婚約破棄が始まったけど私には関係のなかった話
「スゴイス! 今日限りで貴様とは婚約破棄を行うっ!」
「は? 何言ってるのですかダンザ=イサレル殿下? それにそこにいるご令嬢は……どこかでお会いしました?」
「修道院育美ですっ! 何度言えば!」
「ああ、正教国からいらっしゃった聖女様でしたね。何度って、確か今日で二度目では? それに別の世界の名前は覚えにくいのですわ」
卒業パーティに出ていたら何かが始まった。
ホールに響き渡る男女の声。おかげで他の人はシーンと静まり返っている。
そんな中、銀のプレートに載っている総菜パンを手に取りかぶりつく。こういう時でないと、なかなかこんな高級なパン食べられないからね。
手づかみみっともない? どうせ誰も私なんて注目してないから大丈夫!
あー、おいしい。
学校の寮生活は平日の朝晩ならご飯出してくれるので良いんだけど、お昼や休日はご飯が出てこない。
このため、ご飯のないとき用にカチカチに固まってるパンをまとめ買いしているんだけど、あれってナイフで切ってスープなどに浸してふやけさせないと、歯が折れそうなレベルで固いのだ。
その分日持ちするからまとめ買いして割引価格で買うんだけどね。
領地が貧乏な男爵領の次女は金銭的に厳しいのだ。
ほんと、うちの父さんも全く。姉さんだけならまだしも、私まで王都の学校へ通わせなくともいいのに。
「貴様はずっとイクミに嫌がらせをしてきただろう! 正教国の聖女だぞイクミは!」
「嫌がらせって何でしょうか? わたくしにはさっぱり分かりかねます」
「しらを切るな! 貴様が直接やってなくとも、公爵家の力で裏から手配したのだろう!」
「そんな……酷いです殿下ぁ」
「心配するなイクミ、俺が守る!」
貴族の最下級である男爵家だと長女は他家との繋がりで婚姻する場合は多いものの、次女以降は他家と婚姻することがあまりない。
よほど裕福な家ならともかく、婚姻で結ぶメリットがあまりないからだ。
ご近所さんで年が近く、互いに家同士の親交(という名のけん制)を深める婚姻というのはあるが、うちのご近所って二家しかいなく、しかも先代、先々代に婚姻を結んでいる。
このため今代の私まで婚姻すると、さすがに血が近すぎるのだ。
だから結婚は好きなようにって言われてるのに、なぜ貴族の学校なんて通わせたんだろうか?
長女の姉さんは私より四歳年上で卒業と同時に格上の子爵家へと嫁いだ。その子爵家とは同じ寄り親を持っており、寄り親である辺境伯家が縁を結んだのだ。
どこからどう見ても辺境伯家の寄り子内調整の一環だ。
正直うちは寄り子内でも一番底辺に属している。しかしお相手の子爵家は違い中堅辺り。
しかも先代から急激に領地発展し収入がすごく伸びたらしく、今代では中堅の上位にまであがっているそうだ。
つまり出る杭は打たれる。底辺のうちを足かせにするんだろうね。
内々の事情はともかく、このように姉さんは他家の子爵家へ嫁ぐので箔付けに貴族学校へ通う必要があった。
その学校へ通う費用はもちろんお相手の子爵家から出ている。貧乏なうちに長男に続いて長女まで通わせる費用なんてないのだ。
更に子爵家からは太っ腹な面を周囲に見せつけるため、次女の私の分まで費用を出したと聞いたが、貴族の婚約相手がいない私には必要がない。平民にもいないけど。
私の分の費用は領地のために使ってくれても良かったのにな。
子爵家的には費用を出した、という事実が必要なだけであり、その費用をどう使おうがうちの勝手なのだ。姉さんの分はさすがにまずいが、次女の私の分なら問題はないはず。
しかしながら費用は出してもらったとはいえ学費と寮費だけであり、それ以外の生活費はうち持ちである。
節約の日々だったから今日は卒業パーティーという名のお食事無料パーティに参加して、たらふく食べようと挑んだのだけど……。
「貴様のような実家の権威を笠に着てるやつと婚約は無理だ! 破棄は当然だし、謝罪と賠償を寄越せ!」
「婚約破棄はのちほど父に伝えますし、わたくしも受け入れます。しかし何もしておりませんのに、なぜ謝罪や賠償が必要なのですか? そもそもわたくしがやったという証拠はありますの?」
「イクミがお前がやったと言っているのだ! それが証拠である!」
「はぁ……何をおっしゃっているのですか。前々から思ってはいましたが馬鹿ですか殿下は」
「なに!? 馬鹿とはなんだ!!」
何やら騒動が始まったのだ。
劇の主役は三人。
お一人目、我が国の第二王子殿下。そしてその婚約者である公爵令嬢。最後に教会の手によって異世界より召喚された聖女。
どうやら、殿下と聖女が恋仲になって、婚約者である公爵令嬢と婚約破棄を行っているようだ。
でも婚約って家同士であり、個人が勝手に破棄って出来るの?
