第3章 ― 夢の魅力 vs. 現実の期待
沈黙は、視線が交わった瞬間から長く伸びていた――重く張り詰めているのに、どこか脆い。
ハルの手は、ゆるく拳を握りしめて体の横に垂れていた。
ついに、彼は口を開いた。
「俺は……これが得意じゃないみたいだ。」
声は平静だったが、目はもう静かではなかった。 その奥に、恥のようなもの、火花が燃えそうで燃えないようなものが揺れていた。
「俺はほとんど成功したことなんてない。本当に。ただ必死に生き残ってるだけか、後始末をしてるだけ。人をがっかりさせてばかりだ、レオニダス。自分でも分かってる。」
レオニダスの眉が険しくなる。
「ここではそんなことで価値は決まらない。」
「でも、そうするべきじゃないのか?」
思ったより速く、鋭い炎のように、その言葉が部屋の静けさを切り裂いた。
ハルは一歩前に出て、顎をほんのわずかに上げた。
「Cチームみたいな――これだけの実力、才能を持つ集団なら、俺はもっとやれてなきゃいけない。もっと基準を上げなきゃいけない。でも、実際は足を引っ張ってばかりだ。そんな俺は何なんだ?」
レオニダスは動じなかった。「それは、お前に可能性があるってことだ。」
ハルは息を吐いた――だが、それは安堵ではなかった。 不信だった。
「そんなものはない。みんなそう言うけど、“お前ならきっとこうなれる、ああなれる”って……でも、そんな“自分”なんて本当にいるのか?」
レオニダスの目が冷静になり、声色も変わった――厳しさはないが、確かな重み。
「お前の父親はそれを持っていた。」
「でも俺は父さんじゃない!」
今度のハルの声は思わず大きくなり、引き戻すには遅すぎた。
彼は一度だけきつく目を閉じ、声は低く、震えを含んだ。
「……父さんは違った。もっと強くて、賢くて、勇敢だった。存在感があった。それでも彼だって最後まで完璧ではいられなかった。なのに、俺がどうしてそれを超えられるっていうんだ?」
「超える必要はない。」レオニダスは静かに一歩近づいた。「ただ、そこに向かって積み上げていけばいい。努力して、現れるんだ。」
ハルは本気でレオニダスを見た――怒りと困惑、言い足りない千の疑問を目に湛えて。
「……なぜ?」
その言葉は静かだったが、ガラスが割れるように響いた。
「なぜ俺なんだ?」ハルはさらに問い詰め、息が早くなっていた。「なぜ俺がリーダーでいなきゃいけない?なぜ全部背負うのが俺なんだ?」
レオニダスが口を開こうとしたが、ハルは止まらなかった。
「俺は基準に達してない。ずっとそうだ。大胆でもないし、自信もないし、強くもない。コントロールもきかない。規律すら危うい。最初からずっと“できるフリ”をしてきただけだ――それなのに、なぜ俺がここにいるんだよ?!」
レオニダスは瞬き一つしない。
「お前は“特別”だからだ。」
部屋が静止した。
アズラエルも影の中で静かに頭を上げ、尻尾が止まる。目を細めて見ていた。
ハルは息を詰まらせ――歯を食いしばったまま、吐き出した。
「……特別だとしても、俺は全然十分じゃない。」
レオニダスの目には、読み取れない何かが浮かんだ。
「本当の問題は何だ、ハル?」
ハルは一度、視線を逸らした。 だがすぐに……見返した。
声はもう静かで――叫びよりも強く響く静けさだった。
「夢を見るんだ。」
レオニダスは黙っていた。
「エイナイムの要塞が滅びる夢を。焼け落ちて、崩壊して、ウォッチャーたちが……堕ちていく。毎回――俺が原因なんだ。」
喉が詰まり、飲み込むように息をつく。
「理由も、原因も分からない。でも、俺が引き金を引くのだけは分かる。……だから、絶対に、秩序が滅ぶ原因にはなりたくない。」
レオニダスはゆっくりと息を吐く。「誰にでも夢はある。」
「俺のは違う。」
アズラエルが今や四つ足で立ち上がり、静かに見つめていた。じっと、待つように。
レオニダスは一瞬だけ迷った。
「……お前の夢が違うことは分かってる、ハル。でも、それに人生を決めさせちゃいけない。」
「だったら何のためなんだ?」ハルは怒気をにじませ、声を上げた。「この道を選んで、キャプテンになれば何か変われるって言われた。でも――結局なれたのは失望だけだ!」
