第7章 - Cチーム、出撃
部屋は巨大だった。大聖堂のような規模で、滑らかで淡い石が彫られ、その表面は吊り下げられた白い光の列によってきらめいていた。
空気には微かな振動があった。技術ではなく「存在」から来るものだった。まるで壁そのものが生きていて、こちらの様子を伺っているかのように。
床一面を覆う浅い水の上に、太い大理石の柱が何本も立っており、動くたびにその反射が波打っていた。
まるで神聖なもののようだった。
…が、そうは感じなかった。
なぜならCチームは、今まさにその中で水のかけ合いをしていたからである。
「ばかげてる」
アズラエルが、乾いた石の縁に猫のように前足をたたんで座りながら、呆れた声でつぶやいた。
「我々は多元宇宙の安定を守る精鋭オペレーターだぞ。なぜ今、水遊びをしている?」
「楽しいからだよ、古代の湿った毛布さんよ!」
アカリが高笑いしながら、ガレスが放った水のアーチをくぐってかわす。
水浸しの前髪を払って、彼は満面の笑みを浮かべた。
「それに…濡れるのが怖いって顔してるよ?」
「私は猫科だ」アズラエルがピシャリと返す。「尊厳は水に触れた瞬間に溶ける」
ガレスは澄んだ水の中に膝まで浸かりながら、両手で水をすくい、アカリの頭めがけて思いっきりぶっかけた。
「だったら、そんな怒ったおっさんみたいな顔してないで、こっち来いって!」
「私は手作業の水しぶきに関わった記録は歴史上存在しない」
ミユが無音でガレスの背後に現れ、水を後頭部に蹴り上げた。
「ぬわっ!?こらァァァ!!」
「うっかり足が滑ったのよ〜」とウィンク。
怒った子ライオンのようにガレスが振り返る。
「やんのか!?行くぞ、ポニーテール!!」
アズラエルは前足に顔を埋めたまま、低くうめいた。
「まるで神の兵器を持った幼児の集まりだ…」
セリアは近くの石台に立ち、長い三つ編みの先を丁寧に絞っていた。
「でも、ちょっといいわね。嵐の前の静けさって感じ」
「聞いたぞー!」アカリが叫んだ。「セリアが感傷的になってるぞー!これは歴史的瞬間だぞー!」
彼女は目を回したが、否定はしなかった。
ハルはもう少し離れた場所で、水に足首まで浸かりながら腕を組み、微笑みを浮かべながら皆を眺めていた。
このカオス…懐かしい。
こんなバカ騒ぎが、こんなにも心地よいとは思っていなかった。
その時、彼の左手の甲が緑色に光る。
「87」が淡く浮かび上がった。
その直後、神経に直接囁きかけるような声が脳内に響いた。
「任務前に無駄なエネルギーを消耗させるな。ここは託児所ではないし、ビーチ回でもない」
ハルはゆっくり瞬きをした。
「…こんにちは、アベル」
ミユが水面に浮かびながら、スイレンの葉のようにニヤリ。
「アベルでしょ?よろしく伝えて〜」
「俺は秘書じゃない」ハルがぼやく。
セリアが眉を上げた。
「で、この部屋って結局なんなの?使うの初めてだけど」
「スタンバイルームだ。四人以上のチームが使う」
ハルは水中の石板に軽く足を乗せながら答えた。
「もともとは旧水貯蔵庫で、それをウォッチャー用の転送ベイに改造した。ポータルキーがゼロになると直接ターゲットの世界に転送される。毎回水で満たされるのは…おそらく圧力調整のためだろうな」
「もしくは、司令部の誰かが濡れたブーツフェチなんじゃね?」
アカリはすでにお菓子の包み紙で水上ピラミッドを作っていた。
アズラエルは尻尾をピクリと動かした。
「なぜ彼がまだ生きているのか、誰か説明してくれ」
「俺が可愛いからだろ〜!」
アカリがポーズを決めた瞬間、ガレスが突進して彼を豪快に水に沈めた。
「オレこそが…津波だァァァ!!」
「お前はただの迷惑だァァァ!!」
「いつか…お前の焼け焦げた回路で玉座を作ってやる…」アズラエルが低くつぶやいた。
「その時はちゃんと悪役のモノローグやってね!」ミユが楽しげに拍手。
ハルは大きく息を吐いた。上の照明がゆっくりと脈打ち始める。
カウントダウンが始まった。
アズラエルが背筋を伸ばした。
「転送プロトコル起動まで、残り30秒」
「準備できたか?」
