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「寒いからくっついていい?」と毎晩窓から侵入してくる副騎士団長の幼馴染。~職場では私を「妻」扱いしてますが、私にとっても彼は都合のいい「人間湯たんぽ」です。でも、私たち、まだ付き合ってないですよね?~

作者: 文月ナオ
掲載日:2026/02/12

 

 コンコン、コン。


 控えめなノックの音が、夜の静寂を破った。


 私は読んでいた本のページをめくる手を止め、壁に掛けられた時計を見上げる。


 時刻は、夜の8時を回ったところ。


「……また来た」


 小さくため息をつき、けれどその口元が自然と緩んでしまうのを止められなかった。


 ここは王都の下町にある、古びた書店の二階。


 私の自宅兼、仕事場だ。


 冬の夜は冷える。


 石造りの壁からは冷気が染み出し、安物の魔道具ヒーターひとつでは、部屋の隅々まで暖めることはできない。


 私は膝掛けを巻き直し、窓の方へと歩み寄った。


 鍵を開け、窓を押し開ける。


 ヒュウッ、と冷たい風と共に、白い息を吐く長身の男が入り込んできた。


「……開けてくれ。凍死しそうだ」


 低い声と共に部屋に入ってきたのは、濡れたような銀髪に、青い瞳を持つ美青年。


 この国の騎士団で副団長を務める、シルトだ。


 私の幼馴染であり、現在進行系の「お邪魔虫」でもある。


「こんばんは、シルト。……今更だけど、一応言っておくね。……ここ、二階だよ? 入り口は一階にあるんだけど」


「裏手の騎士寮からだと、ここの窓が一番近い」


「近いって言っても、普通は入口から入るでしょ……。窓からって、どうかと思うけど……」


 シルトは私の文句など聞き流し、慣れた手つきで窓を閉め、鍵をかけた。


 まるで自宅の窓を閉めるかのように。


 そして、我が物顔で部屋の中央にあるソファへと向かう。


「ああ、生き返る……。寮の暖房がまた壊れた。あそこは極寒地獄だ」


「また? 先週も壊れたって言ってなかった?」


「……ふ、古い建物だからな。それより……ミナ、座らないのか?」


 シルトはソファにドカッと座ると、自分の前にあるスペース――つまり、私の定位置をポンポンと叩いた。


 私は呆れつつも、元の位置に戻る。


 ソファに腰を下ろし、膝掛けをかけ直す。


「ミナ、今日も寒いから、くっついていい?」


「ダメって言ってもくっつくくせに」


 すると次の瞬間、予想通りに背中に重みがかかった。


 ぎゅっ。


 後ろから、太い腕が私の腰に回される。


 背中には、がっしりとした胸板の感触。


 首筋には、くすぐったい銀髪と、温かい吐息。


「……暖かい」


 シルトが私の肩に顎を乗せ、満足そうに喉を鳴らした。


「……重いよ、シルト」


「我慢してくれ。俺は今、体温の低下で生命の危機なんだ」


「はいはい」


「……あー……やっぱ落ち着く」


 こうして、いつもの夜が始まった。


 私の名前はミナ。


 前世は日本の社畜で、過労の末に深夜のオフィスで力尽きたいわゆる転生者だ。


 だからこそ、今世での私の目標は「スローライフ」一択だった。


 出世欲はない。


 派手な冒険もいらない。


 ただ、好きな本に囲まれて、静かに、温かく、のんびりと暮らしたい。


 それだけを願って、この小さな書店で働きながら、副業で写本をしている。


 本来なら、一人で静かに過ごすはずの夜の時間。


 けれど、いつの頃からか、隣の騎士寮に住む幼馴染が、こうして「暖」を取りに来るようになってしまった。


(……まあ、いいんだけど)


 私は読みかけの本を再び開いた。


 背中に密着するシルトの体温は、高い。


 安物のヒーターなんかより、ずっと高性能で、ずっと心地いい。


 人間湯たんぽ、ここに極まれりだ。


 私は彼の腕の中で、ページをめくる。


 カサリ、と紙が擦れる音だけが、静かな部屋に響く。


 シルトは何も言わない。


 ただ黙って、私と同じ本を、私の肩越しに読んでいる。


 私がページを読み終えるタイミング。


 それを計ったように、シルトの指が私の手に重なり、ページをめくるのを手伝ってくれる。


 あうんの呼吸。


 言葉なんていらない。


 前世の記憶にある、あくせくとした時間とは無縁の、蜂蜜のようにとろりとした時間。


(幸せだなぁ……)


