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世の中は不況というけれど、ぼくみたいな若者は労働力としては、それなりに使い道があるらしく、それほど間を開けることなく次のアルバイト先が見つかった。
もちろん楽な仕事ではなかったが、人生をやり直したいと決意したぼくにとっては働く場所はどこでもよかった。必要ならば泊まりがけの仕事でも、経験を積むという名目でやるだけやってみる覚悟も持ったから。
今度の職場はビジネスホテルの夜勤業務で、間に仮眠の時間が三時間あり、深夜の時間帯は客の出入りはほとんどないから、対人関係の苦手なぼくでもなんとかやれそうだと思い面接を受けた。
夜勤は定年退職した男性が四人いて、一人が今月末で辞めるから、その穴埋めでぼくが入れらたことを後から知った。面接をした日に働くことが決定したので、早急に次を探していたのだろう。
深夜のカウンターで元郵便局員のおじいさんと二人っきりになる。おじいさんは細かい指示をしてはくれず、すぐに仮眠室へ籠もってしまった。一人でカウンターからロビーを通してエレベーターをぼんやりと見ていると、いきなり扉が開いて中からゾンビが出てきて、ホテル内はパニックになって、客や従業員が無差別に喰い殺されていくなんて妄想をしている自分に気がつき、またかと反省する。
ぼくは何か嫌なことから逃げたいと思う時には、決まってあり得ない出来事を妄想してしまう癖があった。大抵はしたくない事から必然的に逃げてもいいという展開を作り上げるのだけど、それはあまりにも極端な出来事ばかりを想像してしまうことに、問題の根があると感じるのだった。
例えば、働いている職場に強盗がやってきて仕事どころではなくなるとか、ぼくが突然誰かに銃で撃たれ、病院に運ばれ命は取り留めたけどしばらくは職場復帰は無理で、堂々と仕事をしなくてもいい状況になるとかの、本当に子供じみた空想をしてしまう。
それは子供の頃から続いている悪習みたいなもので、そういう妄想に浸っているときによくミスを犯し、さらにその場に居づらくなり、早く帰りたいと焦る気持ちが余計に妄想を強くするといった具合だった。
その日もまだ半分の時間も経たないうちからその場にいるのが嫌になり、どうにかして早く帰れないものかと、いつの間にか妄想に浸っているぼくに、おじいさんが交代にやってきて、ぼくは仮眠室に着いたはいいけど、ベッドは汚く、毛布だってあのおじいさんのぬくもりが残っていて、線香みたいな臭いに混じって加齢臭までしていたから、とても眠れるような環境じゃなかった。
仕方ないから、備え付けのイスに腰掛けた状態のまま眠ることにした。こんな仕事するんじゃなかった。人に会わなくていいけど、環境が良くない。自分には合わない。もっとちゃんとした職場じゃないと長くは続けられない。
そう考えがいつものごとく向かう先を見つけているのを、ぼくは強引に別の流れへと向かわせるべく、働きたくない思考へ移行している自分をはっきりと意識するのだった。
どこで働いたって不自由なことはある。今までがそうだっただろう。それでも長く続けられた職場だってあったはず。思い出せ。その職場だって、嫌なことはあった。これはいつものことなんだ。特別な事じゃない。大丈夫、慣れたらそんなには苦にならなくなる。今までの経験で学んだことじゃないか、せめてあと一週間やってみよう。
幼い自分に言い聞かせる、少しだけ大人になった自分を想像しながら、ぼくはぼくの中にある幼児性と向き合い、優しく諭してやる行為を繰り返していた。
一日働くだけでこれだけ自分に気を遣わなければ、そこに居ることすら困難になってしまうぼくは、間違いなくなんかの病気なんだと思えてならない。
でも、少しづつやっていくしかない。どれだけの時間を必要とすれば、普通を手にすることが出来るのか分からないけど、一年でも、二年でも、いや五年、十年、それ以上でもぼくはそうやって、自分の再教育を続けていく覚悟をしたはずだったのに、またすぐに忘れてしまうので、やっぱり紙に書いて貼っておくかな、と自分の覚悟の程度に恥ずかしくなってしまうのだった。