ハルの声が部屋に響く。
「いつでも行けるぜ!」
ガレスが頭を振って水を飛ばす。まるで金色のレトリバー。
アカリは逆さまで浮かびながら親指を立てた。
「脳細胞はゼロだけど、魂は準備万端〜」
セリアは穏やかに刀の柄に手を置く。
「行きましょう」
ミユはシュリケンを指先でくるくる回しながらニヤリ。
「やっとね。金持ちの一日をぶっ壊してやろうじゃない」
ハルが微笑む。ほんの少しだけ。
「Cチーム」
彼が手を上げる。
彼らの足元で水が淡く輝いた。
「5秒後に、転送する」
その光の中で、波紋が広がった。
頭上のライトがカウントダウンのように脈打ち始めた。
ハルの左手の甲が淡く光る──緑に浮かぶ「87」。
『到着時には新しい服が支給される』
アベルの落ち着いた声が、ハルの意識の奥に直接響く。
『一般市民用の服装だ。周囲に溶け込め』
ハルは一度うなずき、皆に向かって声を上げた。
「アベルから確認が入った。到着時に新しい服が用意されてる。カジュアルな私服。現地に馴染めってさ」
「つまり…普通の格好?」ガレスが瞬きをする。
「え、マジでカジュアル?」アカリが乗り出す。「Tシャツとかパーカーとか、ああいうやつ?」
「そうだ」ハルがうなずく。「心配すんな──この地球にはデミヒューマンも存在してるらしい。騒ぎさえ起こさなきゃ、誰も気にしないってさ」
「つまり、騒ぎは確定ということだな」アズラエルが鼻で笑う。
「私は六分と読むわ」ミユが楽しそうに言う。
ガレスが笑った。「なあ、デミヒューマンってなんだっけ?耳と尻尾がついてる系か?」
「世界によるけどな」ハルが答えたその時、床が低く共鳴音を立て始めた。
──水が、上昇した。
波や衝撃ではなく、完璧で不自然な浮上。
まるでこの部屋全体が巨大な聖杯となり、光でできた液体で満ちていくかのように。
水位は膝を越え、腰を越え、胸元を越え──やがて頭上へと達する。
誰も慌てない。
彼らは慌てることを知らない。
それは、温かく生きているものに包まれるようだった。
水は冷たくもなく、濡れることもない。
言葉にならない何かを孕んだまま、全身を優しく包み込む。
そしてその中に完全に沈んでも、息をする必要はなかった。
ただ──できたのだ。
音は消え、視界は青と金に溶けた。
そして──
水は、静止した。
部屋全体が満たされ、まるで完璧な縦の鏡のように。
動きかけたチームは、水中に星のように浮かんでいた。
天井から注がれる光が、水底からも反射し──それはまるで、異世界への門。
そして、それは起きた。
水が、ガラスのように砕けた。
瞬き一つ──大聖堂のような部屋は消えた。
そこにあったのは、ネオンの脈動と輝きだった。
彼らは今、濡れた舗道の上に立っていた。ホログラフィック看板の光が水たまりに揺れ、ネオンの反射が靴裏に踊る。
頭上には再構築されたビッグ・ベンの顔が沈黙のうちに時を刻み、クローム製の尖塔や垂直の高速道路が夜空を切り裂いていた。
街は人工の命で脈打っていた。エレクトリック・ブルーと暴力的なピンク。透明なビルの壁を流れる広告。霧の中を虫のように飛び交うドローン。
それは、生きていた。合成された、美しさ。
「転送確認。君たちはユニバース5667、ニュー・ロンドン・シティの中心部に到着した。」
アベルの声が、ハルの脳内に澄んだ音で響いた。
一瞬、誰もが言葉を失った。
最初に口を開いたのはアカリだった。
「……やば、オレ、イケてんな。」
皆、以前とは全く違う服装になっていた。乾いた状態で、都市潜入用にカスタマイズされた最新装備。
ハルは、黒の非対称コートを羽織っていた。縫い目には虹色に光る回路が埋め込まれ、襟元には微細なテックが仕込まれている。細身の黒いパンツ、ハイアンクルのテックブーツ、そしてインナーには液体金属のようにネオンを弾くグレーのスーツ。左袖には、「87」の番号が刻まれた金属ピンが光っていた。
セリアは、白に薄紫のアクセントが入ったスリット入りのロングコート。ミニマルでありながら、機能的かつエレガント。足元は静音性に優れたコンバットブーツ。髪はクローム製の羽型クリップで後ろに束ねられていた。
