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第十二話 テオ、書式と戦う(後編)

「全ては、厳正なる、手続きの一環でございます。ルールですので」

 その、あまりに理不尽な「ルール」という言葉に、テオは、血管が切れそうになるのを、必死でこらえた。

 アイリスは、もはや、立っていることさえできず、書類の棚に、ぐったりと、もたれかかっている。

(…もう、だめ…。ポテチからの解放、さようなら…)


 その、絶望的な状況。

 だが、テオは、ただのチンピラではなかった。

 彼は、元魔王軍幹部。

 そして、この世の、あらゆる「契約」と「ルール」の裏をかいてきた、稀代の詐欺師。

 彼は、この、完璧なまでに構築された、官僚主義の無限地獄の中に、たった一つだけ、致命的な「穴」があることに、気づいたのだ。

(…そうか。…そうかよ。ひひ…ひひひひひ…!)

 彼の口から、再び、あの、下品な笑いが漏れ出した。

「おい、アイリス。シルフィ。ちょっと、こっちへ来い」

 彼は、二人の手を取ると、書類の迷宮の、物陰へと、隠れた。

「いいか、よく聞け。この、クソみてえな手続き地獄にはな、たった一つだけ、抜け道がある」

「…抜け道…?」

 アイリスが、か細い声で、聞き返す。

「ああ。奴らは、『正しい書式の、正しい書類』を出すことしか、頭にねえ。だがな、この部屋には、過去に処理された、ありとあらゆる書類が、山と積まれてやがる。つまり、俺たちが作るべき『許可証』や『保証書』の、部品が、そこら中に転がってるってわけだ!」

 テオの目は、悪魔よりも、邪悪な光を放っていた。

 偽造。

 だが、それは、無から有を生み出す、魔法ではなかった。

 膨大な情報の中から、正しい部品を抜き出し、完璧に組み立てる、テオの知略と、シルフィの模倣能力、アイリスの(やる気はないが)技術が合わさった、高度なチームプレイだった。

「シルフィ! お前、さっき、待合室で、なんか絵を描いてただろ。羊皮紙と、ペンは、持ってるか?」

「はい! お花の絵なら、いつでも描けます!」

 シルフィが、無邪気に、懐から、小さな羊皮紙の束と、羽根ペンを取り出す。

「よし! アイリス! その、死んだ魚の目、やめろ! お前は、聖女だろ! やる気はなくても、字は書けるはずだ!」

「…は、はい…」

 アイリスが、震える手で、ペンを握る。

 聖女として、あるまじき行為。

 だが、今の彼女には、それに、逆らう気力も、倫理観も、なかった。

「ひひひ…! いくぜ、野郎ども! 史上最低の、書類偽造工場の、稼働開始だ!」

 テオの、詐欺師としての本領が、ついに、発揮される。

 彼は、書類の迷宮を、獲物を探す獣のような目で、駆け回った。

「あったぞ! 『許可証B』系統で使われてる、この、ギザギザの紋様だ! シルフィ! この棚の上から三番目の書類! この紋章を、寸分違わず、その紙に模写しろ!」

「はい! くるん、となって、ぴょん、ですね! お任せください!」

 シルフィの、エルフならではの、驚異的な視力と、芸術的センスが、複雑な悪魔の紋様を、完璧に、白紙の羊皮紙の上に、再現していく。

「よし、いいぞ! 次は、署名だ! アイリス! そこの箱に入ってる決裁済みの書類! この、一番偉そうなサインの筆跡を、完璧に真似て、ここに『承認』と書け!」

「…こ、こう、ですか…?」

 アイリスは、言われるがままに、聖女として培ってきた、達筆な文字で、悪魔の署名を、偽造する。

 その、あまりに美しい筆跡に、テオは、満足げに頷いた。


「ひひひ…! できたぜ! 『許可証B-二三』と、『身元保証書C-五』の、完璧な偽造書類だ!」

 テオは、その出来栄えに、うっとりと、目を細めた。

 そして、再び、口髭の悪魔の元へと、向かう。

「おい、旦那! お待ちどうさん! これで、文句、ねえだろ!」

 彼は、本物の書類の束の中に、巧みに、偽造した二枚の書類を混ぜ込み、カウンターに、叩きつけた。

 口髭の悪魔は、その書類の山を、一枚、一枚、丹念に、確認していく。

 テオの額に、汗が滲む。

 心臓が、早鐘のように、鳴っていた。

 やがて、悪魔は、全ての書類を確認し終えると、机の上に鎮座していた、まるで小さな断頭台のようにも見える、巨大なハンコの装置に、羊皮紙を厳かに滑り込ませた。

 彼は、無感情に、その装置の横についている、錆びついたレバーを、両手で、渾身の力を込めて、引き下げる。

 ―――ガッチャン!

 と、重々しい金属音を立てて、分厚い印が、『様式一号』の一番下に、インクというよりは烙印のように、刻まれた。

「…はい。受理、いたしました。次の、窓口へ、どうぞ…」

 その言葉に、テオは、心の中で、勝利の雄叫びを上げた。

 この悪魔にとって、書類が偽造されたものかどうかなど、関係ないのだ。

 ただ、形式が満たされていれば、それでいい。

 悪魔の、鉄壁の官僚主義は、人間の、底なしの「ズル賢さ」の前に、最初の敗北を喫したのだ。

 テオは、承認印が押された羊皮紙を、ひったくるように掴むと、アイリスとシルフィの元へと駆け戻った。

「見たか、お前ら! これが、俺様の実力よ!」

 その、誇らしげな顔。

 アイリスは、力なく、拍手をした。

 シルフィは、「テオさん、すごいですね! 魔法みたいです!」と、手放しで、彼を称賛した。


 だが、彼らの戦いは、まだ、始まったばかり。

 次なる窓口は、この、書類の迷宮の、さらに、奥深く。

 彼らは、まだ、知らない。

 この、地獄のお役所には、まだまだ、数えきれないほどの、「理不尽な手続き」が、彼らを、待ち構えていることを。

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