最後の言葉は、叫びというより溢れ出した。
レオニダスの表情が揺らぐ。空気は一気に重くなり、沈黙が二人を包み込む。
ハルはそこで立ち尽くしていた――胸が上下し、顎を強く噛み締めて――重すぎる期待が背中を押しつけていた。
そして……彼は長く、低く息を吐いた。
再び話し出したとき、その声はまたもろく、静かに落ち着いていた。
「……ごめん。でも俺はもうキャプテン――いや、Cチームの一員としてやっていけない。」
レオニダスは背筋を伸ばした。その顔からは何も読み取れなかったが、声にはどこか哀愁が滲み始めていた。
「お前の代わりに認められるキャプテンは、これから先、誰も現れない。俺は選ばない。絶対に認めない。」
ハルははっと振り返る――目を大きく見開き、ショックが氷のように全身を駆け抜けた。
彼はレオニダスを見つめた。本気で、深く。
そして、その顔に真実を見た。
戦略でもなければ、操作でもない。
ただ、信じている――それだけだった。
それが痛かった。
ハルは視線を逸らした。
「じゃあ、自分でどうにかしてくれよ。」
声は空っぽだった。
「俺は帰る。」
レオニダスは一歩前に出た。「ハル――」
だが、ハルはすでに歩き出していた。
そして今回は――一度も振り返らなかった。
ハルは静かに歩き続けた。完璧に磨かれた廊下に、足音だけがやけに大きく響いた。
頭の中は足取りよりも激しく渦を巻き続けていた――レオニダスの言葉、自分の叫び、叔父のあの表情。それらが何度もリピートされた。 あの鋭く、静かな衝撃が、二人の間を通り過ぎていった。
アズラエルは無音で足元をついてきた。
「なあ」猫は冷静だが鋭い声で言った。「あれで終わりにするのは良くないぞ。叔父としても、司令官としてもな。」
ハルは歩みを止めなかった。
「どうでもいい」と彼は呟いた。
アズラエルは小さく鼻を鳴らした。「どうでもよくなんかない。だからこそ、あんなこと言ったんだろ。」
ハルは一度だけ彼を見た。それからまた前を向き、何も言わなかった。
アズラエルはそれ以上何も言わず、静かについてきた。
やがて廊下は広い展望プラットフォームへと開けた――片側は高いアーチが外に向かって開かれ、細い銀色の柱と輝く手すりが並んでいる。
外の光は、夜に沈むのではなく――この要塞特有の、金と銀の入り混じった「時が呼吸する」ような魔法の時間へと変わりつつあった。
ハルは端まで来て、歩みを緩めた。
ここからは、都市全体が見渡せた。
要塞の尖塔群は雲を貫く神の指のように、想像を超える高さまで伸びていた。 その表面には刻印と動くグリフが柔らかく輝き、空を背景に神秘的な光を放っていた。 ガラス状のパネルやエネルギー導管は、水のようにゆるやかに波打ち、塔の曲面を彩っていた。 最も高いものは天空の彼方、計測もできない高さへと消えていった。
その下には、都市全体が完璧な協奏曲のように広がっていた。
運河がきらめき、橋はレースのように広がる。 白や淡い灰色のローブをまとった市民たちが、下層階を静かなバレエのように行き交っている――ここから見ると小さくとも、その動きには目的があった。
そしてそのすべての上空には――船団があった。 数十、数百。 象牙と黒曜石で彫られた神の槍のような飛行艦が、船体に金色の文字を刻み、青く光るエンジンで空を駆けていた。 空を一瞬星ごと覆うほど巨大なものもあれば、 鳥のように小さく俊敏なものもある。 それぞれが完璧な軌道を描き、層を成して飛び交い――空そのものが意志を持ち、秩序が息づいているようだった。
街全体が調和、秩序、意志で満ちていた。
それでも、ハルはその場に立ち尽くしていた。
――小さく、孤独な存在として。
しばらくの間、彼はアーチの磨かれた枠にぼんやりと映る自分自身の姿をじっと見つめていた。
自分の頬をひとすじの涙が流れていたことには気づかなかった。
ただ、自分がどれほど高い場所にいるかには気がついていた。
そして彼はもう一度下を見た。
――今すぐ去ることもできた。
人混みに紛れて、灰色のローブでも羽織って、路線を辿って国境区画まで戻ることもできる。
自宅へ。
自分のベッドへ。お気に入りの番組。残り物のインスタントカレー。
もうプレッシャーもない。