 私は心の中で呟いた。


 これこそが、私が求めていたスローライフだ。


 背中の重みも、回された腕の拘束感も、不思議と嫌じゃない。


 むしろ、この重みがあるからこそ、私は安心して物語の世界に没頭できるのかもしれない。


「……ミナ」


 不意に、耳元でシルトが囁いた。


「ん?」


「ここ、誤字だ」


「えっ」


 シルトが指差したのは、私が今日、昼間に写本した原稿の一部分だった。


 見ると、確かにスペルが一つ違っている。


「うわっ、ほんとだ……! ありがとう、直しておく」


「……珍しいな。お前がミスをするなんて」


 シルトの声に、少しだけ不機嫌な色が混じる。


「何か、あったのか?」


「うーん……今日、お店に来たお客さんに話しかけられて、ちょっと話し込んじゃったからかな。集中力が切れちゃったのかも」


「……客? お、男か?」


「うん。旅の学者さんだって。私が書いた文字を『美しい』って褒めてくれて、凄く嬉しかったなぁ」


 その瞬間。


 ぎゅうぅぅぅっ!


 腰に回された腕の力が、あからさまに強くなった。


「ぐぇ」


 変な声が出た。


「シ、シルト? 痛い、痛いよ?」


「……知らん」


 シルトは私の首筋に顔を押し付け、拗ねた子供のような声で言った。


「その学者は、目が悪いんじゃないか?」


「ええっ? 褒められたのに?」


「お前の字は美しいが、それを見る目は俺だけが持っていればいい」


「……なにそれ、意味不明なんだけど……独占欲?」


「うるさい。……罰として、今日はこのまま寝るまで離さん」


「いつも離してくれないじゃん」


 私は苦笑しながら、彼の手をぽんぽんと叩いた。


 シルトは王国騎士団の副団長。社交界の令嬢たちからは憧れの的らしいけれど、中身はこんなに甘えん坊で子供っぽい。


 このギャップを知っているのは、世界で私だけだろう。


 ……まあ、それも悪くない優越感だ。




 ◇◆◇




「……腹が減った」


 一時間ほど読書をした後、シルトがぼそりと呟いた。


「寮の食堂は?」


「あそこは人間の食うものを出さない。今日のスープはゴムの味がした」


「ゴムって……どんな味付けしたらそうなるの」


 私はパタンと本を閉じた。


「仕方ないなぁ。まだ残りがあるから、食べる?」


「食べる」


 即答だった。


 私はシルトの腕を解き(凄く嫌そうにされたけど)、キッチンへと向かった。


 鍋を火にかける。


 中身は、冬の定番、クリームシチューだ。


 前世の知識を活かして、小麦粉とバターでしっかりルーを作り、隠し味に少しの味噌を入れた特製シチュー。


 具材は、ごろごろ野菜と鶏肉。


 温め直すと、部屋中にミルクと野菜の甘い香りが漂う。


 料理の腕に自信がある訳でもないけど、はっきり言って、この世界のまずいスープなんかより、遥かに美味しいものを作ってる自覚はある。


 クックパッド、ありがとう。


 おかげで、味気ない料理しかないこの世界で、豊かに暮らせております。


「……いい匂いだ」


 いつの間にか、シルトがキッチンの入り口に立っていた。


 待ちきれなくて、お昼になったら給食室の前をウロウロする子供みたいで可愛い。


「はい、お待たせ。パンは軽く炙っておいたから」


 テーブルにシチューとパンを並べると、シルトは目を輝かせて席に着いた。


 そして、一口食べた瞬間、ほう、と幸せそうな息を吐く。


「……やっぱりうまい。ミナの料理は何かが違う」


「よかった」


「身体の芯まで染み渡る。……やっぱり、俺の帰る場所はここしかない」


「大袈裟だなぁ。ただの残り物だよ?」


「残り物じゃない。ご馳走だ」


 シルトはパンをシチューに浸しながら、ものすごい勢いで、けれど綺麗な所作で平らげていく。


 その様子を見ていると、なんだか私までお腹が一杯になってくる。


 前世では、食事なんて「栄養補給」でしかなかった。


 カロリーメイトをパソコンの前で齧るだけの毎日。


 誰かのために料理を作って、それを「美味しい」と食べてもらえることが、こんなに満たされることだなんて知らなかった。


「……ごちそうさまでした」


 あっという間に完食したシルトが、手を合わせる。


 これも、私が教えた日本の習慣だ。


「お粗末さまでした。じゃあ、お皿洗いは……」


「ジャンケンだな」


 私たちは真剣な顔で向かい合い、拳を構えた。


 絶対に負けられない戦いがある。


「最初はグー、ジャンケン……」


 ポン!


