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第二十八話 ラスボス登場

 ―――ウウウウウウウウウッ!!!


 けたたましい警報音が、『最終監査・品質保証課』のオフィスに鳴り響いていた。

 天井からは、無意味な書類が雪のように舞い落ち、壁や床には、システムの崩壊を示す赤い魔力の亀裂が走る。

 その、混沌の中心で、聖女アイリスは、禍々しい紫色のオーラを放つ魔剣を、冷徹な悪魔の喉元に突きつけていた。

 彼女の、やる気のなさが、ついに一線を越え、全てを破壊するという、究極の選択肢へと、たどり着いたのだ。

「ば、馬鹿な! ルールを破る、だと!? そんな、非論理的な…!」

 課長の悪魔が、悲鳴を上げる。

 その、彼の恐怖を肯定するかのように、部屋の奥の扉が、ゆっくりと、そして、重々しく、開き始めた。

 そこから響いてきたのは、これまでとは比較にならない、重く、そして、怒りに満ちた、足音。

 コツ、コツ、コツ、と、正確なリズムを刻みながら、その足音は、ゆっくりと、しかし確実に、こちらへと近づいてくる。

 やがて、扉の影から、その主が、姿を現した。

 黒い、仕立ての良いスーツ。度のきつそうな眼鏡。そして、その顔には、もはや、これまでの、くたびれた中間管理職の面影はなかった。

 そこに浮かんでいたのは、自らの完璧な管轄区域を、理不尽な闖入者によって荒らされた、官僚の、純粋な、そして、最も厄介な「怒り」だった。

 地獄の監査局、局長代理、アウディトール。

 この、地獄の迷宮の主が、ついに、その重い腰を上げたのだ。


「―――静粛に」

 彼の、低く、しかし、有無を言わせぬ声が響き渡った瞬間、けたたましい警報音が、ぴたりと止んだ。

 部屋を揺るがしていた魔力の暴走も、嘘のように収まる。

 ただ、彼の、静かな怒りだけが、その場の空気を、氷のように支配していた。

「…これは、一体、どういう状況ですか」

 アウディトールは、アイリスに魔剣を突きつけられ、ガタガタと震えている課長の悪魔を、冷たい目で見下ろした。

「きょ、局長代理…! こ、この者たちが、その…! ルールを、無視して、暴力に…!」

「報告は、結構です。全て、見ていましたので」

 アウディトールは、そう言うと、ゆっくりと、アイリスたち、三人に向き直った。

「…皆様。皆様の、これまでの、数々の『非論理的』な行動。看過できません」

 その声は、もはや、中立的な案内人のものではなかった。

 違反者を取り締まる、監査官の、冷徹な声だった。

「ひひひ…! ようやく、お出ましかよ、大将。あんたが、この、クソみてえな迷宮の、責任者なんだろ?」

 この、絶望的な状況で、唯一、テオだけが、不敵な笑みを浮かべていた。

「ああ、言っとくが、こいつは俺の指示じゃねえ。この聖女様が、勝手に暴走しただけだ。俺は、いつだって、あんたらのルールの中で、正々堂々戦ってきたぜ?」

 彼は、即座に、アイリスに、全ての責任をなすりつけた。

 だが、アウディトールは、その見え透いた嘘を、鼻で笑った。

「ええ。存じておりますよ、テオ殿。あなたの、その、素晴らしい『交渉術』も、全て、拝見しておりました。…賄賂、書類偽造、そして、ハッタリ。実に、見事な、ルール違反の、数々でした」

「…ちっ」

 テオが、舌打ちする。

 アウディトールは、次に、シルフィへと、視線を移した。

「そして、シルフィ殿。あなたの、その、予測不能な『本能』も、実に厄介でした。待機列の無視。隠し通路の発見。そして、最終決裁印の不正使用…。我が局が、千年の歳月をかけて、完璧に構築した、この論理の迷宮を、あなたは、ただ『ふかふかそうだから』『可愛いから』という、あまりに非論理的な理由で、破壊してくださった」

 その言葉には、怒りを通り越して、もはや、一種の感嘆さえ含まれているように聞こえた。

 そして、最後に、彼は、アイリスをまっすぐに見据えた。

「そして、あなた様だ。聖女、アイリス・アークライト殿。あなたの、『やる気のなさ』こそが、この迷宮にとって、最大の脅威でした。禅問答を、無気力で、放棄する。魂の重さを、怠惰への渇望で、逆転させる。そして、最後には、ルールそのものを、暴力で、否定する…。あなたの、その、存在そのものが、この、論理の世界における、究極の非合理(バグ)なのです」

 彼は、深いため息をつくと、その、くたびれた眼鏡の位置を直した。

「…私は、これまで、案内役に徹しておりました。ルールに則り、皆様を公正に審査する、ただの歯車として。…ですが、もう限界です」

 彼の体から、これまでの、くたびれたサラリーマンのオーラとは比較にならない、濃密で禍々しい悪魔の魔力が、立ち上り始めた。

「あなた方の進行は、規定のルートから、著しく逸脱しています! これより、私は、案内人としての立場を放棄する!」

 彼は、胸元から、一枚の、黒い、特別な許可証を取り出し、高らかに、宣言した。

「地獄法、緊急特別条項、第十三号を発動! 私、アウディトールは、本日ただいまをもって、『特別審査官』として、皆様の、異議申し立ての権利そのものを、緊急査察いたします!」

 課長代理の、職権濫用。

 彼は、中立的な案内人の仮面を捨て、自ら、このゲームのラスボスとして、三人の前に立ちはだかったのだ。

「ひひひ…! 面白い! ようやく、本気になったじゃねえか!」

 テオが、懐から、魔術の触媒を取り出す。

「わあ! あの人、なんだか怒っています! 私、何か悪いことをしてしまいましたか…?」

 シルフィが、不安げに、弓を構える。

 そして、アイリスは。

(…最悪です…。せっかく、全てを終わらせられると思ったのに…)

 彼女は、禍々しい魔剣を構え直しながら、心の底から深いため息をついた。

 やる気は、ない。

 だが、ここで、やらなければ、永遠にこの迷宮から出られない。

 彼女の、虚無の瞳に、再び、紫色の殺意の光が宿った。

「非論理的な、魂どもめ…!」

 アウディトールが、叫ぶ。

「あなた方には、真の官僚主義の恐ろしさを、その身に刻み込んで差し上げましょう!」

 彼が指を鳴らすと、部屋全体が激しく揺れ動いた。

 壁一面の引き出しが、ガタガタと開き、中から、おびただしい数の羊皮紙が、まるで吹雪のように舞い始める。

「第一の査察! 『書類不備の嵐』!」

 無数の、羊皮紙が、鋭い刃と化して、三人に、襲いかかってきた。

 地獄の、官僚主義迷宮。

 その、最後の、そして、最も、面倒くさい戦いが、今、幕を開けた。

 果たして、三人は、この怒れる中間管理職を打ち破り、無事に元の世界へと帰ることができるのか。

 そして、ノクト()の、ポテチの未来は。

 全ては、この、混沌のパーティーの、最後のひと踏ん張りにかかっていた。

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