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私の幸せな光景

作者: stenn

よろしくお願いいたします

めぐまれた少年少女は今日も不幸顔




 ――幸せになりたかっただけだった。



 この大陸の中心に在る国。『デアリス』には『聖王』が居るという。別名神に愛された子供。子供の頃から何不住なく育ち、愛されて。なんて、羨ましい。聞けば、私と同じ年なのだと誰かが言っていた。


 私も……いや。せめて弟だけでもそうであって欲しかった。



 北にある私の国は貧しい――いや。戦争ばかりして民には何も周らない国だった。戦況が激しくなると民からはすべて奪いつくし、何も残っていない。おまけにその年は食べていくのがやっとで大量の餓死者を出していた。もちろん子供などに食わせる余裕なんて何処にも無く、街道には子供が座って死んでいる事も多々在ることである。ただ。それだけなら幸せな方で。売られる子供も少なくは無い。そのほとんどが行方不明で、行方が分かっている子供は兵士として何の訓練も無いままに前線へ送られたと聞いた。


 怖い。


 毎日が生きるか死ぬか。食べる事が出来る物は何だって食べたと、思う。それこそ人間以外は――。私も道端に棄てられた子供の一人で、弟と二人。見を寄せ合って暮らしていた。


 弟が病気に掛かるまでは。


 隣の国は美しくて平和なのだという。飢えることもなくて、幸せで。


 ただ。


 『資格』が無ければ何人も入ることは許されはしない。その資格が何なのか分からないまま向かった人々は帰ってくることはなかった。辛うじて帰った人の話に寄れば奈落に落ちていったとか何とか。


 どうせ死ぬのであれば――。



 ある雪の日。私たちは国境に向かった。





「お姉ちゃん」


 目を開ければ豪華な部屋に寝かされていた。豪華――だと思う。板を打ち付けられたような壁なんて無くて。綺麗に緑の壁紙が貼られている。埃っぽいことも、悪臭が漂う事もしない。窓を見れば傷一つない硝子が輝いていた。


 その向こうには荒んだ光景などなくて。死んだ目の人間など歩いていなくて。幸せそうに鳥が鳴いているのが聞こえてくる。


 何なら見たことも無い花まである。


(え。死んだの? 死んだのかな。私)


 私が覚えているのは、国境沿い。暗い森の中。さすがに正規の街道には行けなくて。兵士や大人にむ見つかれば何が在るか分からないし。なので夜の闇に紛れて国境に来ていた。弟は相変わらず死んでいるのかいないのか私の背中でぐったりしていたのだけれど。


 雪があんなに肩に積もってたのに。


 小さな身体は刻々と冷たくなっていったのに。


「お姉ちゃん」


 声に私は顔を上げていた。


 私の腰に巻き付くのは小さな腕だ。金色の細くて柔らかそうな髪がフワフワと揺れている。汚れなど無くて。くすんでなどなくて。その白い手にも泥なんて付いていない。それはまるで別人かと思う程。


 顔を上げる小さな少年――弟のシュガーは宝石を溶かしたような緑の双眸で見つめる。その大きな目には涙が溜まっており、瞬きをする間にぽとりと衣服を濡らした。


 天国なのに、何を泣くことが在るのかなぁ。


「……シュガー?」


「ひっく。もう二度と起きないかと思った……みんなと、同じように死んじゃうんじゃないか、って」


 (そ、か。此処が天国だって気づいていないんだ)


 実際の所。私とシュガーは双子。早く生まれただけの姉であるが、シュガーは私よりも幾分幼く見えたし、言動も私の方が大人びていた。で在るので、並んでいれば二、三才程歳の離れた姉弟に見えるだろう。


 私はシュガーを宥めるようにフワフワの髪の毛を撫でる。湿っぽくもないし、張り付くこともない。さらりと自身の頬に落ちる髪も乾いていて、金色に輝いている。こんな色だったんだと、心の隅で何処か感心していた。


 この部屋も、何もかもまるでお姫様になったかのような気分でなんだか嬉しくてフワフワする。


 それでも小さい頃から厳しい顔しかしてないから、私の表情筋はほぼ死んでるんだけどね。その代わり、私の分まで弟が笑ったり、泣いたりしてくれるから別に何も感じてないし。


「姉ちゃんは、もう死なないよ。だって、ここは天国なんでしょ? 二人で一緒に幸せに暮らそう。ここではきっと飢えることもないし。ずっと遊んでいられるよ」


 もうお腹が空くことも喉が乾くこともない。


 大人になることもない。――いや。別に大人なんてなりたいなんて思わないけど、あんな大人になるのは嫌だったし。


 でも。シュガーが幸せになるところを見ることが出来なかったのは残念だと思う。どのみち。あんな世界で幸せになるなんて無理だ――。


 ってなんで不思議そうに。大きく見開いた緑の双眸からポロリと大粒の涙が落ちる。


 首を捻り、考えていたらお腹が盛大に鳴った。


 ……は?


「お姉ちゃん。違うよ? ここはデアリスの病院だよ? あのね、聖王様が助けてくれたんだ」




 神の降りる国――聖国デアリス。世界で尤も古い国の一つで、建国以来何処にも侵略されたことの無い美しい国。国民のほとんどは神に使える『神官』であり、それを纏めるのは他国で『国王』と呼ばれる地位にある『聖王』であった。


 聖王は現在齢――六歳。アドラー・フローリス。


 世界で尤も羨ましい子供の一人である。


 ――その人がなぜ私達を救ったのかはよく分からない。兎も角として私たちはその聖王に六年ほど会うことは無かった。




 私たちは孤児としてではなく、政府で裁判の書記官をしているユーレリア・ハーバリストと呼ばれる人に引き取られる事になった。この国にも残念ながら孤児はいて、普通孤児院に送られる筈だったところを申し出てくれたらしい。理由は単純で、義母の目が私たちの目によく似た緑だったから。と聞いた。


 初めてできた家族。弟は持ち前の人懐っこさで溶け込んでいたが私が溶け込むのは少しだけ時間を要したように思う。がさつでマナー一つ知らない私たちに、優しく、根気強く。時には叱って、泣いて。完璧な親と言うものがどういうのか私には分からない。けれど私たちには十二分すぎるほど良い親だと思う。大体私たちを引き取ってくれたのだから。本当は感謝しかないし。


 ……偶に。うざい所も在るけど。


 そんな中で六年目を迎えた夏――。


 私の国があっさりと滅んだんだ。




 私はぼんやりと空を眺めていた。


 この国の子供たちはすべからく『学校』というものに通う。皆が学ぶ木造校舎。その裏手にある小さな庭はいつだって私の退避所だった。なにから――もちろん。授業から。サボりの常習犯。授業が嫌いなわけではない。


 ただ……私には居場所が無かったし、馴染めなかった。他国から来たことがへ問題ではないだろうとは思う。弟の周りには常に人で溢れているから。


 なんでだろう。容姿は弟と同じ。私たちは双子なのに。そのことについて相談してみたら、


 『姉さまはそのままで良いんですよ? ずっと僕だけの姉さまで居てください』


 などと明後日の方向で返答。答えにならないし、参考にもならないのでそれから聞いていない。溜息一つ。視界の隅で走る物を見つけてほとんど私は条件反射でそれを捉えていた。


 トカゲである。小さくて細い。


「うーん。まずそう。でも、乾燥したら保存食には……」


「やめなさい。いい加減にしてくださいって、ご両親にもこないだ泣きつかれていなかったけ?」


 何処か澄んだ声に顔を上げると一人の少年が立っていた。


 灰色の目と黒い髪。くっきりとした目鼻立ちの少年で、この年なのに美形の片鱗を伺わせている。モテるだろうなとは思えと揺らぐことは無かった。キラキラしている弟の方が何処か派手な顔立ちをしているから慣れている。ちなみに弟と瓜二つの私だけれど、陰鬱な雰囲気を纏っているためか暗い図書館の隅で本を読み漁っているような少女風だ。


 弟が太陽なら私は影なんだよね。


 この人は……風のような人、かなぁ。


「エッジ……」


 エッジは私の唯一と言っていい友達と言うか――知り合いだ。この学校に入った当初からここに居る私に話しかけてくれる。一つ上の少年であった。話し相手、というか愚痴を吐き出す相手でである。


 そう言えば――お母様に泣きつかれて、保存食すべて棄てられたのを愚痴ったんだっけ?


