどうして"僕"とキスなんかする?」
ミユリさんはパンの端を指でちぎった。
それを食べるでもなく、しばらく見つめている。
「だって」
彼女は言う。
「あなたがしてきたのよ。私からじゃないわ」
ロケッティアは小さく息を吐く。
その息は夜に溶けて逝く。
「それじゃ意味がない。
むしろ逆だ。君への思いは深くなる」
ミユリさんは少し首を傾げる。
「でもコンサートは断ったわ」
「断られても"僕"は諦めなかった」
少しの沈黙がある。
遠くで電車のブレーキ音が聞こえる。
ロケッティアは言う。
「そのコンサートの夜だ。
"僕"は君の部屋に逝くンだ」
ミユリさんが身を乗り出す。
「それで?」
ロケッティアは包み紙を指で折りながら言う。
「僕たちは…その、あの、結ばれた」
ミユリさんの目が少し大きくなる。
「結ばれたってどういう意味?」
ロケッティアはためらいなく告げる。
「セックスした」
ミユリさんは黙る。その沈黙のあいだに、
ホットドッグの鉄板で油がはねる音がする。
そしてほんの一瞬、
彼女の心の中で小さな祝砲が上がる。
でもそれはすぐにしまい込まれる。
「嘘よ」
彼女は言った。
「そんなはずないわ。私、
カラダの関係を持とうなんて思ってないもの」
「それはどうかな」
ミユリさんは首を振る。
「絶対ウソ。テリィ様とそんなことありえないわ。
だって私、避妊の用意もしてないし」
ロケッティアは彼女の顔をじっと見る。
どう見ても、少し期待している顔だ。
「それは"僕"が用意する」
ミユリさんはまばたきをする。
「なるほど」
それから言い放つ。
「テリィ様は日頃からセックスは嫌いとか、
逝っておきながら、実はいつも、
コンドームを定期入れに入れてたわけね」
その言葉には、
なぜかがっかりした響きが混ざる。
ロケッティアは肩をすくめる。
「僕は事実を話しているだけだ」
通りを1台のタクシーがゆっくり通り過ぎる。
ネオンがフロントガラスに流れる。
「それを変えるために未来から来た」
彼は逝う。
「でも今のところ、うまくいってない」
「そうみたいね」
ミユリさんは急に静かになる。
ソーセージの端を小さく噛む。
ロケッティアはしばらく彼女を見ている。
それから逝う。
「問題なのは"僕"だけじゃない」
ミユリさんは顔を上げる。
「君もだ」
ネオンが完全に灯り、通りは夜になっている。
「君も変わらなきゃいけない」
ロケッティアは静かに語る。
「手遅れになる前に」
少し間を置いて続ける。
「協力してくれないと、すべてが手遅れになる」
ミユリさんは何も逝わない。
ただホットドッグの包み紙を折り、
それをゆっくりテーブルに置く。
まるで、世界線のどこかにある
まだ起きていない未来を
そっと畳むみたいに。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
御屋敷のバックヤードは、いつも少しだけ暗い。
キッチンの換気扇の音が遠くで回り続けている。
外のネオンの光が、小さな窓から細く差し込む。
スピアは椅子に腰掛け、
スマホの画面を見つめている。
指が静かに動く。
1枚ずつ、画像を消して逝く。
マリレの笑顔。
パーティーの夜。
夜更けのパーツ通り。
すべてが小さな光になって消える。
そのとき、ドアが開く。
「やあ」
声をかける僕。
スピアは振り向かない。
「テリィたん?」
少しだけ疲れた声だ。
「悪いけど、外で待っててくれる?」
「いいよ」
即答。
「でもどうしたの?」
スピアは画面を見たまま言う。
「いいから。少しだけ1人にして」
僕はドアの前に立ったまま動かない。
「何かあったんだろ」
沈黙。
換気扇の音だけが回っている。
やがてスピアが振り向く。
その目は真っ赤だ。
「マリレの写真を見つけたの」
「写真?」
「コニィのロッカーの中」
彼女は語る。
「ストーカーみたいに」
僕は眉をひそめる。
「マリレは大丈夫なのか?」
スピアは小さくうなずく。
「元気よ。ピンピンしてる」
それから視線を落とす。
「だから心配でね。コニィの家まで見に行ったの」
僕は黙って聞いている。
「そしたら」
スピアは笑う。
でもその笑いは、ほとんど音がない。
「マリレがいたの」
沈黙。
「コニィは裸で」
彼女は言う。
「山田省吾のタオルを巻いてた」
バックヤードの空気が少しだけ重くなる。
スピアの指からスマートフォンが滑り落ちる。
床に小さな音を立てる。
彼女はそれを拾わない。
代わりに両手で顔を覆う。
肩が震える。
僕は1歩近づく。
それから、そっと抱き寄せる。
スピアのカラダは思ったより軽い。
彼女はしばらく抵抗しない。
やがて小さく泣き始める。
僕は何も言わない。
ただ彼女の髪を撫でている。
柔らかい髪だ。
ネオンの光が窓から差し込み、
床の上に細い線を作る。
しばらくしてスピアが顔を上げる。
「ねえ」
「うん」
「テリィたん」
僕は答える。
「なに?」
スピアは顔を上げないまま言う。