姉さんの婚約ですら、勝手に破棄なんてやろうと思ったら縁を結んだ辺境伯家を敵に回すことになる。もちろん辺境伯家だけでなく、出る杭を打とうとしている同じ寄り子内貴族も敵になる。
しかもこれは王家と公爵家の婚約なのだ。関わってくる家なんてうちの比じゃないくらい多いはずだ。
当然国王陛下と公爵閣下の承認が必要になるし、各派閥や寄り親同士の根回しだってある。もちろん損失の補填もあるはずだ。
その辺どうするんだろう。
あ、もしかして教会の差し金かな?
聖女は教会本山である正教国にて異世界より召喚され、教育をしたと伺っている。
うちの領地は辺境で田舎すぎるのか教会はないからよく知らないけど、正教国は何かと不穏な噂が絶えない。ド田舎のうちにすらその噂が届くくらいだ。
国内の混乱を招いて何かを行うつもりとか、陰謀説もあり得るかな。
なんて思いながら今度はチーズフォンデュに手を伸ばし、ウィンナーに絡めてパンといっしょに食べる。
おいしい! なにこれ幸せ!
何かの道具を使っているのだろう、チーズが入ってる器がアツアツで、チーズもトロトロ状態を維持しているのだ。そこへウィンナーやエビ、ブロッコリーやミニトマトを絡めて食べると極上の幸せになれる。
「お一人の発言しか証拠がないなど、簡単に捏造できますわ」
「聖女だぞイクミは! 嘘をつくはずがないだろう!」
「嘘をつくつかない以前の問題ですわ。お一人では正確性も信憑性もありません。それにお一人の証拠でも良いのであれば、わたくしはそこの聖女殿に嫌がらせを受けましたわ。謝罪と賠償を要求させて頂きます」
「何を馬鹿なことをいっているんだ!」
「あら、先ほども言いましたがそっくりそのままお言葉を返しますわ。馬鹿ですか殿下は」
お次はお魚のカルトッチョとミネストローネ。
うまうまである、至福のひと時だ。
うちの領は海に面しているわけでないので、この世界の魚介類は知識として知っているくらいで、食べたことが無かった。
一年生のとき時間のあった休日に散歩がてら港へ行ってみると、前世の魚介類と非常に似ているものが売られていたのだ。
王都は海に面しているからか魚介類が安く、特に港近辺にあるお店は格安といっても良いくらい。
学校から港区域まではちょっと遠いけど、休みの時には散歩がてら必ず出向いていた。貧乏な男爵家にありがたい価格設定だったからね。
そこから色々あって、漁師さんたちが経営しているお店の常連とも言えるような立場になった。
「しかも貴様はあろうことか、先日イクミを階段から突き落としたそうだな」
「それにしてはピンピンしているように見受けられますが?」
「わたしがぁ、自分で怪我を治したんですぅ。酷いですぅ。いくらわたしが邪魔だからといって階段から突き落とすなんてぇ」
「心配するなイクミ、俺が必ず守る!」
「でんかぁ」
そろそろお腹に限界が近づいてきたけど、ここからが勝負!
誰と勝負しているのかですって? もちろん過去の自分と!
去年や一昨年も卒業パーティ(卒業生だけでなく在校生も参加可能なのだ)で頑張って食べていたが、今年はそれを超えるのだ!
さて今度は貝入りのパスタにサルサポモドーロをかけて食べる。サルサポモドーロって簡単に言えばトマトを潰して味付けしたソースだ。
少々酸味が効いているけど、それが具の貝とマッチしていて美味しい。
「ここで俺は告訴する! スゴイス公爵家令嬢ベンガクよ、聖女イクミに怪我を負わせた罪を償え! 国外追放を受け入れよ!」
流石にもう入らない。ここまでか?
しかし甘いものは別腹、締めは当然デザートを食すのだ。もはやこのために生きていたと言っても過言ではない。
劇もクライマックスに近づいているからちょうどいい。
それにしても殿下、あれ操られてない? 聖女も言葉遣いがおかしすぎるし、どういうこと?