「やぁ。シャロン。シュガーが君を探していたけど良いのかな?」


 この場所は弟も知らない。ただ一人だけの場所。エッジが来たのは誤算だけれど、愚痴を聞いてもらっているからいいや。


 弟とエッジのおかげて学校生活は寂しくないものになっている。それだけは有難かった。


 トカゲを放すとよほど嫌だったのか素早く叢の奥に消えていくのを見ながら私は口を開く。


「うーん。最近あの子怖いから。目が……神学科って人の心を改造したりするの? 神さま、怖い」


 この学校は普通科と神学科に分かれている。私は普通科であるのだけれど、弟は神学科に進んでいた。この国の人口。三分の二が神官で在り、その神官を育てるための課程だ。


 義母が神官なので恩に報いるためなのだろうけれど、私はどうしても分からない。


 いない(・・・)ものの為に使えることが。神さまなんて、いない。願った所でお腹は空くし、誰かが助けてくれる訳でもない。


 目に映る光景は今でも脳裏に焼き付いている。冷たい世界も、痛む肌の管変えさえも。


 そう言えば私たちの国も――滅んだけど――神さまを掲げてなかったっけ。


「……神さま嫌い?」


 エッジは私の隣に腰を掛けていた。微かに香るのは花の匂いだろうか。作られたような人口の代わりでなく、優しくて綻ぶような香りだった。


 ふわりと黒い髪が風に揺れている。その横顔は何処か遠くを見ているようだった。


「私は、信じていないっていう話。エッジにもこの国の人たちにも義母様にも悪いけどさ」


 宗教が中心になっている国で、ほとんどの国民が信者。私は異端なのだろう。この国の神さまの名前だってすぐに忘れてしまう。


「僕も嫌いだから気にすることは無いよ」


「――は?」


 何言っているんだろう。神学科の生徒は神官になるためにいるのではないだろうか。それってつまり、神さまをほ信じる……在る。という前提だと思うのだけれど。


 私が不思議そうに見ると『うん』と納得したように声をエッジは上げる。


「嫌いみたいだ」


「――えっと、なぜ?」


「ここに、いること(・・・・)を知っているから」


 ……このことについてはなんだか触れないほうが良い気がした。エッジの信奉者――男女問わずモテるらしい――が聞いたら惚れ直すのだろうか。何しろ神さまを信じる国であるし。ちなみに私は『あ、そう、なんだ』となるべく引き気味で答えるしかない。


 ひ、人が見えているものはそれぞれだし。


 そう言えば昔祖国にいたころ、『薬』を吸って塵と話していた人が居たなぁ。でも、エッジが悪いものを摂取しているという感じはなさそうだ。


 品行方正。肌は健康的で、声にも張りがある。目は輝いているし。今日も元気そう。その目は胡乱気に私を見ているけど。


 そうだよね。仮にも神官候補なのだし、どう見ても神官らしく、清廉潔白が服を着て歩いているようだった。


 悪い事など一つも知らないし、した事もない。そんな顔で。


「何か失礼な事を考えている気がするのだけれど?」


「え、全然?」


 ふぅん。と小さな溜息交じりの声。全く持って信用など皆無だった。


 一拍おいて声が響く。


「――まぁシュガーが何を考えているのか知らないけど、神官になれば『力』も与えられるし。それではない?」


 そう言えばそんな事を言っていたような。


「うん」


 じっと何かが擦れるような音が響いて、エッジを見るとその手から淡い小さな光がフワフワと浮いている。まるでタンポポの冠毛のような可愛らしさであった。


 それをふうっとエッジが口を寄せて息を吹きかけるとパラパラと世界に溶けて消えていく。それはとても不思議でとても美しい光景のように思えた。


 目をまん丸くしている私にエッジは柔らかく笑いかける。


「このようにね」


「それが神さまの力?」


 神官になればすべからく『力』が神さまより与えられるらしい。神さまの力の一端を使える奇跡の力。例えば炎を起こしたり、水を作りだしたり――他国にはほとんど類を見ない力で在った。


 その力を持ってこの国は建国以来一度も侵略されたことも無いらしく、平和で豊な世界を保っていると聞いた。


 その代わり――他国との国交は一切ない。それが良い事か悪い事かは分からないけれど、人々はとても幸せそうに見える。


 私はその残滓をぼんやりと眺めていた。そこには柔らかな風が吹いているだけだというのに。


「基本神官は誓約を掛けられているから治癒しか使えないけれどね。僕でもここ迄しか使えないんだよ」


「へぇ。ね。また見せてくれるかな?」


 ぱっと振り向いた私に少し驚いたような表情をアドラーは浮かべてみせた。すぐに目を細めて、照れ臭そうに笑う。それはいつもより少年らしい可愛らしいものに見える。


「もちろん」


 未だ声は細く高く。嬉しそうな声が空に響いていた。




 春が過ぎて、夏が来て。又はるが来る。この国の学校は十二年生で、私はそろそろ来年に卒業を控えていた。なんだかんだで進級すれば普通に友人は出来て何となく忙しい毎日を過ごしている。後者の裏に焚かなくなったのはいつ頃からだろう。


 エッジにも会わなくなって一体どれほどになるだろうか。シュガーによればエッジは学年トップで卒業して神官に就職したのだとか。しかも神官とは言えど政府機関に雇われる上級神官として。凄いね。友達として鼻高々である。


 そして私は、期末で絶望しているわけだけれども。


「どうすんだよ。姉さま。留年とか母様たち泣くぞ? というか、まともに就職できるのかよ? 文官として働きたいなら、無理だけど? 無理」


 広い教室の中で私は自身の机に突っ伏して泣いていた。その机に態度悪く座るのは弟シュガー。長い脚が腹立つ。そして成長して、無駄にキラキラが増しているし。さすが学園の王子様連続三年優勝してない。


 私は相変わらずできた弟の影になって誰も見てやしないわ。私はシュガーが持っているテスト用紙を奪い返していた。


「ぐぅううう。なら、下働きとか募集してない?」


「志ひくぅ」


 盛大に言われて睨みつけた。悔しい。もっと悔しいのは勉強が出来ない事だけど。


「シュガー様は決まっているから良いじゃないですか。ね、シャロ。別に就職先国で無くとも……倍率高いし」


 そう宥めるようにい言うのは友達になってくれた天使ユリアだ。ユリア・アンバー。茶色の目とフワフワの赤髪。おっとりとした可愛らしい子である。彼女がいてくれたおかげで他の子達が話しかけてくるようになった。


 天使である。


「でも」


「姉さまは、助けてくれた『聖王』に会いたいんだよ」


「助けてくれたお礼を言おうと思ってて。あと、どうして助けてくれたのかも。それで私が出来ることはしたいと思って」


 それに。やっぱり私の友達に会いたいし。それを口に出せないのはなぜだか分からない。


 そう言えば、後で知ったことだけれど、この国は他国の人間を許可なしでは絶対に入れることはない。たとえ人が死にかけていても、だ。そこに抜け道などなく、強い力で結界が貼られていると聞いた。