「恋って」
少し間がある。
「どうしてこんなに面倒なのかな」
僕は少し考える。
それから答える。
「たぶん」
ネオンがかすかに揺れる。
「世界線の問題だよ」
スピアは小さく笑う。
泣きながら笑う声だった。
そして僕は想う。
この夜もまた、どこかで世界線が、
静かに流れているのだろう。
電気街のネオンの下で。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
パーツ通りは、夜になると、
昼間とはまるで別の場所になる。
電子部品の店はほとんど閉まり、
シャッターの隙間からネオンの光だけ漏れる。
古い看板が風に揺れる。
小さく金属音を立てている。
街灯の下に、人影がある。
メイド服。ミユリさんだ。
"僕"は思わず嬉しくなる。
呼び出された身なのに、
そんな気持ちになる自分が少し笑える。
「来てくれたんだ」
"僕"が微笑むとミユリさんは首を振る。
「誤解しないで、テリィ様」
彼女は1度、ゆっくり深呼吸をする。
夜の空気が白く揺れる。
「何も言わないで聞いて」
そう言ってから、もう1度言い直す。
「テリィ様に言うことを
ちゃんと整理してきました」
彼女はまっすぐ僕を見る。
「途中で口を挟まれると、
ちゃんと話せなくなるから」
少し間を置いてから続ける。
「黙って聞いててちょうだい」
僕はうなずく。
「わかった」
「だ・か・ら!いいから黙って聞いて」
ミユリさんは言う。
「絶対に」
僕は何も言わない。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「私ね」
ミユリさんはゆっくり話し始める。
「ロミオとジュリエットを読み返したの」
街灯の光が、彼女の髪を淡く照らしている。
「初めて気づいたんだけど」
彼女は言う。
「原題は"ロミオとジュリエットの悲劇"なのよ」
僕は黙って聞く。
「つまり」
ミユリさんは言う。
「2人とも死んじゃうの」
遠くで電車が通り過ぎる音がする。
「ジュリエットってね」
彼女は少し笑う。
「今の私より、ずっと若かったの」
その笑いは、どこか遠くを見ているようだ。
「世の中の人があの恋をロマンチックだと思うのは
自分がその立場じゃないからよ」
ネオンが通りの向こうで瞬く。
「でも」
彼女の声が少し低くなる。
「もし今、自分の命とか、友達の命とか、
本当に危険になったら…
そんなこと、ロマンチックだなんて
言っていられない」
沈黙。
夜の風が、メイド服のスカートを少し揺らす。
「これからのテリィ様の人生には」
ミユリさんは言った。
「危険がいっぱいあるわ」
僕は何も言わない。
「でも私は違う」
彼女は続ける。
「あなたと出会わなければ、
私は危険とは無縁の人生なの」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ミユリさんは少し目を伏せる。
「私はね」
ゆっくり言葉を選ぶ。
「普通のTOに推されて、
無事に次のお誕生日を迎えたい」
少し笑う。
「いつかちゃんとした結婚式もあげたいし、
もちろん子供も欲しいわ」
街灯の光の中で、彼女の表情は静かだ。
「子供に危ない人生を送らせたくないの」
それから顔を上げる。
僕をまっすぐ見る。
「だからね」
彼女は逝う。
「テリィ様」
ほんの少し声が震える。
「私を本当に愛してるなら」
ネオンがまた瞬く。
「もう私を自由にして」
沈黙。
「どんなに好きでも」
彼女は言う。
「私はあなたのために死にたくないの」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
言葉が途切れる。
ミユリさんは一気に話し終えて、
その場に立ち尽くしている。
まばたきもしない。
僕も同じだった。
言葉が見つからない。
パーツ通りの夜は静かだ。
遠くで誰かがシャッターを下ろす音がする。
ネオンが揺れる。
そしてその瞬間、僕はふと思った。
この夜は、もしかするとどこかの世界線で
もう何度も繰り返されているのかもしれない。
でも…
このミユリさんの言葉だけは、
どの世界線でもきっと同じなのだろう。
僕はまだ、何も言えずに立っている。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
御屋敷、閉店後。
カウンターの上には、まだ少しだけ
コーヒーの匂いが残っている。
スピアがカウンターに肘をつく。
僕は向かいに座っている。
「楽観的に励ましてほしいの?」
スピアが聞く。
「いや」
僕は言う。
「スピアの正直な意見を聞きたい」
スピアは少し考える。
それから言う。
「わかった。じゃ正直に言う」
彼女は僕を見る。
「諦めたほうがいい」
沈黙。
「ミユリ姉様のことは忘れるの」
スピアは言う。
「スーパーヒロインとヲタクじゃ無理よ」
彼女は目を伏せる。
「私も」
小さく息を吐く。