 私がチョキ。


 シルトがパー。


「あ、勝った」


「……くそ、負けたか……仕方ない」


 シルトは大根役者みたいな棒読みで悔しがると、手早く食器を片付け、洗い場に立った。


 ……知ってるよ。


 あなたが知ってることを、私、知ってる。


 私がチョキを出す癖を知っていて、わざと負けてくれていることくらい。


 水が冷たい冬場は特に、彼は絶対に私に水仕事をさせようとしない。


 以前、あかぎれで辛そうにしていた私を見てから、彼はそうしてくれている。


 背中越しに見える彼の広い背中は、頼もしくて、優しくて。


(……なんか、普通にいい旦那さんになりそうなんだよね、シルトって)


 私は他人事のようにそう思った。


 こんなにハイスペックで、家事もできて、優しくて、甘えん坊な騎士様。


 きっと将来のお嫁さんは幸せだろうなぁ。


 ……その時、なぜか胸の奥がチクリとしたけれど、私は気にしないフリをした。




 ◇◆◇




 翌日。


 私は買い出しのために、街の市場へと来ていた。


 雪が舞い散る寒い日だが、市場は活気に満ちている。


「今夜は何にしようかなぁ。シルト、お肉食べたいって言ってたし……」


 無意識に、今夜来るであろう居候の分まで考えている自分に苦笑する。


 完全に、受け入れてしまってる。


 その時だった。


「あ! ミナさん!」


 声をかけられ、振り向くと、そこには騎士の制服を着た若い青年が立っていた。


 見覚えがある。


 シルトの部下の、えっと……。あ、エイル君だ。


「こんにちは、エイル君。巡回中?」


「はい! あ、荷物持ちますよ!」


「いいよいいよ、軽いから」


「ダメですって! 副団長の()()()が重いもの持ってるのに、見過ごしたら僕が殺されます!」


 ……ん?


 今……え? 気のせいか?


「えっと……奥さん? 誰が?」


 私が聞き返すと、エイル君はきょとんとした顔をした。


「……えっ? ミナさんですよね?」


「いや……えっ? ……奥さんじゃないよ? 私とシルトは、ただの幼馴染……」


「……ええええええっ!?!?」


 エイル君は市場中に響き渡るような大声で叫んだ。


 周囲の視線が一斉に集まる。恥ずかしい。


「ちょ、声大きいって!」


「す、すみません! でも、だって! 副団長、いっつも言ってますよ!?」


「……な、なんて?」


「『今夜は妻の手料理が待ってるから帰る』とか、『俺の布団は世界一暖かい(ミナ)』とか、『家に帰れば極上の癒やしが待っている』とか!」


「……はっ!!??」


 顔から火が出るかと思った。


 あいつ、職場で何言ってんの!?


「それに、夜会の誘いも全部断ってるんですよ? 『俺には心に決めた相手がいるから、他の女には一ミリも興味がない』って!」


「そ、それは……ただの断り文句じゃ……」


「い、いやいやいや……! あの副団長が、ミナさんの話をする時だけ、顔がデレっデレに溶けてるんですよ!? これは騎士団公認の事実ですよ!」


「は……はあっ!?」


 エイル君の言葉に、私は愕然とした。


 騎士団公認?


 デレデレ?


 あの、クールで無愛想なシルトが?


(……私、そんな風に思われてたんだ)


 幼馴染。腐れ縁。


 都合のいい湯たんぽと、カイロ。


 そんな関係だと思っていたのは、私だけだったのかもしれない。


 急に、心臓がトクトクと早く打ち始めた。


 今夜、シルトに会うのが、なんだか無性に恥ずかしい……!!