「同じ年代だから可哀相に思った、とかかなぁ?」


「ないだろ? あの当時俺たちの他にもガキどもは『理想郷』と信じて国境に向かったんだ。それなら、他にも助かったガキが居るはずだしな」


「……そうだね」


 孤児院にも当たってみたがそんな人間は居ないと言っていた。つまり助けられたのは私たちのみだ。助けてもらったことは有難いし嬉しい。だけれど心に強い引っかかりを覚えている。それは多分一生取れないのだろと確信していた。


 きゅうと拳を握ったのをシュガーは気付いたようだが見ないお様に視線を逸らす。それをユリアが気付くことはない。


「そう言えば、聖王様。今年で成人を迎えるはずだから今度の『聖者祭』に出るみたいだぜ」


「ああ。そっか。今まで公式には顔出さなかったから。成人になれば出すのか」


 そう言ったのはユリア。


 聖者祭。この国は神に作られた国だと言われている。神は数百年単位で人間に生まれ変わり人々の素行を見て国の行く末を決めるとか決めないとか。ちなみに前回の聖者が死んで三百年。新たな聖者は生まれはしていない為、その復活を願う祭りで在った。


 今や新製品発表大会になっている気もするが。少しではあるが外国の商人も居たりするので珍しいものも一杯だ。考えるだけでわくわくする。


「今年はどんなお菓子が出るか楽しみだね?」


 ふふと甘いものに目が無いユリアが笑う。去年も一緒だったので今年も一緒だろう。それはとても幸せだ。


「私は新しい燻製機械とかかなぁ。保存食の開発は楽しいし。シュガーは?」


 うーんと考えてシュガーは自身の手に付けられているブレスレットを見た。控えめなデザインで小さな宝石が付いている。それほど力が無い神官はこうして常日頃から力を蓄えていくのだと言う。


 あのエッジみたいなことが出来ないのは少し寂しかったが仕方ない。


「俺は新しいこれとかかな。力を貯めるのに良いから」


 しかしながら三人ともすがすがしい程、色気が無いことが少し悲しい。私は置いておいて、シュガーはより取り見取り。ユリアだって可愛い方だと思うのに。


 そんな事を考えていれば、がたんと音がして競うように教室から出ていく女子と一部男子。あれは常に耳を欹てている人たちだ――。何となく嫌な予感に顔が引きつる。


 そんな事は、ない。そんな事は無いはずだと――。


 思いたかったが実家にブレスレットが数日にいくつも届いたのは言うまでも無かった。高そうな物ばかり。それをほくほく顔で換金したのはシュガー自身だ。普段は隠しているが、基本……守銭奴だから。神官候補の癖に。


 ……鬼かな?


 そしてなぜか隠していた成績もバレたという悲しき事実がそこにあった。




 暗い世界に一つ、二つ。ランタンの明かりが灯っていく。赤く柔らかな光はあらゆるところに吊るされて、幻想的な雰囲気に老若男女問わず誰もが浮足立っているように見えた。


 大神殿まで続く大通り。その脇には夜市が並び、食べ物から雑貨まで在りとあらゆるものが並んでいた。そのためにただでさえ人で込み合っている大通りはさらに人手混雑している。


 緩やかな坂道の奥。白亜の大神殿が静かに聳え立っているのが見えた。


「今年は人多くない?」


 とんと、子供がぶつかりながら走っていくのを見送りながら、私は手に持っていた巨大な苺を落とさない様に死守していた。


 一年に一回。祭りでしか買えない他国の苺。しかも高いから泣いてしまう。


「まぁ、聖王様のお目見えだからじゃない? あ、かっこいいかなぁ?」


 そう言うのはクレープに齧りついているユリアだ。その横でシュガーは何くわない顔でジュースを飲んでいた。やはり無駄にキラキラしているために誰もが振り向いてくる。慣れているのかやはり本人は気にも留めていない。


「俺はブサイクで在ることを祈るよ。良い地位に、俺より良い貌なんて許せないからな」


 笑顔が怖い。というか、顔の良さは自覚が在ったんだ。そのシュガーを胡乱な双眸でユリアが見つめた。


 齢十七年と少し。私はシュガーよりキラキラした派手な顔を見たことない。


 溜息一つ。


「……シュガー様は言わない方がいいと思うわ。そんな顔、そうそう居てたまるもんですか」


「ユリアは嫌い?」


「つ――こっち見ないでください」


 ユリア曰くようやく慣れたらしいが。それでも不意打ちは良くないらしい。揶揄うようにして近づいた顔に目を逸らしつつ、ペチンと掌でシュガーの額を叩いた。それにシュガーは楽しそうに笑う。取り巻きに見せる様な笑顔ではなく、ごく自然な笑顔で良い雰囲気を感じたのは気のせいではないだろう。


 ――ふぅん?


 なんだかくすぐったいものを感じて笑顔になってしまう。同時に大人になったのだと感慨深いものを覚えた。


 私たちは大人と言うものになれないと思っていたから。


「な、なに? 笑顔? って視線が気持ち悪いよ。シャロ」


「ふふふ。何でもないよ? そんなことより、早く神殿へ――」


 言葉を遮るように見覚えの在る光が舞う。綿毛のような光の固まりはフワフワと辺りを舞って消えていく。温かで柔らかな美しい光だ。掌に乗せれば音もなく、温度もなくゆっくりと消える。まるで命を終えるかのように。


 『また見せてくれる?』『もちろん』


 そんな小さな私たちの会話が聞こえてくるような気がした。脳裏に浮かぶのは空に映える黒い髪。灰色の目は銀色にも見える。


 私はぽつりと呟いていた。


「――エッジ?」


 行かないと。


 光は一定の方向から流れてきたように見えた。まるで私を呼んでいるように。


「え? シャロ?」


 止める声を聞くこともなく私は小走りに歩き出していた。




  フワフワと光り消えていく綿毛の光は、街を抜けて、大神殿の裏手迄続いていた。所々に在るのは崩れ落ちた遺跡。この国の旧市街で今は公園として活用されているところで在った。皆が祭りに繰り出しているためか人の姿は疎ら。暗い世界を淡くランプが照らし出している。


 旧市街は山を開墾し作られているため、今の街が一望できるところにある。見下ろす街はいつもより淡く輝いているように見えた。まるでそう――地に輝く星のように。


 何処か花の甘い香りを含んだ風。それがふわりと頬を撫でて消えていく。


 一人の青年が街を見下ろすように立っていた。花弁を開くようにゆっくりと開いた手から淡い光が零れ落ちては街に溶けるように消えていく。それはどことなく死者を弔っているように見えたのは気のせいだろうか。その横顔には表情一つ浮かんでいないというのに。


 暫く見つめていると、ふと気付いたように灰色の――いや、自ら輝く様な銀色の双眸が私を捉えていた。黒い髪がふわりと揺れて光はパッと霧散する。それがどことなく勿体なく、申し訳なく感じた。


 白いローブが暗闇によく映える。その服は質素ではあったが、胸に神官の象徴である金属製の紋章を付けている。


 青年は無表情のままで何の感慨もなく私を見つめた。まるで知らない人のように――であるので私はどうしていいのか、たじろぐしかない。


 やはり別人なのだろうか。そんな疑念が過る。だって奇麗すぎるのだ。何もかも。元々エッジは綺麗な少年ではあったが完璧な物ではない。どこかに不完全な人間らしさを残していたけれど、目の前の青年はどうだろうか。