「マリレを好きにならなければよかった」
カウンターの照明が静かに揺れる。
「こんなにボロボロになるのは」
スピアは言う。
「もう嫌」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
狭いバルコニーだ。
電気街のネオンの光が遠くに見える。
ミユリさんは泣いている。
隣にロケッティアが立っている。
「大丈夫?」
ロケッティアがティッシュを取ろうとする。
そのときだ。
彼の手の輪郭が、ゆっくりと薄くなる。
指が透けていく。ティッシュの箱を…
すり抜ける。
ロケッティアは息を飲む。
「何が起きた?」
ミユリさんが聞く。
ロケッティアは少し笑う。
「成功したんだ」
ネオンが遠くで光る。
「"僕"が」
彼は言う。
「きっと君を諦めたんだろう」
沈黙。
「僕は」
彼の体は少しずつ透明になっていく。
「消える」
ミユリさんが聞く。
「元の世界線に戻るの?」
ロケッティアは首を振る。
「いや」
彼は言う。
「僕が戻る世界線は」
ネオンが揺れる。
「もうない」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
御屋敷。
スピアが僕の肩に手を置く。
そのとき僕は気づく。
自分が泣いていることに。
スピアが言う。
「でも、諦めてないのね」
僕は涙を拭く。
「諦めきれないよ」
小さく笑う。
「ミユリさんを推してる」
沈黙。
「どうしようもない」
スピアは呆れたように言う。
「救いようのないヲタク」
ネオンが窓の外で光っている。
そして、その夜もまた、
どこかの世界線で…
同じ恋が
静かに続いている。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
狭いバルコニー。
電気街のネオンの光が遠くで揺れている。
夜の風が、建物の隙間をゆっくり通り抜けていく。
僕は自分の手を見る。
さっきまで輪郭を失っていた手が、
少しずつ形を取り戻している。
指が戻る。
掌が戻る。
僕はティッシュの箱を掴む。
今度は…
ちゃんと掴める。
「やっぱりだめだ」
僕は言う。
「"僕"はミユリさんを諦めきれないらしい」
ティッシュの箱を見つめながら続ける。
「他の作戦を考えよう」
ミユリさんは首を振る。
「私にはもう無理よ」
声はかすれている。
「無理でも考えるんだ」
僕は言う。
「方法はきっとある」
ミユリさんはしばらく黙っている。
ネオンの光が彼女の頬に落ちる。
それから、ゆっくり顔を上げる。
「さっき」
彼女は言った。
「私がどれだけ辛かったと思う?」
沈黙。
「私は」
ミユリさんは続ける。
「テリィ様のためにだけ生きているのに」
声が震える。
「もう何か他の方法を考えてくれない?」
彼女は僕を見る。
「お願いよ」
小さく息を吸う。
「他の人に頼んで。私にはもう無理」
目を閉じる。
「耐えられないわ」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
遠くで車の音がする。
ネオンがまた揺れる。
それから、僕は静かに語る。
「この世界線に転送される25分前」
ミユリさんが顔を上げる。
「僕はマリレをこの腕で看取った」
言葉はゆっくり落ちていく。
「エアリは」
少し間を置く。
「2週間前に死んだ」
夜の空気が重くなる。
ミユリさんは何も言わない。
僕は続ける。
「頼むからやってくれ」
声は静かだった。
「何か手段があるはずだ」
ネオンが揺れる。
「みんなの命がかかってる」
沈黙。長い沈黙。
やがてミユリさんが言う。
「何ができるというの?」
彼女は言う。
「どうやったら、テリィ様に」
少し言葉を詰まらせる。
「私を諦めさせられるというの?」
僕は首を振る。
「わからない」
正直に言う。
「でも」
夜の風が吹く。
「やるしかないんだ」
ミユリさんは両手で頭を抱える。
亜麻色の髪が肩に落ちる。
ネオンが彼女の背中を照らしている。
そして僕は思う。
この夜はきっと、世界のどこかで
もう何度も繰り返されている。
それでも…
答えはまだ、
どの世界線にも見つかっていない。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
バックヤードの窓は小さい。
そこからホールの半分だけが見える。
カウンターにエアリとマリレが並んで座っている。
2人は何か話して、同時に笑う。
エアリがグラスを回す。
マリレが肩を揺らして笑う。
その光景を、後ろから見ている2人がいる。
ミユリさんとスピア。
ミユリさんは腕を組み黙ってホールを見ている。
スピアはその横顔をちらりと見る。
「姉様」
スピアが言う。
「どうしたの?」
ミユリさんは首を振る。
「別に」
少し間を置く。
「何でもないわ」
スピアは納得していない顔をする。
「でも何かあったんでしょ?」
ミユリさんは窓から目を離さない。
