「寒いからくっついていい?」と毎晩窓から侵入してくる副騎士団長の幼馴染。~職場では私を「妻」扱いしてますが、私にとっても彼は都合のいい「人間湯たんぽ」です。でも、私たち、まだ付き合ってないですよね?~
コンコン、コン。
控えめなノックの音が、夜の静寂を破った。
私は読んでいた本のページをめくる手を止め、壁に掛けられた時計を見上げる。
時刻は、夜の8時を回ったところ。
「……また来た」
小さくため息をつき、けれどその口元が自然と緩んでしまうのを止められなかった。
ここは王都の下町にある、古びた書店の二階。
私の自宅兼、仕事場だ。
冬の夜は冷える。
石造りの壁からは冷気が染み出し、安物の魔道具ヒーターひとつでは、部屋の隅々まで暖めることはできない。
私は膝掛けを巻き直し、窓の方へと歩み寄った。
鍵を開け、窓を押し開ける。
ヒュウッ、と冷たい風と共に、白い息を吐く長身の男が入り込んできた。
「……開けてくれ。凍死しそうだ」
低い声と共に部屋に入ってきたのは、濡れたような銀髪に、青い瞳を持つ美青年。
この国の騎士団で副団長を務める、シルトだ。
私の幼馴染であり、現在進行系の「お邪魔虫」でもある。
「こんばんは、シルト。……今更だけど、一応言っておくね。……ここ、二階だよ? 入り口は一階にあるんだけど」
「裏手の騎士寮からだと、ここの窓が一番近い」
「近いって言っても、普通は入口から入るでしょ……。窓からって、どうかと思うけど……」
シルトは私の文句など聞き流し、慣れた手つきで窓を閉め、鍵をかけた。
まるで自宅の窓を閉めるかのように。
そして、我が物顔で部屋の中央にあるソファへと向かう。
「ああ、生き返る……。寮の暖房がまた壊れた。あそこは極寒地獄だ」
「また? 先週も壊れたって言ってなかった?」
「……ふ、古い建物だからな。それより……ミナ、座らないのか?」
シルトはソファにドカッと座ると、自分の前にあるスペース――つまり、私の定位置をポンポンと叩いた。
私は呆れつつも、元の位置に戻る。
ソファに腰を下ろし、膝掛けをかけ直す。
「ミナ、今日も寒いから、くっついていい?」
「ダメって言ってもくっつくくせに」
すると次の瞬間、予想通りに背中に重みがかかった。
ぎゅっ。
後ろから、太い腕が私の腰に回される。
背中には、がっしりとした胸板の感触。
首筋には、くすぐったい銀髪と、温かい吐息。
「……暖かい」
シルトが私の肩に顎を乗せ、満足そうに喉を鳴らした。
「……重いよ、シルト」
「我慢してくれ。俺は今、体温の低下で生命の危機なんだ」
「はいはい」
「……あー……やっぱ落ち着く」
こうして、いつもの夜が始まった。
私の名前はミナ。
前世は日本の社畜で、過労の末に深夜のオフィスで力尽きたいわゆる転生者だ。
だからこそ、今世での私の目標は「スローライフ」一択だった。
出世欲はない。
派手な冒険もいらない。
ただ、好きな本に囲まれて、静かに、温かく、のんびりと暮らしたい。
それだけを願って、この小さな書店で働きながら、副業で写本をしている。
本来なら、一人で静かに過ごすはずの夜の時間。
けれど、いつの頃からか、隣の騎士寮に住む幼馴染が、こうして「暖」を取りに来るようになってしまった。
(……まあ、いいんだけど)
私は読みかけの本を再び開いた。
背中に密着するシルトの体温は、高い。
安物のヒーターなんかより、ずっと高性能で、ずっと心地いい。
人間湯たんぽ、ここに極まれりだ。
私は彼の腕の中で、ページをめくる。
カサリ、と紙が擦れる音だけが、静かな部屋に響く。
シルトは何も言わない。
ただ黙って、私と同じ本を、私の肩越しに読んでいる。
私がページを読み終えるタイミング。
それを計ったように、シルトの指が私の手に重なり、ページをめくるのを手伝ってくれる。
あうんの呼吸。
言葉なんていらない。
前世の記憶にある、あくせくとした時間とは無縁の、蜂蜜のようにとろりとした時間。
(幸せだなぁ……)
私は心の中で呟いた。
これこそが、私が求めていたスローライフだ。
背中の重みも、回された腕の拘束感も、不思議と嫌じゃない。
むしろ、この重みがあるからこそ、私は安心して物語の世界に没頭できるのかもしれない。
「……ミナ」
不意に、耳元でシルトが囁いた。
「ん?」
「ここ、誤字だ」
「えっ」
シルトが指差したのは、私が今日、昼間に写本した原稿の一部分だった。
見ると、確かにスペルが一つ違っている。
「うわっ、ほんとだ……! ありがとう、直しておく」
「……珍しいな。お前がミスをするなんて」
シルトの声に、少しだけ不機嫌な色が混じる。
「何か、あったのか?」
「うーん……今日、お店に来たお客さんに話しかけられて、ちょっと話し込んじゃったからかな。集中力が切れちゃったのかも」
「……客? お、男か?」
「うん。旅の学者さんだって。私が書いた文字を『美しい』って褒めてくれて、凄く嬉しかったなぁ」
その瞬間。
ぎゅうぅぅぅっ!