 まるで『創られた物』の様に完璧なものに見えた。こんな人間存在するのか。そう思うほどに。


 私がごくりと息を飲んだと同時だったか、すっとその双眸に違う光が宿るのが見えた。まるで『何かが入れ替わった』かのように。


 瞬きを繰り返す目はぱちぱちと長い睫が音を立てているような気がした。


「エッジ?」


「シャロン? シャロン・ハーバリスト?」


 なぜフルネームなのか分からないが、否定することもなく、私の名を呼んでいた。低い声。子供のような高く、涼やかな声は何処にもない。


 それが少しだけ寂しい気がしたが、そんな事より会えたことが嬉しかった。


 本当は――本当は抱きしめたいぐらい嬉しいのではあるが、痴女ではないので、そんな事はしない。

けれど、『うん――』と肯定する間もなく、私の身体は抱きすくめられていた。


 どれだけ外にいたのだろう。この季節はそこまで寒くないはずなのに、エッジの身体は冷え切っている。指は氷のよう。けれど胸に押し付けられた私の耳は強く鳴る心臓の音を捉えていた。


「えっと、久しぶり? 元気だった?」


「寂しかった」


 昔はここ迄感情を露にすることは無かったのだけれど――。


 そんなに神殿は厳しいのだろうか。社会に出るのが些か怖くなりつつ、エッジの心臓の音を聞いていたが漸く落ち着いたようで私を離してくれた。


 ふぅと息をつかせて落ち着かせているエッジは近くのベンチに私を促してから少し開けて自身も座った。


 少し落ち込んでいるのは『やらかした』と言うことが分かっている為かも知れない。


「ごめん……ちよっと、最近気に病むことが多くて。それに会えたことが嬉しくて、ちよっと箍が外れた」


「はははは。大丈夫だよ。気にしてないから。そんなことより、仕事大変そうだね?」


「……うん、まぁね」


 苦々しそうな笑顔を浮かべるとエッジは街に目を落とした。


 一拍おいて、『そっちは如何しているの?』と訪ねられたので、私は近状を簡単に話していた。友達が出来たこと。試験の点数が悪い事。


 聖王に会いたいこと。


「感謝してるの?」


「……当然でしょう? 助けれくれたんだから」


「きっと、意味なんて無いのに?」


 少しだけ硬い声に聞こえた。灰色の双眸が無銀に輝いて私を見つめる。言い切る言葉は何処か確信を持っているようで、そんなものに会う必要はないと言っているようにも思えた。


「良いんだよ。意味は無くたって。私がそう思ってるだけだし。……エッジは聖王様『も』嫌いなの?」


 神さまが嫌い。


 聖王さまも払い。


 よく考えたら――いや考えなくても神官に向いていない。ここ迄来るとどうして神官になったんだろうか。本当に。


 いつか壊れる気がした。


「エッジはどうして神官になったの?」


「それ以外に道が無いから。僕はその他の道を選ぶことが出来ない」


 その横顔は何処か寂しそうに見えた。


「どうして、そう思ったの?」


 職業選択は誰だってしている。ただ神官になればそれ以外になることは出来ないだけで。きっとシュガーも神官になってしまえは辞めることは出来ない。だからと言って何の関係性も壊れないし、あのシュガーが『嫌だ』と思えばどんな困難でも破って逃げそうな気がする。


 実際脱走する神官は居るらしいし。


 あ。


「僕は」


「ね。じゃあ、我慢できなくなったら私と逃げようか?」


 大きな目が見開いて私を見る。それはまるで子供の頃のようで何処か懐かしい。私は悪戯っぽい笑みを浮かべるとパンと手を合わせて話す。


「友達なのに、見捨てられないし。私、頑張って就職するから。エッジの近くに就職して話し相手になるし、それでもダメなら、逃げよう? 私は野宿得意だし。なんでも出来るよ?」


 妄想ではなんかの商売をして暮らしているところまで行ってしまった。それは順風満帆。いい考えのように思えた。きっと現実なんて後から付いてくるものだ。


 ふんすとどや顔で息をして見れば、ぷっとエッジは噴き出してみせた。


「僕が、シュガーに殺されるよ。それ――でも。少し元気が、出たかな。嘘でも嬉しいよ」


「そう? 別に私は本気だけれど」


 なんでシュガーが?


 私は肩を竦めると、エッジはゆっくりと立ち上がって掌を空中に翳す。その手からは光が溢れて風に乗って消えていく。まるで星のように。


 世界は輝いていた。


 私は歓喜の息を漏らす。


「私ね。本当に良かったと思ってるの。だから、聖王様に言うんだ。シュガーを生かしてくれてありがとうって。エッジに会わせてくれてありがとうって」


「うん。きっと届くよ」


 ――もう行かないと。


 エッジは静かに言った。次にいつ会えるのかも言わないまま『さようなら』と。手を降って。それはなぜか小さくて。消えてしまいそうだったが私が手を伸ばすのは叶わなかった。




 あれから怒り狂ったシュガーとユリアに捕獲され。あれは本気で捕獲だった。いきなり布でぐるぐる巻きにされて、私は人さらいと思ったくらいだ。こんな時に昔の経験を生かさなくともと思う。こちとら被害者の側だけれど。さらに手慣れていたのが怖い。ユリアも得意げで……なに。この人たち怖いと思った。


 そのまま自宅に連行されるかと思ったが、聖王様だけは見せて欲しいと懇願したところ、それは受け入れられた。



 りん。と鈴の音が響いて、葬列が歩く。葬列を見送る人々は手に小さな炎が灯った蝋燭を持ち、彼らを見送る。その中心にいるのは、『今年の聖者』所謂、今年の顔であった。何とも言えない荘厳な雰囲気の中、足を進める先はこの国の中心に在る大神殿。人々に見送られ行きつく先は――聖王の元。


 ――昔、昔。聖者は死の間際に在れど聖王のもとに歩いて行ったと記されている。


 光を纏うような歩み。追うように鈴が小さく、りんと闇を照らすように響いていた。


 現実離れしたような光景はまるで絵に描いた一枚の世界のよう。


 人で混雑する大聖殿前。その横を抜け、私たちは外も疎ら――作業をしている関係者しかいない――裏手に来ていた。若干不思議がられたが立ち入り禁止でもないのでそのままにされている。そこにある樫の大木が在った。大神殿に立っている木々はほとんど古くから在るご神木が多いのではあるがその木は比較的若い木で特に周りを固められていることなく、するすると登ることができた。


 木登りは得意な方。だって高い所で息を殺して顰めるのは日常でも在ったから。……ではなくて。なぜ私たちがこんな所に居るのかと言えば、ここが丁度大神殿の正門が横から見えるから。もちろん豆粒程度では在るけれど、人混みに紛れて見ることが出来ないのは嫌だった。


 太い木の枝に私とユリアが座り、シュガーは隣の枝を足場に、幹を手支えに立っていた。肩で何のことはないという顔で。神官候補は弱々しいイメージがあるが実際の所そうではないらしい。この国は兵士と言うものが存在しない。その代わりに神官が前線に立つため万全に鍛えるのだという。まぁ今まで神官が出るほどの有事は無いらしいし、これからも無いのを望む。


 平和だなぁ。


 途中買ったココアを飲みながらふぅと息を付いていた。その近くでなぜか顔を引きつらせた美形――弟が笑っている。


「姉さま。エッジを元気づけようとして、言った言葉をもう一度教えてくれるかな?」


「え? あぁ――私が必ず就職して近くに行くってやつ?」


「無理だと思うわ。そんな事より、私とカフェでもやらない? 美味しいもの一杯食べるの。好きでしょ?」


 言いながらパクリとクレープを食んでいる。幸せを絵にかいたような顔でなりより。ただ分かっているけど友達にストレート球を投げないで欲しい。ははと笑うしかなかった。


「ユリアは黙って。そのあと。あと」


「え。夢物語だよ。それでも心が折れそうなら私と一緒に逃げる? って言った見ただけ。何か変なの?」


 別に現実になるわけでもないし。なぜそんなに睨まれるのか分からない。圧が怖いし。そしてユリアの気持ち悪いほどの満面の笑顔がそこにあった。


 え。なに?