“キャプテン”と呼ばれることもない。
ただの静けさ。
でも――
何かが引っ張っていた。 強くも激しくもない。 ただ……消えることのない、しつこい感覚。 魂の奥底で鳴る微かなハミング。肋骨の裏で何かに引かれるような。 まるで何かが、自分を上へ呼んでいるかのようだった。
彼は瞬きをし、独り言のように小さく呟いた。 「……セイサク?」
その名前は、自分の口の中で妙に違和感があった。 何でもないのかもしれない。すべてなのかもしれない。 ただ単に、衝突のあとの神経がいつものように絡まっているだけかもしれない。 ――あるいは……
彼は息を吐いた。 「……もうどうでもいいや。」
少なくとも、景色はいいだろう。 彼はブレザーの内ポケットに手を入れ、小さくて古びたワイヤレスイヤホンを取り出した。静かな愛着を感じる、それだけで落ち着く物だ。
耳に差し込むと、世界の輪郭がほんの少し柔らかくなり、気持ちも静まっていった。
そして、彼は向きを変えた。 屋上へと足を進める。
少し探しながら、やがてたどり着いた。
ハルが屋上に出ると、風が旧友のように彼を迎えた――静かで、冷たく、秘密に満ちている。その高みでは、すべてが薄く感じられた。空気も、静けさも、考えと考えの間の距離さえも。
ここはエイナイムの要塞でもっとも高い塔のひとつ――都市の大気圏さえ突き抜ける高さだ。手すりはなく、空を映す黒曜石の平らな床が広がっていた。
彼は端まで歩き、外を見渡した。
エイナイムの要塞に太陽はない。 あるのは無限に続く星々だけ――まばたきもせず、天空に神の筆跡のように散らばっている。 柔らかな青、金色や紫、白や紅に輝く星々が、静かに調和しながら輝いていた。
そこは暖かくもなく、寒くもなかった。 ただ……存在していた。
ハルは動かずに立ち尽くした。要塞の光が背後で消え、夜がガラスに墨を垂らしたように深まっていくのを感じながら。
彼の耳に音楽が静かに脈打ち、世界は遠く静まり返っていた――まるで自分がその中で生きているのではなく、窓越しに眺めているような感覚だった。
彼の視線は遠くへ―― そして、上へと伸びた。
無数の可能性。 無数の夢。
彼はそれが嫌いだった。 心の中に渦巻くもの――ビジョンや感情、もしかしたら自分は生き延びる以上の存在になれるかもしれないという痛いほどの希望。 それらが潮のように胸の奥に満ちてくるのを、彼は無視しようとし、押し込めようとし、言い聞かせようとした。
「お前はどうせダメだ」 「夢なんて持つほど、状況は悪くなるだけ」 「現実的じゃない」 「本物じゃない」 「どうせまた期待外れになるだけだ」
ひとすじの涙が頬を伝い、彼が気づいたときにはすでに落ちていた。 彼は袖でそれを乱暴に拭い――顎を固く結び、星を睨み続けた。その光が自分を嘲笑っているような気さえして。
もう一粒、そしてまた一粒、涙が零れる。
「……マジかよ」と彼は小さく呟き、腕で顔をこすった。「今じゃなくていいだろ……やめろよ……クソ……」
その声はほんのわずかに震えていた。
アズラエルは少し離れた場所で丸くなり、尻尾を前足に巻きつけていた。彼は何も言わなかった。皮肉も、批判もなかった。 ただ静かに見守っていた――古く優しい目で。
ハルが絶対に受け入れない同情と、自分では認めたくないほど欲していた共感を、そのまなざしに込めて。
ハルは鼻をすすり、首を振り、またも苛立ったように顔を拭った。まるで、力づくで感情を消し去ろうとしているかのように。
――そのとき。
声がした。
柔らかく、女性らしい、静かな水面を撫でる息のような声。
「……大丈夫?」
すべてが静止した。
風も止まり、 遠い星々も静かに耳を傾けているようだった。
ハルは動けなくなった。
その声はアズラエルではなかった。 頭の中からでもなかった。 現実の声だった。
繊細で、やさしくて、この世界には似つかわしくないほど優しかった。
彼はゆっくりと振り返った――肩はまだこわばり、顎は固く結ばれ、涙を拭いすぎて赤くなった目で。
そして、その瞬間―― 彼は息を呑んだ。
屋上も、夜も、背中にのしかかる重さも―― すべてが消え去り、 ただその問いだけが残った。
「大丈夫?」
