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第二十三話 「ご検討ください」の壁(前編)

 一人のエルフの、究極の「偶然」によって、悪魔的な無限回廊を突破した一行。

 テオは、もはやズタボロになった詐欺師としてのプライドを、かろうじてかき集めながら、次なる部署の扉の前に立っていた。

(…くそっ! あのエルフめ、めちゃくちゃやりやがって…! このままじゃ、手柄を全部、あいつに持ってかれちまう! 報酬交渉で、俺の取り分が減るじゃねえか!)

 彼の頭の中は、もはや王国を救うことよりも、いかにして自分の手柄を最大化するか、その一点に集中していた。

(…次の部署こそ、俺様の独壇場にしてやる。見てろよ…! 悪魔との交渉において、俺の右に出る者はいねえってことを、証明してやるぜ!)

 彼の強欲は、仲間への一方的なライバル心によって、さらに、禍々しい輝きを増していた。


 そんな、テオの歪んだ決意を試すかのように、三人がたどり着いた次の扉は、これまでのどの扉とも異質だった。

 それは、扉というより、一枚の、巨大なすりガラスだった。取っ手も、鍵穴も、蝶番さえ見当たらない。ただ、ぼんやりと、向こう側の光を、通しているだけ。

 そして、そのガラスの中央には、『総合調整課』という、いかにも当たり障りのない、しかし、具体的に何をしているのか、全く分からない部署名が、静かに浮かび上がっていた。

「…ひひひ」

 テオの口から、確信に満ちた、笑みが漏れた。

「…来たな。俺様のための、ステージがよ」

 彼が、そのガラスに、そっと手を触れると、まるで水面のように、波紋が広がり、三人の体は、その向こう側へと、吸い込まれていった。


 その先は、これまでのどの部署とも違う、異様なまでに、何もない空間だった。

 床も、壁も、天井も、全てが、継ぎ目のない、真っ白な空間。

 まるで、無限に広がる、白紙の羊皮紙の中に、迷い込んだかのようだった。

 ただ、その無限の白の中心に、一つの、小さな受付窓口だけが、ぽつんと置かれている。

 そして、その窓口の向こうで、一人の、これまでのどの悪魔よりも人の良さそうな、穏やかな笑みを浮かべた初老の悪魔が、静かにお茶をすすっていた。

「…おや、お客様ですか。ようこそ、『総合調整課』へ」

 老悪魔は、ゆっくりと立ち上がると、丁寧な一礼をした。

「皆様の、これまでのご尽力、全て、拝見しておりました。素晴らしいチームワークで、ございますな」

 その、あまりに穏やかで、好意的な態度に、テオは、逆に、警戒心を剥き出しにした。

(…こいつ、食わせ物だ。今までの奴らとは、格が違う…!)

「ひひひ…! 旦那。お世辞はいいから、さっさと、次の手続きを、始めようじゃねえか」

「おや、これは、せっかちな。…よろしいでしょう」

 老悪魔は、にこやかな笑みを崩さぬまま、窓口から、一枚だけ、美しく装飾された、上質な羊皮紙を、差し出した。

「次の部署へ進むための、最後の関門です。この書類に、皆様の代表として、代理人候補の方が、ただ一言、『承認』の署名をするだけです」

「……は?」

 テオは、その、あまりに簡単な条件に、拍子抜けした。

「たった、それだけで、いいのか?」

「ええ。ただし」

 老悪魔は、人差し指を立てた。

「その署名をする前に、皆様には、この一枚の『稟議書』を、よくお読みいただく必要がございます」

 彼が、もう一枚、差し出した羊皮紙。

 それは、これまでの、米粒のような文字で埋め尽くされた申請書とは、全く違っていた。

 羊皮紙には、ただ、中央に、一文だけ。

 流麗な、しかし、どこか含みのある筆跡で、こう書かれていた。


 『前向きに、ご検討ください』


「…………」

 テオは、その、あまりに抽象的で、あまりに官僚的な一文を、ただ呆然と見つめた。

「…おい、旦那。これは、どういう意味だ?」

「はい。文字通り、皆様に、この稟議書の内容を、『前向きにご検討』いただく、ということでございます」

「だから、その『検討』ってのは、何をすりゃいいんだよ!」

「はい。前向きに、ご検討を」

「………」

 会話が、ループする。

 老悪魔は、にこやかな笑みを崩さず、ただ、同じ言葉を、繰り返すだけだった。

 テオは、ようやく、この部署の、本当の恐ろしさを、理解した。

 これは、暴力でも、手続き地獄でもない。

 挑戦者の、思考そのものを、無限ループの迷宮へと誘い込み、精神を内側から崩壊させる、悪魔的な禅問答。

 答えのない問いを、永遠に考えさせ続ける、究極の精神攻撃だった。


『…なるほどな』

 アイリスの脳内で、ノクト()が、面白そうに呟いた。

『これは、古典的な、ソフトロック系の罠だ。明確なクリア条件を提示せず、プレイヤーを無限に足止めさせる。…悪趣味極まりない、クソゲーの典型だな』

(…神様。どうすれば、いいのでしょうか…)

 アイリスの、か細い問いに、しかし、ノクト()は即答しなかった。

『…分からん。この手の、抽象的なフラグ管理は、俺の専門外だ。…とりあえず、何か、それっぽい行動を起こしてみろ。総当たりで、フラグを探すしかあるまい』

(そ、そんな、無責任な…!)

 ノクト()の、またしてもの丸投げ宣言に、アイリスは絶望した。

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