「二人で?」


「まぁ。そうなるよね――って、なに? なにかへん?」


「それってプロポーズみたいだね?」


「プロ……そりゃ友達だし。本当に限界そうだったから……あぁ。ユリアがそうだったら私は迷わず言うよ? シュガーは弟だし。いつだってシュガーの為に命は張れるけど?」


 むしろ命を張って得た未来が此処だし。


「なら、もしそうなって。オレがいかないでと懇願したら俺をとってくれるの? 姉さまは」


 言われて少し視線を落とした。


「……シュガーはもう大丈夫じゃない?」


 病気は直って十分健康。美しい容姿に棘が少しだけある自由な性格だ。何だって出来るし何処へだって行ける。もう私が守らなくても生きて行けるし、愛してくれる両親だっている。それにと私はユリアを見た。ユリアは不思議そうに小首を傾げる。


「エッジは大丈夫ではないの?」


 負けた。そんな顔で悔しそうに歪む。


 にしても、一体何と戦っているのだろう。我が弟は。よくわからない。


「折れそうな人にそんな事は言えないわ」


 『俺も弱いふりを……いや、今から――』なんて声が小さくぶつ切りに聞こえてきたが全部は聞こえなかった。ぱっと暗い表情のまま至極真面目にシュガーは口を開く。


「……アイツ、殺していい?」


 なんで?


 目。怖い。ダメ。絶対。本気では無いだろうけれど、その表情に引きながら私は口を開いていた。


「やめて。神官がそんなこと許さないでしょう?」


 この空気の中ははははは。と笑っているユリアは何が面白いのだろう。『そうだねぇ』なんて暢気に言いながら再びクレープを食んでいる。小動物か何かに見えてきた。


「そんなことより、始まるわよ。二人とも」


わあっと響く歓声。大きな扉が開いて、小さな影がゆったりと他の神官たちに囲まれながら現れる。黒い髪だ。顔はよく見えないが長身の男性のようだ。彼は持っていた錫杖の柄をとんと地に軽く付けると上部に付いている金属の輪がリンと涼しく鳴いた。


 手を伸ばし恭しく『聖者』を向かい入れる。


 今年の聖者は女性で、二人とも白い衣装――伝統的で幾重にも重ねられているが軽く羽根のよう――を来た二人が並び立つと何となく結婚式を思わせるのはなぜだろうか。


 誰かが歌う。それは聖書の一説。それをかつての言葉で原典通りに。もはや誰も使うことの無い言葉はほとんど異国の物のように聞こえた。


 暫く誰もが黙り込んでそれに聞き入る。少しだけ途切れた声に、漸くユリアが口を開いていた。


「なんか、やっぱり今年は聖王様が出るだけあって、荘厳さが違うねぇ。此処からじゃ、かっこいいのかどうか分かんないな……シュガー。見えるかな?」


 というか、一人だけずるいぞ。と言いながらユリアは不貞腐れるようにシュガーを見た。シュガーは眉を顰めて手に持っていたオペラグラスを離す。いつの間に。


「どんな顔? 黒髪っていうのは分かるけど。あ、もしかしてエッジ近くに居たりするかな」


「まぁ、いる。と言えば居る。けど」


 端切れの悪い。私はうんと考えているオペラグラスを無理やりに奪って覗き込んでいた。『あ』と慌てた声の前に覗き込む。


 まず映ったのは壁。それを辿って行けば新刊らしい人たちが裏門だろうか。それを護衛――。


「え?」


「姉さま?」


 いや。あれ、神官なのだろうか。


 神官って普通剣を持つことはない。いや、神官だけではなくこの国で剣など武器を持っているものは治安を維持する警護隊くらいだけだろう。平和ボケが進この国でまともに剣を見たことある人なんているのだろうか。


 ……なんかやな予感がする。私はシュガーにオペラグラスを返すと同時に木から飛び降りていた。ブワリとスカートが舞うのも気にせず私は地面に降りた。さすがに足が痛い。少し足をさすりながら見上げる先には二人の驚愕が映った。


 何が起こっているのか。そんな顔。でも説明などしている場合ではない。


「シャロ?」


「な、姉さまっ?」


「ちよっと行ってみる。ユリアは警備の人に。シュガーは神殿の人に」


「いや、まっ――」


 戸惑って制止する二人の声をよそに私が走り出すと同時だったか少し遅れてか――何処か近くで爆発音がしていた。




 この国は神によって守られている。その楔が聖王であり、楔が朽ちればこの国は滅ぶと信じられていた。実際はどうなるのかは知らないが、この国が神に守られているのだけは本当だ。いかなる者もこの国の許可が無ければ入ることは出来ないのだから。


 その許可は年に一度だけ緩いものに変わる。それがこの祭りに関わる期間だけであった。まぁ、それでも厳しい検査が入るのは間違いは無いのではあるが。


 兎も角として。


 特技の一つ――やはり昔取った杵柄――影に隠れるを生かして近づいた大神殿の壁近くにはやはり神官を装った男たちが立っていた。言葉はこの国の者とは違う。私たちの故郷に近い言葉を使っていた。忘れかけていたとはいえ分からないと言うことはなく、彼らの目的はこの国の混乱と『聖王の死』で在るらしい。


 ――とにかく。知らせないと。人はきっとシュガーたちが呼んでくれるだろうから。


 古い大神殿の壁には所々ほころびがある。その綻びを縫って内部に入ると――さすが平和ボケ――美しい庭が広がっていた。まるで絵本で読んだ常世の様に。光る花は何なのだろうか。その花が風もないのに揺れて方向を指し示しているように見えたのはきっと気のせいだろう。


 美しい庭にも響く切羽詰まった声と悲鳴。泣いている子供の声が甲高く響いていた。


 夜空が朱に染まっている。どこかで火の手が上がったのだろう。私はそれを見上げてぐっと拳を硬め、口をの真一文字に結んでいた。


 庭を抜けて人に注意しながら階段を駆けあがる。誰かとすれ違っていいはずなのに、誰一人としてすれ違うことはない。ただ、怒号と悲鳴。混乱が肌に刺さるばかりであった。


 大神殿の廊下は打って変わって静か。ただ、ぽつりぽつりと転がっている『もの』は。幸い暗くて良くは見えなかったが、立ち止まって確認するのが怖くて私は駆け抜けていく。びちりゃと弾く何かは考えないようにした。生きていることを願い、泣きそうになりながら、来るのではなかった。と後悔しながら私はぐっと奥歯を噛む。


 もう――間に合わない。その想いを打ち消すように私は走る。息を切らし、心臓を早鐘のように打ち鳴らしながら。


 だって。まだ、間に合うかも知れないでしょう?