「事情は話せないのよ」
静かに言う。
それから、ふと思い出したように言う。
「そうだ。
マリレとコニィのこと、聞いたわ」
その瞬間、スピアの表情が固まる。
ミユリさんは振り向く。
そして、スピアの腕を掴む。強く。
そのまま、抱き寄せる。
スピアは少し驚いた顔をする。
それから、目を閉じた。
やがて、肩が小さく震える。
「何が1番悔しいって」
スピアが言う。
声は少し濡れている。
「占いが当たっちゃったことよね」
ミユリさんは何も言わない。
ただスピアの背中を軽く叩く。
「マリレが百合の相手として」
スピアは言う。
「最低最悪だってことくらい、わかってた」
小さく息を吐く。
「でも」
言葉が少し途切れる。
「浮気現場を押さえたときの」
彼女は言う。
「彼女の顔は」
スピアは目を閉じる。
「見たくなかった」
沈黙。
「もう」
彼女は続ける。
「惨めの極致よ」
ミユリさんは静かに言う。
「それはきついわね」
スピアは少し笑う。
「ほんとよ」
窓の向こうでエアリとマリレはまだ笑っている。
まるで別の世界の生き物みたいに。
「でも」
スピアは言う。
「はっきりわかって、よかったかもしれない」
ミユリさんがスピアを見る。
「謝られても」
スピアは首を振る。
「もう彼女は絶対許せないって」
声が少し強くなる。
「はっきりしたから」
それから小さく言う。
「もうこれで終わりよ」
バックヤードは静かだった。
換気扇の音だけが遠くで回っている。
ミユリさんはしばらくスピアを抱いている。
やがてゆっくり離れる。
そして、もう一度ホールを見る。
エアリとマリレはまだ笑っている。
まるで未来を知らない人達のように。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
扉が開く。
カレルが顔を出す。
その前に、ミユリさんが立っている。
メイド服のまま。
彼女はまっすぐカレルを見る。
「カレル」
少しだけ間を置く。
「私に力を貸して」
ネオンの光が廊下の床に細く伸びている。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
御屋敷の2Fにあるメイド長室。
小さなスタンドライトが机を照らしている。
外のネオンがブラインドの隙間から細く入り込む。
「最近、君とはまるで話してなかったね」
カレルが言う。
そう言いながら、青いシャツを器用に脱ぐ。
「ええ、そうね」
ミユリさんが答える。
「調子はどう?」
カレルは肩をぐるぐる回す。
「仏教に入信したおかげで、とても良いよ」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
そのやりとりを、僕は物陰から見ている。
小声で異議を唱える。
「とても良い作戦とは思えない」
ミユリさんは洗面台の前で髪をほどき、
ブラシでゆっくり整えている。
「今さら何を言ってるの?」
小声で言う。
「それでうまくいくと思うのか?」
僕はささやく。
「僕がカレルに嫉妬なんかするはずがないだろう」
ミユリさんは振り向かない。
「…あっち向いていてください」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ミユリさんはブラウスを脱ぐ。
だが、その動きはどこかぎこちない。
カレルはベッドの端に腰かけ、
足をブラブラさせている。
「仏教って、瞑想したりするの?」
ミユリさんが聞く。
「お香とか炊いたり?」
カレルは少し真面目な顔で答える。
「ああ。
霊的な視点で自分の人生を見つめ直すんだ」
少し間を置く。
「存在の異なる自分と調和して、融合する」
物陰で僕は小さくつぶやく。
「何言ってんだかわからないよ」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
カレルが言う。
「トランクスも脱いだ方が良いかな?」
足をブラブラさせる。
「ほら、リアリティが必要だろ?」
「いいえ」
ミユリさん、即答。
「パンツは脱がないで」
「わかった」
素直にうなずくカレル。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ミユリさんが僕の方を振り向く。
「もし強引にやられたら……」
「そんなことはさせないわ」
彼女はきっぱり言う。
「だから、テリィ様は絶対に出てこないで」
鋭い声だ。
それから彼女はタオルを体に巻き、
オフィスに入って逝く。
少し恥ずかしそうに笑っている。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「昔を思い出すね」
カレルが言う。
トランクス姿のまま。
「え。あなたとセックスしたことないし」
ミユリさんは言う。
「いや」
カレルは首を振る。
「そのタオルだよ」
少し笑う。
「一昨年の夏、プールに行ったろ?
