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第二十四話 「ご検討ください」の壁(後編)

『とりあえず、何か、それっぽい行動を起こしてみろ。総当たりで、フラグを探すしかあるまい』

(そ、そんな、無責任な…!)

 ノクト()の、またしてもの丸投げ宣言に、アイリスは絶望した。


 だが、テオは、まだ、諦めてはいなかった。

「ひひひ…! 面白い! やってやろうじゃねえか!」

 彼は、詐欺師としての、全ての知識と経験を、総動員した。

「おい、旦那! この『検討』の、定義を、まず、明確にしようじゃねえか! 『検討』に必要な、時間は? KPIは? 検討した結果、『承認』か『却下』かを判断するための、具体的な基準は何だ!?」

 彼は、ビジネス交渉の土俵に、この悪魔を、引きずり込もうとする。

 だが、老悪魔は、にこやかに、答えるだけだった。

「はい。皆様が、『前向きにご検討された』と、私が判断するまで、でございます」

「その、判断基準を、聞いてるんだよ!」

「はい。私がそう判断できるかどうか、でございます」

 だめだ、こいつ。

 テオは、別の角度から、攻めることにした。

「…よし。分かった。…検討した! 俺の、結論は、『承認』だ! これで、いいだろ!」

「いえ。それでは、ただのご感想です。もっと、深く、前向きに、ご検討を」

「ぐ…! ならば、これならどうだ!」

 テオは、懐から、金貨を一枚、取り出した。

「この金貨を、やる! これで、俺たちの『検討』を『前向き』だったと判断しろ!」

「おやおや。お客様」

 老悪魔は、初めて、その目を、すうっと、細めた。

「…賄賂、ですか? …残念ながら、それは、悪手、でございますな…」

 部屋の空気が、一瞬で、凍りつく。

 テオは、自分が、地雷を踏んだことを、悟った。

(…やべえ。こいつ、マモンの旦那とは、違うタイプだ…!)


 その、絶望的な膠着状態。

 その中で、一人だけ、全く違う次元で行動している者がいた。

 シルフィだった。

 彼女は、この、大人たちの、面倒くさい会話には、全く興味がなかった。

 彼女は、ただ、老悪魔の言葉を、文字通りに受け取っていた。

(前向きに、検討…? 前を、向く…?)

 彼女は、その場で、くるり、と体の向きを変え、老悪魔のカウンターに、背を向けた。

 そして、部屋の入り口があった、白い壁の方向を、じっと、見つめ始めた。

「シルフィ? 何を、しているんだ…?」

 テオが、訝しげに、尋ねる。

「はい。今、前を向いて、検討しています」

「…………」

 あまりに、純粋で、あまりに、文字通りな、解釈。

 老悪魔は、そのシルフィの奇行に、一瞬だけ、そのにこやかな表情を崩しかけた。

「…いえ、お客様。そういう、物理的なこと、では…」

 その、老悪魔の、僅かな動揺を、見逃すほど、アイリスは、無能ではなかった。

 いや、今の彼女は、もはや、有能でも、無能でもない。

 ただ、ひたすらに、やる気がなく、そして、この不毛な状況を、一刻も早く終わらせたい、と願っているだけだった。

(…もう、いいです…。検討も、ピクルスも、ポテチ休暇も…もう、どうでも…)

 彼女は、ふらり、と、カウンターの前へと、進み出た。

 そして、テオが持っていた、承認用の羊皮紙と、羽根ペンを、ひったくるように奪い取る。

「…おい、アイリス!?」

 彼女は、その、美しい羊皮紙の上に、これまでのどの署名よりも、乱暴に、そして、投げやりに、自らの名前を書きなぐった。

 インクが、飛び散り、美しい装飾を、汚していく。

 そして、彼女は、その、署名済みの羊皮紙を、老悪魔の目の前に、叩きつけた。

「…はい、署名しました」

 彼女の、やる気のない瞳が、まっすぐに、老悪魔を、射抜く。

「…これで、終わりですよね? …もう、帰って、いいですよね…?」

 その、あまりに、投げやりな、しかし、有無を言わせぬ、一言。

 老悪魔は、呆然と、その署名を見つめていた。

「…お、お客様…。『検討』は…? 前向きな、ご検討は…?」

「…もう、検討を、やる気も、ありません」

 アイリスは、そう、言い放った。

「…早く、この書類を、受理してください。…さもないと、私は、ここで、眠ります」

 聖女の、まさかの、ストライキ宣言。

 それは、もはや、交渉でも、駆け引きでもない。

 ただ、純粋な「無気力」が生んだ、究極の業務妨害だった。


 老悪魔は、固まった。

 彼の、完璧な、禅問答の迷宮。

 それは、相手が、「答え」を見つけようともがくことを、前提としていた。

 だが、目の前の、この聖女は、違う。

 彼女は、もはや、問いに答えることさえ放棄したのだ。

 「検討しない」という、選択肢。

 それは、彼の、ルールの、想定の、完全に外側にあった。

「…そ、そんな…。非論理的な…」

 彼の、にこやかな仮面が、ガラガラと崩れ落ちていく。

 その動揺を見逃すほど、テオは、甘くはなかった。

「ひひひ…! おい、聞いたか、旦那! 聖女様は、もう、お眠の時間らしいぜ! 俺たちの『検討』の結果は、『これ以上、検討する価値もねえから、さっさとハンコを押せ』、だ! さあ、どうする!? このまま、聖女様を、こんな殺風景な場所で寝かせちまって、いいのかよ!? 王国の、いや、全世界の敵になるぜ!」

 テオの、完璧な、ハッタリ。

 アイリスの、究極の、サボタージュ。

 そして、シルフィの、意味不明な、壁とのにらめっこ。

 その、混沌の三連撃の前に、老悪魔の鉄壁の官僚主義は、ついに、音を立てて崩壊した。

「…わ、分かりました…。分かりましたから…!」

 彼は、震える手で、最後の、承認印を、羊皮紙に、押した。

「…どうぞ、お通りください…。そして、二度と、私の前に、現れないで、ください…」

 彼の、魂からの、悲痛な叫び。

 地獄の迷宮は、またしても、攻略された。

 今度は、やる気のない聖女の、「無」の心が、生み出した、究極の、論理破壊によって。

 テオは、もはや、何も、言う気がしなかった。

 このパーティーでは、論理は、無力だ。

 ただ、この、二人の、規格外の女たちに、全てを委ねるしかないのだ、と。

 彼の、詐欺師としてのプライドが、完全に、へし折られた、瞬間だった。

 そして、アイリスは、ほんの少しだけ、思った。

(…たまには、やる気がないのも、悪くない、かも、しれません…)

 彼らの、奇妙な冒険(?)は、まだ、続く。

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