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面接の合否を待っていたぼくの携帯が、別の不幸を告げてきた。以前働いていた職場の部長さんが亡くなったことを、以前の職場でいろいろと優しくしてくれたパートの橋田さんから知らされた時、ぼくはてっきり面接の結果の知らせだとばかり思っていたので、しばらく理解できず、暢気な浮かれ調子で挨拶をしてしまい、橋田さんは事の重大さを分かっていないと思ったのか、口調を強めもう一度同じことを言った。
部長さんがどういった理由で亡くなったのかを訊ねても橋田さんはとにかく明日葬式があるからぼくにも来るようにとだけしか言わない。それで何か普通ではない死に方をしたのだろうかとぼくは急に心臓が痛み出す感覚を覚えた。ストレスが極度に達するとよく起こる症状だった。
あの部長さんが、まさか誰かに殺されたなんてことは――。いや、一番考えられるのは交通事故だろう。 でも橋田さんの口ぶりからすると、事故を起こした相手が顔見知りとかだろうか。ぼくはいろんな状況で部長さんの死を想像し、やがてそれがいかに汚らわしい想像であるかに思い至ると、自己嫌悪の感情が頭いっぱいに広がり、ぼくのポジティブな思考を残らず砕いていく。こんな非常識なことを想像できるぼくはどうしようもない人間だ。人の死で遊ぶような真似をするなんてやっぱりぼくはまともではない。
それはそれとして葬式には一体どういう格好で行けばいいのか? 就職活動に使っているスーツと靴でも構わないのだろうか? ぼくは着信履歴から辿り橋田さんへ電話をして服装についての確認をし、香典の額についても橋田さんに決めてもらった額を用意するため、うちから一番近い銀行のATMで必要な金額を引き落としてきた。
部長の葬式に行くにあたり気乗りしないことがあった。倉木さんと顔を合わせることができるほどにはまだぼくはあのことから吹っ切れてはいなかった。葬式なんだから黙ってお焼香を済ませ帰ってくればいいだけなのに、どうしても悪い想像をしてしまう。
葬儀場にはすでに橋田さんともう一人ぼくの知らないパートのおばちゃんがいて、社長と店長もいた。あんな形で辞めていった職場の連中と再び顔を合わせるのはやっぱり抵抗があったけど、ぼくはその集団には近づかないで、個人的に親しかった知人としての自分を演じることに決めた。
香典を渡し、親族だろうおばさんに倉木さんとの関係を訊かれ戸惑ったが、そこは素直に元部下だったとだけ答えると、相手のおばさんは必要以上に憂いの表情でぼくに来てくれてありがとうと頭を下げた。
ぼくの予想に反して葬儀場には人の出入りが多く、身を隠したいぼくには都合が良かった。
亡くなった部長さんには申し訳ないけど、これだけの人の中にいつまでもいることが苦しくて、ぼくは早く帰りたい自分を抑えることで精一杯だった。部長さんを偲ぶことを忘れ、襲いかかる対人恐怖の重たい感触に耐えるのに必死だった。気がかりだった焼香もいつの間にか終わらせ、葬儀場を出て行く一般の弔問客の後についてぼくも歩き出した。
ホールの奥に人だかりがあって、そちらに目を向けたら部長さんの子供達がいた。中学生の男の子は以前店に来たことがあったから覚えていた。寄り添うように立っている二人の女の子は高校生と小学生、部長さんに聞いていた二人の娘さんだろう。奥さんとは死別していると聞いていたから、この子達はこれからどうなるんだろうかと、なんとなく想像していた。
親戚に引き取られ、肩身の狭い日々を過ごし、弟と妹の為大学には行かず高卒で働き出す姉。両親を二人とも亡くし、精神的に不安定になり、自らを不幸にさらす妹、悪い連中と付き合い出す弟。
そんな安い想像しかできない自分にまた嫌気がさす。それからがさらにぼくの心根の卑しいところだ。
その三人をぼくが引き取り一人前に育てる、という自分かっこいいなストーリーを脳内で展開し、一人悦に入るのだ。自分の人生すらままならないぼくにどうして他人の子供を三人も背負える力があるというのか。第一ぼくが養子縁組を行える訳がない。現実に照らし合わせると無理なことがすぐに分るのに、ぼくは自分の度を超えた夢想癖に呆れ果ててしまう。他人の人生に目を向け、自分の問題から目を逸らす、いつもの逃避行動をまたやってしまった。自己嫌悪に感情が塞ぎ込み始める。
他人のことを考える時は、自分の中にある問題から目を逸らしたい時。
ぼくが自分自身に、教訓のように唱え続けていて、目まぐるしい世の中の変化に付いていこうと死に物狂いで生活している中で、いつの間にか忘れてしまっていた言葉が、今頭の中に突然浮かび上がってきた。ぼくは今度こそその教訓を忘れないよう、記憶の手前にしっかりと写し取ろうと、何度もその言葉を繰り返していた。