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高峯峻也

 また、夢を見ていた。長い長い夢だったような気もするし、瞬く間に終わってしまったような気もする。懐かしいような、暖かいような、切ないような、淋しいような。何とも言えないような感情に浸っていたが、ふと違和感を覚える。夢の内容が思い出せないのはまあ良い。特段珍しいことではないのだから。問題は網膜に映し出される景色だった。見慣れない天井、窓の向こうには澄み切った縹色の空と眩しいほどに光を放つ積雲。そこから吹き込む風がカーテンをなびかせ、一定のテンポを刻む電子音と秒針の音は鼓膜を揺らしどこかふわふわとしていた自分を現実へと引き戻す。身体に視線を落とすと、入院着に包まれた腕からは点滴やバイタル測定のラインが伸びている。先ほどの電子音は心電図モニターから発されていたらしい。

 状況を把握し、自身を俯瞰する。どうやら入院しているらしい。だが、一体何故...?体を起こそうとした瞬間、全身に激痛が走り、あまりの痛みに顔が歪み、くぐもった苦悶の声が漏れる。その時。けたたましい金属音が耳を劈く。音のした方へ視線をやると、口元を手で覆い、目尻が裂けそうなほど目を見開いた看護師、その足元に散らばった金属トレイと脱脂綿、消毒液などが目に入る。

「せ、先生っ...!大変です、高峯さんが、高峯さんの意識が!!」

そう叫ぶや否や看護師はスリッパでバタバタと音を立てながら廊下の奥へと走っていった。小さく消えていくその背中を見つめて、俺はふと違和感を覚える。いや、この言い回しは少々正確さに欠けるかもしれない。違和感は目が覚めてからずっとある。ただ、この違和感が、どんどん大きく膨らんできている気がしてならないのだ。確実に今の状況はクリアになってきている。それでもなお深い霧のように違和感が立ち込める。

 さっきも、あの看護師の反応は妙だった。患者が起きていただけであそこまでのリアクションを普通するだろうか?俺が植物状態だった?絶対に有り得ない、とは言い切れない。但し相手は医療のプロだ。珍しいとは言えど全く無い症例ではない。あれほどに怯えるのは不自然だろう。あれではまるで死人が生き返ったかのようだった。

 もう一つ、というか、より気にかかる点がある。直近の記憶が全くと言っていいほどないのである。自身の容態から察するに、病気をしたというよりは事故等による怪我といったところだろう。その衝撃で記憶が飛んだのだろうか。まあ、記憶の部分的なけっそんはあれど、言語使用能力や自身の名前等といった事柄はしっかりと頭残っているようだし、思考力だって申し分ないはずだ。記憶が戻るのか、戻ると仮定していつ頃戻るのか、気がかりではあるがまあ一旦は不幸中の幸いだったと思うしかない。

 どれくらい経ったのだろう。ふと視線を感じて顔を上げると、主治医と思われる初老の男性、先ほどから相も変わらず怯え切っている看護師、そして...

「樹希のお父さんとお母さん?どうしてここに...?それにあいつは?今どこに?」俺がそう言うと二人いは黙って目を伏せる。いやな予感がする。最悪のケースが頭をよぎる。鼓動は早鐘を打ち、顔からは血の気が引いていく。いや、まさか。そんなわけ。だってあいつはあの日俺とー。

「っ!」

サイクリング。マウンテンバイク。下り坂。急斜面。地面に太く根を張っていた大樹。浮遊感。全身に走る衝撃。ほんの数メートル先に横たわる、親友の姿。あの日、フェードアウトしていく意識の中、俺の目が捉えたその光景。

「あ、あぁ、うわあぁぁああぁっ」

 思い出した。全て思い出した。全て、そう、文字通り痛いほどに。その咆哮が自分の口から迸っていることにも気が付かなかった。

 我を忘れて暴れ回るいると背後に人の気配を感じた。振り返るとあの看護師がシリンジを手にして点滴ラインへと近づいていく。待て。何をするんだ、やめろ。俺には、まだ...。

「先生、筋弛緩剤と鎮静剤投与しました。」

「あぁ、ありがとう。ご苦労さん。本人も急な覚醒でまだ混乱していることだろうし、暫くは安静にさせて経過観察経過感としましょう。正直、有り得ない症例が実際目の前で起こっているもので我々も混乱しておりまして...。面会等は明日以降、という形でよろしいですかね?...えぇ、では...」

 歯を食いしばって抗いはしたものの、視界は白く染まって瞼も重くなり、意識は遠のいていく。俺は抵抗をやめ、すべて受け入れて身を委ね、意識が深淵へと沈んでいくのを感じていた。

 次の日の朝はせわしなく目まぐるしいものだった。MRIに血液検査、診察、触診、聴診、カウンセリング、エトセトラ...。主治医から聞いた話を簡潔にまとめると、俺は一度死亡判定をされたにも関わらず、どこにも異常がない状態で生き返ったらしい。そしてあいつ、俺の親友は残念ながら助からなかったこと、痛みに苦しみつつも最後まで俺の名前を口にしていたこと。主治医の口から説明されたのはまあこんなところだ。

「樹希さんに関しましては、力及ばず、申し訳ございません。」

重々しくそう口にした医師のその言葉がいやに空虚に響く。その後も主治医の言葉はどれも現実味がなく聞こえ、ほぼ何も理解できなかった。かろうじて内容が思い出せるのは、数ヶ月もすれば復学できるであろうこと、今日の面会時間にでも、俺の両親、樹希の両親で話す時間を設けたらどうか、ということ。

 両親と話すのもかなり気が重いというのに、樹希の両親に会って俺の口から何を言えばいいというんだ。そもそもは俺が山で二人乗りしようなんて馬鹿なことを言い出したから...。

 今考えたって仕方がない。今はもう疲れているからとにかく休みたい。泥のよう眠りたい。眠ってそのまま目が覚めなかったらどんなにいいだろうか。そんなことを考えつつ、病室のドアが閉まって主治医の背中が完全にその向こう側|へ消えるのを見届けてから、俺はまた眠りに落ちた。

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