腰に回された腕の力が、あからさまに強くなった。
「ぐぇ」
変な声が出た。
「シ、シルト? 痛い、痛いよ?」
「……知らん」
シルトは私の首筋に顔を押し付け、拗ねた子供のような声で言った。
「その学者は、目が悪いんじゃないか?」
「ええっ? 褒められたのに?」
「お前の字は美しいが、それを見る目は俺だけが持っていればいい」
「……なにそれ、意味不明なんだけど……独占欲?」
「うるさい。……罰として、今日はこのまま寝るまで離さん」
「いつも離してくれないじゃん」
私は苦笑しながら、彼の手をぽんぽんと叩いた。
シルトは王国騎士団の副団長。社交界の令嬢たちからは憧れの的らしいけれど、中身はこんなに甘えん坊で子供っぽい。
このギャップを知っているのは、世界で私だけだろう。
……まあ、それも悪くない優越感だ。
◇◆◇
「……腹が減った」
一時間ほど読書をした後、シルトがぼそりと呟いた。
「寮の食堂は?」
「あそこは人間の食うものを出さない。今日のスープはゴムの味がした」
「ゴムって……どんな味付けしたらそうなるの」
私はパタンと本を閉じた。
「仕方ないなぁ。まだ残りがあるから、食べる?」
「食べる」
即答だった。
私はシルトの腕を解き(凄く嫌そうにされたけど)、キッチンへと向かった。
鍋を火にかける。
中身は、冬の定番、クリームシチューだ。
前世の知識を活かして、小麦粉とバターでしっかりルーを作り、隠し味に少しの味噌を入れた特製シチュー。
具材は、ごろごろ野菜と鶏肉。
温め直すと、部屋中にミルクと野菜の甘い香りが漂う。
料理の腕に自信がある訳でもないけど、はっきり言って、この世界のまずいスープなんかより、遥かに美味しいものを作ってる自覚はある。
クックパッド、ありがとう。
おかげで、味気ない料理しかないこの世界で、豊かに暮らせております。
「……いい匂いだ」
いつの間にか、シルトがキッチンの入り口に立っていた。
待ちきれなくて、お昼になったら給食室の前をウロウロする子供みたいで可愛い。
「はい、お待たせ。パンは軽く炙っておいたから」
テーブルにシチューとパンを並べると、シルトは目を輝かせて席に着いた。
そして、一口食べた瞬間、ほう、と幸せそうな息を吐く。
「……やっぱりうまい。ミナの料理は何かが違う」
「よかった」
「身体の芯まで染み渡る。……やっぱり、俺の帰る場所はここしかない」
「大袈裟だなぁ。ただの残り物だよ?」
「残り物じゃない。ご馳走だ」
シルトはパンをシチューに浸しながら、ものすごい勢いで、けれど綺麗な所作で平らげていく。
その様子を見ていると、なんだか私までお腹が一杯になってくる。
前世では、食事なんて「栄養補給」でしかなかった。
カロリーメイトをパソコンの前で齧るだけの毎日。
誰かのために料理を作って、それを「美味しい」と食べてもらえることが、こんなに満たされることだなんて知らなかった。
「……ごちそうさまでした」
あっという間に完食したシルトが、手を合わせる。
これも、私が教えた日本の習慣だ。
「お粗末さまでした。じゃあ、お皿洗いは……」
「ジャンケンだな」
私たちは真剣な顔で向かい合い、拳を構えた。
絶対に負けられない戦いがある。
「最初はグー、ジャンケン……」
ポン!