 諦めるつもりなんて、ない。


 『こっちだよ』と抜けるような風に促されるように大扉の前に立つと、ぴったりと閉っている扉に手を掛けていた。一人では開けられそうもない壁のようなそれに力を込めると少しずつ、引っかかるようにして開いていく。


 目に入るのは朱。耳に残るのはいろんな感情が入り混じった声だった。




 ……大体。よく考えれば、いくらなんでも『聖王』とその周りが弱いと言うことはなかったのだ。私が居ても居なくても何一つ変わらない。


 え。私。何しに来たんだろう。なんかこう――。いや、褒章がもらえるとも思っていないけれど……。


 この場から見下ろす街の火災か爆発はもはや鎮火しているようだ。燻った煙がのろしのように上がっているのが見えた。しかも同時多発的に起こったらしくいくつもの……その現実に眉を顰めるしかない。街の人たちはほとんどここに居るのでそれほど被害は無いと思われるけれど、それでも。だ。


 足元に『いかにも私は刺客です』と言う黒ずくめの男たちは意識なく転がっている。死んでは無いようだ。突いてみると『うぅ』と低く声を上げている。


「君は?」


 慌ただしく走っている神官が漸く私に気づいて、私は廊下で倒れている神官たちの事を伝えると顔を蒼白にして扉の向こうに消えていく。もちろんここに居る神官たちを連れたってだ。


 生きていると、いいな。


 少し閑散としたこの場所で私は崩れるように座りこむと息を付いていた。カタカタと震えている手足は緊張なのか体力が削がれたのか分からない。暫くは歩けそうにも無いだろう。


 ここに私を気にする人は誰もいない。ただぼんやりと遠くで慌ただしく走る誰かの声を聞いていた。


 儀式用の松明がぱちりと空間で弾ける。それはかつて故郷で見上げていた松明の灯りと変わらなくて一瞬故郷にいる錯覚に陥った。


 もしかしたらこの世界は私が見ている夢なのかも知れないーー。ふと無そんなことを感じる時がある。


「おねーちゃん?」


 幼い声に私は視線をずらすと、小さな手が私の腕に手を当てて、心配そうに覗き込んでいた。私と同じ、緑の双眸でくせ毛の赤い髪。服装から見て少年だろうか。四歳から五歳程であった。


 この騒ぎではぐれてしまったのだろうか。


「まいご?」


 どちらが……。と言いたかったが否定はしない。少年はどや顔で告げた。


「せいおーさまが、ぱぱとまま。さがしてくれるって。おねーさんもみつけてくれるよ。おとなはなかないってままが言ってた。だからぼくはなかないの」


「そうなんだ。偉いねぇ。おねーさんは泣きそうだよ。誰もいないし」


「ぼくがここにいるか……」


 おおぅ。浮いた。と言うよりは軽々と少年は後ろに立っていた神官――エッジに持ち上げられていた。『なにすんだよ』なんて抗議はにこりと笑ってすがすがしく無視を決め込んでいる。


 にしても、端正な顔に似合わず力は結構在るらしい幼児を抱えても――荷物のようだ――平然としていた。


「勝手にちょろちょろしないでくださいよ。だから迷子なんですよ。君――って。シャロン? なぜここに?」


 ここは一般市民が入ることは出来ないのでその疑問は当然である。下手をすれば私も不審者でしかない。私は、ははは。思わず愛想笑いを浮かべていた。


「不審者がいて。知らせようと思って裏から入ってきたんだけど、必要なかったみたい」


「不審者って――。危ないだろ? 怪我は?」


 エッジは少しだけ怒った様子で眉を顰めると、近くに居た神官に少年を預けた。それから私をまじまじと覗き込む。


 灰色の双眸がキラキラと輝いて銀に見えた。


「なんで……」


 はぁ。と疲れた様にして大きな溜息一つ。よく見れば、エッジの衣装も汚れたり解れたりしているのは戦っていたからなのだろう。


「聖王様は助けないと。私たちを助けてくれたから。でも、なにも出来なかったな。あ。もちろんエッジの事も心配してた」


「あの――付け加えるのはちょっと」


 なんだろう。信じられないとでも言うのだろうか。心外な。ぷくりと軽く頬を膨らませた。


「嘘は言ってないよ。私は一つも。友達を心配するのは当たり前で、もし、聖王様かエッジか取れって言われたらエッジを取るくらいには本当。こうして怪我一つないことに今だって安心してるし」


 何しろ足腰が立たないので不格好に手を伸ばせばエッジは手を取ってくれた。ほとんど無意識に。その目は唖然と私を見つめている。


「……なんだか――」


 その言葉の続きを聞くことは出来なかった。唇だけが軽く動き音はすぐに空気に溶けてしまったから。松明に照らされた顔は朱に染まっていたが、それだけは無いだろう。照れた様に視線をずらした。


 いや、完結しないで欲しい。きになるから。


「エッジ?」


「聖王様――」


 呼ばれてエッジは顔を上げていた。『聖王』と言った気がするけれど、気のせいだろう。声の方向に私も視線を向ければ、初老の男性神官が立っていた。年かさを重ねているのに凛とした若々しさを保っている様に見える。神官は私を一瞥し、エッジの元に小さな声で話している。それにエッジは小さく『分かった』と言うのだけは聞こえた。


 疲れた様にして溜息一つ。エッジは私の視線に合わせるようにして膝を付いて恭しく手を取ってくれた。まるで壊れものかのように。


 『シャロン』言った声は、穏やかで優しいもの。けれど子何処か悲しいものが混じっている気がした。


 何が、と言うのは分からない。


「僕はいかないと行けないみたいだ。先ほどは責めたけれど、ここまで来てくれてありがとう。君の勇気に感謝するよ」


「あ、当たり前でしょう? 私たちは友達だし」


 言うと少しだけ眩しそうに細められた。


「うん。後は任せて。シュガーを呼びに言ってもらったからもうすぐ帰ることが出来るはずだよ」


 すっと静かに立ち上がりエッジは視線を街に巡らせる。その後で振り向いてから笑って見せた。それは凄く儚い。まるで公園の時のように。


 消えてしまいそうだ。


「僕はね。君が生きているこの世界が好きだ――だから。護りたい。そう願うよ」


 何か、を言いたかった筈なのによくわからなくて私は唇を開けて閉じる。そしてまた開ける。を軽く繰り返していたがそれを遮るように声が響いた。


「聖王様デスヨネ?」


 何処か訛りが強い。この国自体は国土が少ないためにそう訛りは感じられないというのに。違和感に眉を寄せてしまう。


 それにこの人は――何処からいたのだろうか。


「……君は?」


 そこにいたのは一人の神官であり、なんだか操り人形が浮かべる不気味な笑みを浮かべていてるように見えた。


 隠しているつもりでも、その手に持っていたのはナイフで。それを振り上げると同時だったか。兎も角として考える暇などない。半ば反射的に躍り出ると、身体に強い襲撃が走っていた。


 悲鳴が聞こえる。怒号が聞こえる。


 涙が見える。震えているの?


 そう泣かなくてもいいのに。


 もう痛くないから。苦しくないから。


 考えたところで。


 私は死ぬんだ。と思い立った。



 意識が途絶える寸でだったか、何処からか――咆哮が聞こえたような、そんな気がした。




 あ。私が居る。


 寒い雪が舞う世界。弟を抱えて小さく震えている。光などない暗い森のなか、希望など見出すことも出来ない。死ぬのを待つばかりだった頃の私だ。


「弟だけは助けて下さい――神さま」


 掠れた声で知らないはずの神さまに祈るのが聞こえる。何度も何度も呪文の様に。触れたくても触れることなんてできない肩はここは記憶の中なのだと認識させられた。


 弟――シュガーはもはや動きもしない。一瞬だけ重い瞼が開いて閉じた。


「神さま」


 喘ぐように悲痛な声が響いた。自分自身でも苦しくなる声に此処を通りかかる『予定』の聖王を探すが静まり返った森は何の気配も――怖いほど沈黙していた。


 (よびに、いかないと)


 考えて気付くが、声が出ない。そもそも呼びに行ったとして、意味はないだろう。けれど、結果を知っていようとこのまま捨て置くなんて出来なくて私は歩き始めていた。


 暗い森にぽつりと光が灯っている。それはたった一つの希望の光のように。空に輝く一等星の様に。それに吸いよされるように歩けばそこには一人の少年が立っていた。雪から避けるためなのだろう。フードを目深に被り、その灰色の目で空を見つめている。本来見えるはずの無い影がはっきりと見えるのは彼自身が淡く輝いているからだろう。それは在りえない事であったが、不思議と変だとは思わなかった。


 (エッジ?)


