第三十五話 詐欺師の報酬
ノクトが、自室で至高の祝杯をあげていた、ちょうどその頃。
王都ソラリアの商業地区では、もう一人の男が、自らの欲望の成就のために、熱く、そして狡猾に、動き出していた。
不徳の神官、テオ。
彼にとって、悪魔との戦いは、王国を救うための聖戦などではない。
人生最大のビジネスチャンス。
その、莫大な利益を確定させるための、最終局面が、今、始まろうとしていた。
「―――というわけで、国王陛下。この件、よろしくお願いいたしますぜ」
王城の執務室。
テオは、国王レジスの前に、一枚の、米粒のような文字でびっしりと埋め尽くされた羊皮紙を置いた。
それは、彼が、この数日間、不眠不休で作成した、「王家公式イチゴピクルス・独占販売権に関する契約書」だった。
国王は、その、素人が作ったとは思えない、悪魔的なまでの文字の多さに、顔を引き攣らせていた。
「う、うむ…。テオ殿。今回の、そなたの働き、まことに見事であった。国を救った英雄として、そなたに、最大限の感謝と、報酬を、与えたいと思っておる。…だが、これは…」
「ひひひ…! ご心配なく、陛下。これは、ただの、確認書類みてえなもんです。要は、『あのピクルスのレシピを、未来永劫、俺様だけに、独占させてくれ』ってだけの、簡単な話でさあ」
簡単な話、では、全くなかった。
契約書には、独占販売権はもちろんのこと、王家の紋章の使用許可、原材料の優先供給ルートの確保、販売益に対する、王家への上納金の(テオに極めて有利な)割合、そして、万が一、競合商品が現れた場合の、王家による市場介入の義務まで、テオの、強欲の全てが、完璧な法的言語で、記されていた。
国王は、その契約書を、最後まで読む気力も、そして、その中に隠された無数の罠を見抜く知恵も、なかった。
彼は、ただ、目の前の、胡散臭い、しかし、国を救った英雄の、その自信に満ちた顔に、頷くことしかできなかった。
「…わ、分かった。…よきに、はからえ…」
国王が、震える手で、その契約書に、サインをした瞬間、テオの、邪悪な笑みが、執務室に響き渡った。
「ひひひひひ…! ありがとうございますぜ、陛下! このご恩は、一生、忘れやせん!」
彼は、その契約書を、まるで聖書のように、大事そうに抱きしめると、風のように、執務室を、後にした。
こうして、テオは、約束通り「王家公式イチゴピクルス」の独占販売権を手に入れ、新たな大ヒット商品を生み出すための、完璧な法的根拠を、手に入れたのだ 。
その日の午後。
商業地区にある、テオの「聖女アイリスファンクラブ」支部は、もはや、ただのファンクラブではなかった。
巨大な看板が、新たに、掲げられている。
『王家御用達・悪魔的美味ピクルス本舗』。
その、あまりに扇情的で、どこか胡散臭い名前の新店舗の開店準備が、急ピッチで進められていた。
やる気を取り戻したゴブリンの店員たちが、テオの、雷のような檄に応え、目を回しながら働いている。
「おい、そこのお前! 看板の角度が悪い! もっと、庶民を見下すような、高慢ちきな角度にしろ!」
「そっち! 商品の、陳列棚! 桐の箱を、ピラミッドのように、積み上げろ! 金持ちの射幸心を煽るんだよ!」
テオの指示は、もはや、ただの商売人のものではなかった。
人々の欲望を的確に、刺激し、操作する、天才的なプロデューサーのそれだった。
そして、ついに、記念すべき、第一号の商品が完成した。
商品は、もちろん、シルフィが、あの地獄の迷宮で偶然生み出した、奇跡の「イチゴピクルス」。
テオは、そのレシピを、完璧に再現し、さらに、彼なりの悪魔的なアレンジを加えていた。
彼は、完成した、一瓶のピクルスを、うっとりと、光にかざす。
桜色に輝く、美しい液体。
その中に、真っ赤な苺と、きゅうりの輪切りが、宝石のように、浮かんでいる。
「ひひひ…。完璧だ…。だが、ただ美味いだけじゃ、商品は売れねえ。…必要なのは『物語』だ」
彼は、不敵な笑みを浮かべると、商品のラベルに目をやった。
商品名、『聖女の涙』。
そして、その下には、彼が創作した、あまりに感動的(という名の、真っ赤な嘘)の、物語が、記されていた。
『―――地獄の迷宮の、最奥で、王国の未来を憂う、聖女アイリスが、流した一筋の涙。その、清らかなる涙が、一輪の苺に落ちた時、奇跡は起きた。悪魔さえも、改心させたという、その、神々しいまでの、甘酸っぱい味わい。さあ、あなたも、聖女の奇跡を、その舌で、体験してみませんか?』
あまりに、冒涜的。
あまりに、詐欺的。
だが、その、あまりに完璧な、ストーリーテリング。
「ひひひひひ…! これで、完成だ! 俺様の、最高傑作がよ!」
数日後。
『王家御用達・悪魔的美味ピクルス本舗』は、鳴り物入りで、開店した。
店の前には、テオがばら撒いた、扇情的な宣伝文句に、まんまと釣られた、王都の民衆が、長蛇の列を作っていた。
「おい、聞いたか? あの、聖女様の涙が入った、ピクルスだってよ!」
「一口食べれば、千年、長生きできるって、本当かいな?」
「悪魔が、改心するほどの味、だなんて…。一体、どんな味がするのかしら…!」
噂は噂を呼び、人々は熱狂した。
商品は、飛ぶように売れていく。
一本、金貨十枚という、法外な値段にもかかわらず、富裕層も、庶民も、こぞって、その小さな瓶を買い求めた。
テオは、店の奥で、積み上げられていく金貨の山を、恍惚の表情で眺めていた。
「ひひひ…。ひひひひひ…! これだ! これこそが、俺様の、生きる意味よ!」
彼の強欲は、ついに、王国最高のブランド価値を、手に入れたのだ。
だが、彼の野望は、まだ終わらない。
「…よし、次の、新商品を、開発するぞ!」
彼は、ゴブリンの店員たちを、集めた。
「今度の、商品は、『魔王の吐息』だ! あの、迷惑な魔族、レイラとミストが、改心した時に、流したという、悔し涙の味を、再現する! …味は、そうだな…。激辛の、唐辛子ピクルスだ! きっと、売れるぞ!」
彼の、悪魔的な商才は、もはや、誰にも止められなかった。
王国を救った、奇跡のピクルスは、一人の、稀代の詐欺師の手によって、王国最大の、ビジネスへと、変貌を遂げた。
そして、その、莫大な利益の一部が、アイリスの預かり知らぬところで、「聖女アイリス基金」として、王国の復興に、役立てられていたことを、まだ、誰も、知らない。
テオは、確かに、詐欺師だった。
だが、彼なりのやり方で、この国を豊かにしたいという、その思いだけは、嘘ではなかったのかもしれない。
彼の、強欲に満ちた、しかし、どこか憎めない笑い声が、活気を取り戻した王都の空に、高らかに響き渡っていた。