アカリは、ストリートパンクな出で立ち。光るライン入りのブラックジョガー、グリッチグラフィックTシャツ、そして開いたターコイズのボンバージャケット。頭に乗せたゴーグルはサングラスのように見える。手袋はインターフェース対応。ベルトには「問題を起こす気満々」と言わんばかりのポケットが並んでいた。
ミユは、メタリックなクロップドジャケットの下に、メッシュとアーマーが混在するボディスーツ。太もものホルスターにはシマー・スチールの光が走り、足元のブーツは鋭く音を立てる。髪は今やミッドナイトパープルに染められ、シアンのハイライトが揺れるポニーテールにまとめられていた。
ガレスは、その巨体にスリーブレスのタクティカルパーカーを羽織り、腕には光る回路タトゥーが走っている。ズボンは脛部分が強化されたアーマー付き。だが柔軟性もあり、機動性は抜群。ベルトには赤いバイザーがクリップされ、ナックルガードはエネルギーノードで輝いていた。
アズラエルはというと……いつの間にか小さなスカーフを巻いていた。誰もどこで手に入れたかは聞かなかった。
雨は軽く霧のように降り、チームはしばしその光景に言葉を失った。
街は混み合っていたが、秩序は保たれていた。人々はフードをかぶり、ネオンマスクで空気を濾過しながら静かに歩いている。
巨大スクリーンには「グレッグ・ストーンの新地球秩序」についてのニュースが、ループで流れていた。
「未来へようこそ、って感じだね。」
ミユが低く口笛を吹いた。
「壊すなよ……何を壊しちゃダメか分かるまでは。」
アカリが首を鳴らした。
「この街、誰かに見られてる感じがするのはオレだけか?」
ガレスが腕を組む。
「いや、感じて当然だ。」
アズラエルの耳がぴくりと動いた。
ハルは、そっとコートの内ポケットに手を当てた。
あの作戦ブリーフィングが、今も記憶の中で静かに響いている。
ここが、その始まりだった。
任務が、始まった。
「音声で到着を確認しろ」
アベルの声が、ハルの意識に直接響く。
「追跡には自覚的なシグナルが必要だ。お前たちの声がなければロックできない。まずはお前からだ、ハル。」
ハルは小さく頷き、チーム全員に見えるように手を上げた。
「アベルが確認を求めてる。自分の番号を、順番に言ってくれ。」
他のメンバーたちは視線を交わし、それぞれ静かに頷いた。
ネオンの光が彼らの顔に反射し、紫と青、そして火のような光彩で染めていた。
最初に声を出したのは、ハルだった。
その声は静かで、だが確かな響きを持っていた。
「……ハチジュウナナ。」
左手の甲に刻まれた「87」が淡い緑色に一度だけ脈動する。
続いてセリアが答える。
その声は穏やかで、どこか神聖さすら帯びていた。
「ナナジュウハチ。」
彼女の数字は、月光のように優しく白く輝いた。
ミユは片脚に体重を預けながら、髪を耳にかけてから微笑んだ。
いたずらっぽく囁くように言う。
「ニジュウサン。」
「23」がピンクと紫の中間色で弾けるように光る。
火花のように、何かが爆ぜる直前の輝き。
アカリはちらりと横目を向け、ニヤリと笑った。
まるで表彰式でトロフィーでも受け取るかのように手を挙げる。
「ロクジュウキュウ。」
「69」が真紅に燃えるように光った。
眩しく、派手で、目立ちすぎるほどに。
セリアが溜め息をつく。
「やっぱり赤なのね。」
「お前のはベージュでいいんじゃねぇの?」
アカリがすかさず返す。
最後に、ガレスが拳を突き上げた。
その声は低く、だが誇り高い響きを持っていた。
「ハチ。」
「10」が力強いオレンジ色で輝き、確かな存在感を放つ。
重く、温かく、そして揺るぎない光。
全員が一瞬、沈黙の中に立っていた。
手は下ろされたが、袖の奥でそれぞれの数字は、なおかすかに脈打ち続けている。
「シグナル確認」
アベルの声が、ハルを通して届いた。
「追跡ロック完了。全員、現在地ライブ。」
雨はなおも静かに降り続けていた。
この都市は、彼らの存在になど無関心だった。
──だが、それも長くは続かない。