 はく、はくと呟けば少年――エッジはそのどこか虚ろな目を私に向けた。まるで『視えている』かのように。いや。見えているのだろう。


 小さく布が落ちる音と共にフードを落とせば、そこには私がよく知る端正な少年の顔があった。そこには表情などない。温かみも感じられない。生きているという実感の無い存在であった。


 人形。そんな言葉がしっくりくるだろうか。


「助けてほしい? あの子を」


 あの子――。『私』の事が分かるのだろうか。ここは小さな『私』が居た場所より離れているのに。


 (ここから、見えるの?)


「僕は聖王だよ」


 なるほどと頷いていた。謎の説得力である。というか。やはりと言うか何というか。聞き間違いではなかったらしい。


「驚かない?」


 (うーん。どことなく予想はしていたことだし。エッジはエッジだから。驚いたところでそれは変わらないでしょう? それに私多分だけど死んじゃっているしなぁ)


 是もどことなく気づいていた。いや、目を逸らしていたと言うべきだろうか。覚えているのは止まらない血。治癒は命が流れていくように掛けたそばから消えていくのが分かった。痛いほど握りしめられた手は冷たく、整った顔立ちは涙に濡れて――。


 そんな顔をして欲しくなんて無かったのに。


 出来れば笑って別れたかったと言うのは希望だ。


「そうだね」


 否定をしないエッジに苦笑いを浮かべるしかない。少しは否定をして欲しかったのに。


 (うーん。そこは否定を……ま、いっか。それで? もしここで、あの私たちを救わない選択をしたらエッジはどうなるの?)


 そもそもこれは夢なのだろうか。どちらかと言えば、私が生きていた世界が夢のような気がするのだけれど。大体、何もない私たちにそんな美味い話なんてない。私も、私たちも名もない皆のように死ぬべき運命だったとは思うのだ。


 いつだってそう思っていたし。


 私は私たちが居る方向に目を馳せた。


「……なにも。君たちは死んで。僕は一人になるだけ。だけれどそれが正しい世界。何も起こらない世界」


 (ただしい……そうだね。そうかも知れない――でも。一人?)


 何か起こるのだろうか。それも気になったが、私は顔を上げていた。


「……聖王は本来人と関わらない。代わりがいないから鳥籠(しんでん)でその生と死を迎える。感情なんていらない。必要なのは国の維持のための身体だけ。関わることができるのは――聖者と呼ばれる者だけ」


 (――本当?)


 聖者はここ何年も現れていない。その理由は色々囁かれているが、神がこの地を見話しかけているとも言われている。


「歴代の聖王は、そうして命を終える。僕も然り。なんでも出来るけれど、何もできないのが聖王だよ」


 何処か自嘲気味にエッジは言った。視線を落とした小さな身体は何処か寂しそうに見える。


 (私達を助ければ一人にならない?)


「力が制御できなかったんだ。力は感情に振り回されるものだから――あの後。壁を壊して攻め入られてね。僕は力を制御出来ないまま――世界の半分程を焼き尽くしたかな」


 (え?)


 昨日パンを焼きました。みたいになんでもない事の様に言われても。どう反応していいのだろう。固まっている私を灰色の眼が見つめる。


「君が僕の前で死んだから。多分同じことを何度だって僕はするんだと思う」


 (えっと、だから私達を助けない? まぁ、世界には変えられないと思うけど――でも、エッジが一人になるのは納得できないよ)


 死んだ後に迎えに行っても『誰こいつ』と言われるのも嫌だしなぁ。友達には幸せになって欲しいと考えていた。未だに泣き顔が頭から離れることはない。


 泣かせるつもりなんて無かった。


 だから。幸せになって欲しい――。幸せにしたいと願う。


 うんと考えてから顔を上げていた。


 (私が聖者になれば問題ないよね)


 ドヤ顔で言っているとは思う。その顔を見てエッジの顔は初めて感情を見せた気がした。唖然とした――『こいつは馬鹿なのか』と言いたげな顔だ。


 眉間の皺を伸ばしてから私を見る。


「聖者は神の生まれ変わりで――」


 ふと言葉を差卯木るように風が吹くと星の粒子が水の流れの様に何処からか集まってくる。それは小さな固まりから次第に成長し、やがて人を形作っていった。

 ランプの光の様に発光している人体はどう見てもこの世の者ではない。美しい肢体は完璧とも言え、糸を超越しているように見えた。


 女性のようにも男性の様に見えるその人は白い手をエッジの肩に掛けながらふわふわと宙に浮いている。


 幽霊仲間。とも思ったがそうではないだろうと打ち消す。


『構わないさ。君の人生と記憶。それを僕に捧げるのであれば、君を器として認めようよ。我が主』


「……何を考えている?」


 じとりと見るエッジにその人は肩を竦めて見せて悪戯っぽく笑うのが見えた。


『まぁ? 君を含めて、歴代の聖者たちに懇願されていてね。君ぐらいは何とかしろと、でも無料ではないよ? 君――シャロンとか言ったね? 生かす代わりに聖者となってもらう事よりは元より、君にはすべてを覚えていてもらう。ただし、世界は君のことを忘れるだろうけれど――君の弟もこのエッジ君も。君は一人だ。あと、聖者としての力を使うたびに苦痛を伴うよ。元々聖者じゃないんだ。その命を削ることになる』


 (――貴方は?)


『うーん? 君たちが言うところの神さま』


 盛大にエッジが顔を顰めるのが分かった。そう言えばエッジは『神さまが嫌いだとは言っていた気がする』。見えるから、知っているから嫌いだったのだろうか。あの時は分からなかったけれどそう理解していた。


 (そう。いいよ。聖者になる。それでエッジの側に、幸せに出来ると言うなら、それでいいよ)


 私が言うと些か馬鹿にしているように笑う。その横でエッジは私をぼんやりと見つめていた。


『人間は不思議だなぁ。相変わらず。恋や愛の為に、命を掛けるなんて』


 (いや友達)


 と言うか。実際そんなものがよくわからないというのが実情で。ユリアやシュガーみたいな関係を言うのだろうけれど、私たちの間にそんなものがあったのかと問われれば無かった気もするし。考えて首を傾げると『は』と笑われた。


『ワザとなのかい? それ。気付いているだろ? 面白すぎ。だから人間って飽きない。どっちにしろ君が好きなのは間違いないだろう?』


 (ええ。――うん。そうだね。ね。一つ聞きたいんだけど本物の聖者様が来たら私はむどうなるの?)