ハルは完全にその声の方を向いていた。 呼吸を忘れるほどに。
彼女はほんの数歩先に立っていた。エイナイムの要塞の星明かりに縁取られ、その背後にはスカイラインが広がっていた。
下の都市の灯りが彼女の輪郭に揺らめき、スーツの滑らかな曲線に柔らかく繊細な光を映していた――だが、ハルを動けなくしたのは、その存在感だった。
彼女は高かった――女の子としては背が高く、ハルよりほんのわずかだけ低い程度。まるでガラスの広間や黄金の間で育った貴族のような佇まいだった。 すべての所作が洗練され、幼い頃から優雅さを叩き込まれてきたように自然で流れるようだった。それでいて傲慢さはまったくなく、静かな威厳と、世界を穏やかに鎮めるような落ち着きがあった。
彼女の肌は豊かで暖かなブロンズ色。欠点ひとつない滑らかさで、何千もの夜明けの光に照らされたような柔らかい輝きを放っていた。 長い白銀の髪は背中をなめらかな波のように流れ落ち、星明かりをまとった月光の糸のようにきらめいていた。それは乱れではなく、むしろ威厳があり、風に乗っても必ず美しい形に戻る――そんな自由さと品格を併せ持っていた。
そして、何よりも彼女の目―― 金色だった。 淡い色でもなく、柔らかくもなく、ヘーゼルやハニーでもない。 純粋なゴールド。 深く、濃く、夜を見通し、その中にも良いものを見つけてしまうような輝き。
彼女は白と金、そして黒を基調とした全身スーツを身に着け、体のラインに沿って優雅な金色の細いラインが描かれていた。それはタイトだが派手ではなく、防御的でありながらも洗練されていた。 細かなリッジが入ったグローブ、襟の繊細な装飾、ウエストにかけて美しくカーブする布地――そのすべてがオーダーメイドで高価なものに見えた。機能美だけでなく、見せるためのデザインでもあった。
彼女は、ハルがかつて信じていた物語や夢から抜け出してきた存在のようだった。
「……大丈夫?」
再び彼女は優しく問いかけた。その声は、温かな弦楽四重奏のよう――落ち着いていて、優しく、凛とした響きだった。
ハルは瞬きをした。風が髪を揺らし、さっきまで拭っていた涙のせいで顔が少し熱かった。 彼はそっと背筋を伸ばし、できるだけ動揺を隠そうと喉を鳴らした。
「……うん、大丈夫。」低く答えた。
彼女はしばらく彼を観察していた。 その視線がそっと下に落ちる――攻撃的ではなく、ただ観察するように。
ハルは本能的に手をポケットに滑り込ませ、手の甲に刻まれた数字を隠した。
――見せるわけにはいかない。
なぜなら、ちょうど彼女の右手のカーブの上、都市の柔らかな光が手首を照らす場所に――
78。
Cチームの印。
(新入りだな。俺がいない間に入ったんだろう。)
胸の奥が少し捻れた。嫉妬ではない。ただ……距離感。チームが自分抜きで前進している――世界さえも同じように。
彼女の視線が再びハルの顔に戻り、ほんの少しだけ長く沈黙が続いた。
やがて、優しく、首を傾げて尋ねた。
「……本当に大丈夫?」
ハルはほんのわずかためらった。 だが、うなずいた。「うん。ただ空気が欲しかっただけ。」
彼女は深く追及しなかった。 微笑んだ――それは柔らかく、品のある微笑みだった。からかいでも、作り笑いでもない。礼儀作法で教えられるような微笑みなのに、不思議と本物に感じた。思いやりがあり、けれど決して踏み込み過ぎない。
彼女はハルが泣いていたことも、話したくないことも、ちゃんと分かっていた。 だから、何も言わなかった。
代わりに、星空へと顔を向け、その姿勢のまま物思いにふけった。
「……なんでここにいるの?」
その問いに、ハルは感謝しながら再び外を見た。
「考え事さ。特に計画してたわけじゃない。ただ、気がついたらここにいた。」
彼女はゆっくりとうなずいた。「私も。」
二人はそのまましばらく立っていた――近すぎず、遠すぎず、ただ世界の頂で隣り合って存在していた。
そして、その夜初めて――
ハルは“完全な孤独”を感じなかった。
今は、二人の魂が永遠へと向かっていたのだから。 どちらも自分の居場所を探していた。
どちらも夢を見ていた。 どちらも願っていた。 どちらも祈っていた。
――この一瞬が、
二人の人生の「転機」のひとつになることを。