私がチョキ。
シルトがパー。
「あ、勝った」
「……くそ、負けたか……仕方ない」
シルトは大根役者みたいな棒読みで悔しがると、手早く食器を片付け、洗い場に立った。
……知ってるよ。
あなたが知ってることを、私、知ってる。
私がチョキを出す癖を知っていて、わざと負けてくれていることくらい。
水が冷たい冬場は特に、彼は絶対に私に水仕事をさせようとしない。
以前、あかぎれで辛そうにしていた私を見てから、彼はそうしてくれている。
背中越しに見える彼の広い背中は、頼もしくて、優しくて。
(……なんか、普通にいい旦那さんになりそうなんだよね、シルトって)
私は他人事のようにそう思った。
こんなにハイスペックで、家事もできて、優しくて、甘えん坊な騎士様。
きっと将来のお嫁さんは幸せだろうなぁ。
……その時、なぜか胸の奥がチクリとしたけれど、私は気にしないフリをした。
◇◆◇
翌日。
私は買い出しのために、街の市場へと来ていた。
雪が舞い散る寒い日だが、市場は活気に満ちている。
「今夜は何にしようかなぁ。シルト、お肉食べたいって言ってたし……」
無意識に、今夜来るであろう居候の分まで考えている自分に苦笑する。
完全に、受け入れてしまってる。
その時だった。
「あ! ミナさん!」
声をかけられ、振り向くと、そこには騎士の制服を着た若い青年が立っていた。
見覚えがある。
シルトの部下の、えっと……。あ、エイル君だ。
「こんにちは、エイル君。巡回中?」
「はい! あ、荷物持ちますよ!」
「いいよいいよ、軽いから」
「ダメですって! 副団長の奥さんが重いもの持ってるのに、見過ごしたら僕が殺されます!」
……ん?
今……え? 気のせいか?
「えっと……奥さん? 誰が?」
私が聞き返すと、エイル君はきょとんとした顔をした。
「……えっ? ミナさんですよね?」
「いや……えっ? ……奥さんじゃないよ? 私とシルトは、ただの幼馴染……」
「……ええええええっ!?!?」
エイル君は市場中に響き渡るような大声で叫んだ。
周囲の視線が一斉に集まる。恥ずかしい。
「ちょ、声大きいって!」
「す、すみません! でも、だって! 副団長、いっつも言ってますよ!?」
「……な、なんて?」
「『今夜は妻の手料理が待ってるから帰る』とか、『俺の布団は世界一暖かい(ミナ)』とか、『家に帰れば極上の癒やしが待っている』とか!」
「……はっ!!??」
顔から火が出るかと思った。
あいつ、職場で何言ってんの!?
「それに、夜会の誘いも全部断ってるんですよ? 『俺には心に決めた相手がいるから、他の女には一ミリも興味がない』って!」
「そ、それは……ただの断り文句じゃ……」
「い、いやいやいや……! あの副団長が、ミナさんの話をする時だけ、顔がデレっデレに溶けてるんですよ!? これは騎士団公認の事実ですよ!」
「は……はあっ!?」
エイル君の言葉に、私は愕然とした。
騎士団公認?
デレデレ?
あの、クールで無愛想なシルトが?
(……私、そんな風に思われてたんだ)
幼馴染。腐れ縁。
都合のいい湯たんぽと、カイロ。
そんな関係だと思っていたのは、私だけだったのかもしれない。
急に、心臓がトクトクと早く打ち始めた。
今夜、シルトに会うのが、なんだか無性に恥ずかしい……!!