「死ぬ……主神デアリスは偽物が嫌いだから」


 ぽつりと視線を逸らしながら罰が悪そうに呟いたのはエッジだ。

 

 (え)


『大丈夫。大丈夫。今まで来なかったんだから、来ない来ない。それで諦めるの?』


 (そうではないけど――いや、うん。頑張る)


 自分でそう決めたのだから。本物が来たら『譲れば』良いだけだと思う。けれどなぜかそのことに引っかかりを覚えていた。


 それが何か分からない。


 くすりと神さまは息を落とす。


『――さぁ、眠りなさい。過ぎた時間は無かったことには出来ないけど変更することは出来る。君は君の場所で目覚めるだろうから』


 さくりと地面を踏みしめる音。淡い光を放つ掌が私の額にとんと触れた気がした。温かな風が私を纏う。眠い。薄れゆく意識の中で引き留めるように私の手のひらに温かなものが握りしめられる。ふと見ると不安そうな双眸が揺れていた。


「僕は――ごめん」


「大丈夫だよ。二度とあんな顔させない」


 あ。声が出る。と思った。聞きなれた声。


「私が行くまで待ってて。絶対行くんだから」


 貴方の為に――。




 空は高く何処までも澄んでいた。


 世界は今日も平和で、大神殿の大きな庭で子供たちが遊びまわっさている。それを見ながら私はお茶を飲んで小さく息を付いていた。すうっと柔らかな香りが鼻を抜けていく。


「あの子は? 大神殿に子供がいるなんて珍しいわ」


 しわがれた私の声にもう張りは無い。手は骨が浮き出て皮膚は弛んでいる。纏めた神は白く、耳から一房零れ落ちるのをゆっくりと治し、近くにいた神官である側仕えの女性に声を掛けていた。


 目覚めた時、私は聖者としてかなりの時をこの大神殿で過ごしていた。先代の聖王をこの間見送ったばかりである。


 悲しいことにもうそろそろお迎えが来そうなところに漸く、新たな聖王――アドラー・エッジ・ハーバリストをつつがなくお迎えしたわけではある。


 ……うん。別に悲しくはない。悲しくはないぞ。残りの人生、私はあの子を護るのだから。幸いにも新しい――。


「ああ、この間国境で聖王様たちが助けた子供達ですよ。確か、シャロン様とシュガー様と言ったかしら?」


 どうやら、『私』は存在しているらしい。まぁ、聖王様も今までに無いくらい幸せそうに笑っているので良いのだろうか。


 いいか。あの時まで私が頑張って生きれば。今回は私が居る。だから、何も起きないはずとぐっと拳を握った。


「……そう」


 もう一度口元にお茶を運ぶと一人の見覚えのある少年が、こちらをじっと見上げている。弟――シュガーである。相変わらずその姿は人形のように可愛らしい。不審者宜しく撫でまわしたい気持ちを抑えて『何でしょうか』とゆったりした口調で言う。


「姉さま。なんで、突然年取ってんの?」


 いや。いやいやいや。孫。どう考えても良くて孫。悪くてひ孫。落としそうになったカップを持ち直していた。


「……貴方の、お姉様はあっちでしょう?」


 言うとシュガーは口元を尖らせて近くの椅子に座る。神官に『お菓子頂戴』と図々しく強請っていた。いや、この頃はまだ素直で可愛らしい性格をしていたはずなんだけれど。


 困惑している神官にお菓子とミルクを頼めば一礼して去っていく。


「馬鹿な姉さま。あれは姉さまの姿をした『何か』なのに。聖者様なんだろ、分かんないの?」


 にしても、なぜ覚えているんだ。取り繕ったところで無駄な気もしたので軽く息をついて私は口を開いていた。


「別に構わないわ。私はあの子が幸せで在れば良いし。守れればいいと思ってるのよ。それに私は偽物で相変わらず私自身には力が無いんだよ」


 それに。生きていく中で沢山使ったから、もう使う事は大して出来ないし。と心の中で付け加えていた。


 私を蜜色の双眸が見ている。そう――蜜色だ。緑ではない。聖者と同じシュガーは蜜色の目になっていた。向こうのシャロンは緑であるのに。


「アイツも馬鹿だし、姉さまもバカだ」


「バカバカ言わない。私は好きな人を守れる事が幸せだし。ここに居る意味はあるのよ――これが愛だと思うわ」


 私はこの人生で沢山人を見てきたし、そうだと神さまが言っていた。うんうんと頷いていると冷たい視線が注がれている。


「マジ馬鹿。姉さまこれからどうするの?」


「そりゃもう。残り少ない人生。聖王様に人生へ捧ぐに決まってるでしょう? 日向となり、影となってね。今の私は聖者よ? 何だってできるのだし」


 何だって出来る。権力的な意味で。聖者自体は大したことは出来ない。一般的を少しだけ上回る治癒能力と浄化能力が備わっているだけである。つまり災厄や災害を防ぐ能力とでも言うんだろうか。つまるところ居るだけで国土が安定するらしい。


 常世の国だと思っていたけど本当はそうでなかったしね。


 二人で話しているとシュガーを呼ぶ声が聞こえる。エッジ――聖王様だ。嬉しそうに大きく手を振っている。あの顔をむ見られるだけで心が満たされる気がした。


「さぁ、いって。私が最後までシュガーも守るから」


「……姉さま」


 眉尻を落として戸惑っているシュガー。そこにぱたぱたと二人の子供たちが追いついてくる。


「聖者様。ご機嫌麗しく」


「あら聖王様も。お元気そうで関心いたします。シャロン様、でしたか? シュガー様の姉上の」


「――はい」


 不思議な気分だった。自分に話しかけるのは。ガラス玉のような緑の眼が何処か見極めるように揺れている。それにしてもこうしてみると中身が違うからか何なのか、私って存外可愛いのかも知れないと自画自賛していた。心の中で。


 中身か……。


「聖王様を宜しくお願いしますね。何なら好物でもお教えしましょうか?」


「え゛?」


 なぜ知っているんだと言いたげな顔をしている。まぁ私は知ってて当たり前で。ふふんと鼻を鳴らしていた。自慢げに。私の横で残念なものを見るようにして『姉さま』と小さくシュガーは呟いている。


 こほん。咳払い一つ。ここは年寄りの余裕で。


「さぁ、行きなさい。シャロンさん。二人を宜しくお願いしますね」


「いこう?」


 そう言ったのは聖王様で。シャロンの手を引っ張って駆けていく。子供らしいあの子は新鮮だな。とほわほわしている顔で見ていると。シュガーが口を尖らせたままで言った。


「姉さまだって幸せになっていいのに」


「あら? 皆生きているんだから幸せだよ。一人ぼっちにならないように大神殿の改革だって出来たし。頑張ったんだから。私。まぁ、一つだけ残念なのは、見届けることが出来ない事ぐらいだわね。……さぁ。シュガーも。私のような老いぼれと話ていないで。遊んできなさいな」


 別に強がりでない。本音だった。まぁ結論として『楽しかった』人生と言えば勝ちなんでは。と考えてる。


 好きな人たちはここに居る。


「子供じゃねぇし」


「良いから。あ、未来でユリアに会えるといいね」


「るせぇ。じゃあな。聖者様」


「うん。また、ね」


 走っていく小さな背を見送りながら息を小さくついて、空を見上げて小さく欠伸をする。昼寝にはいい天気だ。


 すっと目を閉じれば見覚えの無い神殿の映像。一面には神話をモチーフにしたステンドグラスが貼られている。


 太陽の光は淡く差し込んでいて、祭壇の前には誰かが立って笑いかけてくれていた。ゆったりと差し出された手に這わせる私の手は染み一つない。


「お疲れ様」


 聞き覚えのある優しい声に顔を上げるがよく見えなかった。でも知っている。知っていて、それはとても懐かしい。


 涙が出そうになるのを抑えて私は口を開いていた。


「……うん。うん。ねぇ、聞いてくれる? あのね――」


 静かな世界は光に消える。


 それはとても幸せな光景だった。


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