まあ私には関係のない話だし、別にいいか。それよりデザートだ。
そして選んだのがチュロス。それにまだ熱く溶けてるチョコレートソースをつけて食べる。
あー、もう幸せすぎる。
この一食で数日分を食べた気分になれる。実際それくらいカロリー摂取したかな。
来年の卒業パーティにもぜひ参加したい。さすがに留年は出来ないから卒業生でも参加できないかな。
「君、いい度胸しているね」
「……もご?」
美味しくデザートを頂いていると不意に男性が近づいてきて声をかけられた。
「もごっ……もぐ……」
だけど口に入っているものを食べ終わるのに、まだ少々時間がかかりそうだ。
いくら美味しいからといって、口に限界まで詰め込むのは淑女として失格だろう。
でも美味しいのがいけないのだ! 私は悪くない!
「……ぷっ、いいよゆっくり食べてなさい」
何この人、天使か!
口に入っているものを飲み込み、紅茶を飲んで一息ついた。
そしてまたチュロスを口へ運ぼうとすると。
「さすがに二口目は勘弁して貰えるかな?」
「……はっ、し、失礼しました!」
改めて声をかけてきた人を見ると、そこにはどこかで見たようなイケメンがいた。
えっと、どこで会ったっけ。こんなイケメンなかなか忘れられないはずなんだけど。
数秒考えて、思い出した。うちの寄り親である辺境伯家の三男イーケ様だ!
この学校に入学したとき寄り親の子息ということで、一度だけ顔合わせしたのだ。
相手は高位貴族であり、その後卒業までの三年間一切関わりはなかったからなかなか思い出せなかったのだ。
いくら寄親寄子関係だからといっても、我が家は辺境伯家の側近ではない。
同じ男性なら取り巻きの一員として関わる可能性もあるだろうけど、異性では関わらなかったのも仕方ない。
「イーケ=メンダロ様、何か御用でしょうか?」
「殿下と公爵令嬢と聖女が騒動起こしているのに、君はずいぶんと余裕だね」
「私も慌てたほうがよろしかったでしょうか?」
「いや、静かに見守っているのが正解だ。しかし君だけだよ、食事を続けているものは」
「もったいないと思いまして……これらの料理は料理人が丹精込めて作った品々。せめて私だけでもと」
「あははははは。見ていて気持ちいいくらい、美味しそうに食べていたよね。素直に食い意地がはっていると言ってもいいよ」
「はい、美味しかったです」
だがまだ私は食べ終わってないのだ。早々に会話を終わらせて、このデザートを完食する義務がある。
しかしさすがに高位の貴族、しかも寄り親の子息から挨拶を受けてしまっては、こちらから話を打ち切ることはできない。
早く会話終わらないかなぁ。
「さてクイージ嬢、あとで君に話があるんだが良いかな」
「それは構いませんが、場所はどちらになりますか?」
寄り親貴族家からの要望に嫌とは言えない。
でもさすがに男女二人っきりというわけにはいかない。オープンな場所ならともかく、第三者がいないような個室などはまずい。
私は貴族相手の婚約者もいないし、この後は領地に戻る予定だから問題はないけど、辺境伯家のご子息に変な噂が立つのはまずい。
イーケ様の婚約話は聞いたことがないけど、三男とはいえ高位貴族、内々で決まっている可能性が高いからだ。
「ああ、そんな心配は不要だが……そうだな、メンダロ家専用の部屋にするか。僕だけでなくうちの家宰代理や侍女長補佐もいるから大丈夫だ。明日の昼間でいいかな?」
え? 家宰代理? 侍女長補佐? 辺境伯家の?
それってイーケ様だけじゃなく、辺境伯家全体の意向ってこと?
