6
その職場で二ヶ月働いた後、ぼくは正社員になる為に仕事を辞めた。きっかけは同僚のおじいさんとの会話で、いつものごとく説教めいたことを言われたからだった。
いつまでもこんなところで働いていてはいけない、ちゃんとした仕事に就いて嫁を見つけて子供を育てて云々の決まり文句を言われ、それでぼくの気持ちは萎えてしまい、もうこの職場に居たくないと決心が固まると、もう一日でも早く辞めたいという思いで、仕事も手に着かない始末。 結局逃げ出したことに違いはなく、また一からのスタートになってしまった。
そして今、ぼくはハローワークに来ている。求人の閲覧時間をオーバーしていることを知らせる文字が画面上に流れているけど、隣の人も、その隣の人も席を立とうとはしていない。ぼくはそのことに罪悪感を覚えながらも閲覧を止めなかった。四十分粘って二件選び紹介状を貰うために窓口に並んだ。
ハローワークに来たのは一年前ぶりだった。去年の今頃も同じように真っ当な人生を送ろうと意気込み好みの求人が見つからず挫折したことを思い出すと、たった一年で事態がいい方向に転んでいると考える方がどうかしている。去年も今年も相変わらず不況という言葉が世間では飛び交っているではないか。そんな中どうしてぼくの周りだけが都合のいいようになるだろうか。楽天的すぎる気がする。これも甘えの一種なのだろうか。
結局ハローワークでは一件の紹介状しか貰えなかった。条件のいい求人には応募者が多数で、ぼくはそれだけで気落ちしてしまった。職員のおじさんもぼくの経歴を見て勧めようとはしなかったし、もう一件の方はぼくを含めて三人しか応募してなかったから、これならぼくにだって望みがありそうだと考えていた。
でも、自分の部屋で一人になるとどうしても自信が失われてくる。ぼくは争うことが苦手だから、そういうだれかと一つのイスを奪い合うそうなことに自分が関わっているんだと思うとすぐにそこから居なくなってしまいたくなる。争うくらいならそのイスを誰かに譲った方がましだという考えに気持ちが向かってしまう。
この考えをそのままにしておくと、いつものパターンだと面接自体をぶっちぎるだろう。それでは何も成長していないことになる。バイトすら長続きしないこの状況で、と思うと嫌になるけど、ぼくはまだ人生をあきらめたわけではない。駄目ならまたやり直せばいいことだ。やり直すといっても人生の経験がゼロになるわけはないから、多少前とは考え方の方向性も違っているはずだ。
そう、ちょっとづつの前進。実感できるほどの前進ではないけど、諦めなければぼくは前に向かっているはずだ、と自分を奮い立たせ、履歴書を埋めようと必死に頭をひねらせていた。
面接では相変わらずの口ごもり具合で、何度繰り返しても面接に慣れるということはなかった。顔を引きつらせながら面接官の質問に答えていた自分を思い返すと妙な自責を覚えてしまう。でも自分を責める理由など一つもないことは理屈では理解できている分以前よりは後悔は少ない。
そして一週間後採用の連絡を受ける。入社までの一週間という準備期間でぼくは目一杯の悪い想像をし、初出勤の日が来るのをこの夜の終わりが来ることのように恐れ、治まりつつあった睡眠障害がぶり返してきた。その間外出するのが怖くなり、仕事に必要な物を揃える為以外には買い物もしない日々を送っていた。
そして初出社の日、ぼくは前日までひたすら練習していたネクタイの結び方をうまく出来なくて、ぎりぎりまで部屋から出ることが出来なかった。
後にして思えば、それはぼくがいかに出社したくないかが分かる行為だったかが窺える。ネクタイをうまく結べてしまえばぼくは会社に行かなくてはならないから、無意識にネクタイをうまく結ばなかっただけのことなんだ。
でも、それが理解できるようになるにはそれからさらに苦しみの日々を過ごした後のことなのだけれど。