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第九話 悪魔のお役所ダンジョンへようこそ

 王城の門をくぐり、古文書館へと向かう道すがら、アイリスは、自分が率いている(というには、あまりに心許ない)二人の仲間を、虚ろな目で見つめていた。

 一人は、不徳の神官、テオ。

「ひひひ…! 『悪魔のピクルス』か…! ネーミングだけで、金貨百万枚の価値があるぜ! まずは富裕層向けに、桐の箱にでも入れて、一本金貨百枚で限定販売。その後、庶民向けに、量産型の『悪魔の子分ピクルス』を売り出して…」

 彼は、まだ手に入れてもいない商品の、緻密な販売戦略と、捕らぬ狸の皮算用を、すさまじい熱量で語り続けていた。

 その瞳は、もはや「強欲(やる気)」というよりも、「狂気」に近い輝きを放っている。

 もう一人は、エルフの弓使い、シルフィ。

「わあ、アイリス! 見てください! あそこのお花、虹色に光っています! きっと、あそこがお花畑の入り口なのですね!」

「…シルフィ、それは、ただの、水たまりに浮いた、油です…」

 彼女は、目に入るもの全てを、虹色のお花畑に結びつけ、その度に、あらぬ方向へと駆け出そうとするのを、アイリスがかろうじて、その服の袖を掴んで、引き留めている。

 やる気のない聖女。

 強欲(やる気)に満ちすぎた詐欺師。

 そして、やる気という概念が存在しない、天然エルフ。

 この、あまりにちぐはぐな三人のパーティーが、今、王国の、そしてノクト()のポテチの未来を、その肩に背負っていた。


 王立古文書館は、静まり返っていた。

 普段であれば、知識の探求に燃える学者や学生たちで、賑わっているはずの場所。

 だが、今は、受付の職員でさえ、机に突っ伏して、穏やかな寝息を立てている。

 アイリスは、一行を連れて、建物の最奥、普段は固く閉ざされている、禁断書庫の扉の前へとたどり着いた。

 そこには、先ほど国王の執務室に現れた、悪魔アウディトールが、まるで予約客を待つホテルのコンシェルジュのように、静かに立っていた。

「…お待ちしておりました、皆様」

 彼は、ぺこり、と、極めて事務的に、頭を下げた。

「異議申し立ての件、承りました。つきましては、これより、皆様を、正式な手続きに則り、『中央手続きセンター』へと、ご案内いたします」

 その、あまりに官僚的な言葉に、テオが、胡散臭い笑みを浮かべて、一歩前に出た。

「ひひひ…! 悪魔さんよぉ。物々しい名前だが、要は、あんたをぶん殴って、契約書を破り捨てりゃ、それで終わりなんだろ?」

「いえ、暴力行為は、固く禁じられております」

 アウディトールは、表情一つ変えず、分厚い規約書のようなものを、どこからともなく取り出した。

「地獄法第千二百条、『債務者による、債権者への不当な暴力行為』に該当した場合、債務者は異議申し立ての権利を永久に放棄したものとみなされ、契約は最終的かつ不可逆的に執行されます。つまり、皆様の『やる気』は、永遠に、失われます」

「…ちっ。面倒くせえな」

 テオが、舌打ちする。

 アウディトールは、禁断書庫の重い扉に、そっと、手を触れた。

「さあ、こちらへどうぞ。皆様の、厳正なる審査が、始まります」

 彼が、扉を開けると、その向こうには、ありえない光景が広がっていた。


 薄暗く、埃っぽい書庫ではない。

 どこまでも続くかと思われる、だだっ広い、殺風景なロビー。

 天井には、等間隔に、味気ない魔力光が並び、床は、磨き上げられてはいるが、何の装飾もない、灰色の石畳。

 そして、その空間には、気の遠くなるような数の、同じような木の長椅子が、寸分の狂いもなく並べられ、そこに、同じような疲れ果てた顔をした魂たちが、座っていた。

 彼らの顔に浮かんでいるのは、「無気力」ではない。

 無限に続くかのような待ち時間と、理不尽な手続きの繰り返しに対する、深い「疲労」と、もはや怒る気力さえ失せた、静かな「苛立ち」だった。

 空気は、澱み、古い羊皮紙の匂いと、時折漏れる、魂からの、諦めに満ちたため息だけで、満たされている。

 それは、まさしく、地獄のお役所だった。

「な、なんだ、こりゃあ…」

 テオが、呆然と呟く。

「わあ! たくさんの人が、順番を待っているのですね! 私も、少し、眠くなってきました…」

 シルフィが、ふあ、と、大きなあくびをする。

 アイリスは、この、空間全体を支配する、圧倒的な「退屈」のオーラに、立っていることさえ、辛くなってきた。


 アウディトールは、その異様な空間を、まるで我が家のように、慣れた足取りで進んでいく。

 そして、ロビーの最も奥にある、「総合受付」と書かれた、ひときわ大きなカウンターの前で、足を止めた。

「さて、皆様。最初の、手続きです」

 彼は、カウンターの中から、一枚の、おそろしく長く、そして、米粒のような文字で、びっしりと埋め尽くされた、羊皮紙を取り出した。

「まずは、こちらの、『異議申し立て申請書、様式一号』に、必要事項を、ご記入ください」

 その、あまりにシンプルな第一の試練。

 テオは、鼻で笑った。

「ひひひ…! なんだ、そんなことか。お安い御用だぜ」

 彼が、羊皮紙を受け取ろうとした、その手を、アウディトールが、静かに、制した。

「お待ちください。申請書をご記入いただけるのは、契約の、正式な代理人様、お一人だけとなっております」

「代理人? この国の王様は、今、やる気がなくて、サインもできねえ状態だぜ?」

「左様でございます。故に、皆様の中から、正式な手続きを経て、新たな代理人を選出していただく必要がございます」

「…どういう、意味だ?」

「はい。まず、こちらの、『代理人候補者登録申請書』にご記入いただき、次に、そちらの、『代理人資格審査申請書』を、第三窓口にご提出ください。承認印がもらえましたら、次は、こちらの、『代理人選出投票用紙交付申請書』を…」

 アウディトールの、淀みない説明は、その後も、延々と続いた。

 申請書のための、申請書。

 その許可を得るための、また、別の申請書。

 聞いているだけで、意識が、遠くなっていく。

 それは、もはや、迷宮ですらなかった。

 ただ、ひたすらに、面倒くさい、手続きの、無限地獄。

 アイリスは、その場で、崩れ落ちそうになるのを、必死でこらえた。

(…神様…。もう、無理です…。帰って、寝ても、いいですか…?)

 脳内に響く、彼女の、か細い悲鳴。

 それに、ノクト()は、悪魔よりも、冷たい声で、答えた。

『…甘えるな、新人。これは、まだ、序盤(チュートリアル)だ』


 地獄の官僚主義迷宮は、その、あまりにも退屈で、あまりにも理不尽な入り口で、挑戦者たちの心を、早くも、折りにかかっていた。

 王国と、ポテチの未来を懸けた、史上最もやる気の出ない冒険(?)が、今、静かに、その幕を開けたのだった。

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