でもただ単にイーケ様が領地に戻る時の付き添い、という名の監視の可能性もあるか。私みたいな底辺貴族には、付き添いや側仕えなんていないけど、辺境伯家ならいるだろうからね。
「イーケ! 貴様たちは何をやっている!」
「おや殿下、僕は寄り子のこのご令嬢と話がありますから、我々のことはお気にせず」
なんて話をしていると飛び火がきた。
私からすれば第二王子殿下も公爵令嬢も雲上の人だけど、イーケ様からすれば同じ高位貴族同士。
私だけなら萎縮して、はい、しか言えないだろうけど、イーケ様は違った。
「この神聖な話は皆に共有せねばならんのだ! イーケ、貴様も聞いておけ!」
「それですが、そろそろ終幕ですよ殿下、聖女殿」
「は? 何をいっている?」
「これだけ騒ぎを起こしているのですから、城に連絡が行くのは当然のことでしょう? 時間的にそろそろかと」
そうイーケ様が言った時だ。
ばーんと会場の扉が開いて、男性が十数人ほど雪崩れ込んできた。
その中にはどこかで見たような非常に偉そうな服装をした人や、高級そうな神官服を着ている司祭の姿も見える。
「ダンザ! 貴様は何をやっている!」
「聖女よ、よくもまあ騒動を起こしてくれたな」
「ち、父上?」
「枢機卿猊下?」
あ、見たことあると思ったら国王陛下でしたか。
しかも枢機卿猊下まで。枢機卿猊下はこの王国にある全ての教会を束ねているトップの人だ。
そしてあれよあれよという間に、殿下と聖女様が騎士たちに連行されていった。
なるほど、これが劇の終幕か。
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こうして卒業パーティは何か知らないけど無事……とは言えないが終わった。
殿下たちが連行されたあと、国王陛下が仕切り直しをしてくれたのだ。
もちろん私は心行くまでデザートを堪能した。チュロスだけでなく、ついでにザッハトルテっぽいものまで。
さすがに食べ過ぎて暫く動けなく、イーケ様にものすごく笑われてしまったのは恥ずかしい思い出である。
そしてパーティの翌日、若干胃もたれしつつ辺境伯家専用の会話ルームへと赴いた。
出迎えてくれたのはイーケ様と素敵なおじ様に、何となく前世を彷彿とさせるお局……いえなんでもありません。
侍女長補佐の方がお茶を用意してくれて、それを飲んでみるとすごく美味しかった。
うちにも一応侍女はいるけど三人だけだし、しかも専門で雇っているわけではなく、村の女性がたに臨時でお願いしているだけだ。
さすが専門家は違うね。胃もたれが緩和した感じだ。
と、お茶を半分くらい飲んだ後、話が始まった。
「君、面白いことをしていたね」
「面白いこと……ですか?」
「王都の港で平民たちと色々とやっていたそうじゃないか」
「あ……」
そういえば前世のレシピを伝えて作ってもらってたっけ。
普通に考えれば、見知らぬ十代の小娘のレシピなんて伝えても作ってくれるはずがない。自分で買って作れよって話になるが、うちの寮にキッチンなどないのだ。
だから必死でお願いしてみた。
私は底辺貴族の男爵家だけど、平民からすればちゃんとお貴族様に見えたのだろう、渋々っぽいがレシピ通りに作ってくれた。
そして試食。少々違和感あるものの、なかなか美味しかったし、作ってくれた方にも好評だった。
前世では割とクックパッ〇を参考に料理を作ってたので、レシピはそこそこ覚えている。もちろんここにない調味料や、存在はするけど非常に高価なものは作れなかったけどね。
オリーブオイルなんかは高価な調味料の代表例。さすがに使えなかった。
そして色々な魚介類レシピを披露して作ってもらったところバカ受け。マージンという名で週に一度ご飯無料にしてくれたのだ。
貧乏な私にとって休日は寮のご飯が出ないから大変だったのよ。土曜日は港でタダ飯、日曜はカチカチパンで過ごしていたからね。
でも、それが何の関係があるのかな?
「実はね、僕は二年後に辺境伯家の分家として新しく伯爵位を陛下から拝領することになっていてね」
「それは……おめでとうございます」
「領地は辺境伯領の海に面している一部を分割して貰う予定だけど、君の姉が嫁いだ先の子爵家が僕の派閥に入ることになっていてね」
「はぁ……」
「言ってしまえば、厄介払いなんだよね。海に面しているとはいえ、すぐそばに辺境伯領最大の港町があるから、殆ど人がいない。おまけに嫌われている子爵家もついてくると。伯爵位とはいえ領地の広さも実質男爵家くらいでね、そんなところに誰も来てくれないんだよ」
三男が伯爵位を拝領するだけでも凄いと思うんですけど。
三男って運が良ければ他家へ入り婿となれるが、普通なら貴族位なんて得られない。能力が高ければ高位貴族の家宰など、平々凡々ならどこかの領地で役人か、という感じだろう。
しかも法衣貴族でなく、男爵家程度の広さとはいえ領地持ちなのだ。
新興貴族であり、今ならお仕事のポストも空き放題だと思う。良い物件だと思うんだけど、なぜ誰もいかないのだろう?