君のビキニにみんな目が釘付けだった」
ミユリさんは肩をすくめる。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
カレルが少し真面目な声で言う。
「ミユリ。ちゃんと言っておくけど
今の僕には迷いも疑いもない」
ゆっくり続ける。
「僕に任せてくれれば全て大丈夫だ。
僕の心は澄んでいる」
ミユリさんは小さくうなずく。
「それはよかったわ」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「じゃ始めようか」
カレルが言う。
ミユリさんはすぐに言う。
「その前に念を推すけど」
少し間。
「ベッドに入るからって、実際にあなたとは…」
カレルが先に言う。
「セックスは無しだね」
「それから」
ミユリさんは続ける。
「キスもちょっと…」
「わかった」
カレルは言う。
「舌は入れない」
ミユリさんは小さく笑う。
「ごめんね」
カレルは肩をすくめる。
「君の力になれるなら気にしてないよ」
それから、どこか誇らしげに言う。
「何しろ僕には仏陀がついているんだ」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
2人はベッドに横になる。
カレルは胸の上で腕を組む。
まるでツタンカーメンだ。
そして小さな声でつぶやく。
「アノクタラ山脈さんぽタイ…」
部屋は静かだ。
物陰で僕は思う。
この作戦は、
たぶんうまくいかない。
でも…
世界線というものが本当にあるのなら、
もしかすると
この奇妙な夜もまた、
どこかの未来に繋がっているのかもしれない。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
朝の光がカーテンの隙間から細く差し込む。
マリレはソファに座り、
ボウルのコーンフレークをスプーンですくう。
スマホではオリンピック中継が流れている。
実況の声が、少しだけ遅れて部屋の壁に反射する。
スプーンが皿に当たる小さな音。
そのとき、ドアにノック。
「開いてるけど」
オリンピックを見ながら答えるマリレ。
ドアが開く。
"僕"が入ってくる。
マリレは少しのあいだ、
何も言わずオリンピックを見ている。
「どうしたの、テリィたん。
オリンピック、一緒に見る?」
マリレはスプーンを口に運ぶ。
"僕"はマリレのスマホの電源をOFF。
実況の声が突然消え、
部屋の空気が少しだけ重くなる。
マリレが顔を上げる。
「マリレ」
"僕"が言う。
「スピアを泣かせたな」
ドアは半分開いたままだ。
朝の光が細くフロアに伸びる。
マリレは首を振る。
「誤解だけど」
"僕"は1歩近づく。
「たとえ"時間ナヂス"の精鋭に
瞬殺されるとしても、僕は言う」
マリレは黙っている。
「ミユリさんが僕と不釣り合いだと
笑うのは構わない」
僕は続ける。
「でも」
拳を握る。
「スピアを泣かせたら許さない」
マリレはゆっくり言う。
「信じて。コニィとは何もないの」
そのとき、再びドアが開く。
コニィが入ってくる。
黒いメイド服。
胸元が派手に開いている。
部屋の空気を一瞬で理解。
「マリレ、お前…」
次の瞬間、1歩踏み出した僕は
真っ暗焦げになる。
「テリィたん、ごめん!