 ◇◆◇




 そして、夜が来た。


 コンコン。


 いつものノックの音。また窓。


 私は深呼吸をして、窓を開けた。


「……寒い。入れてくれ」


 シルトが入ってくる。


 いつも通りの、涼しい顔。


 でも、今日の私には、その顔がいつもより一層、かっこよく見えてしまう。


「……どうした? 顔が赤いぞ? まさか熱でも……――」


 シルトが心配そうに覗き込んでくる。


 その手が、私の額に伸びて――。


「――っ、ダメ!」


 私は反射的に、彼の手を払いのけてしまった。


 シルトが驚いたように目を丸くする。


「ミナ……?」


「あ、ご、ごめん……! 違うの、嫌なんじゃなくて……」


 気まずい沈黙が流れる。


 シルトは少し傷ついたような顔をして、けれど強引に私をソファへ座らせた。


 そして、いつものように後ろから抱きついてくる。


 ぎゅっ。


 いつもより、少し力が強い気がした。


「……何かあった?」


 耳元で、低い声が問う。


「誰かに何か言われたか? それとも……俺が、邪魔か?」


 そんなことない。


 邪魔なわけない。


 シルトがいない夜なんて、もう考えられないくらい、寒くて寂しいのに。


「……ううん。違うの」


 私は意を決して、口を開いた。


「……ねえ、シルト。私たちって……どういう関係?」


「……は?」


 シルトはキョトンとした。


 本当に、意味がわからないという顔で。


「どういうって……。俺の人生の半分はお前の部屋にあるし、俺の胃袋はお前に握られてるし、俺の安眠はお前なしじゃ得られないが」


「それは、そうだけど……! そういう機能的な話じゃなくて!」


 私は振り返り、彼の青い瞳を真っ直ぐに見た。


「……今日、エイル君に会った。シルトが職場で、私のこと……。そ、その……『奥さん』……みたいな言い方してるって、聞いて……」


「……ああ、エイルか。あいつ、口が軽いな。後でシメておく」


「そこじゃなくて! ……誤解されるよ。私たち、付き合ってないのに」


 私がそう言うと、シルトは眉をひそめた。


 心底、不思議そうな顔で。


「……ん? ……付き合ってない?」


「……え?」


「毎日一緒に飯を食って、毎晩抱き合って過ごして、俺の休日は全部お前に捧げているのに……付き合ってない、だと?」


「え、ええっ!? だ、だって! 言葉にしてくれないじゃん!」


「い、いやそれは……! その、あうんの呼吸と言うやつで……! 言葉とかそういうものは不要って言うか……」


「いるよ! そこは必要だよ!」


 私が抗議すると、シルトは「やれやれ」と小さく笑った。


 その笑顔が、あまりにも優しくて、私の胸が高鳴る。


「……そうか。ミナは、言葉にしなきゃわからないほど、鈍感だったか」


「うぐっ……」


「悪かった。俺の配慮が足りなかった。……お前といることは、俺にとっては当たり前すぎて、言葉にする必要なんてないって思ってた」


 シルトは私を抱きしめる腕を解き、私の体を反転させて、向かい合う形にした。


 そして、私の手を両手で包み込む。


 彼の体温が、熱い。


「ミナ。俺は、お前以外いらない。お前が気付いてても、気付いてなくても、お前は昔から俺だけのものだ。そしてこれからも、ずっと」


「……!」


「いつか話してくれたことあったよな。……転生……だっけか? 前世だか来世だか知らんが、お前がどんな世界から来たとしても関係ない。俺の今世は、お前のためにある」


 真剣な眼差し。


 今の彼は、炎のように熱い。


「思ったんだよ。あの話を聞いた時、お前は『俺に会うために』この世界に来てくれたんだって」


「シルト……」


「……これを愛と呼ばないで、何を愛と呼ぶんだ? ……言葉にしなかったのは悪かった。でもわかってほしい。俺は、お前を愛してる。愛してないと思った時間なんて、1秒もない」


 どうしよう。


 胸が、ドキドキしすぎて、痛い。


 恥ずかしい。


 私のドキドキ音が、彼に聞かれてそうで……。


「俺は、お前と結婚したい。ミナ。……まあ、俺はもうそのつもりだったんだけど」


 プロポーズ。


 あまりにも唐突で、でも、あまりにも彼らしい、日常の延長線上の言葉。


 私の目から、ポロリと涙が溢れた。


 スローライフ。


 穏やかな幸せ。


 私が望んでいたものは、全部ここにあったんだ。


「……雑!!」


 私は泣き笑いのような顔で、文句を言った。


「ムードも何もないよ! 指輪は!?」


「あー……まだ用意してない……。明日、一緒に買いに行くか。その……デートも兼ねて」


「……うん。行く。絶対、行く」


 シルトは満足そうに微笑むと、私の涙を親指で拭い、そして優しく口づけをした。


 触れ合う唇は温かくて、蜂蜜のように甘かった。


 こうして、私たちの「名前のない関係」は終わった。


 代わりに、「婚約者」という、ちょっと照れくさい新しい名前がついたけれど。


 やることは、これまでと変わらない。


 ただ、私たちの『形』に名前がついただけ。


「……さて、続きを読もう」


「うん」


 シルトは再び私の背中に回り込み、ぎゅっと抱きしめてくる。


 その温もりは、昨日までよりもずっと、愛おしく感じられた。


「……ミナ」


「なに?」


「明日の朝ごはんは、オムレツがいい」


「……はいはい。チーズ入りでしょ?」


「なんでも知ってるんだな、俺の事」


「知ってるよ。大好きだもん」


「……愛してる」


「ど、どさくさに紛れて言わないでよ……私もだけど」


 外は冷たい冬の風が吹いているけれど、この部屋の中は、春のように暖かい。


 私の幸せなスローライフは、まだまだ彼と共に続いていく。


 明日のオムレツ、焦がさないで作れるかなぁ。





しばらく平和な甘々短編が続くかもしれません……。

甘々を書くのが楽しくてたまらなくて。

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