◇◆◇
そして、夜が来た。
コンコン。
いつものノックの音。また窓。
私は深呼吸をして、窓を開けた。
「……寒い。入れてくれ」
シルトが入ってくる。
いつも通りの、涼しい顔。
でも、今日の私には、その顔がいつもより一層、かっこよく見えてしまう。
「……どうした? 顔が赤いぞ? まさか熱でも……――」
シルトが心配そうに覗き込んでくる。
その手が、私の額に伸びて――。
「――っ、ダメ!」
私は反射的に、彼の手を払いのけてしまった。
シルトが驚いたように目を丸くする。
「ミナ……?」
「あ、ご、ごめん……! 違うの、嫌なんじゃなくて……」
気まずい沈黙が流れる。
シルトは少し傷ついたような顔をして、けれど強引に私をソファへ座らせた。
そして、いつものように後ろから抱きついてくる。
ぎゅっ。
いつもより、少し力が強い気がした。
「……何かあった?」
耳元で、低い声が問う。
「誰かに何か言われたか? それとも……俺が、邪魔か?」
そんなことない。
邪魔なわけない。
シルトがいない夜なんて、もう考えられないくらい、寒くて寂しいのに。
「……ううん。違うの」
私は意を決して、口を開いた。
「……ねえ、シルト。私たちって……どういう関係?」
「……は?」
シルトはキョトンとした。
本当に、意味がわからないという顔で。
「どういうって……。俺の人生の半分はお前の部屋にあるし、俺の胃袋はお前に握られてるし、俺の安眠はお前なしじゃ得られないが」
「それは、そうだけど……! そういう機能的な話じゃなくて!」
私は振り返り、彼の青い瞳を真っ直ぐに見た。
「……今日、エイル君に会った。シルトが職場で、私のこと……。そ、その……『奥さん』……みたいな言い方してるって、聞いて……」
「……ああ、エイルか。あいつ、口が軽いな。後でシメておく」
「そこじゃなくて! ……誤解されるよ。私たち、付き合ってないのに」
私がそう言うと、シルトは眉をひそめた。
心底、不思議そうな顔で。
「……ん? ……付き合ってない?」
「……え?」
「毎日一緒に飯を食って、毎晩抱き合って過ごして、俺の休日は全部お前に捧げているのに……付き合ってない、だと?」
「え、ええっ!? だ、だって! 言葉にしてくれないじゃん!」
「い、いやそれは……! その、あうんの呼吸と言うやつで……! 言葉とかそういうものは不要って言うか……」
「いるよ! そこは必要だよ!」
私が抗議すると、シルトは「やれやれ」と小さく笑った。
その笑顔が、あまりにも優しくて、私の胸が高鳴る。
「……そうか。ミナは、言葉にしなきゃわからないほど、鈍感だったか」
「うぐっ……」
「悪かった。俺の配慮が足りなかった。……お前といることは、俺にとっては当たり前すぎて、言葉にする必要なんてないって思ってた」
シルトは私を抱きしめる腕を解き、私の体を反転させて、向かい合う形にした。
そして、私の手を両手で包み込む。
彼の体温が、熱い。
「ミナ。俺は、お前以外いらない。お前が気付いてても、気付いてなくても、お前は昔から俺だけのものだ。そしてこれからも、ずっと」
「……!」
「いつか話してくれたことあったよな。……転生……だっけか? 前世だか来世だか知らんが、お前がどんな世界から来たとしても関係ない。俺の今世は、お前のためにある」
真剣な眼差し。
今の彼は、炎のように熱い。
「思ったんだよ。あの話を聞いた時、お前は『俺に会うために』この世界に来てくれたんだって」
「シルト……」
「……これを愛と呼ばないで、何を愛と呼ぶんだ? ……言葉にしなかったのは悪かった。でもわかってほしい。俺は、お前を愛してる。愛してないと思った時間なんて、1秒もない」
どうしよう。
胸が、ドキドキしすぎて、痛い。
恥ずかしい。
私のドキドキ音が、彼に聞かれてそうで……。
「俺は、お前と結婚したい。ミナ。……まあ、俺はもうそのつもりだったんだけど」
プロポーズ。
あまりにも唐突で、でも、あまりにも彼らしい、日常の延長線上の言葉。
私の目から、ポロリと涙が溢れた。
スローライフ。
穏やかな幸せ。
私が望んでいたものは、全部ここにあったんだ。
「……雑!!」
私は泣き笑いのような顔で、文句を言った。
「ムードも何もないよ! 指輪は!?」
「あー……まだ用意してない……。明日、一緒に買いに行くか。その……デートも兼ねて」
「……うん。行く。絶対、行く」
シルトは満足そうに微笑むと、私の涙を親指で拭い、そして優しく口づけをした。
触れ合う唇は温かくて、蜂蜜のように甘かった。
こうして、私たちの「名前のない関係」は終わった。
代わりに、「婚約者」という、ちょっと照れくさい新しい名前がついたけれど。
やることは、これまでと変わらない。
ただ、私たちの『形』に名前がついただけ。
「……さて、続きを読もう」
「うん」
シルトは再び私の背中に回り込み、ぎゅっと抱きしめてくる。
その温もりは、昨日までよりもずっと、愛おしく感じられた。
「……ミナ」
「なに?」
「明日の朝ごはんは、オムレツがいい」
「……はいはい。チーズ入りでしょ?」
「なんでも知ってるんだな、俺の事」
「知ってるよ。大好きだもん」
「……愛してる」
「ど、どさくさに紛れて言わないでよ……私もだけど」
外は冷たい冬の風が吹いているけれど、この部屋の中は、春のように暖かい。
私の幸せなスローライフは、まだまだ彼と共に続いていく。
明日のオムレツ、焦がさないで作れるかなぁ。
しばらく平和な甘々短編が続くかもしれません……。
甘々を書くのが楽しくてたまらなくて。