手が勝手に…日頃の訓練の賜物?」
マリレは"最後の大隊"の標準装備、
"ロケット・ガール"の噴射口を
僕に向けたママ謝る。
「でも、元カノのために
スーパーヒロインに喧嘩を売るなんて」
そして少し笑う。
「テリィたんってマジ良い奴ね」
"僕"が睨む。
「やめろ」
とりあえず、ドアへ退却。
「今度そのラケーテン装備、よく見せてくれ」
そのまま部屋を出て逝く。
ドアが閉まる。
静かになる。
すると、コニィはマリレに大接近。
「大丈夫?」
マリレは平気な顔だ。
「もちろん」
2人の顔が近づく。
ほんの少しの沈黙。
そしてキスをする。
最初は軽く。
でもすぐに深くなる。
コニィがマリレをソファへ押し倒す。
腕を首に回し、マリレの息が荒くなる。
そのとき。
マリレの指がコニィの後頭部に触れる。
何かをつまむ。
ゆっくり引く。
皮膚が、少しだけ剥がれる。
マリレの目が開く。低い声で唸る。
「やっぱりね」
コニィは1歩下がる。
「貴女…」
少し間を置く。
「"頭巾ズ"ね?」
コニィが立ち上がる。
「待って」
しかしコニィはもう動いている。
窓へ走る。振り返る。
一瞬だけ奇妙なポーズを取る。
そして…
窓を突き破る。
ガラスが割れる音。
朝の光の中へ、
コニィの姿が消える。
部屋には、砕けたガラスと
食べかけのコーンフレークだけが残る。
そしてマリレは思う。
この朝は、
どうやら普通の朝ではなかったようだと。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ベッドの中は静かだった。
カーテンは半分開いていて、
窓から入る夜の光が床の上に長く伸びている。
「君の方から別れたがるなんて」
カレルが言う。
「テリィはよっぽど君を怒らせたんだな」
ミユリさんは天井を見ている。
「お願い」
彼女は小さく言う。
「今はそれを話したくないの」
カレルは少し考える。
「でもさ」
ゆっくり言う。
「僕の立場としては、聞く権利くらいあると思うんだけど」
リズは首を振る。
「話せないのよ」
2人は黙る。
その沈黙の中で、
それぞれ無意識にカラダのどこかを掻いている。
腕だったり、肩だったり、
髪の中だったり。
まるで、
この夜のどこかが少しだけ居心地悪いみたいに。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「俺たちさ」
カレルは言う。
「共通点があるよな」
ミユリさんは彼の方を振り向く。
「どんなこと?」
カレルは少し考える。
「この世界線で」
静かな声で言う。
「1度死んでる」
リズはうなずく。
「そうね」
「それで」
カレルは続ける。
「時空のもつれってやつで、また戻ってきた」
リズはまたうなずく。
「同じ世界線にいるのに」
カレルは言う。
「見え方は違うんだろうな」
「ええ」
リズは小さく答える。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
しばらくして、彼女が言う。
「ねえ、カレル」
「なに?」
「テリィ様に癒されたとき」
彼女は言葉を探す。
「あなた、何か見た?」
カレルは首をかしげる。
「見た?」
「ビジョンみたいなもの」
ミユリさんは言う。
「昔の景色とか。
いろんな断片が、点滅するみたいに」
カレルは首を振る。
「いや、何も」
それから少し笑う。
「でもさ。
テリィの裸が、頭に焼き付いてる」
ミユリさんは思わず笑う。
その笑いは、
この部屋に久しぶりに生まれた音だ。
カレルも笑う。
「よかった」
彼は言う。
「やっと笑った」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
そのときだ。
窓の外に人影が立つ。
"僕"だ。
手にはチケットが2枚握られている。
"僕"は狭いバルコニーに立ち、
部屋の中を見ている。
ベッドの上の2人を。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ミユリさんの視線が、ふと窓へ向く。
そこには"僕"が立っている。
"僕"は何も言わない。
ただ立っている。
まるで、
自分が今どこにいるのか
まだ理解できていない人みたいに。
ミユリさんの太ももが、
シーツの下から少しだけ見えている。
"僕"はそれを見る。
その瞬間、
彼の中で何かが静かに壊れる。
音はしない。
ただ、
長いあいだ信じていたものが
机の上から床に落ちたみたいに。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
もちろん、僕はそれを知っている。
なぜなら、
それを壊したのは…
他でもない僕だからだ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
窓辺の"僕"は1歩下がる。
言葉を探しているように見える。
でも結局、
何も見つからない。
ミユリさんは息を呑む。
「テリィ様…」
しかし"僕"は首を振る。
ほんの小さく。
それだけだ。
そして振り向く。
暗闇の中へと姿を消す。
その背中は、
誰かが部屋を出ていく背中というより、
むしろ
