第三十六話 天然エルフの日常
神は、至高のポテチに満たされ、詐欺師は、莫大な富を手に入れた。
王国には、活気が戻り、人々は、それぞれの「やる気」を取り戻して、日々の営みに精を出している。
世界は、元に戻った。
いや、以前よりも、さらに、力強く、前へと進み始めた。
だが、その世界の大きな変化の中心で、一人だけ、全く何も変わらない存在がいた。
エルフの弓使い、シルフィ。
彼女の日常は、あの、地獄の迷宮での、奇想天外な大冒険を経てもなお、驚くほどいつも通りだった。
「…うーん…。おかしいですね…」
シルフィは、王城の庭園で、一人、首を傾げていた。
彼女は、今、真剣な顔で、何かを探している。
アイリスが、冒険の始まりに、彼女に約束した、「虹色に輝くお花畑」。
あの冒険は、終わった。
だが、シルフィの頭の中では、まだ、終わっていなかったのだ。
「アイリスは、『冒険に行けば、ある』と、言っていました。…ということは、あの、不思議な扉の向こう側に、あったのでしょうか…?」
彼女は、古文書館の、禁断書庫へと続く、あの扉のことを、思い出していた。
だが、あの扉は、今や、固く閉ざされ、二度と開くことはない。
「…きっと、私が見つけられなかっただけなのですね。…よし! もう一度、探してみましょう!」
彼女の、超絶ポジティブな思考回路は、「アイリスに、騙された」という可能性を、完全に除外していた。
約束は、絶対なのだ。
ただ、自分が見つけられていないだけ。
彼女は、そう信じて疑わなかった。
こうして、シルフィの、新たな、そして、永遠に終わることのない、「虹色のお花畑探し」という壮大な冒険が、再び始まったのだった。
彼女は、まず、王城の中を、くまなく探し始めた。
厨房では、やる気を取り戻した料理長が、鬼のような形相で、若い料理人たちに、檄を飛ばしている。
「なってない! そんな、気の抜けた盛り付けで、お客様が満足すると思うのか! 料理は、心だ! 情熱だ!」
「は、はい、料理長!」
その、熱気あふれる厨房の隅で、シルフィは、くんくんと、鼻を鳴らしていた。
「…なんだか、とっても、いい匂いがします…。虹色のお花畑は、このオーブンの中に、あるのでしょうか…?」
彼女が、巨大なオーブンの扉に、手をかけようとした、その瞬間。
「こらーっ! シルフィ殿! そこは、今、新作のアップルパイが、入っておるのでありますぞ!」
料理長の、愛のある怒声が、飛んできた。
「わあ! アップルパイ! 私、大好きです!」
彼女は、あっという間に、お花畑のことを忘れ、焼きたてのアップルパイを、嬉しそうに、頬張るのだった。
次に、彼女が向かったのは、王立魔術学院。
そこでは、芸術への情熱を、爆発的に、取り戻したジーロスが、新たな美の創造に没頭していた。
「足りん! ピンクと、ゴールドだけでは、美は、完成しない! 次は、プラチナだ! 校舎の、全ての窓枠を、プラチナで、装飾するのだ! そして、その周りに、夜空の星々のように、ダイヤモンドを、散りばめる!」
彼は、足場の上から、魔術師たちに、狂気の指示を飛ばしている。
シルフィは、その、あまりの眩しさに、目を、ぱちぱちさせた。
「わあ…! キラキラです…! ジーロス様、あのお星様は、食べられるのですか?」
「おお、シルフィ殿! 君か! 君の、その、純粋な美への問いかけ、実に素晴らしい! だが、残念ながら、それは食べられん! 美とは、時に、腹を満たさぬ、残酷なものなのだよ!」
ジーロスは、高らかに、笑った。
シルフィは、食べられないと聞いて、少しだけがっかりしたが、その、キラキラした光景は、彼女の心を十分に満たしてくれた。
そして、彼女は、王国騎士団の、第一訓練場へと、やってきた。
そこでは、以前とは、比較にならないほどの、熱気が、渦巻いていた。
騎士たちは、自ら、進んで、ギルの、理不尽な訓練に、挑んでいる。
「ギル教官! 城壁二百回、終わりました! 次の、ご指導を!」
「よろしい! ならば、次は、その城壁を、歯で、持ち上げてみせるでありますぞ!」
「押忍!」
