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何度面接を経験しても、自分のことを品定めしている面接官の目には慣れることはなく、ぼくは数え切れないほど、あの息苦しさを乗り越えてきたのに未だに成長していないことをひどく恥じていた。どうやれば人間性に良い変化がもたらされるのだろうか、というのが当面のぼくの課題の一つになっていた。
葬式からすでに三ヶ月が経っていて、あの時沸いてきた決意に乗っかるようにぼくはいろんな職種の面接を受けた結果、今ホームセンターの店員として働いている。まだ品出しがメインで指示されたことしかできないけど、以前のようにそれで自分を卑下したり、悲観的な考えに落ちないように自分に気を遣いながら、丁寧に毎日を生きていた。
それはとても神経を疲労させることだったけど、今現在のところぼくの精神状態はそう悪くはなかった。職場の人間関係も今のところ良好で、ぼくの周りはみんな年上の主婦パートさんばかりだったから、みんなぼくによくしてくれ、ぼくの方でも同年代の子等よりも年上の方が気が楽だということもあって、仕事に行くのはそれほど苦にはならなかった。
どこへ行ってもそうだけど、やっぱりその仕事を長く続けられるかは人間関係に掛っていると実感する。この職場ならきっと長く続けられる、とぼくは仕事のことにも意欲的な態度を持てるようにもなってきた。前向きに生きているという手応えが最近のぼくにはあった。
そろそろぼくは凡人としての普通を手に入れる覚悟をしてもいい頃だと考え始めた。満足のいく幼少期ではなかったことからどうしても成功者としての未来ばかりを望んでしまうことは、余りにも自分の力量を弁えていないし、現実的でもない。どこかの会社の一社員としての人生を真剣に考えるべきだ。
ぼくは今度こそとハローワークへ向かうことを決めたが、やっぱり求人を見ているとどれも今ひとつという感想しか出てこない。時期が悪いといえばそうなのだけど、どうしてもそこで働いている自分が想像できないのだ。まだ覚悟が足りないのかな。
ハローワークを出て、その日の午後一人で街に飲みに出かけることにした。人恋しくなったというのが本当のところなのだけど、本気で人生を歩むための景気づけという自分の中で名目立てをし焼き鳥屋へ入った。
何かの団体客が座敷を占めていて、ぼくはカウンターに座らされた。静かな店じゃなかったことでぼくは集団の中で自分の存在が消えていることに安心して飲み食いに集中することができた。対人恐怖とまではいかないけど、人気の多いところで過剰に緊張するぼくにとっては、これも訓練のうちだった。
座敷で飲んでいた客はどこかの劇団員らしく、その中で一人年の離れたおっさんがぼくに近づいてきて、演劇について語り始め、ぼくも酔っていたから普段よりも調子よくおっさんの話を聞いてあげていたら、どうやら気に入られたらしくおっさんに劇団の公演チケットをもらった。今週の金曜日にあるらしい。聞いたこともない会場だった。絶対行きますと適当な返事をしてぼくは意気揚々と店を出た。
知らない人とこんなにも上機嫌に話ができる自分が、まだ捨てたものじゃないと思えるほど、自分自身を好きになれそうな夜だった。
誠に勝手ながら一旦ここで終了させていただきます。
次は来年あたりの再開を考えています。
ここまで読んでいただいてありがとうございました。