自分の居場所を1つ失った者の背中だ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
物陰で僕は目を閉じる。
この瞬間を、
僕は何度も何度も思い出している。
世界線が変わるたびに。
時空が巻き戻されるたびに。
それでも
この夜だけは
どうしても変えられない。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ベッドの上でミユリさんが言う。
「…うまくいったみたい」
彼女は何度もうなずく。
窓の外では夜が静かに続いている。
世界線だけが僕の知らない場所へ進んで逝く。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
夜。万貫森。
湿った土の匂いがする。
遠くで虫が鳴いている。
ベンチに僕は1人で座っている。
足音が近づく。
顔を上げると、ティルだ。
黒いセパレートのメイド服。
上から白いパーカー。金髪を下ろしている。
何もかも、僕の好みのままだ。
ティルは少し首を傾げる。
「大丈夫?」
僕は少し笑う。
「いや」
夜空を見上げる。
「だめだ」
「座ってもいい?」
「ああ」
ティルは3歩歩き、僕の隣に座る。
ベンチが小さくきしむ。
ティルは僕の顔を覗き込む。上目遣い。
さりげなく胸元の深い谷間がのぞく。
「話したいなら聞くわよ」
僕は首を振る。
「もういいんだ」
「1人にしてほしい?」
少し間が空く。
「いや」
僕は言う。
「ここにいてくれ」
ティルは何も言わない。
ただ隣に座っている。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
狭いバルコニー。
夜風が吹いている。
ミユリさんが寂しそうに笑う。
「これで」
彼女は言う。
「テリィ様とティルの恋が始まるのね」
僕は首を振る。
「わからない」
空を見る。
「世界線はもう変わった。
これから何が起こるのか、誰にもわからない」
ミユリさんは静かに言う。
「私は一人ぼっち」
「それもわからないよ」
僕は言う。
「未来はこれから広がっていく」
少しだけ笑う。
「僕が前から言ってただろ?
世界線の未来は、自分で決めるものだ」
ミユリさんは立ち上がる。
そして僕の腕を取る。
「私と踊ってくれない?」
「なぜ?」
彼女は照れたように笑う。
「結婚式のダンスが踊りたいの」
僕は苦笑する。
それでも立ち上がり、手を差し出す。
ミユリさんはその手を取る。
狭いバルコニーで、2人はゆっくり回る。
くるり。
くるり。
夜風が髪を揺らす。
ミユリさんは僕を見つめる。
まるで、その顔を
目の奥に焼き付けるみたいに。
やがて彼女は目を閉じる。
くるり。
くるり。
髪が舞う。
彼女が目を開けたとき…
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
万貫森。
ティルがそっと僕の肩に手を置く。
僕はその手を見る。
ゆっくり顔を上げる。
ティルが、恐る恐る僕の目を覗き込む。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
狭いバルコニー。
ミユリさんが振り向く。
その瞬間。
僕はもういない。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ミユリさんは1人、バルコニーに立っている。
周りを見回す。
誰もいない。
1歩、後ずさる。
そして夜空を見上げる。
星空。
そのとき。
一筋の流れ星が、
静かに夜を横切る。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
万貫森。
ティルはまだ隣に座っている。
"僕"は空を見る。
さっきと同じ星空だ。
「ねえ」
ティルが言う。
「流れ星、見えた?」
"僕"は、少し考える。
それから、首を振る。
「いや」
小さく笑う。
「見逃したみたいだ」
ティルは何も言わない。
ただ"僕"の隣に座っている。
夜は静かに続いていく。
そして彼女は、
その流れ星が誰のものだったのか
最後まで知らない。
第4章 窓の外の僕
秋葉原の夜は、
どこか少しだけ現実からずれている。
ネオンが多すぎるせいかもしれない。
あるいは、この街が昔から、どこか別の世界と
つながっているせいかもしれない。
ミユリさんはいつもの席に座っている。
"マチガイダ・サンドウィッチズ"。
鉄板でソーセージが焼ける音。
ケチャップの匂い。夕方と夜の間の時間。
それは、何度も見てきた光景だ。
何度も。
本当に何度も。
ミユリさんはホットドッグを1口かじる。
そして、静かに逝う。
「249回目ね」
YUI店長は何も聞かなかったふりをする。
この店ではそういうことは珍しくない。
ミユリは通りを見る。
もうすぐ、あのドアが開く。
若い男が入ってくる。
少し不器用そうな歩き方。
少しだけ真剣すぎる目。
そして言う。
「チリドッグください」
その男の名前は…
テリィ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ドアが開く。
予想どおり、彼は入ってくる。
ミユリは目を細める。