その、あまりに暑苦しい、狂気の空間の、片隅で。
シルフィは、一人の若い騎士に、話しかけていた。
「あのう…。虹色に光るお花畑を、知りませんか…?」
若い騎士は、汗を拭うと、真剣な顔で、答えた。
「虹色の花畑…。…申し訳ありません、シルフィ殿。そのような場所は、存じ上げません。ですが、この国を守る、我々騎士の誓いは、虹のように、七色に輝いております!」
その、あまりに熱血で、少しだけ、的外れな答え。
だが、シルフィは、満面の笑みで、頷いた。
「わあ! そうなのですね! とっても素敵です!」
彼女は、騎士たちの、その、ひたむきな「やる気」に、心の底から感動していた。
虹色のお花畑は、見つからない。
だが、彼女の周りの世界は、以前よりも遥かに、カラフルで、キラキラと輝いて見えた。
夕暮れ時。
結局、お花畑を見つけられなかったシルフィは、少しだけしょんぼりしながら、王城の庭園を、とぼとぼと歩いていた。
その、彼女の目に、見慣れた、二つの人影が、飛び込んできた。
アイリスと、テオだった。
テオは、何やら、新しい商品の、企画書のようなものを、アイリスに、熱心に、見せている。
「いいか、アイリス! 今度の新商品は、お前を、全面的に、フィーチャーする! その名も、『聖女のため息』! お前が、公務で疲れた時に、こぼした、あの、か細いため息を、瓶詰にして、売るんだ! これは、売れるぞ!」
「…テオさん。それは、ただの空き瓶ではありませんか…」
「馬鹿野郎! 『物語』を売るんだよ! 『物語』を!」
アイリスは、休暇中にもかかわらず、テオの、悪魔的な商談に、付き合わされていた。
だが、その表情は、以前のような、完全な虚無ではなかった。
どこか、呆れながらも、その、あまりに馬鹿馬鹿しい会話を、楽しんでいるようにも、見えた。
「あ、シルフィ!」
アイリスが、彼女の姿に、気づいた。
「どこへ、行っていたのですか? 心配しましたよ」
「アイリス! テオさん!」
シルフィは、二人の元へと、駆け寄った。
「あのですね、虹色のお花畑が、どこにも、ないのです…。私、探しきれなくて…」
その、しょんぼりとした、子犬のような表情に、アイリスは、一瞬、罪悪感で胸がちくりと痛んだ。
だが、彼女は、聖女だった。
そして、この純粋なエルフの夢を壊すことなど、できなかった。
彼女は、そっと、シルフィの前にしゃがみ込むと、優しい声で言った。
「…シルフィ。虹色のお花畑は、きっと、ありますよ」
「本当、ですか?」
「ええ。ですが、それは、簡単には見つけられない、特別な場所なのです。…だから、また、明日、一緒に探しましょう?」
その、優しい、嘘。
シルフィの顔が、ぱあっと、輝いた。
「はい! 約束、です!」
テオは、その光景を、やれやれ、という顔で眺めていた。
「ひひひ…。聖女様も、人が悪いねえ」
夕日が、三人の姿を、オレンジ色に、染めていく。
王国を救った、奇妙な、三人のパーティー。
彼らの、日常は、何も変わらない。
聖女は、相変わらず、面倒事に巻き込まれ、詐欺師は、相変わらず、金儲けに勤しみ、そして、エルフは、相変わらず、本能のままに生きている。
シルフィは、空を見上げた。
そこには、美しい、夕焼けが、広がっていた。
「わあ…。見てください、アイリス、テオさん! 空が虹色です!」
彼女が、指さした先。
そこにあったのは、ただの、オレンジ色の空。
だが、彼女の、純粋な瞳には、それが、七色に輝くお花畑のように見えていたのかもしれない。
彼女の冒険は、まだ続く。
いや、彼女の、生きる毎日、その全てが、きっと、冒険なのだ。
彼女の、その、変わらない日常こそが、この、混沌とした世界における、一つの、確かな、救いなのかもしれない、と。
アイリスは、そんなことを、ぼんやりと、考えていた。
そして、隣で、テオが、「夕焼け味のピクルス、か…。いや、それじゃ、売れねえな…」と、真剣な顔で呟いているのを聞いて、思わず、ふふっ、と笑ってしまった。
彼女の、心からの笑い声が、活気を取り戻した王都の空に、小さく響いた。