「誰も来ないというのは、うちの寄り子内の話さ。厄介払いのところへなんか、誰もこないよ。もちろん他の高位貴族やその寄り子まで手を広げればいるだろうけど、僕の立場的にそれは出来ない。他家を巻き込んでしまうと、兄上より力を持ってしまう可能性もあるからね」
あー、なるほど。
例えば公爵家などと縁を結んでしまうと、下手すれば本家以上の力を持ってしまう。
分家として、それはまずいのね。
「でも君は違う。実は君のことは学校に入る前から候補に入っていたんだ」
「え? 何の候補ですか?」
「もちろん、伯爵夫人候補だよ、クイージ=ハテル男爵令嬢」
「ええ!? ど、どどどうして!?」
「君の家は例の子爵家と縁を結んでいる。更にその子爵家は僕の派閥となるんだよ? 当然君の家もそこに入ってくる、というより他からはそう見えるんだ。そして子爵家には僕と年回りが合うご令嬢はいない、子爵家の親族まで含めればいるだろうけどさすがに家格的に合わない。その中で君が家格的に一番上になるんだ」
だから私まで学校へ通わせたのか!
そりゃ伯爵夫人になるなら貴族学校を卒業するのは必須になる。
でもそれならちゃんと食費もサポートしてほしかった。カチカチパンはもう嫌だよ。
「では私の苦労は……何だったのでしょうか」
「あまり君にお金を渡すと変に勘繰られるから、これくらいがちょうど良いと君の父であるハテル男爵に言われてね。それと黙っていたのは、まだ君は候補でしかなかったからね。守秘義務があるんだよ。候補といっても、内々的にはほぼ決定事項だったけれどね」
父上も一枚噛んでいたのか!
そりゃそうか、男爵家当主なのだ。いくら寄り親とはいえ当主を通さず勝手に婚約とか出来ないからね。
「そして港の件だ。これは父上……メンダロ辺境伯も評価している。貴族はなかなか平民と共に何かを行う、という事はしないからね。こちらから命令して、あとは平民に任せる事が殆どだ。まさか港で料理のレシピを平民たちに伝えるとはね。その結果も非常によろしい。平民たちに聞いたところ、君は料理の女神として崇められてたらしいね」
前世はちょっとした漁港のある町で育ったから、幼少の頃から食卓にあがるのは魚介類が多かったのだ。だから食材も必然的に魚介類メインになってたんだよね。
また前世でも漁師さんと仲良しになって、学校帰りにちょっとお裾分けしてもらったりしてた。
その影響があったからか、今世でも漁港の雰囲気が好きで、ちょっとしたコミュニケーションを取ったつもりだったんだけどな。
週に一度お食事無料はありがたかったよ!
でも料理の女神はやめて。
「僕の領地にも寂れているけど海があるし、君が王都の港にいる平民たちと色々やってた事と、同じ事をしてほしいんだよね。どうかな?」
「か、顔近いです!」
私はイケメン耐性が低いんだ。そんなに近づけられたら、その、困る。
でもこの話ってどうせ断れないんでしょう?
学校へ通う前から候補って言っているし、もう根回しも終わっているってことになる。
「ち、父に相談したあとに……」
「それは当然了承済みだよ」
最後の抵抗で父に相談という逃げの手を使ったけど、やはり根回し済みだったようだ。
ただ、聞いてたけどそれって伯爵夫人のお仕事なのかな?
学校で習ったことだと、寄り親の夫人のお供として社交界で何かやったり、同じ派閥の人とお茶会などで情報共有したりがメインだったはずだ。
「伯爵夫人のお仕事内容って、それで正しいのでしょうか?」
「普通は違うが、我が伯爵家は新興貴族でね。社交しようにも相手がいない。まずは僕と父上が相手を開拓するところから始まるんだ。根回しや王家との調整もあるし、たぶん三年……長ければ五年くらいはそれにかかりっきりになると見ている。その間、うちの領地を差配するのが伯爵夫人の仕事になるかな。サポートはこの二人がいるから大丈夫だ」
と、後ろに控えていた家宰代理と侍女長補佐を指さした。
「細かい話はまた後日。今日は君に大まかな内容を伝えるのが趣旨だったんだ。で、当然受けてくれるよね?」
「はい、かしこまりました」
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こうして私は領地に戻ったあとイーケ様と婚約、二年後にイーケ様が伯爵となったと同時に結婚した。
領地は本当に寂れた港町だけしかなかったけど、海があるというのは非常に大きなメリットでもある。それに王都の港町にいた漁師さんたちが、たまに船で訪れて取引してくれるようになった。
あとイーケ様……いえ、旦那様にはかなり良くしていただいている。
まだまだお忙しいらしくなかなか会える日は少ないけど、それでも月に一度、二~三日くらいは帰ってきてくれるし、一か月ほど会えないというのは会った時のスパイスになるんだな、と思った。
そういえば王都の漁師さんたちの中に、日焼けした殿下と聖女らしきお二人を見かけたような気がしたけど、まあ気のせいでしょう。