(また会えた)
彼は隣の席に座る。少し沈黙があり、
それから、いつものように言う。
「どこかで会いました?」
ミユリは笑う。
「いいえ」
それも、いつもの答え。
でも今日は、ほんの少しだけ違う。
テリィは言う。
「僕、テリィって言います」
ミユリは頷く。
「知ってます」
テリィは驚く。
「え?」
ミユリは言わない。
言う必要はない。
だって…
彼はもう248回も
ここに来ているのだから。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ミユリはホットドッグを食べ終える。
そして小さくつぶやく。
「ごめんね」
テリィは聞き返す。
「え?」
ミユリは首を振る。
「なんでもない」
遠くで古い rock 'n' roll が流れる。
山田省吾の曲。
あの夜、軽井沢で2人が踊った曲だ。
テリィは覚えていない。
もちろん、何も覚えていない。
だが、ミユリはすべて覚えている。
全部。
すべての世界線を。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
その瞬間、世界がわずかに止まる。
ネオンが静止する。
人の動きが遅くなる。
時空が観測の外に落ちる。
ミユリさんは静かに目を閉じる。
そして…
世界線を回す。
空間の奥で、無数の可能性が枝分かれする。
彼女はその中から1つを選ぶ。
いつもの世界線。
テリィがまた自分を好きになる世界。
テリィがまた自分を守る世界。
ミユリさんは小さく笑う。
「ごめんね」
もう1度言う。
「でも」
彼女は言った。
「あなたと出会わない世界は」
ネオンが揺れる。
「ちょっと退屈すぎるの」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
時空が流れ出す。
ネオンが瞬く。
鉄板が音を立てる。
テリィは言う。
「ねえ」
「なに?」
「僕たち」
少し照れながら言う。
「また会えますか?」
ミユリは微笑む。
それは、248回見てきた大好きな眼差し。
「もちろんです」
彼女は言う。
「また会えますわ」
ミユリは心の中でつぶやく。
何度でも。
秋葉原のネオンが光る。
そしてどこか遠くで、
まだ観測されていない未来が
またひとつ
静かに流れ始める。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
僕はその視線の先を知っている。
そこにいるのは…
あなただ。
この物語を読んでいる人。
あなたがページを開いた瞬間、
この世界は観測される。
量子の世界では、
観測された瞬間に可能性は1つに決まる。
つまり。
この世界線が存在したのは、
あなたが読んだからだ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
"僕"はまだ気づかない。
でもミユリさんは知っている。
彼女は小さく笑う。
そしてネオンの向こうに向かって言う。
「ありがとう」
"僕"が言う。
「誰に?」
ミユリさんはホットドッグを1口かじる。
ケチャップが少しだけ指につく。
そして答える。
「観測者に」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
その瞬間、世界線が少しだけ揺れる。
電気街のネオンが光る。
新幹線が通る。
秋葉原の夜が動き出す。
"僕"とミユリさんは、また出会う。
また恋をする。
また未来へ進む。
そして"あなた"は、観測を続ける。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
もしこの物語をここまで読んだなら、
あなたはもうこの世界線の一部だ。
あなたがページを閉じるとき、
世界線はまた枝分かれする。
もしかすると別の世界では、
テリィはミユリと結ばれないかもしれない。
もしかすると、
世界は少しだけ違う形になる。
でも少なくとも、
この世界では。
あなたが観測したこの世界では…
電気街のネオンの下で、
"僕"とミユリさんは、
またホットドッグを食べながら出会う。
その瞬間を、
僕は時間の外側から見守っている。
未来の僕として。
そして、この世界線の
最後の証人として。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ネオンが静かに瞬く。
ページを閉じる音がする。
世界線が、また1つ確定する。
その夜、電気街で僕たちは、
たぶん249回目の恋に落ちる。
おしまい
今回は、海外ドラマによく登場する"未来改変"をテーマに、未来と現代の主人公とヒロインの時空を超えた三角関係、切ない恋を描いてみました。
ノーベル賞文学賞?を意識した村上春樹風の文体に挑戦しています。円環構造を構築し、読者を観測者に仕立てる…日々の文学的?挑戦を楽しみながらサラリーマンSF作家活動を続けています。
読者を巻き込んでの円環構造などにも挑戦してみました。余韻重視の実験作です。
海外ドラマでよく舞台となるニューヨークの街並みを、すっかり大陸系中華色の消えた秋葉原に当てはめて展開してみました。
秋葉原を訪れる全ての人類が幸せになりますように。




