表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/10

 デパートで買った一着一万円で収まったスーツと革靴に、三千円で見つけた鞄には電卓と筆箱。正社員で働いたことのないぼくにはそれくらいの準備しか出来なかった。なにしろ自分がそこで働いている姿を想像することが出来ないのだから。

 一応内勤で採用されたはずなのだが、面接でもいまいち自分の役割が把握できなかったけど、とりあえず服装に関しては二回確認したからそれで間違いはないはずだった。

 それでもぼくはもしこの服装が周りと比べてひとり浮いていたらなんて考えてしまい、また部屋から出られずに出社しようか止めようかと、そわそわしながら狭い部屋を行ったり来たり悩んでいた。

 広告代理店――確かにそう書いてあった。だけど、面接で向かった雑居ビルの三階にはぼくの期待を裏切る光景があった。

 そこは風俗雑誌に載せる広告主を探す営業がメインの、ぼくのような世間知らずが初めて正社員として働くには相応しくないようなところだと思った。けど、そんなところでしかぼくのような人間は雇ってはもらえないという卑屈な感情が相変わらずぼくの心の大部分を占めているのも事実で、何をそんなに自己否定ばかりするのかと自分自身に言ってやりたいが、いやもう何度も言ってるのだけど、ぼくのような社会不適合者は真っ当な仕事をしてはいけないんだ、なんて言葉を投げつけている時間は、ぼくを安心させることも、これまた事実だった。

 目的のビルまで来たはいいけど、足がすくんで動けない。過呼吸のような状態になり、それでもぼくはパニックを起こさずにいられるのは何度も経験済みだからで、たぶん本当のパニック状態ではないのだろう。ぼくの場合は逃避行動の表れがそれなんだと思う。このまま会社へ行っても会社の人達に迷惑かけるだけだと自分を納得させる嘘をつき、向かう先を駅へと変えた。

 帰りの電車の中で次第に冷静になっていく呼吸と精神状態に嫌気がさす。嫌なところから遠ざかるだけですぐに良くなるこの症状を他人に話せばまず間違いなく仮病と一周されるだろう。

 どうやってこれを一般の人に理解できるように話せばいいのか、精神科の先生にならすぐに解ってもらえるのに世間の人にはどうしても怠けにしか受け取って貰えない。

 ぼくは会社の人達を勝手に想像して彼らに頭を下げ、そう言い訳する自分を思い浮かべ精神の安定を図っていた。そしてそんなことを飽きもせず逃げの理由にする自分に見切りをつけてやりたいけど、死ぬことからさえ逃げてしまいたい、本当に臆病者の自分を目の当たりにするために、あの薄暗い独りの部屋に帰ろうとしているだけだった。あの誓いはなんだったのか、引きこもりやニートってこうやってどんどん社会に出て行けないようになっていくのかな、と悲観しても現実はまた後悔するだけの明日を連れてくるだけなのに、ほんのちょっと希望を持つ自分がいるのもまた頭にくる。

 ふと思い立ち、行き先を変え寄り道をしようという気持ちになり、今日から働く予定だった会社に電話をいれ、風邪をひいてしまい欠勤の連絡をするのが遅くなったと嘘をついた。

 すごく怒られ、社会人としての自覚のなさや、無断欠勤がどれだけ会社の人間に迷惑をかけるか等、今までさんざん言われてきた文句を今回も繰り返されるのかと構えていたのが、驚くほどあっさり受け入れられた。明日来られるかを聞かれ返事をすると、社長の合田さんはあっさり電話を切ってしまった。そういう会社だから人の出入りが激しいのだろうと考えた。長く続かず、人が止めていく職場をぼくも何度か経験していた。そういうところで生き残れるのは神経の図太い人間だけで、決まって彼らは性格が大きく歪んでいる変人ばかりだった。ぼくはその変人の一人である、二年前の職場で出会った最悪のおっさんのことを思い出した。

 まだぼくが本格的に精神を病んでしまう前段階にとどめを刺してくれたあの汚く卑怯なおやじ――

 

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